第8話 退場

「……やっぱり……私、心臓悪いですか?」……と、今村さんが恐る恐る聴いて来た。


 ……『僧帽弁逸脱MVP』による『僧帽弁閉鎖不全』が原因で『僧帽弁逆流MR』が起きている。


『僧帽弁逸脱』……心臓には、血液が逆流しないように、いくつかの弁がある。 その中でも一番大きい、左心房と左心室の間ある弁が『僧帽弁』だ。 その弁が、何らかの理由(遺伝など)で『建付たてつけ』が悪くなり、途中で折れたようになる状態を言う。


 実は、状態の方は、人口の2〜3%くらいり、珍しくは無い。


 しかし、心臓内で血液が逆流してしまうのは問題だ。 逆流が原因で弁が感染しやすくなったり、他の病気のきっかけになったりする危険がある。


 ……私の憧れの今村さんが、そんな病状だったとは……。


 ま、まあ『憧れ』は私個人の感覚だからどうでも良いけど、心配なのに変わりは無い。



「……遥さん」……と、深田先輩が落ち着いた調子で私に声をかけた。



「は、はい!」


「検査室に行って、エコーの報告書を持って来てくれるぅ?」


「はい」


 ……と、急いでエコー室を出て検査室に向かった。


 ……暫く進んでから気が付いた。


 あれ? 報告書……は、エコー室にあったよ……ね?


 ……! そうか……私が、直ぐ顔に出るタイプだから、部屋が暗くて、今村さんが反対を向いているうちに一時退避させてくれたんだ……。


 ********


 ……あれから何年も経つけど……未だに検査の後、患者さんとどう接して良いか判らなくなる事がある。 当然、異常無しの人なら良いけれど、この時みたいに『わたし……悪い病気でしょうか?』……と聴かれてしまうのが本当に困る。


 以前「臨床検査技師の『はるか』です!」という本作の姉妹編でも触れたが、私たちが検査の結果を患者さんに伝えるのは法律違反になる。 ……だから、検査の結果を聴かれたとしても、「私たちは、もしとしても、言えない規則なんです。 担当医からお聴き下さい」……としか言えない。


 問題はその時だ。


 患者さんは、私たちの表情や口調から、全身全霊をかけて結果を読み取ろうとする。 私のように、結果が顔に出ちゃう人間は、本当は、この仕事には就いちゃいけないんだ。


 ……今村さんは、深田先輩が、事務的つ冷静に「あたしには判断出来ないから、詳しい結果は初森はつもり先生(循環器の医師)に聴いてね〜」……と伝えてくれたそうだ。


 ……この、検査後の対応にしても、さすがは深田先輩だ……と思う。 臨床検査技師には『演技力』も必要……なんだ。


 その後、今村さんは服薬により僧帽弁逆流MRが改善し、今でも当院の顔として、元気に働いている。

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