第22話 最期の審判 第二部
2030年の分岐点問題も終わり、「最後の審判」第二部に入る。
その前に、2021年6月のG7サミットでは、「2022年までのパンデミック終息」と言う目的が設定されたが、はたして新型コロナが落ち着いているのか、落ち着いていないのか。
はたまた、現在とは違う危機に形を変えて継続しているのか、いないのか。
そんな辺りを「最後の審判」第二部から、読みとれれば幸いである。
では早速、「最期の審判」第二部の解説に入ろう。
予言が執筆されたのが1952年、現在に翻訳すると2022年11月25日の事だ。
ちなみに、この年に書かれた「最期の審判」の要約は次である。
「最期の審判と言うのは、何か恐ろしいことが突如として起こり、それによって信仰なき者は亡び、信仰ある者は助かるというような、至極簡単に割り切れるものではない。
人間が取る行動次第で、そのような極端な方法が必要無くなるか、もしくは徹底的に裁かれるのかが決まることになる。
この結論は人間次第ということになる。」
どうやら2022年は、2030年の分岐問題に対し、大きな決断を迫られる年になりそうな予感である。
以上のように「最後の審判 第二部」では、「某TV局の特番」と同じ結論が主題となっている。
すなわち、2030年の分岐点問題の解答は、「この結論は人間次第ということになる。」との事である。
まあ、なにぶん未来の事なので場末の予言屋風情が語れる事でもないが、
推測程度の事はする必要はあるだろう。
実は「最後の審判」第二部の予言の中には、もう一つ重要なキーワードが語られている。
それが、「医学の誤り」。
もっとも、医学についても場末の予言屋はずぶの素人、完全無欠の門外漢なので、医学について言及する事はない。
従ってここは、予言の言葉尻だけをとらえ、解釈を進めるとしよう。
さて場末の予言屋、ナンチャッテ都市伝説の始まりだ。
まず、「最後の審判」第二部のエスプリから。
これについては、「人類自身の選択・医学の誤り」の二点になる事は理解した。
では、これは具体的に何を現すのかとなる。
ここで、設計の予言者が行った「とある儀式」を紹介しておこう。
1952年2月5日、現在に翻訳すると2022年2月5日となるが、この日設計の予言者は、「光を広範囲に照射する」的な儀式を執り行った。
この1952年(2022年)に行われた、儀式と予言のエスプリを合わせると、「広範囲照射型の遠紫外線C波、もしくは紫外線222」これに該当する装置が開発される事の予言だったのではないかと、淡い期待を抱いている。
これからの人類は、ウィルスに相対する時、ワクチン等の医学的なものだけでなく、それ以外のものも合わせて対応して行くべきである。
これが、この予言から導き出される解答の一つである。
折しも、2022年2月4日は、冬季オリンピックの開催日である。
もしこの機会に試験運用として、「広範囲照射型の試作品」の検証実験が行われれば、ワクチンやマスク、ロックダウン以外にもウィルスの対抗手段が見つかるかもしれない。
もし、この場末の予言屋のナンチャッテ予言が実現すれば、2022年前半には、人類の手で「コロナに限らず、全てのウィルスがもたらすパンデミック」、そのコントロールが可能かどうか、判断ができると夢想する。
ええ、ただのオチャラケ予言に過ぎませんが。
ここで「ナンチャッテ警告」を試みよう。
もし2022年11月、コロナに対しワクチンや投薬のみの対応しか出来ていなかったとしたら、人類はさらなるウィルスの驚異にさらされる事になる・・・・・・
・・・・・・結論は「最後の審判とは何か」に続く。
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