第三話 リンク・ヴィジョン
これは誰の夢、それとも誰かの記憶なの・・・。
私の意識はどこかの風景を知らない誰かの視線で見ているようでした。
知らない人の感情も私に伝わってくる。
嬉しさと何かに対して拗ねている気持をその人は持っていました。
幅の広い空中廊下、青竹色のリノリウムが綺麗にしかれていて、両脇には嵌め込み式の硝子窓が通路の端から端まで続いていました。
雰囲気からすると私の視線は私と同性みたいです。
眼差しの先に見える男の子。
ジャギーショート風の髪型でどこか頼りなさそうに見える男の子でした。
この視線からすると、女の子の方が背が高いように思える。
私視点になっている女の子が、その頼りなさげな男の子へ何かを喋っている様だけど、声は聞き取れない。
でも、何を言葉にしているのかは何となくわかってしまいました。
男の子の方へ軽く走りながら近づく私の視線。
移動しながら彼へ声を掛けている。
『きいてよもぉ、・か君タラ。いつもいつもシ・リのことばっかりでサ・リの事ぜんぜんあいてにしてくれなんだよぉ』
『あっ、ぼっ、僕にそんなこと言われても、わっ、わからないよ、そんなこと???』
二人の会話が突然途切れてしまいました。
何が起こったのか分からないけど、目の前がまぶしく光り私の体じゃないはずなのに火中に投げ込まれたような熱さと、焼け焦げるような激しい痛みが私を襲う。
その女の子にリンクしていた私の意識がその激痛に身もだえし、呻きにならない声を上げ、苦しさを感じました。
苦しさの度合いが、どんどん上昇し、耐えられなくなった頃、その女の子と私の意識はそこからぷっつりと切り離されてしまう。
また、私は誰かの記憶か、夢かとリンクしていました。
体感からすると小学校に入るくらい前。
そこは水の中、遠のく水面、薄れゆく意識の瞳に朦朧と映る人影。
今私と同期しているその子は泳げないのか、もがく事も出来ないで水中に引き込まれるだけでした。
代りに私が手足を動かして泳ごうとしても、それは叶いません。
水面から差し込む光の量が大分、少なくなっていました。
赤い靄の帯が私達に向かって伸びてくる。
その赤い靄の帯を連れた人影が手を伸ばせば、届く範囲まで近づいていました。
接近する、その人の顔、はっきりと認識できないけど、私達を追ってきたその真剣な表情は誰かとどことなく似ていました。
リンクしている幼女と私はその人影に強く抱きしめられた時点で意識を失ってしましました。
いったいこの映像と現象はなんだったのでしょうか?でも、そんな事、私がわかる筈もないです。
私の鼻を突き刺すような痛い臭気と、胸焼けしそうな程、気持ち悪い汚臭がまた私の意識を覚醒させてしまう。
私が戻るべき、目覚めるべき現実とは違うまた別の場所。だけど、こんな状況でまた誰かと同期するなんて最悪です。
複数の男に凌辱されている私のリンク先の情景。
飛び交う言葉は私の話す事の出来る言語ではなかった。でも、聞いたことのあるような言葉でもあったんです。
それがどこの国の言葉なのか分からないですけど、情景を認識するのに言葉なんて要りませんでした。
私のリンク視線には本物か、偽物か拳銃が見えていました。
その他に見えるモノといえば・・・、視線だけ自由が利くみたいですが・・・、ハッキリとした視界の向こうに記憶違いじゃない、私の大好きだった人の姿が見えました。
猿轡に、手足を拘束され、激しい怒りを見せて拘束具を外そうと必死になっているあの人の姿が。
とても辛そうにしているあの人の姿が目に焼き付いてしまいました。
激怒の表情の中に伝う、彼の涙。
痛いです、胸が、彼のその表情を見るだけで、私の心は砕けてしまいそうなそんな悲痛な顔をその人を作って、私じゃない、誰かへ向けられていたんです。
私の臓腑の辺りに激しい熱さと、激痛を感じる。
大量の吐血が私のリンクしている瞳一面に広がってゆく。
治まらない激痛が保たれた私の意識が、余計に痛みを感じさせてくれます。
いつの間にか、私のリンク先の誰かと、あの人だけの空間となっていた。
その人は悔しそうな表情いっぱいに事の切れ掛でもなんとか意識を保つ私へ、必死に話を掛けてくれていました。でも、その内容が何であるのか知ることはできません。
言葉の終わりと一緒にきつく抱きしめられた瞬間、そのリンクが切断されてしまいました。
・・・、・・・、・・・、何度目だろう?
私とは違う誰かの視線で凄惨な情景を見せられたのは?そして、また、見せられる。
知りたくない誰かの過去を。
私の大好きな先輩が、詩織先輩が・・・、あんな、惨い目に遭わされていたなんて。
見るに堪えられない状況が、突如、虚構の世界の私の視界と繋がった。
悲痛の涙が絶えない先輩の両目。
迫りくる恐怖に慄く先輩の朧げな瞳。
小刻みに震える先輩の身体。
迫りくる二体の男に必死に逃げようとする先輩の身体は、先輩を拘束する誰かの腕によって阻まれていました。
先輩をとらえて離さない二の腕はとても、男の人のものとは思えない華奢な感じ。
泥にまみれ汚れる先輩の聖稜の物とは違う制服。
何かの争いに乱れ着くずれした先輩の煽情的な制服姿が二体の男子を余計に興奮させているようだった。
今から、どんな事が起ろうとするのか先が見えてしまう。
目を背けたい。
瞼で眼を隠したい。でも、これは私じゃない。
詩織先輩の目。私の意志で動くはずがないです。
私は叫ぶ・・・、でも声なんて出るはずがないんです。
視覚と心境の共有はしているみたいですけど、結局、私は先輩じゃないですから。でもその心の共有が詩織さんの深い絶望と失望の叫嘆が私の心に重くのしかかるだけでした。
詩織先輩も激しくもがき、抵抗し、声を上げようと必死にじたばたするけど、見えない後ろの誰かに阻まれどうする事も出来ない。
男子の力づく無理やり広げられた先輩の傷だらけの美脚。
発情期の雄犬の様なぎらついた目、涎を垂らしている様にも感じられる男子等がスカートの下、千切れかけている下着に見え隠れする先輩の秘所に薄汚い滾り穢れる肉欲の塊を厭味に嬉々した顔で押し当てていた。
先輩の精神が砕ける瞬間は・・・、と同時だった。
それと共に私と詩織先輩の共有視線も、痛切を私自身も伴ったまま断たれてしまったんです。そして、秘部の痛みよりも私はその先輩の過去を知ってしまった事で私自身の心の方が強く蝕まれる。
魂が酷い疼痛を覚え悲鳴を上げて仕舞い、虚構の中で体を丸め体が壊れちゃうのではと思うほど強く抱きしめていました。
詩織先輩・・・。詩織さん・・・、こんな酷い目に遭っているのに私は先輩に我儘ばかり言ってしまっていた。
貴斗さんと詩織さんがお付き合いしている間、二人の中に割って入って二人の時間を邪魔しちゃっていました。
詩織さんは貴斗さんの事をずっと想っていたのにその想いをお姉ちゃんが引き裂いてしまった。
記憶を取り戻した貴斗さんとの生涯を歩む事を望んでいた詩織さん。その夢叶わず、私よりも先に逝ってしまいました。ただ、悲しいという簡単な言葉じゃ、私の今の心の辛さは表現できません。
いいえ、寧ろ辞書にある単語なんかでは容易に心情なんかを計れるはずがないんです。
今、ただ言える事はこ・こ・ろ・・・が痛いです。
私が現実に生きていても目覚める事が出来ないのは詩織さんに作ってしまった罪に対する罰?でも・・・、もう詩織さんに対して贖う事は出来ないです。
だって、どんなに願っても、どんなに望んでも、詩織さんは還ってきませんから・・・。
また、別の誰かの映像が視界と精神越しに私へ投影されていました。これは今までの感覚とは違います。
今私の眼に映るのは高校受験を控える年の頃の春香お姉ちゃん。
電車の中で今にも泣きだしそうで困惑した顔を下に向けているお姉ちゃんの姿が誰か越しの視線で見えていました。
春香お姉ちゃんへ向けるこの視線の持ち主は思惑も打算もない実直真摯な心でやや混雑している車内で何かに困っている私のお姉ちゃんへ手を差し伸べようとするのでした。
厳しい視線で春香お姉ちゃんから別の誰か眼を向けた瞬間、その情景は全く別のものに切り替わってしまう。
同じ人の視線。でも、とても見える全ての事が淀んでいました。
意識もはっきりとしていません。
聴覚がとられる人の声も日本語でも英語でもありませんでした。
今の私はこの人と痛覚も共有しているみたいで、腕に痛みを感じるとその人の意識が完全に途絶えてしまうのです。
だけど、私の意識は残ったままでした。
この人が気を失ってからの様子が私だけに投影されていました。
病院とは違う場所の手術台に寝かされるその人。
その人の胸にメスが入り、開胸させられ、綺麗で朱の躍動する物を切り出し確認するのです。
『Questo cuore per quanto riguarda essere qualcosa dove la tecnologia che si conforma in chiunque e deviata non e esso.(この心臓が特殊技術の転用された物に間違いないな?)』
『Si, signore! Non e errato.(間違いありません!)』
『E nessun disturbato con la vendita degli organi interni. Non dobbiamo rapinare se questa tecnologia puo essere analizzata.(この技術が解析できれば人を攫ってまで臓器売買の危険を冒さなくとも済むと言う事か)』
数人、私の意識がリンクしているこの人の周りに立ち会話をしているようでした。でも、内容なんて理解できるはずもなかった。
知らない言葉ですから・・・、唯一、知る事ができたといえば、生きる為に必要な心を奪われたことにより、この人・・・、・・・、・・・、柏木宏之さんの死が訪れて仕舞ったという事です。そして、またリンク切れ。
私はその後の事を知らない。
偽りの心を植え付けられ偽装された状態でどこかに運ばれた柏木さんが、柏木さんを知る誰かに発見されたことなど・・・。
それから、柏木さんから奪われた心の本当の持ち主が誰であるかも知る筈もなかった。
私はまた再び、誰かの記憶とその時に見えていた映像とシンクロしていました。
三戸駅前ビル、レクセル付近の電話ボックス付近から見える風景。
外の様子が分かった瞬間、私の顔色は蒼くなって、声を上げようとしました。
でも、私とシンクロしている誰かは驚く事も、叫ぶことも出来る余裕もなく、目の前が真っ暗になる。
それは暴走した中型の幌を被ったトラックが突っ込んでくる瞬間でした。
これは春香お姉ちゃんが巻き込まれた。あの事故。でも、この視線はお姉ちゃんのものじゃない。私と記憶を共有していたのは一体、誰?
それに話では小型のトラックだったはずなのに情報の操作?
ただ、知らない人の目に映るトラックの運転手の表情は・・・、正しく運転できるような状態ではなかったみたいです。
気絶?もしかすると、既に・・・、死んでいたの?
今、私の置かれている世界では時間の流れなんて分らなかった。
どれだけ、時間が過ぎ、何度、同じ光景とリンクさせられたか、分からない。
そのほとんどが見たくない、知りたくもない、感じたくもないものだった。でも、私の意志では回避できない幻燈機から映し出される強制的な映像だった、心情も感覚も共有してしまう。そして、今もまたそんな状況に置かれようとしていた。
揺らぐ視界の下は荒れた海が広がる高所。
お酒の酔いなのか、意識と身体が揺れる。
強い風が吹いたのなら、間違いなく崖から落ちてしまうようにゆらゆらと立っていました。
虚ろな表情、空ろな感情で曇りがちの空を眺めていました。どうして、今、視界と心を共有しているこの人がこんな状態になってしまっているのか切実に理解してしまいました。
香澄さんにとって貴斗さんと詩織さんの存在の大きさ。
春香お姉ちゃんや柏木さんをどれほど大切に思っていたのか・・・、更に、私への思いが、鮮明すぎるほど理解しちゃったのです。そして、私の心は泣いてしまう。
私の思いなんかその記憶の中では無視され、その記憶の中の時間だけが勝手に進み、香澄さんの背後に誰かがいつの間にか立っていました。
香澄さんへ囁くのです。
『貴女の大事な方々が貴女の来る事を待っています。さあ、飛びなさいあの向こうへ』
誰とも知らない声に頷いたのか、それとも自然に下を向いただけなのか、香澄さんは岸壁の下の碧蒼の海を眺め、頭の中心に重心をずらすように姿勢を傾けていました。
堕ちながら香澄さんは誰かの思いに答えられなかった事を悔みつつ、荒海が香澄さんを受け止めるその直前まで詩織さん達の処へ逝ける事を切望し続けていました。
揉まれるように海底へ沈みゆく先輩の体。
天候が悪く陽の日差しが直ぐに見えない位置まで先輩の体は呑まれてしまう。
暫くの間、海中で意識を保っていた香澄さんも何かに激突し、意識喪失。
私と香澄さんの繋がりも底で断絶してしまう。
この後、香澄がんがどうなったのか、八神さんから話には聞いていました。
自意識過剰かもしれないけど私が先輩を救えたかもしれないのに・・・、だけど、事実は変えられなかった香澄さんはもう戻ってこない彼岸の向こうに立ってしまった。
春香おお姉ちゃんの一件以来ずっと、仲たがいしていて、春香お姉ちゃんの葬儀の時にその蟠りも取れてまた先輩と向き合える様になったのに・・・、こんなの酷いよ。
どうして、こんな事になっちゃったんだろうです。
どうして、こんな酷いヴィジョンを私に何回も見せるの?どうして・・・。
これは私に降された詩織さん以外、私の知らない罪に対する罰?
もう、訳が分からないです。
だれか、教えてください・・・、どうして・・・。
いたい、痛い、イタイ、痛イ・・・、イたい・・・、いタイです・・・。心が本当に砕けて仕舞いそうな程。
砕けかけの心の私へ、また、既に命の失われた誰かしらの記憶の映像が投影されたのです。
私は飛行機なんて片手の指で数えられちゃうほどしか乗った事がありませんけど、今、その機内の中にいるのだとすぐに把握できちゃいました。
私の視線の持ち主は、中央座席の右通路側。
視線の先には私の知っているあの人が耳にイヤホンを提げながら淋しげな表情で、窓の外を眺めている姿が映っていたのです。
度々、何かに悩み左手を顔に当てながら、辛そうな表情を作るその人。
その人が一体何に煩悶しているのか理解できてしまう。
今の私がリンクしている人物はその窓際の人を知っている訳ではないようです。
ただ、視線の先が、そちらを向いているだけで、特別な感情があるって事じゃないみたいですね。
偶然、その人と居合わせただけの様です。でも、なんでこんな状況の記憶が同期したのかと、考えた瞬間、体を共有している人の身が大きく揺れたのでした。
揺れたのはその人自身じゃなかったようです。
機体全体が振動し、周りみんな慌てている様です。
窓際の人は慌てず、切々と周囲を観察しているように見えました、何かを悟りきったような表情で。
体が下へ強く、引っ張られるような感覚に囚われ、身動きが出来ないくらい、全身が重かった。
機内放送が流れ、乗客の皆さんはそれに従うが、従う意味がなさそうです。
次の瞬間、全ての物が吹き飛ぶような衝撃を全身に受け、その強烈な痛みと共に誰とも知らない私との接点が溶けてしまいました。
いったいこの記憶の連結は何を意味しているの・・・。
目覚める事への絶望?でも、この映像が事実なら、あの日、あの時、あの人と誓った未来への約束はもう叶わない・・・。
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