第五話 お姉ちゃんて、もう呼べない
六年越しの覚醒から翌日、弥生も私も体調的な異常はないからって病院からほっぽり出されて・・・、晴れて退院することになりました。
春香お姉ちゃんの時は目覚めてからの異常もあったし、身体的な衰弱があったから一月くらい掛かっていたけど、どうしてこうも違うんだろうって八神佐京先生と調川愁先生に尋ねてみました。
それで、返って来たお答えと言いますとですねぇ、
『さっぱりわからん』と『残念ですが、医学は万能ではありません、全てを知りうることはできないのですよ』でした。
どっちが、誰の答えか、言わなくても分かりますよねぇ。
自宅に帰宅してからの数日の私と言えば塞ぎ込みがちで暗いままでした。
私の事を気にかけてくれる葵ママと毎日、顔を見せに来てくれる将臣。
会話する事もままならないで、私と居るのなんて詰らないはずなのに将臣は何も言わず傍にいてくれた。
「じゃあな、翠。また明日も来る。早く元気出せよ。俺の出来る事なら〟死ね〝っていう以外なら何でもやってやるからさ・・・」
去り際にそんな事を言う将臣の背中へ、
「ばかマサっ・・・、そんな事言う訳ないじゃない・・・、ないじゃない」
抱えていた膝に顔を埋めながら呟いていました。
私の目じりをしっとり潤わせながら。
2011年4月13日、水曜日
私は春香お姉ちゃんの部屋にいた。六年、七年前のあの頃と一緒のままのお姉ちゃんの部屋。
ベッドの上には貸衣装やから借りていたはずのその衣装が当時、私が貴斗さんへ見せる為に一度来て、戻した時のまま、その上に乗っていたのです。
何故、そこにそれがあるのかなんて理由はわかりません。
でも、私がとった行動はそれを強く抱きしめ彼岸の春香お姉ちゃんの事を強く思うだけです。
「春香お姉ちゃん・・・」
呟き涙を流す。
私はこんなに涙もろくなかったはずなのに・・・。
泣き虫じゃなかったはずなのに・・・。
長らく嗚咽していた私はいつしか平静を取り戻して、涙でぐしゃくしゃになった私の顔を近くにあったティッシュで拭きとった。
涙で膨れた頬を拭うのは結構痛かったりします。
溜め息をつくと同時にドレスを抱いたままお姉ちゃんのベッドへずっしりと腰掛け、春香お姉ちゃんの部屋を見回していました。
私の部屋にもある結構高級なはずの衣装入れや箪笥。
それと本棚。
一角には詩織さんと一緒で小さな縫い包みを集める事が趣味だったそれらが埃を被らない様に天蓋で囲われていました。
机の上にはお姉ちゃんや香澄さん達が一緒に映る写真立てと貴斗さんと詩織さんがお姉ちゃんの眠っている時に、誕生日の贈り物として持ってきたオルゴール。
その机の隣には聖稜高校までずっと続けていた吹奏楽部のフルートがケースに収められた状態で佇んでいます。
徐にその机へと足を運び、写真立てに手を伸ばす私。その写真の中には四人の女の子。
私が真ん中下でVサインを作り、その上に春香お姉ちゃんが驚き顔で香澄さんに頬を擦り寄せられていて、そんな二人を包む様に詩織さんの腕が二人の肩を抱いているそんな写真です。
この写真は春香お姉ちゃん達が聖稜高校で再会した時に撮影したもの。
まだ、柏木宏之さんとも八神慎治さんとも、藤原貴斗さんとも知りあう前の春香お姉ちゃんには男の友達が居なかった頃の物。
二人の先輩は引っ込み思案な春香お姉ちゃんをずっと見守ってくれていて引っ込みな所を徐々になくしてくれた偉大な人達。
切なくて、下唇をきゅっと噛みしめてしまう。そして、又溜め息です。
私はベッドまで戻るとドレスを置こうと思ったのにベッドの脇から上半身だけうつ伏せの状態でベッドの上に寄りかかるような姿勢で倒れ込んでいました。
欝な表情でその体勢から視界に入る物を眺めやると深い木目調の漫画なんて収められていそうもない知的なガラス戸付きの本棚が目に入ったんです。
春香お姉ちゃんも漫画を読むけど、それらは全部、私の部屋の物。
それじゃ、その本棚には何が並んでいるのか?それは・・・。
私はそこへ向かい扉を開け、中を見る。
中に並んでいるものが何であるか知っています。
春香お姉ちゃんの秘密とも言うべき物。
鳶色で厚手表紙。
それを誕生日に渡された四歳くらいから一度も欠かしたことのない春香お姉ちゃん日記。
背表紙に西暦が入っていました。
1988年から2004年までがそこに収められていた。
それはおかしいんじゃないのかと感じる人もいるんじゃないでしょうか?
その解答は私の春香お姉ちゃん観察日記が納まっているんです。
お姉ちゃんが寝ている間の。
私はその最初の一冊を手にして、開いてしまう。
四歳の頃のお姉ちゃんの字、流石に上手いとは言えなかった。
文章も拙い。絵日記であるそれは下手だけどちゃんと絵も入っていました。
一ページ、一ページ。読みこぼさない様にゆっくりとめくっていました。そして、気づくんです。
日記の内容が何を軸にして書かれていたのかを。
小さい頃は引っ込み思案な春香お姉ちゃんの後ろをさらに引っ込み思案だった私が付いて回っていたのがわかるし、私が嬉しそうにすれば、お姉ちゃんもそうなるし、私がつらい思いや悲しい気持ちになればお姉ちゃんもそうしてくれるし、温かく見守ってくれていたことのわかる物でした。
『1990年8月12日、日曜日』
『今日は本当に大変な事が起こったの。もし、翠があのまま助からなかったら、私、神様にお祈りして、私の命と交換に戻ってほしいって思うような事が起きたの。』
『今日は天気がいいからと葵ママが私と翠を連れて、鳳公園へ散歩に行きました。公園の近くには大きな川が流れています。周りは綺麗な芝生で埋まっていて人もいっぱいいました。涼しい風が吹くその川の傍を三人で歩いていると一匹の可愛い犬が寄って来たの。その犬は翠よりも大きく、怯えた翠は私の背中でうずくまり隠れてしまいます。犬は優しく吠えたのにびっくりした翠は急に走り出してしまいました』
『翠を追いかける犬。その所為で誤って翠が川に飛ぶように転落してしまうの。』
『私はすぐにでも助けたかった。でも泳げない。大勢の人がいたのに誰も翠を助けてくれません。ママも必死で助けを呼ぶのに誰も答えてくれないの。』
『私は泣きながら、みどり、みどりと叫んでいました。そんな事をしてもダメだってわかっているの。でも私にはどうする事もできませんでした。』
『みどりが流れる川の中でもがき何かをつかもうとする手しか見えません。それも沈みかけでもうだめかと思ったときです』
『大人じゃない男の子が誰もしない事を流れる川の中、翠の方に飛び込んでいました』
『その男の子も直ぐに頭が見えなくなったの。でも、翠を抱えて反対の岸へ乗り上げていたの。私は助かったかどうか、分からないのに涙でいっぱいの顔で胸をなでおろしていました。』
『でも、無事、翠は助かりました。』
『遠くではっきりとしない姿の男の子。背が大きいから六年生くらいかな?それとも中学のお兄ちゃんなのかな?その人は大声で私に叫ぶ前に周りの人たちを怒っていたの。凄く大きな声で。誰だか分からないその男の子の処へ男の子より背の高い男の子とみどりを助けてくれた男の子よりも背の低い女の子が駆け寄っていました。するとどうしてなのかその二人から逃げる様に一目散にどこかへいっちゃたの』
『それから、残った二人の人が私とママの処へみどりを連れてきてくれたのでした。ほとうに、ほんとうに良かった。助けてくれた男の子に感謝なの。翠を助けてくれてありがとう』
次のページには下手な絵で私が誰かに助けられている様子が描かれていました。
春香お姉ちゃんは多分、分かっていないと思います。
この私を助けてくれた誰かが、誰なのかを・・・、貴斗さんです。
すでにこの時に私たち姉妹は貴斗さんとう存在に触れていた事を思い浮かばせる内容でした。
最初の頃の日記はひらがなばかりで読みにくかったけど、春香お姉ちゃんの漢字を覚える速度はかなり早かったみたいです。
どんくさいくせに・・・。
さらに私は読み進めて行く。
1991年の夏の頃の日記の中に春香お姉ちゃんのお気に入りの帽子が風に飛ばされる事件が書かれていました。
私と春香お姉ちゃんが詩織さんと香澄さんに初めてほんと少しだけ会う機会が訪れた日です。そして、二度目の貴斗さんとの再会。でも、私は直ぐにその人が私を川で溺れた時に助けてくれた人だなんて気がつかなかった。
気がついたのはお家へ戻ってからで、三度目に貴斗さんと再会したのは詩織さんの恋人となってからの事でした。
その時の印象は私が知っている人とはまるで別人。
更に日記を一冊、また一冊と読み続ける。
内容は詩織さんや香澄さんのお陰でお姉ちゃんが変わってゆく様子が描かれています。
日記の内容には私、香澄さん、詩織さんとお姉ちゃんの事が大事に盛り込まれていました。
書く字の綺麗さも文章の出来上がりも、絵の上手さも歳を重ねるに連れて向上しているみたいです。
絵なんかはイラストレーターにもなれるんじゃないかなって思うほど。
私と二人の先輩が楽しく水泳をしている様子。
私を含めて皆でお出かけして楽しんでいる様子。
夏には泳げない春香お姉ちゃんを特訓だって言っていじめている私と香澄さんの様子。
高校になってから詩織さんと春香お姉ちゃんが吹奏楽部で一緒に演奏している時の様子など様々な情景と思いがその日記には込められている。
高校に上がる前の日記の内容の大半は私を温かく見守ってくれている事が分る内容でした。で、高校に上がってからの1998年の途中から春香お姉ちゃんの恋心が書かれ始めていました。名前も知らない男の子。
それが1999年には柏木宏之さんと名前に代わり、香澄さんや詩織さんにその事を相談しているそんな事が書かれています。
友達から始まり、仮初の付き合い。
一度の別れ、そして、本当の彼氏彼女の関係になるまで赤裸々しっかりと書かれていました。
未だ将臣とはそんな関係にも発展していないのに億手のはずの春香お姉ちゃんが高校生の間にあれしちゃっていただなんて信じられません。
まったく柏木宏之さんたら獣なんだから・・・。
本当に柏木さんの事、好きだったんですね。でも、どうして、お姉ちゃん、貴斗さんを選んでしまったんだろう?
2001年、8月25日、土曜日で日記は一次、終わりを迎えるんです。
次の日の事をすごく楽しみにしている内容を書き記したそれで・・・。
私はその日記を胸に抱くと泣きそうになる心を抑え、2001年の日記を本棚に戻し本当の最後になる一冊を手にとりました。
書き始めの日付は2004年9月1日、水曜日からでした。
日記の内容は春香お姉ちゃんの心の葛藤。
柏木宏之さんへの思いと藤原貴斗さんを好きになってゆく理由が明確に描かれていました。
春香お姉ちゃんがいい加減な気持ちで、貴斗さんを選んだ訳じゃない事がはっきりとわかる日記の中の文章。
それなのに私は春香お姉ちゃんに・・・。
日記の他の内容には私の知らない貴斗さんの秘密が、貴斗さんがどれほど周りの人を大事に思い、私なんかよりも多くの大切な人達を失くしてきたのかが痛いほどわかる位に伝わってきたんです。
「ダメなんですよ春香お姉ちゃん、人の秘密なんかを日記に書いちゃ・・・」
泣くのを堪え、先を読み進める。
未来の終焉を知らないこの日記には春香お姉ちゃんと貴斗さんが恋人同士になってからの事もちゃんと書かれていました。
それと折々に私との仲違いの事も。
貴斗さんとお付き合いしながらも、私の事をずっと気にかけてくれていた春香お姉ちゃん。
私とのすれ違いに悩むお姉ちゃんのその頃の思いを抱きとめながら大事に文章に目を走らせる私。
『2004年12月12日、日曜日』
『今日もまた、貴斗君を知る事が出来ました。それは彼の内面に潜むトラウマです。このような事を日記に残してしまうのはどうかと思うけど、やっぱり私自身が彼の為に出来る事を忘れないようにするには必要だから、私がこれから目指す精神科医になる為の道標として書く事にします。』
『貴斗君にとって私は三人目の恋人との位置にいます。私の前は私の親友でずっといて欲しかった藤宮詩織ちゃん。そして、一番目の人はシフォニー・レオパルディとう年上の女性の方です。その方の死が彼の心に大きな傷を残したのは間違いないようです。その理由は・・・』
そのあと数行、ミミズがうねうねしていて、書く事をためらっている風な感じでした。それで、結局、
『やっぱり、このことだけは書けません。彼のその心が癒えるまで私の中にしまっておくことにします。』
『将来の不安をなくすために貴斗君のそれも大事だけど、今、私にとって本当に大事な事は妹、翠との関係。彼と本当のお付き合いをさせて貰ってもう一月もたつのに、まだ、翠にはその事を伝えられていない。今、将臣君が翠の彼氏とて頑張っているみたいだけど、翠の中の貴斗さんの存在はそんなに簡単に払えそうにない事が分る。』
『今の状態で貴斗君とお付き合いさせてもらい始めただなんて、翠に言ったら翠、絶対、私を許してくれなそう・・・、仲直りしたいのに・・・、どうして、こんな風になってしまったのだろう。姉妹なのに今まで、喧嘩したことなかったのに・・・、仲良く一緒に歩んできたのに。辛いよ・・・、翠』
この日の日記の最後には笑顔の私の頭の上から抱き包む様な春香お姉ちゃんのイラストが描かれていました。
その絵は滲んでもいたんです。
更に今、新しい滲みが付け加えられるんです・・・。
次のページをめくる。そして、読んでまた次へと。
内容は私との仲違に苦悩する春香お姉ちゃんと貴斗さん心の痛みと一緒にいる事で得られる貴斗さんの私生活の様子。
見た目、クールガイって言うよりもむしろアイスマンやコールドガイって風なんですけど、尽くしてくれちゃう人、献身的な優男みたいだとお姉ちゃんは日記で言っていました。
私もその事に同意しちゃいます。
日記にある貴斗さんの事を知ることにより、貴斗さんに甘えてばかりで、彼の事を何にも分かってあげられていなかったことがとても悔しく、辛かった。
『2004年12月24日、金曜日』
『今日は貴斗君とクリスマスのデート。彼の方から誘ってくれるとは思いもしなかったとても嬉しいこと。まだ、彼の多くを知る事は叶いませんが、貴斗君の性格からすると彼の方からお出かけのお誘いしてくれる確率はかなり低いものだと分かっていました。だから、私の方から勇気を出して誘おうと思っていたのに貴斗君の方から記念日になりそうな日に誘ってくれるなんて夢のようです。』
『彼とのお出かけは午後からですから、まだ、大分、時間があります。彼に恥ずかしい思いをさせたくないし、私も恥ずかしい思いをしたくないから、彼と会うまでの時間、色々と考えなくちゃね』
『翠も、今日は将臣君とデートみたいです。二人の仲ちゃんと進展してくれるといいな。大好きな妹だから翠にも幸せになってもらいた・・・。私も嬉しくなるから』
『そうです、これはとても重要な事。心の整理もなんとかつきました。だから、今日が無事に終わったら翠に伝えたい事があります。それは私の方から翠に謝る事。私と貴斗君がお付き合いしている事。』
『だって、これ以上、翠に隠し事をして貴斗君と一緒にいるのは辛いし、淋しい。翠も将臣君も皆で一緒に楽しくやっていきたいもの。』
『妹に詰られたって、打たれたっていい。嫌われるよりはそっちの方がいいから。だって、いずれ貴斗君は翠のお義兄ちゃんになるのですから。私達が仲悪かったら貴斗君が窮屈な思いになるのは目に見えています。だから、絶対、打ち明けよう・・・。そして、翠と仲直りできたら・・・、今度は詩織ちゃんや香澄ちゃんとも・・・、宏之君や八神君とも昔みたいに皆で楽しくやっていきたいから』
『だから・・・、今日はいい日でありますように、そして明日へ』
最後見開きのページにお姉ちゃんが大切に思う親友達、私や将臣、弥生までみんな笑顔ですごく温かい笑みで描いてあったんです。
その次のページに何か書いてある筈もなく、私は日記を閉じそれと強く抱きしめ、床にへたれこみ、お姉ちゃんの名前を何度も叫びながら、大泣きし始めて仕舞いました。
どうして、春香お姉ちゃんと仲違したまま私達は離ればなれになってしまったんだろう。
幾らでも私の方から謝れば済む事だったのに私の我儘がお姉ちゃんの未来を奪ってしまったのかと思うと涙が止まらなかった。
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