第46話 ミレニアの選択

 そうして私が一人静かにテラスに佇んでいると、背後から声が聞こえた。

「ミレニア姫」

 カインの、声だ。


「……カイン殿下」

「夜風は冷える。大丈夫か?」

 彼は上着を脱ぐと、私の肩にそれをかけてくれた。

「……ありがとう。優しいのね」

 私は彼の配慮が嬉しくて、そっと微笑みかけた。


 ……カインの優しさが、とても嬉しい。


「今日は本当におめでとう。両国の……いや、この大陸の聖女に認定されたも同然だ。……として君を誇りに思うよ」


 彼はそう言って、私に祝いの言葉とともに微笑みをくれる。

 ただし、婚約の話を曖昧にしているからか、少し言葉を選ばざるを得なかったのが残念そうだけれど。


「こんなところで何をしていたんだ?」

「少し、考え事をね」

「じゃあ、君のそばにいるだけ。それを許してくれるかな」

「大丈夫よ」

 そう言ってただ二人、テラスの柵に手をかけながら、夜空を静かに見上げていた。


 ……カインとのこの関係が嬉しい。


 ただ二人でいるだけで、違和感も感じず、幸せを感じられる。

 それはとても素晴らしいことなのではないか。


 ……ずっと今まで、私はカインを恐れていた。


 それは今もそうだろうか。

 いや、彼を恐れながらも結婚して、王太子妃、やがて王妃の部屋に籠る間、私は凍りついた心の奥底で何を思っていたのだろう。


 恨みもした。

 怨嗟も投げかけた。


 ……私は……。


 部屋に閉じこもりながら、いつか彼が優しく私を受け入れてくれはしないかと待ち続けていたのではないだろうか?

 でなければ、今彼とこうしている時間を、心から嬉しく思うだろうか?


 もちろん、それに値する態度を私は取っていなかった。

 それでも愛してほしい、振り向いて欲しいなんて、子供の癇癪と同じくらい我儘な要求である。


 ……でも、多分そんなことも知らずにいた。


 愛を受けるには、自分も愛で応えなければならないと言うことを。

 母から譲り受けた見た目の美しさなど、その条件を満たさずにいれば、きっとなんの意味もなかったのだ。


 ……私は、掛け違えた私たちの人生を、二人で歩み直してみたい。


 そう思って、すうっと深呼吸してから、体の向きをカインのほうに向けた。


「ねえ、カイン殿下」

「どうした。ミレニア姫」


「もし。もしもよ? 私があなた婚約を受け入れることにして、将来結婚したとしたら。……ユーストリアの国民は、私を、聖女を失うことになるのかしら?」

「ミレニア、姫……」

 カインの目がゆっくりと大きく見開かれる。

 そして、顔だけ私の方に向けていた彼が、体ごとこちらを向く。


「……それは、俺にチャンスをくれると言うことだろうか」

「私に、どちらの国の民も愛することが許されるのならば。……私は、あなたを選びたい」

 私は彼に告げた。

 そして、言葉にはしないけれど「あなたと、何度も掛け違え続けた運命をやり直したい」と。

 そう、言外に心の中で続けた。


「国の方は前例がないことだから、調整はあるだろう。だけどミレニア姫、君はすでに両国の聖女に認定されている。それを理由にして交渉すれば……!」

「……できるでしょうか?」

「もし出来たら、俺の愛を受け入れてくれるか?」

「……ええ。私は、あなたと将来をともにしたい」


「……名前で、……ミレニアと呼んでもいいか?」

「ええ、もちろん。カインでん……」

 そう言いかけたところで、唇のほんの少し触れない程度の距離に人差し指を添えられて、静止された。

「……カインだ。カインと、呼んでほしい」

「……カイン」

 私は、改めて彼をそう呼んだ。羞恥に頬が熱を帯びる。


「行こう。……今なら、交渉相手が揃っている。両国の国王も、教皇も」

 私たちは視線を絡ませて頷き合う。


 彼が私に片手を差し出した。

 私は、その手に私の手を載せる。

 彼のリードに合わせて、私たちは並んでホールに戻ったのだった。

 そうして、両国の国王陛下と教皇猊下たちのいる上段付近に二人で歩いて行った。


「おお、ミレニア。今日の主役が姿を見せないと思ったら。全く。祝辞を述べたいものはいくらでもいるだろうに」

 お父様はワインに酔っているのか、顔があからんでいた。

 正直なところ、他国の方をお迎えしてのこういう公式の場ではあまり良いことではない。


「それよりも、お伝えしたい大切なことがあるのです」

 そう私が伝えてから、私とカインで顔を見合わせた。

 私たちはまだ、手を取り合っている。


「それは……。何か重要な話のようだな」

 私たちの様子に、ダルケンの国王陛下が、何かを察したかのように顎に手を添えて、話を聞く体制になった。


「我々も、拝聴した方が宜しいようですね」

 教皇猊下たちが顔を見合わせて頷いている。


 私はカインに視線を送る。

 すると、「俺が言う」とばかりに頷いた。そんな彼の表情は頼もしかった。

「さっきのことを、言ってもいいか?」

「はい」

 私たちは、手を取り合ったまま、並んで一歩前に進んだ。


「私たちは、正式に婚約し、将来ダルケンの王と王妃として支え合って生きたいと思っています」

 カインがそう宣言すると、それがお互いの合意のものであると伝えるために、私たちは顔を見合わせて頷いた。


「おお……!」

 もともとこの婚約話に積極的だったダルケンの国王陛下が喜色を浮かべる。

 教皇猊下たちは、互いに顔を見合わせて、頷いている。

 ただし、お父様だけが、口を下向きに曲げて、ワインで赤かった顔をさらに赤くする。


 おそらく、怒りで。


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