第4話

 望美の一日は、ほぼ毎日同じようなものだった。朝に母に起こされ、その直後にまた寝て、お昼頃に起き出す。

 起き出してからはずっと家で過ごし、外に出ることはまず無い。

 夜は、早めに寝ようと思うものの、いつも眠れずに、星を見て過ごしてしまう。それで結局寝る時間が遅くなり、朝起きることができなくなる。


 変わる兆しの見えなかった望美の日々は、ここ最近、変化を見せた。昼間、月に向かうというスケジュールが入るようになったのだ。


 星形の宇宙船に乗って、月でルノアと過ごして、母が帰ってくる前に地球に戻る。


 月での時間の過ごし方は、大体似たようなものだ。ルノアは地球のことが気になるようで、望美に地球とはどういう星か、その生活をいつも興味津々に聞いてくる。


 自分は、そんなに長く月に滞在する予定はない。次出発するまでに、なるべく話を聞いておきたいというのだ。


 その際望美は、話をするんだったら、月面では落ち着かないのか聞いた。


 ルノアは宇宙船に乗ってたまたま月に下り立ったという話や、その宇宙船をこっそり月の地下に隠してあるという話は聞いていた。その宇宙船内で話をしたほうがいいのではないかと。


 ところがルノアは、顔を真っ赤にして否定した。船内は散らかっているから恥ずかしいというのだ。なんとなくルノアがそういうタイプには見えなかったので、少し意外に思った。が、あまりにも必死になっている姿につい吹き出してしまい、わかったと頷いた。


 月面のドーム内には、テーブルとソファが置かれていた。そこに腰掛けて望美は、地球はどういう星かというルノアからの質問に、当たり障りのない話ばかり返した。  

 季節のこと、行事、日々の暮らしや、趣味や好きなこと、苦手なことなど。


 それらはさながら質疑応答のようだった。こんなことを聞いてどうするのだろうという何てことのない話ばかりだったが、ルノアは食い入るように聞いていた。


 例えばルノアにとって、そもそも季節の変化があることが衝撃的だったようだ。暖かい時期、暑い時期、涼しい時期、寒い時期ところころ気候が変わる星で、よく普通に対応して生きられるものだと目を丸くしていた。


 ルノアの故郷の星では、季節という概念が無いのだという。常に気温や湿度は一定のまま変わらなかったと。


 その話の流れで、ルノアは暑いのも寒いのも両方苦手なことを知った。クレーターには一キロ圏内にドームが張ってあって、内部にはちゃんと空気があるのに、ルノアがいつも宇宙服を着ているのは、常に快適な環境を維持し続けていくためだという。


 他の服も着てみたいと言ったとき、ルノアの頭のアンテナは、わずかに力を失っていた。



 月で過ごすとき、今まで料理の類いが出されていないことに気づいた望美は、ある日月にお握りを持っていった。


 どういう料理を持っていくか、ああでもないこうでもないと、長い時間をかけて悩んだ結果、無難にお握りに決まった。望美がすぐに作れて持ち運びが簡単なものといったら、これくらいしか無かった。


 せめて色々な味のお握りを作ってお弁当箱に入れて月まで持っていったのだが、さすがになんの面白味もなかったかと、いざお握りの入ったルノアに見せたとき、後悔が襲った。


 しかしルノアはお握りの詰まった弁当箱を見て、怒ることも悲しむこともせず、しげしげと興味深そうに覗き込んだ。不思議そうな手つきで梅干しの入ったお握りを手に取ると、上から下までじろじろとその食べ物の姿を観察した。


 そうしてからほんの少しだけ口に入れて、それから大きく目を見開いた。ルノアは、「初めて食べる味がする」と、声を上げた。

 「噛めば噛むほど甘い」「でもしょっぱさもある」「中の具材が色々あって、それによって味が変わっていくのが面白い」と、実に楽しそうに、幸せそうに頬張った。


 店で買ったお菓子やパンや惣菜なども持っていったこともあったし、そのどれもをルノアは興味深そうに食べて、楽しそうに味わっていたが、「一番のお気に入りは最初に食べたお握り」という意見は、それ以後もずっと変わらなかった。



 

 ルノアは望美に地球の話をすることをせがんだが、自分は故郷の星の話をあまりしなかった。自分の星ではこうだったと言うことはあれど、深く説明することはなかった。


 一度だけ、ルノアの星はどういう星か聞いたことはあるものの、そのときルノアは「とても遠くにある、凄く科学が発展した星」としか説明しなかった。

 ルノアは穏やかに笑っていたが、そこにはこれ以上聞かないでほしいという空気が暗に秘められていた。望美は踏み込むことをやめた。


 ただ、ルノアの言うとおり、相当に科学が発展した星というのはよくわかる。ドームを生成する技術も、望美にくれた宇宙船も、その星の町並みや家々まで覗ける超高倍率の望遠鏡も、全てルノアの持ち物だというのだから。


 初めてルノアが地球に向かって星形の宇宙船を飛ばしたとき、そこには声だけ再生される白紙の手紙が一緒に乗っていたが、あれも故郷の星の技術なのだと言って、喋ったことがそのまま記されるペンと、それ専用の紙というものを見せてくれた。


 他にも、ルノアが望美を見つけた超高倍率の望遠鏡を貸してくれたりもした。望遠鏡を用いて月から地球を見ると、色々な国の色々な場所が、人の姿まではっきり見えるのだから驚いた。


 覗き見をしているようで少し気が引けたが、手軽に地球で名所と言われている場所を見られるというのは面白かった。


 それらの名所と呼ばれている場所をルノアに案内したり、逆に地球ではなく宇宙へ望遠鏡を向けて、ずっと遠くの星や銀河を観測したりして過ごした。

 



 ルノアの持っている不思議な道具で遊んだり、地球の食べ物を食べ合ったり、地球を見ながら地球での暮らしを説明したり。


 月での日々は、実に摩訶不思議なものだった。その摩訶不思議を、いつの間にか望美は、現実のものとして受け入れられるようになっていた。


 ルノアはいつも、月に来た望美を笑顔で出迎えてくれて、笑顔で見送ってくれる。それを望美もまた、自然な笑顔で返せるようになっていっていた。


 それとは別に、学校に行けない日々は続いていた。父や母から、期待交じりに「顔色が良さそう」と言われる度、明日こそは学校に行かなくては、と意志を固める。


 ところが、起きたときには頭かお腹が痛くて動けなくなっている。その頭痛や腹痛は、月へ遊びに行く頃にはすっかり鳴りを潜めてしまう。


 どうして学校に行けないか、望美はその原因に大きな心当たりがあった。だが、どうしてもそれを、両親に言えないでいた。「望美が悪い」と言われたらと思うと、喉から声が出なくなってしまうのだ。


 やるべきことから逃げているという思いが、望美の心をじわじわと追い詰めていく。流星群の話を聞いたのは、そんな折のことだった。


 獅子座流星群の極大日が近づいているという話を聞いたとき、望美は確かに、心が深く沈んでいくのを感じた。


 直後、無理矢理その気持ちを打ち消した。流星群に対して、失礼だと思ったからだ。いい加減忘れて、素直に近々訪れる流星群を楽しもうと思ったし、事実わくわくしながら極大日を待った。


 だが当日、望美の住んでいる地域の空は、無情にも雨だった。しとしとと雨を降らす雲は分厚く、星空も月も、その影すら見えない。


 望美は自分の部屋で、水滴が伝っていく窓ガラスを見ながら、今考えていることを実行に移すべきかどうか、迷っていた。


 宇宙船で月まで向かうかどうか。宇宙に行ってしまえば、天気も何も関係ない。流星群を見ることができるだろう。しかもルノアと一緒なのだ。


 問題は、一階に両親がいるということだった。今まで月に向かうとき、必ずそれは平日の昼間にしていた。父も母も仕事で家を留守にしているからだ。しかし今は夜で、二人とも家にいる。望美が部屋にいないことがばれる可能性は、とても高かった。


 望美はこっそり一階に下りて、両親の様子を窺うことにした。二人はリビングにいて、何やら話をしているようだった。沈んだ声の調子から、どうやら込み入った話らしいと察したとき、突然その話の中に、自分の名前が出てきた。


「望美は一体、いつになったら学校に行き出すんだ?」


 父のため息交じりの台詞を聞いたとき、望美は全身を強張らせた。わからない、とどこか疲れたような母の声が続く。


「毎日、明日は行くって言ってるんだけど。朝になったら、頭が痛いとかお腹が痛いとか言い出して、結局行けないってことになっちゃうのよ」

「……仮病じゃないんだよな?」

「それにしては、いつも顔色が悪いんだけど……」


 沈黙が流れた後、「そうか」と父が呟いた。


「何かあったんだろうな」

「私もそう思う。やっぱり、ちゃんと話を聞き出さないと駄目ね」

「……せっかく転校したんだがな」


 その言葉を聞いた瞬間だった。望美は弾かれたように振り返り、階段を上った。ばれてしまうかもしれないという躊躇いが、自分の中から一切消失していた。部屋の窓を開け放つと、押し入れから宇宙船を取り出し、そこに飛び乗った。


 宇宙船は雨雲を突き破り、いつも通り、月に向かってぐんぐん上昇していった。その最中、望美はずっと、両膝を抱え、そこに顔を埋めていた。外の景色など、全く見なかった。

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