第5話

 宇宙船が月に到着して、「ノゾミ!」とルノアが出迎えてくれたときも、顔を上げなかった。


「……ノゾミ? どうしたんだい?」


 案の定、ルノアは不思議そうに聞いてきた。「まさか、泣いているのか?」と慌てて尋ねられたので、違うという意味を込めて、望美は顔を上げた。


 ルノアは少しほっとした顔をしたが、そのすぐ後で、顔を覗き込んできた。


「泣きそうな顔をしているけど……何があった?」


 望美は首を振りながら、乱暴に両目をこすった。


「なんでもないよ。ほら、この前言ったでしょ? 今日、獅子座流星群が見れるって。でも地球では雨が降ってて、星が見えなかったから、それで落ち込んでたんだ」

「ああ、なるほど。でもそれだったら、ツキに来て正解だよ。あそこを見て」


 ルノアが指したのは、地球のある方角だった。望美はそちらを振り向いて、大きく目を見張った。


 青い星に向かって、小さな光が、走って行く。光の筋が、地球の表面に向かって落ちていっては、すっと消えていくような。


 流れ星を地球から見上げるのではなく、宇宙から見る。生きている間に見ることなど、絶対できない光景だろう。光の帯の瞬きを目にしながら、望美はただ、呆然としていた。


「流星群はちゃんと見えるよ。だから、ツキで観測しよう。望遠鏡もあるしね」

「う、うん! でもごめん、私今日お握り持ってくるの忘れちゃって……」

「あ、それもあるよ。代用品だけどね」


 手招きをするルノアについて行くと、折りたたみ式のベンチが置かれている場所まで来た。そのベンチには、なんと三角形のお握りが二つ置かれていた。ただしその色は、灰色だった。


「僕が作ったんだ。ツキの砂を使ってね」


 ルノアは足下の砂を拾い上げて、望美に見せた。灰色の砂がさらさらと指の隙間から落ちていくのを見て、望美はつい吹き出した。


「でもこれ、食べられないでしょう?」

「うん、食べられない。だから雰囲気だけ。でも、割と美味しそうにできたんじゃないかな?」

「ええ、そうかなあ? ……なんか、硬そう」

「砂と水で固めているから、そこまで硬くはないよ。でもそれを言うなら、お握りって凄いよね! 見た目は硬そうで石みたいなのに、食べると柔らかくて、でも柔らかすぎなくて!」

「ルノアったら、お握りがよほど好きなのね。今日持ってこれなくてごめんね」

「……あっ、おねだりしているわけじゃないんだよ?!」


 お握りについて目を輝かせながら離していたルノアは、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「今日はいつものお礼に、こっちがご馳走しようと思ってたんだけど。でも、今持っている食べ物、これしかなくって……」


 ルノアが取り出したのは、透明の小瓶だった。中には、色とりどりの丸いキャンディが入っていた。キャンディはきらきらとほのかに煌めいており、まるで星のようだと思った。


 美味しそう、と思わず口にすると、ルノアはあまりぴんときていないように首を傾げた。


「お握りには負けてしまうと思うけど……。良かったら、一粒どうぞ」


 ルノアは小瓶からキャンディを一つ取り出し、望美の手に載せた。望美をそれを口に含み、ゆっくりと舐めてみた。


 少し転がしただけであっさりと溶けたキャンディは、わずかに甘みがあるくらいで、他に特徴らしい特徴はなかった。


 しかしキャンディが完全に消えた直後、一気に甘みが広がっていった。しつこくない、優しい甘さだった。ふんわりと体全体を包まれているような気持ちになった。


「美味しい!」


 素直に思ったままの感想を伝えると、なぜかルノアはどこか意外そうな顔になった。


「へえ、これ美味しいんだ……。そういうの、わからなくなってたな」

「えっ?」

「これは栄養食なんだ。一粒か二粒で、一食分と同じ栄養を賄える効果を持っていてね。一年前に故郷の星を旅立ってからずっとこれしか食べてこなかったから、味がどうとか考えなくなっていたよ」

「一年間ずっと……?」

「そう。だから久々にこのキャンディ以外の食べ物を食べたとき、凄く感激したんだ」


 ルノアは照れ臭そうに笑った。彼がお握りを気に入った理由がわかった。やはり今度来るときたくさん作って持っていってあげようと思いながら、ルノアと共にベンチに腰掛けた。


 ルノアの超高倍率望遠鏡を手に、地球に向かって流れる流星群を覗いた。覗いたレンズの向こう側には、下半分は地球、上半分は宇宙という光景が見えた。


 極大日とは聞いていたが、特に多くの星が流れているらしい。幾多もの光の筋は、ほぼ絶えることなく、地球の上空を流れていく。望美は、わあ、と知らず知らずのうちに声を上げていた。


「そういえば地球では、流れ星が消える前に三回お願い事をしたら、願いが叶うって言い伝えられているって、言ったことあったっけ?」

「ううん、初めて聞いたよ。そうか、地球ではそんな文化があるのか……! じゃあ僕、早速お願い事をしようかな!」

「何々?」

「ノゾミが元気になりますようにって」


 望美はレンズから目を離し、隣に座るルノアを見た。ルノアは砂で作ったお握りを手に取っていた。


「今日のノゾミ、いつにも増して元気が無さそう。だから、ちょっと、心配だよ」

「いつにも増して、って……」

「うん。初めて会ったときから、ノゾミはどこか元気が無い。でも、今日は特に落ち込んでるように見える。どうしたのかなって、さすがに気になってしまうよ。……友達、だもの」


 ルノアは真っ直ぐな目で地球を眺めていて、望美のほうを見てはいない。だが、頭から生える触角が、ぴこぴこと揺れていた。興味深そうに、心配そうに、どこか頼りない揺れ方だった。


「友達になってほしいって僕が言ったときから、望美はほぼ毎日、ツキに来てくれたよね。実は僕、それがとても嬉しかったんだ。救われていた、とも言うべきかもしれない」

「す、救われてたって、そんな大袈裟な!」

「大袈裟じゃないよ。僕はこのツキに来るまで、ずっと一人で宇宙を旅してきたんだけどね。

僕の故郷の星の、大気とか重力とかそういう環境って、かなり特殊なんだ。だから僕達の種族に合う環境の星も、なかなか見つからない。文明がある星を見つけても、そういう条件が合わなくて、着陸できなかったりして……。

だから僕、ずっと友達がいなかった。ずっと一人で旅してきたんだ。だけどノゾミと出会って、凄く充実した日々を送れているよ」


 ルノアはゆっくりと、こちらに顔を向けた。深い青色をした瞳が、細められる。


「だから僕も、ノゾミの力になれたらって、そう思うんだ」


 望美はゆっくりと、望遠鏡を下ろした。力が抜けていった、というほうが正しい。

 ドームの中には酸素があるのに、上手く息が吸えなくて、一旦咳き込んでしまった。大丈夫かと声をかけてきたルノアを、手で制する。


「……今日、流星群があるって知ったとき」

「うん?」

「怖いって、思ったんだよね。実は。一瞬だけ」

「ええっ! な、なんでだい? チキュウにとっては怖いものなのかい?」

「違う。私にとって……だよ」


 望美は、青い地球を見た。流れ星が、現れては消えていく光景を、目に焼き付ける。


「獅子座流星群がきっかけで、私、前の学校で、いじめられたんだ」

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