第7話

 ルノアは気にしなくていいと何度も言ったが、望美が気にするのだった。何より、自分が誕生日を祝いたかった。


 しかし、何をプレゼントすれば良いのか。家に戻ってから丸一日使って悩んだが、答えは出せなかった。


 男の子の友達にプレゼントなど、何をあげれば喜ばれるのか見当もつかない。ちょうど庭先に遊びにやって来た白猫のネジにどうすればいいか尋ねてみても、もちろん返答が来るわけがなかった。


 ネットを使って友達に渡すプレゼントなんて検索をかけたが、望美を満足してくれる結果は得られなかった。


 気がついたときにはルノアの誕生日は翌日に迫っていた。途方に暮れながらネットの海をあてもなくさ迷っていたとき、ふと望美は、デパートでアンティーク商品のフェアが開かれているという情報を知った。


 主にどういう商品が売られているか、そのイメージ写真を見るとはなしに見ていると、ある商品に目が留まった。


 それは、楕円形をした小さなブローチだった。金色の縁の中に星空の模様というシンプルなデザインをしており、星空には三日月の絵が描かれいている。


 月というオブジェクトに心を引かれたのは、考えてみれば必然のことなのかもしれない。望美は自室の窓から、空を見上げた。昼間の空にぼんやりと浮かぶ青白い月に、今もルノアはいる。


 望美はブローチの写真に視線を移した。そこにはブローチの値段も書かれていた。やや高かったが、手が出せない程ではなかった。


 望美は、取り出した貯金箱の中身を財布に移し替えた。そして、出かける支度を始めた。


 フェアが開催されているデパートの場所は、望美がこの町に引っ越してくる前に住んでいた街にあるものだったが、自分でも不思議なほどに、全く気にならなかった。このブローチをルノアにプレゼントしてみたいと、そればかり考えていた。


 何本かの電車を乗り換えて、ようやく望美は目的地のデパートに辿り着いた。


 前住んでいた街に戻ってきたという緊張もうっすらとあったがそれ以上に、久々の長距離の外出による緊張、買おうと思っている商品がちゃんとあるかという不安、何よりルノアが喜んでくれるのだろうかという不安のほうが、ずっと強かった。


 なので、デパートの会場でブローチが売られているのを見つけたときは、気が緩んで腰が抜けそうになってしまった。


 ブローチを手に取り支払いを済ませようとして、本当にルノアはこのブローチで喜んでくれるのかという迷いが生じた。


 ブローチは望美の趣味で選んだものであり、ルノアの好みと合っているかどうかわからない。もしかすると、迷惑に思われるかもしれない。


 やめておこうかという思いが、むくむくと膨れあがっていく。だが、「ここまで来て?」という思いが、背を押した。友達として、誕生日に何もお祝いしないことのほうが、ずっと失礼に思えた。


 そんな葛藤を繰り広げていたので、ついプレゼント用のラッピングを頼むことを忘れてしまった。仕方がないので、同じデパート内にある文房具店で良さそうなラッピングペーパーでも買おうと考える。


 終わってしまえば呆気ないもので、望美はどこか軽くなった心と共に、向かった文房具店のラッピングペーパーコーナーで、包装紙を選んでいた。その時のことだった。


「月野さん?」


 名字を呼ぶ声がした瞬間。がらがらとものが崩れていくような、そんな音を聞いた気がした。


 望美はゆっくりと、顔を横に向けた。その先に立っていたのは、見覚えのある制服を着た、数人の女の子だった。目を、疑った。


「ええっ、久しぶりだねー!」


 真ん中に立っていた女の子が、面白いものを見たかのように、口元に手をやった。あの、委員長の女の子だった。周りにいる子達全員、中心となって望美をいじめていたグループだった。


「なんでここに?」

「転校したんじゃなかったっけ?」

「何、戻ってきたの?」


 芝居がかったとも言えるくらいやたら明るい声は、あまり聞こえなかった。激しい耳鳴りが襲っていたからだ。


 望美は体を後退させた。直後。体が、商品棚にぶつかった。ラッピングペーパーは音を立てて、ばさばさといくつも床に散らばった。委員長達が、「あーあ」と言いながら、くすくすと笑った。


「うける」


 その一言に、望美は脱兎のごとくその場から走り去った。慌ててやって来た店員がラッピングペーパーを拾う姿が見えたが、手伝えなかった。


 どうしてあそこに彼女らが。なぜ。


 混乱を極める脳が、文化祭という答えに行き着く。そういえば去年、望美は文化祭の準備のため、クラスメート達と一緒に、買い出しに出たことがあった。


 電車に乗っている間、望美は鞄を抱きしめ、背をぐっと丸めていた。お腹全体がぎりぎりと軋むようだった。両手でずっと耳を塞いでいた。なのに、うけるというただ一言が、頭の中を回り続けていた。


 気持ち悪いと言ったのに、今度は「うける」なのか。あの人達はなんなのだろうか。あのままあそこにいたら、自分はどうなっていたのか。わからなかった。何もかも。


 早く家に帰りたいとばかり思った。早く家についてほしいとばかり思った。なのに、いざ家について飛び込むように玄関を開けたら、上がり口に母の靴が置かれているのが見えて、息を失った。


 家に帰って、自分の部屋のベッドに潜り込みたいという願望が、急速に、ここから逃げたいという恐れに変わっていく。だが、実際に逃げ出す前に、母がリビングから出てくるのが先だった。「望美、お帰り」と迎えられる。


「た、ただいま」

「どこか出かけてたの?」

「う、うん。買い物。お母さんは?」

「用事があって、一旦家に戻ってたのよ」


 そう言う割には、母はなかなか靴を履こうとしなかったし、仕事に戻っていく気配も見せなかった。望美を見る視線に、何か話があるのだと察知して、望美は困惑した。


 何か言い訳してもう一度外に出るか、知らん顔して家に上がって、部屋に籠もるか。迷っていると、「望美」と名前を呼ばれた。固い声だった。


「あなた、昼間、どこに行っているの?」


 どくん、と心臓が大きく鳴る。どういうこと、と辛うじて絞り出した声は、あからさまに震えていた。


「何日か前にも、こうやって仕事で家に戻ってきたときがあったの。そのとき、部屋に望美がいなくて、本当に驚いた。出かけているんだろうと思ったけど、でも窓が開いてたし、もし何かあったらって、その日は気が気じゃ無かったのよ。その後家に帰ってきたら、あなたは普通に家にいたから、ほっとしたけど、でも、どこに行ってたかは言わなくて……。……一昨日の夜も、そうだったわよね。あなたを部屋に呼びに行ったら、窓だけ開いていて、望美を部屋にいなかった」


 息を失った。やはりあの流星群の夜、望美を呼びに部屋に来ていたのだ。だが、そのリスクを無視して、望美は月に行ってしまった。それにより留守にしていたことが、ばれてしまった。


「お父さんには言ってないよ。まず、二人で話し合おうと思っているから。……望美、何があったの? あなた、去年から、どこか様子がおかしいわよ」


 母は一歩、望美に歩み寄った。


「……学校とかで、何かあったの?」


 伺いを立てるように。どこか疑っているように。恐る恐るといった声音だった。ぷつりと、頭の中で糸の千切れる音がした。


「ねえ、望美……」

「うるさいっ!!」


 母を突き飛ばす勢いで押しのけて、階段を走って上る。自分の部屋に駆け込むと、音を立ててドアを閉め、ついでに椅子をドアの前に置いて盾にし、心張り棒の代わりにした。


 望美を追いかけて無理矢理ドアを開けてくるかと思った母は、何もしてこなかった。しばらく経って、玄関の開閉音が聞こえてきた。こっそり窓から庭を覗くと、外に出る母の姿が見えた。


 母の背が完全に見えなくなったのを確認すると、望美は押し入れから宇宙船を引っ張り出した。窓を開けた状態で、宇宙船に乗る。


 数分とかからずこの宇宙船は月まで辿り着くが、今はその数分が、長く長く感じられた。もどかしくてたまらなかった。


 なのでようやく月に到着したとき、「やあ、ノゾミ」とのんびりルノアが出迎えるより先に、転がり落ちるように宇宙船から下りた。戸惑うルノアの手を、縋り付くようにして掴んだ。


「ルノア! 私を、連れて行って!」

「え? ど、どこに?」

「宇宙の旅よ! 私も連れてって! ルノアと一緒に旅に出る!」

「え、ええ?! な、なんでそんなことに」

「あの星に、私の味方なんて誰一人いないわ!」


 風一つ吹かない静謐の星に、自分の声がこだまする。


「地球なんて嫌いだ、地球人なんてわけわからない! 私は、友達のあなたと一緒にいたほうがいい! あの星で生きてたって、何の意味も無いっ!」


 前の学校も、新しい学校も、父も母も、望美を否定するのだろう。拒絶するのだろう。では、どうしてわざわざそんな星で生き続けなくてはならないのか。

 

地球にいる限り、味方などいない。この先も現れやしないのだ。


 肩で息をする自分の声が、空しく響く。

 ルノアの深い青色の目が、静かに望美を見つめていた。


「……わかったよ、ノゾミ」

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