彼氏に振られた幼馴染を慰める話

月之影心

彼氏に振られた幼馴染を慰める話

 美羽みうが泣いていた。

 誰も居ない夕方の公園でブランコに揺られながら、学校の制服のままで、時折しゃくり上げて、膝の上にぽたぽたと涙を落としながら泣いていた。


 俺は公園へと足を踏み入れた。

 美羽が泣いている所を見られたくないだろうと思ったから、わざと足音がする歩き方で。


 美羽は俺があと3歩程ですぐ横に来るという時まで僕に気付かなかったようで、慌てて涙を拭って『えへへ』と意味も無く笑顔を見せた。


 『何かあったのか?』と訊く俺に、美羽は『何が?』と惚けた。


 『何も無ければいいんだ。』と言う俺に、美羽は『何も無いよ。』と答えた。


 美羽が『謙吾けんごはどうして此処に?』と訊いてきたので、『通りかかったら美羽が泣いていたから。』と答えた。


 美羽はブランコから立ち上がると、倒れ込むように俺の体に抱き付いてきて、顔を胸に押し付け、俺の体の中に声を捻じ込むようにして大声で泣いた。


 俺は美羽の頭を撫でていた。


 よく分からないけど、何だか凄く悲しい気持ちになっていた。




**********




小松こまつ先輩と付き合う事になりました!」


 高校に入学して間もない頃、部屋で寛いでいるといきなり美羽が飛び込んで来て開口一番そう言った。


「お、おぅ。おめでと。」

「ありがとう!もう何か浮かれが止まらん!」


 嬉しそうにはしゃぐ美羽を視界の隅に見ながら、俺はベッドに寝そべって本を読んでいた。


「小松先輩優しくってさぁ……かっこいいのもあるけどぉ……もぉこんな幸せあっていいのかしら!」


 俺は『ふぅん』『へぇ』と気の無い相槌を打っていたが、美羽はお構いなしにノロケまくっていた。

 いつまでも止まらない美羽の彼氏自慢に、さすがの俺も段々ウザく感じるようになってきた。


「分かったから静かにしてくれる?俺、今本読んでるんだけど。」

「あ~ごめんごめん!彼女の居ない健吾には毒だったかなぁ~。」


 尚も嬉しそうに絡んでくる美羽に、思わず『チッ』と舌打ちをしてしまった。


「あぁ?何だぁ?それが可愛い幼馴染にする態度かぁ?」


 美羽は凄んで来たが幸せの絶頂だからなのだろうか、或いは彼女の居ない俺に対する優越感からなのだろうか、その顔はニヤケきっていた。


「はいはいごめんごめん。てかさ、彼氏出来たんならもううち来んなよ。」


 美羽の動きが止まった。


「え?何で?」

「何でって当たり前だろ。彼氏が居るのに何で他の男の家に、しかも部屋にまで勝手に上がり込めるんだよ。」

「え?だって謙吾は幼馴染じゃん。ママとおばちゃん謙吾の母の付き合いもあるし……」

「お袋とおばさん美羽の母は関係無いだろ。」

「幼馴染なのに部屋に来ちゃダメなの?」

「彼氏に悪いって思えよ。俺に彼女が居たらそんな彼女嫌だわ。」


 美羽が少し悲しそうな顔をしたが、俺は見て見ぬ振りをして本に目を戻した。

 数分後、美羽は『分かったよ。じゃあね。』とだけ言い残して部屋を出て行った。


 それから1年程、俺と美羽は顔は合わせるものの頭をちょこんと下げる程度の挨拶しかしなくなっていた。

 学校でも割と美羽と一緒に居る事が多かっただけに、美羽と一緒に居ない俺を見て何故か俺が美羽に振られた事になっていたが、わざわざ説明するのも面倒だったので『元々付き合ってねぇわ』とだけ言っておいた。


 その内、美羽と小松先輩が付き合っているという話は割と広まっていて、時折仲睦まじく下校していく様子も目に入るようになっていた。


 だがその一方で、小松先輩の女癖の悪い噂が何処からともなく流れてきた。

 『どこそこで他校の制服を着た子と腕を組んで歩いていた』や『1年の誰それと仲良く話をしていた』等々。

 俺は『美羽が知ったら悲しむだろうな』くらいは思ったが、それも頭の片隅にちらっと浮かんだ程度で、次の瞬間には綺麗さっぱり忘れている程度だった。


 美羽が1週間程前から学校を休んでいた。

 体調でも崩したのだろうと思って特に気に掛けてはいなかったが、どうも朝は普通に登校していつもくらいの時間に帰宅しているらしい。


 いくら彼氏が出来て1年程疎遠になっているからと言っても、やはり美羽は俺の幼馴染には違いない。

 俺は学校の帰りに色々な所を寄り道して帰るようになっていた。

 ショッピングモールやゲームセンター、本屋、カフェ……思い付いたままに寄り道をしていたが、美羽の姿を見る事な無かった。


 そして、幼い頃よく美羽と遊んだ公園の横を通った時、ブランコに揺られる美羽を見掛けた。




**********




 美羽は大きく呼吸をしながらようやく落ち着いて来たようだ。

 俺はずっと美羽の頭を撫で続けていた。


「大丈夫か?」

「……うん。」

「取り敢えず座ろうか。」


 俺は美羽に抱き付かれたまま、すぐ横のベンチに横歩きで近付き、先に美羽を座らせてから隣に少し間を空けて座った。

 俺はポケットからハンドタオルを出して美羽に渡した。


「洗ったばかりだから汚くねぇよ。」


 美羽は俺のタオルを受け取ると、顔を隠すようにして涙を拭いていた。


「洗って……返す……」

「あぁ。」


 美羽はタオルをぎゅっと握り締め、時折溢れる涙を拭いながらスンスンと鼻を鳴らしていた。

 俺は黙って美羽の隣に座っていた。


 どれくらい座っていただろうか。

 空が薄い紫色に染まっていた。


「私ね……」


 ぽつりと美羽が言葉を漏らす。


「騙されてたみたい……」


 小松先輩との事を言っているのだろう。


「ずっと好きで……ずっと信じてたのに……」


 俺は足元の枯れかけた芝生に視線を落としたまま美羽の声を聞いていた。


「先輩ね……私と付き合う前から……彼女が……居たんだって……」


 美羽は時々しゃくり上げながら、ぽつりぽつりと言葉を繋いだ。


「先輩は『別れた』って言ってたんだけど……先輩と居る時に元カノと鉢合わせして……女の勘って言うのかな……『あぁまだ別れてないな』って思ったの……」


 美羽の声は寂しそうだったが、どこか吹っ切れてきているようにも聞こえた。


「それで……先輩に訊いたら……あっさり認められちゃった……」


 美羽は空を見上げていた。


「しかも……他にもう一人……付き合ってる子が居るんだって……聞いても無いのに……バカじゃないかしら……」


 少し明るめに言ってから、美羽は再び俯いて鼻をスンスン言わせた。


「好きだったのになぁ……」


 俺は視線を変えないまま、美羽の言葉に『うんうん』と頷くだけだったが、やがて美羽がベンチからすっと立ち上がって俺の方を向いた。


「はぁ……謙吾に話したら何だかスッキリしたよ。」

「それは良かった。」


 俺もベンチから立ち上がって公園の出口の方へ体を向けた。


「帰るか?」

「ん~……もう少し外に居たいな……」


 俺は美羽の方に振り返って言った。








「そうか。あんまり遅くならないようにな。」




「えっ?」


 美羽が驚いた顔で俺の顔を見ていた。


「ちょっ……ちょっと!」

「ん?」

「傷心の幼馴染がもう少し傷を癒していたいって言ってるのに何で一人で帰ろうとするのよ?」

「だって美羽はまだ外に居たいんだろ?俺は早く帰って飯食いたい。腹減ってんだよ。」

「いやいやいやいや!おかしい!私は謙吾の何なのよ?」

「何って……幼馴染だろ?」

「そうよ!その幼馴染が『もう少し外に居たいな……』って言ってんのよ?」

「うん。だから美羽は外に居ればいい。俺は帰りたい。」

「アンタ鬼か。」


 俺は美羽に背中を向けて公園の出口へと足を踏み出した。


「あー!そうだっ!ねぇねぇねぇねぇ!お腹空いてるなら何か食べに行かない?」

「えぇ?何で?」

「えーっと……あ、そうそう!『私が振られた記念』ってのはどう?」

「何だそれ?別に目出度くも何ともないだろ。それに今月もう小遣い無いから無理。」

「そっそれは私に任せてよ!記念日なんだから私の奢りだよ?」

「傷心の幼馴染に奢らせるなんて事出来るわけないだろ。」


 美羽は俺の前に回り込んで来て、胸の前で手を組んで懇願するような目で俺を見てきた。


「どうしてもダメ?」


 俺は肩をがくんと落として大きな溜息を吐くと、体の向きを変えて公園の向こう側にあるコンビニへと向かった。


「肉まん。」

「え?」

「肉まんでいいな?それ以上求めるなら帰る。」

「え?あ、もも勿論!異論無しです!」


 俺は美羽と並んでコンビニへ行き、肉まんとペットボトルのお茶を2つずつ買って元のベンチへと戻った。

 勿論、俺の財布から超ピンチの小遣いをはたいて。




「美味しいね!」


 美羽にようやく笑顔が戻った。


「人の金で食えるモンは何でも美味いんだよ。」

「そういう意味じゃないし!今度何か奢るからさ!」


 あっという間に肉まんを平らげた俺は、隣で一口一口大事そうに肉まんを食べる美羽の横顔を眺めていた。

 半分くらい食べた美羽が俺の方に顔を向けた。


「ねぇ謙吾。」

「ん?」

「また……謙吾のとこに遊びに行ってもいい?」


 上目遣いに俺を見る美羽は、恐る恐るといった感じで訊いてきた。


「そうだな。次また彼氏が出来るまでの間なら。」

「うん……」

「俺に話して気が晴れるならいつでも聞いてやる。」

「うん……」

「だからもう一人で悩むんじゃない。」

「うん……」


 美羽は左手を、ベンチの上についた俺の手の上に重ねてきた。

 俺は一旦美羽の手を外すと、美羽の手を掌の中に閉じ込めてきゅっと握った。




 空は濃い紫色に変わり、公園の外灯が二つの陰をベンチの傍に落としていた。

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