第八話 私達が生まれた理由

 九月の終わりに慎治さんに会って、秋人パパからアダムについて知っている事を直ぐにでも聞き出そうと思っていたのに、パパはその日から一ヵ月間出張予定だったみたいで、家にはいませんでした。

 十月になると弥生と私は晴れて聖稜大学の一回生に迎えられました。

 驚く事になんと、将臣の奴も私達に黙って、入試を受けていたんです。

 結果は言わなくても分かっているでしょうけど、これから四年間、私たち三人はまた、同級生として一緒に過ごせると思うと何だか、安心しちゃった私。

 大学に通いながら二週間くらい毎日、葵ママにアダムの事を聴いても、知らぬ素振りで、答えを聞かせてくれる風じゃありませんでした。

 パパの携帯に連絡を入れたって、メールしたってお返事を呉れない。

 だから、パパの出張先まで行って聞き出してみようと思ったのに、ママはその所在も教えてくれませんでした。

 葵ママが外出中、パパの部屋に侵入し、スケジュールとか、居場所となんかが、分かる書類を探してみたけど、駄目だったし、パパのお仕事用のPCを立ち上げてみても、パスワードが分からなくて、先には進めなかった。

 パパの勤めている大学に問い合わせても、口裏合わせているのかなと感じるくらい、黙秘されてしまいました。私を避けている風に。

 実りのある収穫は出来ず仕舞いな日が続く。


2011年10月29日、土曜日

 慎治さんとドレスデンでお会いしてからもう一月が経とうとしています。

 将臣達も未だに将嗣パパさんからアダムについて聞き出せていないみたいでした。

 学校帰り、将臣達から別れて自宅への道を日の暮れた夜空を眺めながら歩いていました。

 宅地区画だから、周りは一般住宅ばかり。

 人通りは私と同じ様に自宅に向かって歩いている人や逆に表街へ向かっている人達が疎らに居て、静けさはありません。

 車で帰宅する人もいるし、その逆も。

 もう直ぐ、私の家が見えてくる頃です。

 私はその方角を注視すると、一台タクシーが止まっていました。タクシーのドアが開き、そこから出てきたのは秋人パパでした。

 運転手さんに頭を下げ、正門へ向き、中へ向かおうとするパパの姿を見て、今いる場所から走り出していました。

 猛ダッシュをした私は、秋人パパが玄関に出てきた葵ママと話し終え、中に入ろうとしていた処へ追いついたんです。

「はぁ、はぁ、はぁ~~~、あきひとぱぱおかえりぃ~~~、ふぅ。出張ご苦労様でしたぁ」

 私は言葉と呼吸を整える為の息をもらし、玄関の扉でに手を突いて体制を維持した。

「ただいま、翠。どうしたんだい、そんなに急いで走ってきたりして?」

「お帰りなさい、翠」

 葵ママがそう言いながら、中に入り、秋人パパも、それに続く、大きく深呼吸してから私も中に入り玄関を閉めました。

 久しぶりにパパ、ママとの三人で夕食を摂り、パパがくつろぎ始めた頃にアダムの事を聞こうと思ってパパに近づきました。

 秋人パパはソファーに深く腰を据えて、撮り溜めしていた番組をママと一緒に見ている。

「ねぇ、ぱぱ・・・」

 パパはリモコンを手に取り再生を止めてから、私の方へ振り向き、

「ぅん?どうしたね、翠」と言ってくれる。

「ふぅむ、お小遣いが足りていないのかね?バイトをせず、学業に専念するというのなら、上げてもかまわないが」

「ちっ、ちがいます。そんなんじゃありません。とっても、とっても大事な話なんですから、まじめに聞いて下さいね」

「認めよう・・・、将臣君とのことだね?恋愛は自由。翠の好きにするといい。パパもママも総意をもって応援しよう」

「ぱぱ・・・、態と話をそらそうとしているでしょう・・・」

 秋人パパはあからさまに私が聞きたいと思っている事を避けようとしていました。

 私は座っているパパを見据えると、小さく咳払いをして、真剣な目で私を見返す。

「何だね、翠」

「分かっているんでしょう、本当は?私が、秋人パパに聞きたいと思っている事」

「それを聞いてどうするのかね、翠」

「そうやっていつも、いつも、パパは私に何も教えてくれない。どうして?春香お姉ちゃんのあの昏睡も、お姉ちゃん達の死も、私の事だってそう。貴斗さんや詩織さんだって・・・、それに香澄さんも柏木さんも・・・、事件性を秘めているかもしれないって言うのに、どうして、そんなに冷静でいられるの?」

 私はそこで言葉を止め、パパの出方を待ちました。ですが、何かの感情を湛えた瞳を閉じてしまうだけで声は返ってこない。

 なにも言ってくれないパパの姿を見て、いつか思った悲しさ、淋しさ、それと怒りの感情が私の心に込み上がり、下唇を噛みしめ、涙を少しばかり、両目尻に為、きっと秋人パパを睨み、

「どうして何も言ってくれないの?パパはお姉ちゃんや私の事が大切じゃないの?・・・パパにとって私達はいらない子だったの?本当は秋人パパ、春香お姉ちゃんが居なくなって清々しているとか?私なんか、目を覚まさずずっと眠っていればいい、何て思っていたりしているんじゃないの!私達なんか生まれてこない方がよかったの?それとも、本当は生まれてきちゃいけない子だったのっ、パパにとって翠はっ!」

『ばしゅっ!!』

 私が言葉を出し切る前に秋人パパは急に立ち上がり、私の頬を引っぱたくと厳しい目で見降ろしました。

 私は打たれた頬へ手を当て、パパの態度とその顔に激しく動揺し、大きく泣きだそうとする表情でパパを見上げる。

 泣きだそうとする私を秋人パパは急に強く抱きしめ、

「何をばかな事を言う?我が子を愛さない親がどこにいる?春香も翠も葵がお腹を痛めて産んだ子だ。多くの協力者に支えられながら授かった私と葵の娘たちだというのに、大切じゃない訳があるまい。愛しくない訳があるまいっ!馬鹿な事を云う物ではないぞ、翠」

 パパが怒号を上げるような言い方を聞くのは生まれて初めてかもしれない。

 それにこんな風に抱きしめられたのも幼少の記憶から久しいです。

 私の中にあるパパに対する複雑な感情が私を余計に泣かせさせてくれるんです。

 涙が止まらなかった。訳が分からなくなって秋人パパの胸の中で縋る様にワンワン嗚咽した。

 私が泣き続けている間、パパは何度か私をなだめる様に頭を撫でてくれた。

 懐かしいその行為がまた一段と私の涙を流させるんです。

 どのくらいの時間、私は慟哭していたのか分かりませんけど、泣きやんだ頃にパパが私から、距離を取りながら声を掛けてくれていました。

「翠、泣きやんでくれましたか」

 両手で眼を摩りながら、私はコクコクとパパのそれに頷く。

 グショグショニなっている私へ葵ママが、いつもの糸目柔和顔でほんのりと暖かなタオルを差し出してくれる。

 私はそれで顔を拭き、パパの顔を見ました。

「翠、そこへ座りなさい・・・」

 パパが先にソファーに座り、私が対面のそこへ腰を降ろす。

 左手の親指で数回、鼻の下の整った髭をなでてから、

「翠の知りたがっている事とはアダム・プロジェクトに違いないですね?」

 それに頷く。

「それを知ってどうするというのです?」

「パパが教えてくれたら、私もどうしてそれを知りたいのか答えます。だから、教えてください」

 真剣な顔で私はそう答えました。

 慎治さんには彼がアダムについて知りたがっている事を他言しない様にとお願いされました。でも、パパも正直に話してくれるのなら、慎治さんには申し訳ないけど・・・。

「分かりました。私の愛しの娘、翠の事を信じてお話します」

 秋人パパは言って、一度ママの方へ眼をやり、また私の方を向く。

「翠が知りたい事、それはアダムだけじゃなく、私達と貴斗君のご両親との関係も、ですね?」

 確認してくるように聴いてくるパパへ、二、三度頭を縦に振り答えました。

「とても、長いお話になりますので、今晩だけで、語ってやれるかどうか・・・。では、まず何故、私が貴斗君を知っていたのか、彼の両親、龍貴さんを恩師と呼ぶ理由から・・・」

 葵ママが用意したコーヒーを一口啜り、ゆっくりとした動作で双眸を閉じると過去を思い出すように語り始めました。

 秋人パパの両親は外交官でした。

 秋人パパが一人で生活できるような年齢、大学生になっても家族から離れる事を許さず、その時、パパの両親が滞在していたシンガポールの国立大学へ入学させられた。

 そして、そこで、貴斗さんのパパさんである、藤原龍貴さんと巡り合ったそうです。


1980年四月の終わり

 東京外国語大学三回生へ進級し、今年も日本で生活できると浮かれていた秋人。だが、両親の仕事の都合により、一緒に出張先のシンガポールへと連れ出された。

 偶然にも外語大はシンガポール国立大学と学部提携を行っていたので単位を持ち越しで、その大学の三回生として、編入する事が出来た。

 編入時期が微妙だった故に履修学科の幾つかが定員漏れで授業が受けられない状況に陥っていた。

 彼は途方にくれずに懸命になって流暢な英語で必要単位の講師に授業を受けられる様にお願いした。だが、現実は厳しく、どの面々も頭を縦に振ってくれる講師は居ず。

 難しい顔をしながら、校内を歩く秋人。

 考えながら歩いている人などたいていは注意散漫であり、彼もまたその集合に属していたようだ。

 通路の交叉で誰かとぶつかり、蹌踉めき倒れる秋人。

「すっ、すいません、考え事をしていたものでっ!」

 とっさに出てしまった言葉は日本語だった。

 直ぐに英語に言いなおそうと頭をよぎるも、追突されても、不動の位置にいた相手が、

「君、大丈夫だったかね?」

 男は純日本語の発音で秋人に声を返し、手を差し伸べる。

 顔を上げた秋人。

 目の前の人物が見た目、日本人である事に理由なしに安堵して、差しのべられた手を握り返し立ち上がっていた。

「本当にすみません」

「誰にでも、過ちというのはあるものだ。ただ、その過ちに対して誠に謝の意があるのならば、何度も同じことを口にしなくともよいと、私は思うがね・・・。ふぅ、何か困っている風な表情だが、どうしたのかね?」

 きっちりと手入れをしている鼻の下の髭。だが、若く見え顔にその髭の似合いの無さに口を閉ざす秋人。

「君、そう、不審がるものじゃない。これでも私はこの大学で基礎物理の講師をしている藤原龍貴と言う者だ」

「実は・・・」

 秋人はこれを天の助け、とそう思い、その人物に予定単位として組み込めなかった講義の話をしたのだ。

「ふむ、そうだったか・・・。この大学は今年、南洋大学とシンガポール大学との二校が併合して国立大学となった故に機構がきっちりしてなくて、各講義の割り振りがうまく機能していないのだよ。他の学生もどうにかしてくれと言うのだが、見えない処で確執があってな・・・。まあ、そんな事は学生には関係ない事だが、応用確率統計の授業は私の講義を受けなさい。他の履修課程、期待はしないでもらいたいが、話を進めておこう」

 龍貴は予備に持っていた授業日程を彼に渡す。

「では、明日から、出る様に・・・」

 言いながら彼は秋人が遣ってきた向こうへ歩きはじめた。振り返る秋人はその講師の威風堂々と去って行く彼の背中に深くお辞儀をして、今日受けられる授業の教室へと移動した。

 それが、秋人パパ二十歳と貴斗さんのパパさん龍貴さん三十歳との出会いでした。

 それから翌日、葵ママと秋人パパが龍貴さんの受け持つ授業で巡り合い恋に落ちたらしい。

 所謂、秋人パパが葵ママに一目惚れして、どんなふうにママの心を射止めたのかという惚気話。

 誇らしげな顔と童心にかえったような輝きに満ちた表情で語るパパのそれを唖然とした表情で聞く私と、柔らな笑みで聴いているママ。

 話の内容を聞く分では秋人パパは本当に、葵ママの事を想っているようだったし、ママもママで嫌々付き合い始めたのじゃなく、パパの事を理解し、好きになった上で恋仲になったようでした。

 日を重ねる毎に深まる二人の心。

 今も、将臣に対してまだまだ、天の邪鬼な態度を取ってしまう私。

 いつかはパパ達の様に素直な気持ちで接する事が出来るのかな、と想いながら、パパの話を聞き続けていました。

 1982年の四回生を終える頃、パパは院生への道を、ママは大学を卒業して、院生になるパパの支えになろうと、一緒に暮らすこと、結婚を意識し始めた。

 だけど、パパママが一緒になる事に大きな障害があったみたいです。それはお互いの両親。

 パパの両親は外交官で政界人以外を見下す。

 方やママは良い所のお嬢様、両親は貿易商を営む資産家で政治家や官僚嫌い。

 その様な両家がパパとママの結婚を知れば、それを許すはずがないのです。

 まあ、パパもママもよく、互いの両親に気が付かれない様、逢引きしていたのかと思うと、想像以上に波乱に飛んだ恋愛をしていたんだと感心しちゃいました。

 パパは院生になる事を止め、欠け落ちまで考えましたが、そこで手を差し伸べてくれたのが、またもや貴斗さんのパパさん、龍貴さんでした。

 私はいまだにどれほど凄いのか想像できませんが、藤原グループとはその当時でも多方面に発言力があったみたい。

 その龍貴さんがパパ達の両親に掛け合って、二人の仲を認めさせたと言う事らしいですね、パパのお話を聞く限りでは。

 晴れて婚姻を許されちゃいましたお二人はママの卒業後、六月に挙式を上げたとの事です。

 幸せいっぱいと夢いっぱいの将来を描き始めようとしていたパパ達にまた一嵐が巻き起ろう、だなんて、その時誰も知る由もなく、それは春香お姉ちゃんや私にも深々と関係ある事でした。









1982年7月

 真柴葵から涼崎葵に姓を変えた彼女はかなり落ち込んだ表情で産婦人科から秋人との新居へ帰宅していた。

 人類学、人文社会学の学者としての頭角を顕わにし始め、勉学に勤しむ彼の帰りはここ最近、早いものではなかった。

 葵は重い気持ちのまま、秋人の帰りを待った。

 人を連れ彼が大学から戻ってきたのは何時もより早い、八時前。来訪者は日本語で挨拶の声を上げながら、二人の住む借家へ足を通す。

 陽気な表情で帰りを待っていた葵に顔を向けた秋人は彼女の表情を見て、表現の造りを困惑色へと変化させていた。

 秋人の連れ等も葵の顔色を見て何事かと言う風な相貌を見せる。

「なっ、何かあったのかい、葵?」

「アキヒト・・・」

 葵は産婦人科での事を秋人に伝え、それを耳にした彼は一杯に開いた手で顔を覆うと、その下に絶望を体現させていた。

 葵が不妊症である事実を医師に告げられ、子宮その物が体内に存在しない彼女はどんなに願っても子供を産めない身体だと聞かされたのだ。

 子供を産む事などどうでもよいと思っているのが多数な平成年代の女性と違い、昭和後期はまだ、女性はなるべく若い年齢で結婚し、子供を産み育てるのが当たり前だった時代ゆえ、葵も自分の子を欲しいと思うのは必然だった。

 しかしながら、彼女の思いは何の前触れもなく、握りつぶされる。

 彼女の心痛は他人が簡単に理解できるものでもないし、ましてや、それを癒してやることなど不可能だろう。だが、縁とは人の理解の範疇を超える。

 来訪者とは藤原夫妻と二人の子供達。藤原美鈴は涼崎夫妻に近づき、語りかけた。

 美鈴がその二人に語ったのは不妊治療が出来るかも知れないという事。

 藤原夫人が進めている研究を適応すれば、治る可能性があるかも知れないと。しかしながら、まだ研究途上の為、保証も出来ない事をはっきりと二人に告げる。

 正式な手術ではないため、献体、人体実験になる事、失敗した場合どのような結果が訪れのか全く予期できない事を隠さず教えた。

「葵さん、秋人さん悪いお話ではないと思うは。直ぐに答えだすことは簡単でないでしょう。ですが、もし、心がお決まりになりましたら、いつでも仰ってください」

 美鈴はその様に涼崎夫妻に告げると、二人の表情が和らぐように穏やかな笑みで顔を湛えた。

 美鈴が葵達に告げた研究こそアダム、アクティヴドゥ・ディー・エヌ・エー・メタ・フォーミング、Activated DNA Meta-forming、ADAMである。

 藤原夫人からの話を聞いて直ぐには答えを出せず、大凡一月余りが過ぎ、悩んだ末に二人は決断した。

 研究過程の所為かを受ける辺りから、話し手が秋人から葵に代わりその頃を思い出すように間を空けながらゆっくりと翠に語っていた。

 1982年8月の中旬、ADAM研究の第二段階での初めての実験が行われた。

 搬送台に寝かされ、施術室へ移動する間、秋人は不安を募らせた表情で、葵の手を握っていた。

「だめよぉ、秋人君、その様なお顔を葵ちゃんへ見せては。深層心理で葵ちゃんへ良い影響は与えませんから。ですから、笑ってください。移植が終わるまでは何も心配せず穏やかなお心でお待ちください。そして、私達スタッフを信じてください」

 初のアダム技術を用いた移植の第一助手を務める八神皇女は大らかな笑みを向けながら、不安な表情をしている秋人へそのように聞かせていた。

「ほら、葵ちゃんからも言ってあげなさい」

「ねぇ、秋人。想像してみてください、私達の将来、子供を授かった後の事を。そうすればきっと・・・」

 秋人は葵の言葉を呑み込み、双眼を瞼で多い脳裏に未来を描く。

 何かを悟り、陰鬱が吹っ切れたかのように彼から笑みが零れ出していた。

 ちょうど、それと同時に彼等は手術室の前に到着した。

 そこで待っていた第一執刀医師他と八神皇女へ秋人は深々とお辞儀をし、

「葵をよろしくお願いします」と力のこもった声で手術の成功をお願いした。

 開かれていた手術室の前の扉が、最後の補助員を呑み込むと、秋人とその部屋を隔絶した。今の秋人にとって巨大な絶壁に見えるその扉の前に立ち尽くし、遙か上空にある表示灯を見上げるような姿をしていた。

 双拳を握りしめ、心を強く持ち、手術灯に光が点るのを待った。

 皇女達手術スタッフと共に手術室へ入った葵。夫の前では穏やかな笑みをしていた彼女も、不安を覚えたようで、その表情と一緒に皇女の服の裾を掴んでいた。

「あらあら、先ほどまで秋人ちゃんへ見せていましたお顔はどこへ行っちゃったのかしら。大丈夫ですよ、私達を信じてください。私も女ですもの、貴女の子を儲かられなかった事を知った時の苦しみは分かっているつもりです。これからの移植で貴女は変われるのです。子を身籠るのも、産むのも私達女にしかできませんこと。その痛みと辛さは男の方には一生理解できない事。ですが、それ以上に感じる幸せ。貴女もそれを望んで、決めたことなのでしょう?ですから」

 皇女は自身の満ちた笑みと一緒に両手で葵の左手を優しくもあり、強く握り返していた。

 彼女、皇女の言葉は葵の不安をぬぐい去り、彼女の決意を一層固めさせた。

 葵の表情を確認した皇女は第一執刀医師を見、全身麻酔の投与を促した。麻酔の効能により葵の意識が途切れた頃に第二執刀医師の志波京平が、

「さすが、皇女ちゃんの話術。それでいて、こっちの腕も確かなもで、先輩としてちょっぴり嫉妬しちゃいますよ」

「何を言っているのですか志波先輩。いいですか、この手術には失敗は許されません。成功だけが唯一の答えなのです。峰野先生も先輩も、もし手違いを起こす様な事があったら皇女とっておきのお仕置きです。他の皆様もその事を念頭に先輩のサポートをお願いしますね」

「はいはい、わかってますって」

「皇女君、按ずるな。我々を信じよ、君が、この娘に言ったように・・・、では諸君、開始する」

 峰野義之は全関係者へ、手術開始の号令を掛けた。

 それと同時にずっと手術灯を眺めていた秋人にそれが始まった事を赤く点灯したそれによって知らされた。

 皇女達がいる手術室には一般出入口のある正面通路とある特別区画に繋がる専用通路が奔っていた。

 専用通路に車輪の回る音が整った規律で峰野達の方へ届いていた。

 数人の研究者達によって丁重に運ばれてくる蒼水色の液体に満たされた耐圧水槽。

 全面透明な函の中を制御するために備え付けられている幾つもの装置。

 満たされた液体に柔らかく包まれるようにその中で僅かに漂う物体。

 それは全裸の女性だった。

 大腿程まで伸びた髪が水槽の中で揺らめき、差し込む光により、神々しく輝いていた。

 水槽越しから見る彼女の姿はまるで神々が生み出し芸術、アーティーファクトの如く、その存在を気高く神聖に目にする者等へ思わせるほど優雅で美しく、そして、清純だった。人語で形容するのも憚られるほど美しい容姿の裸婦。男性等がその女性を見て性的興奮など起こさせない程の神聖さを纏った女性はその聖櫃に浮かんでいた。

 水槽の中の人物が誰であるのか、麻酔により眠りへと誘われた葵には一生知る事のない人物。

 無論、それは秋人にも同じことが言えよう。

 百八十センチ位の男までなら入れそうな水槽が葵の手術台の脇へと運ばれた。

 研究者の一人が装置を操り、水槽の蓋を慎重に開封した。

 蓋が開けられたからと言って中の女性が目覚める訳じゃない。

 特殊な液体に浸るその彼女。中腹上で手を組む姿。

 その中で呼吸し、その度に胸中を上下させてはいる。

 峰野が医療用ラバー手袋の綻びが無いか確認すると器具補助師へ、サージカル・ナイフを出すように指示した。

 第一執刀医のその男はその持った刃を水中の人物の下腹部へ当てた。

 第二執刀医の補助を受け、彼女の子宮片方を特殊液体と一緒に別容器へと移した。

 摘出を受けた女性は縫合もされず、そのままの状態で蓋が再度、封印された。

 それからは葵にその女性から切除した子宮を移植する作業へと移行する。

 全体でおおよそ三時間を回る四、五分前に移植手術が終わり、葵の下腹部の縫合が終わった頃には縫合もされずに封印された女性の刃物が通った場所はその様な事実が無かったかのように、どこに傷痕があるのか分からないくらい綺麗に塞がっていた。

 無事実験が終わる。手術室から病室へ移された葵。その時はまだ麻酔の効力が残っていたため直ぐには目を覚まさなかった。

 秋人は葵が目を覚ますまで傍を離れず、ずっと彼女の手を握りしめ待っていた。

 秋人も葵も子宮移植手術を行ったという事以外、何も知らない。

 それがどのような技術が使われた移植なのか全く報せられていなかっし、秋人は意識して考える事もなかったし、無理に聞きだそうとも思わなかった。

 只、唯この度の移植の成功を祈るばかりだった。

 移植された子宮の葵への定着は早く、当初予定経過だった一か月より、二週間も早く、彼女の身体に馴染んでいた。

 その巣で生産される卵が本当に彼女の因子を持った塩基情報配列であるのかを確認するのに三か月。

 結果を確認した研究者たち誰もが想像以上に驚いた。

 結果良好すぎるのを恐れるくらい葵に移植されたある人物の子宮は完全に彼女、涼崎葵の物となったのだ。

 次は葵と秋人の間に子供が設けられた時にどうなるかが、研究者たちの一番の興味だった。

 それから時は過ぎ、シンガポール日時、1984年3月12日、月曜日の陽が昇り、その陽光が人々を照らし出し、健やかで春の香りを乗せた一陣の風が吹いた頃に、涼崎夫妻の第一子がこの世に生を受けたのだ。

 その子の名が春香。

 本来研究の対象でこの世に生を受けた春香は人道的な範疇内ではあるが、生態育成観察のため研究施設内または監視範囲内環境に拘束されるはずだった。

 だが、アダム計画の最高責任者である藤原美鈴の権限により、特例扱いで涼崎に関する一切の研究除外対象となり、彼等の私生活が研究成果を確かめるためなどの理由で脅かしてはならないという事に決定されたのである。

 仮令一つの思想の上に集まった研究者達と言えど、誰もが上の命令に従うとは限らない。

 故、美鈴は涼崎家族を施設からは遠い場所、日本へ帰国させた。

 自分の生誕の影に大きな力が働いていたことなど何も知らない涼崎春香は日本ですくすくと育ち、1986年7月には当初二度目の出産は難しいかもしれないとアダム関係者の見解とは裏腹に夏の空に燦然と煌めく太陽と万緑の自然がその誕生を力強く祝福するように翠が生まれたのだ。

 第三子の出産により、涼崎家よりも先に家元から日本への強制帰還を命じられていた藤原夫妻は他の研究同僚が秋人と葵の子等に手を出さぬよう、手を打ちつつ、自らもなるべく接触を避けた。

 秋人や葵は藤原夫妻から恩恵を受けるだけで、何も返す事が出来ない事を悔み、恥じたが、望んで龍貴達が邂逅を願わないのならば、その意向に遵うのも筋だろうと無理やり自身らを納得させ、二人の娘を育てる決意を固めたのだった。

 だが、因果とは人の意に応じて働く物ではない。親等が望まなくとも子供達は巡り合ってしまう。その邂逅が将来を不穏に包むものであったとしても・・・。

 秋人パパが貴斗さん達の家族の事を話したがらなかった理由を知った。

 それは藤原夫妻の願いだったからパパもママもそれを聴かない訳にはいかなかったんだと理解しました。

 桜色、春香お姉ちゃんや緑色、私が子供の頃ずっと気にしていた他の子と目の色が若干違う訳とか、髪の毛が染めてもいないのに黒くない理由とかもママの移植が影響していたんだってなんとなしに感じ取った。

 パパ達の話を聞き終えて、春香お姉ちゃんや私が生まれる事が出来たのは貴斗さんのママさん、美鈴さんの研究アダムのお陰だったのに、私達はそのお礼も美鈴さんへ伝える事も出来なかったし、私達姉妹して、貴斗さんに迷惑を掛けてしまったのかと考えちゃうと親子そろって、貴斗さん家族に恩を返す事が出来なかったんだと心痛な思いに刈られてしまう。

 今、残っている翔子さんくらい何でも出来ちゃう人に私程度の娘では気の利いた恩を返せるはずもないし・・・。

 いま、そういう思いに駆られるよりも正直ここまで、お話ししてくれるとは思いもしなかった事に本当は頭が一杯一杯で余計なことなんて考えられる筈もなかったのですが一つだけ確かな事がありました。

 お姉ちゃんの事故後、秋人パパが私の事を疎ましく思っているのではとそんな気がしていましたが、私の勘違い。

 パパは私の事を大切に思っていてくれたのだと知る事が出来きました。

 私の事をパパ達の子供としてちゃんと思っていたからこそ、言えない事があったんです。だけど、今、精神的に成長したかもしれない私へ、本当の事を聞かせてくれたんです。

 今、多くの家庭の親との子の擦れ違いが多くて、家族と言う単語が形骸化しつつある中で、もしかして、私の家もそうなのかなと思っていた。でも、家は違かった。私の一方的な思い込みだった。

 だから、それが嬉しくて、嬉しくて、泣いてしまう。涙と一緒に心の中に鬱積していた秋人パパへの蟠りが流れて行くような気がした。

「ぱぱっ、あきひとぱぱぁ~~~」

 何時からなのでしょうか、私がこんなに泣き虫になってしまったのは・・・。初恋だったあの人には一度も見せたことが無いのに・・・。

 私は思い出す、あの時、春香お姉ちゃんの葬儀の時に貴斗さんが私へ見せてくれたあの悲涙。

 泣く事が稀な人が流す涙の意味を今私は知る。

 喜怒哀楽で流す涙がどれだけその個人の精神に影響するかを私は身をもって理解したような気になっちゃいました・・・。

「すまなかったね、翠。勘違いさせてしまった上に、仕事の所為であまり構ってやれなくて・・・」

「うん、でももう大丈夫。ちゃんと理解できたから、もう私、大丈夫だから・・・」

 私はパパに答えながら、頭の中では色々な思いと考えが渦巻いていて、何がどうしていいのか分からない状態に陥ってしまいました。

 暫く、また泣いてから、私の気分が落ち着いた頃に、

「でっ、翠。なぜ、私達にこのような事を?」

「えっ、うんそれは・・・、やっぱり言えません。慎治さんに」

 気が緩んでしまった私は嘘でもついてその場をしのいじゃおうって思っていたんですけど、うっかり慎治さんの名前を出してしまいました。

 慌てて、取り繕うと声を出す、私。

「ぱっ、ぱっぱぱぱぱ、今のは聞かなかった事にして下さい。慎治さんなんて私は言ってませんからね」って、また言ってしまい自分で掘った落とし穴に落ちやいました。

「ふぅ、そうですか、慎治君が・・・。彼はとても先読みの出来る聡明な皇女先生の御子息。危険な事に口をはさまない様に先生にお伝えしておかないと」

 秋人パパは何かを悟ったような表情をすると、その様な事を呟いていました。どっどうしよう、私の所為で慎治さんに迷惑かけちゃうかもしれないです。

「絶対だめです。慎治さんがしようとしている事は春香お姉ちゃんが亡くなった事や貴斗さん、詩織さんのそれと関係があるかもって、だから、慎治さんの行動を邪魔しちゃだめです」

 私は何とかして、秋人パパが皇女先生へ告げ口しない様に懇願しました。でも、パパは更に何かを知ったかのような顔をして、溜息を私へ見せると、私の頭をなでてから、リヴィングから出て行ってしまう。

 私の最後の失態に落ち込みつつも私の頭の中はアダムと私達、姉妹や貴斗さんのご両親、や慎治さんのママさん、皇女先生のことだった。

 はぁ、しかし、アダムって医療技術の移植で生まれた私は本当に普通の人の子なの?

 アダムと私んちの関係を聞き出せって言ったのは慎治さんでしたが、まさか、それに皇女先生が絡んでいたなんて私には全然、予想もつかない事でした。

 将臣達のパパさん、将嗣さん、秋人パパや葵ママの話には一切出てきませんでしたが、一体どんな関係性がアダム・プロジェクトとあるんでしょうか?

 大学に通っている間、弥生達が全く、その話を持ち出してこないのはまだ、聞き出せていないのかな?

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