第10話
ルノアを月まで運んできた宇宙船は、月の地下にあるという話は聞いていた。だが散らかっているからという理由で、ルノアは頑なに宇宙船のある場所まで案内しようとしなかった。
それなのに今、ルノアはあっさりと望美を宇宙船まで導いている。
ある月面の場所まで歩くと、そこにあった石を両手で押した。すると、地面の一部分が、突然下に下がり始めた。昇降機だと、ルノアは説明した。
昇降機に乗って、月の地下までやって来た望美を出迎えたのは、二階建ての家くらいの大きさはある、真っ白な宇宙船だった。いわゆるアダムスキー型をしていたのにも驚いたが、それ以上に中に入って驚いた。
望美が通された部屋には、何も無かった。白い壁、白い床、白い天井。それらが無機質な輝きを放つばかりで、他の家具は何も置かれていなかった。
唯一、操作卓のような計器が部屋の隅に備え付けられていた。家具は必要なときに必要な操作に応じて取り出すのだと、ルノアは説明した。
「おお、懐かしい……。間違いなく、我が星の宇宙船です」
室内に入ったレキは、感慨深げにぐるりと辺りを見回した。
「あの。レキ、さん……?」
「……なんでしょう」
「あなたが、あの星形の宇宙船をじっと見て月に行きたそうにしていたのは、もしかして、ルノアに会うため?」
「はい。ルノアという名前を出していた日から、おや、と思っていましたが。あの星形の宇宙船を見て、ぴんと来ました。あの宇宙船も、我が星で作られたものですから」
レキはどこか冷淡な口調で説明した。望美が台詞を続ける前に、それを拒否するかのように背を向けると、操作卓の上に飛び乗る。そして前脚を両方使って、器用にボタンやパネル、スイッチを操作し始めた。
「レ、レキさんって、凄く器用だね?」
「レキは故郷で、いわゆる技術者だったんだ。宇宙船開発のね。あの星形の宇宙船だって、レキも制作に携わっているんだよ」
「正体がばれないように、声を発さないでいるのはなんとかできましたが。工具や部品などの類いには、ついつい無条件で反応してしまいましたね。職業病というやつなのでしょうか」
レキは、今回も望美ではなくルノアに対して、苦笑混じりに言った。だからネジは、工具などを気に入っていたのかと、望美は腑に落ちた。
「な、なんだか凄いね、レキさんって! 大人って感じがする!」
「私は大人ではありませんよ。ルノア様とは、三、四つくらいしか離れていません」
どうにも、レキとの間に距離を感じる望美は、それを誤魔化すように、明るくルノアに語りかけた。すると意外なことに、返答してきたのは話しかけたルノアではなく、レキのほうだった。
「三、四つ……? 嘘、全然そんな風に見えない!」
「私は生まれたときから、ルノア様にお仕えすることが決まっていましたからね。幼少期から礼儀作法をはじめとして、あらゆる教育を叩き込まれてきましたから」
「仕える……?」
「ルノア様から聞いていなかったのですか? ルノア様は、我が星を治めていた一族……いわば王族の一人です。第二王子にあたるお方ですよ。なので本来、貴方のような身分の低い者が、気軽に話しかけていい立場にいる方ではないのです」
望美は勢いよく、ルノアを見た。ルノアは困ったように肩をすくめた。
「レキは、僕の一番の従者なんだ。周囲の人間の中で、最も距離が近かったと言って良いかな」
「なっ、なんで内緒にしてたの?!」
「……それは」
ピピッという一際甲高い音が、室内に響いた。レキが、操作卓で一番大きなボタンを押した音だった。
「我が星はルノア様の一族が代々治めてきた星で、ずっとずっと、平和そのものでした。ですがある日、反乱軍との争いが勃発した。激しい争いは、長い間続きました。反乱軍の奴ら、もともと星を征服するつもりで戦争を始めたのに、それで肝心の星そのものが滅んでいたら、意味がないですね」
ふふ、とレキは笑みを漏らした。暗い笑い声だった。
「……王と女王は暗殺。第一王子は罠にかけられ処刑。第一王女は敵の手に捕らえられ、第二王女は宇宙に逃れることができましたが行方不明のまま。反乱軍は、政府軍側にはもはや希望は潰えていると思っているでしょうが、こうしてルノア様が見つかった。我らが故郷が、再び光を取り戻せる日も、そう遠くはない。
なのでノゾミさん。――貴方は、故郷復興の礎となる、一人目のお人です」
それからのレキの行動は素早かった。レキは勢いよく振り返ると、望美に向かって飛びかかってきた。
反射的に望美は、レキを避けようとした。だが足を後退させた直後、体が何かにぶつかった。その何かに向かって、望美の体は倒れていった。倒れた後で、望美がぶつかったものが、椅子であることがわかった。
が、即座に奇妙だと感じた。家具など何も無かったこの部屋に、どうして椅子があるのか。その椅子そのものも、鉄でできたような、妙な形をしていた。
直後。肘掛けの部分から。背もたれの部分から。足置きの部分から。鉄の輪っかのようなものが伸びてきた。
それらは望美の腰を、両手首を、両足を、硬く固定してきた。
「は?」
体が動かない。動かそうとしても、鉄に当たって、がしゃがしゃとしか音が鳴らない。
望美は正面に立っているルノアを見上げ、その横に並んだレキを見た。ルノアは俯き、両手をぐっと握りしめていた。
「と、取ってくれない? 動けないんだけど、ねえ……」
「ルノア様」
望美の声など何も聞いていないとばかりに。ぴしゃりと分断するような声で、レキはルノアの名前を呼んだ。
「準備はできました。これでいつでも、このチキュウ人の体を、乗っ取ることができます」
今、よくわからない単語が出てきたような気がする。全く、意味のわからない言葉。
「すまない、ノゾミ」
ルノアが、顔を上げた。
「君に、隠していたことがある」
声一つ発することすら、苦しそうだった。ルノアの表情は、今までに見たことがないほど、影が差していた。
「僕の故郷の星は、発展した科学で、人々の様々な願いを叶えてきた。そう言ったよね。それらの人々の願いの中の一つに、“不老不死”があった。老いないまま、死なないまま、生き続けること。僕らの星は、それを実質的に実現させることにも、成功していたんだ。それが、自身の記憶はそのままに、他者の体を乗っ取るという方法だ」
ルノアはそう言って、自身の頭の部分を指さした。
「まず、記憶や人格といった、自分の脳にある情報全てをデータとしてコンピューターに書き出す。
次に、脳死した生き物……人間でも動物でもなんでもいいが、とにかく脳が死んでおり、体は生きている生き物を用意する。コンピューターに保存して置いたデータを、その脳死状態の生き物の頭脳に移し替える。
そうすれば、記憶や人格などは保たれたまま、新しい体に生まれ変わることができるというわけだ。そうやって、古くなった体を捨てて、新しい体に変えていくのを繰り返していけば、半永久的に生き続けることも、不可能ではない。
この技術が確立されたとき、故郷の星は歓喜に沸いたそうだ。人々は盛り上がって、それで……戦争が始まった。僕が生まれたのは、まさに戦火の最中だった」
ルノアは、涙を流すような顔で、笑った。
「当たり前なんだよ。星を征服したい、争いたいと願っている人が、消えることなく、ずっと生き続けるのだから。次の世代に交代するということが、無くなったのだから。禁忌を犯したんだよ、僕の故郷は。……滅んだのも、必然のことかもしれない」
「しかし、その禁忌の技術のおかげで、故郷の星を復興させることも、夢ではないのですよ」
レキの冷徹な声が続く。ルノアはか細くうん、と言ったきり、黙った。
本気なのだ、と思った。ふざけているわけではないことが、はっきりとわかった。
だからこそ、意味がわからなかった。望美は勢いよく身を乗り出した。鉄と鉄のぶつかる音が、望美の体がそれ以上動くことを拒む。
「乗っ取りって、何よ! そんな必要なんて、無いじゃない! わざわざ、どうして、どうしてこんな!」
「乗っ取らなきゃいけないんだ。僕らの種族は」
ルノアの青い目が、望美を見据えた。瞳の青色が、恐ろしく暗い色に見えた。
「僕らの故郷の星は、とても特殊な環境でね。だから、他の星の環境が、軒並み合わないんだよ。この体のまま、別の星に着陸することができない。物理的に不可能だ。だから、故郷から逃げ出した星の住民達は、どこの星にも着陸できないまま、文字通り、宇宙をさ迷い続けているんだ」
「私も技術者で、乗っ取りの方法は熟知してましたからね。星を逃げ出した後、幸運にも旅をしている宇宙人を見つけて、まずその方を乗っ取りました。その姿で旅をしていたら、偶然チキュウを見つけ、とりあえず着陸したところ、乗っ取った体の宇宙人には、たまたまチキュウの環境と合わないことが判明しまして……。それで、偶然近くに現れたネコを乗っ取り、とりあえず生活していたというわけです」
口調に起伏のないレキの説明を聞いて、どうしてルノアがずっと宇宙服を着たままでいるか、食べ物を食べるときのわずかな時間しかヘルメットを外さないのか、理解した。
「どの星でも良かった。どの宇宙人でも良かった。とにかく、文明のある星を見つけて、その星に住む宇宙人を一人呼び出す。呼び出して、その星に文化や生活、環境について、色々聞き出す。その人個人の生活や、人となりについても、詳しく。
乗っ取った後、その後の生活に適応できるように。旅をしながらでは不便極まりないので、そうやって体を乗っ取った後、その星で暮らしつつ、故郷復興の手筈を整えていく。……そういう計画だったんだ」
ルノアはくるりと背を向けた。操作卓の前まで、迷いのない足で歩いて行く。それだけで、ルノアが、どんなに手を伸ばしても届かない、とても遠くに行ってしまったように見えた。
やめて、と叫んだ。何度も椅子から逃れようともがいた。だが、どこも動かせない。拘束具は呆れるほど頑丈で、ありったけの力を振り絞っても、すぐに椅子へ引き戻される。
がしゃんがしゃんと、抵抗の証しである、金属のぶつかる音が鳴り響く。静かになさい、とレキの無感情な声が飛ぶ。
しかし、声も音も止まらなかった。嫌だと声を上げた。ルノアと名前を呼んだ。ルノアは首だけを、ほんのわずかに後ろへと向けた。
「君、言っただろう。チキュウなんて嫌いだと。あの星に味方なんていない、と」
「それはっ、でも! ……でも、嫌だ! こんなこと、やめて! お願いだから!」
「この椅子は、体は生きたまま、脳だけを死なせることができる。このスイッチを押せば、機械が動き出す。これを使って、友人となったチキュウ人のノゾミを乗っ取る。ノゾミとして生きながら、正体を隠しつつ、チキュウで故郷を復興させる準備をしていく。僕は、そう考えていた。だからノゾミ」
ルノアは操作卓にある、赤く大きなボタンに手を乗せた。全ての動きが、コマ送りの画像のように、ゆっくりと映った。
「逃げてくれ」
ルノアが押したのは、赤いボタンではなかった。その近くにあった、青いボタンだった。
がしゃんという音がして、望美の体の自由を奪っていた拘束具が、全て椅子の内部に収納されていった。
「僕は君を乗っ取れない」
ルノアの体は、操作卓の前で崩れた。座り込んだまま動かないルノアに向かって、レキが何かしら喚き続ける。
だが望美は、何も言えなかった。何もできなかった。椅子から立ち上がると、弾かれたように、その場から逃げ出すしかできなかった。
星形の宇宙船に飛び乗って、地球へと戻る。振り返っても、望美を見送ってくれるルノアの姿はいなかった。
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