第19話 ミレニアと聖騎士ルーク②

 礼拝堂の素晴らしさに魅入られたようにぼうっとしていると、遠くから声をかけられた。よくとおるその声が、礼拝堂内に響き渡る。

「ようこそ、ミレニア姫」


 礼拝堂の一番奥の上段に、教会の最高位の衣を纏った年配の男性が立っていた。

「教皇猊下です」

 ルークがそっと耳打ちして教えてくれる。


 私はルークにエスコートされて、猊下のもとへと歩いていく。そうして、彼の目の前へ辿り着くと、上段にいた彼が一歩降りてきた。

「お初にお目にかかります。この度は、教会で奉仕をしたいという願いをお許しくださったことに、感謝いたします」

 私は猊下の前で、ドレスの端を摘んでカーテシーをする。


「これは……まだ幼いのに、礼節も既に完璧とは」

 私の礼を受けて、猊下が驚いた表情を隠さずに、片手を胸に当てて頭を下げた。

 私たちは、ひとまず最初の礼を終え、目線を合わせる。


「ミレニア姫は、治癒魔法をお使いになることができると聞いております。我々は、治癒を求めるものにそれを施す役目を持っております。その一助を担いたいとのお申し出には、感謝の念にえません」

 教皇猊下が、穏やかな笑みを浮かべる。深く刻まれたその皺が、微笑むと口元や目元に寄せられる。


「そう言っていただき、嬉しく思います。……そうでした。猊下、まだ私は基本回復ヒールしか使えません。そして使えるようになってまだ日は浅く、深傷の方の傷を癒すことはできないのです」


 そう。私は、一般的な病や多少の切り傷などは回復できるようになったものの、まだ重症の病人や、内臓損傷にまで至る重傷者までは治せないのだ。

 やはり、そこは繰り返すことで経験を積むしかないのだとフィレスには言われていた。


「いえいえ。それでも充分ありがたいのです。一般的な病や怪我というものの回復を求めるものは数多くいます。けれど、術者が一日に使える魔力は限られている。ですから、姫様が一人ご協力くださるだけで、救える人の数が増すのですよ」

 そう言ってもらえて、私はほっと安堵した。


 ……今の私でも、人の役に立てるのね。


 私の胸は、希望に湧く。

 そして、私の斜め後ろに控えるルークが、私たち二人の会話を微笑ましそうに見守っていた。


 ◆


 教皇猊下と話をしたあと、早速その日から、私は治療をすることになった。

 初日から疲れさせてはいけないと気を配ってくださって、同じく治癒魔法を使えるシスターと交代しながら治療を行なっている。


基本回復ヒール

 目の前の怪我人に手をかざして、魔法を使う。

 すると、大きな切り傷が刻まれた腕が、何事もなかったかのように綺麗に癒えていった。


「あ……ありがとうございます!」

 剣の訓練で、本物の剣を使って訓練をしたら、誤って本当に斬られてしまったと運ばれてきた、いかにも貴族といった身なりの若者が、私に感謝の言葉を伝えた。


 彼は、私に一礼をする。そして、私とフォローしてくれるシスターの傍で控えている、お布施を管理する司祭のもとへ行って、布に隠した貨幣を渡し、帰っていった。


 治癒を与える相手は貴族ばかりではなかった。

 何度か治療を続けてきた私の前に現れた相手は、流感に罹ってしまったという私と同じ年頃くらいの少年だった。母親が彼を連れてきたらしく、心配そうに我が子を見ながら、彼の肩を抱いていた。


「どうか……! お願いします!」

「大丈夫」

 何人かの患者たちを無事に癒してこられて、少し自信がついてきた私は、懇願する母親を安心させたいと思って、微笑んだ。

「コホ……あ、綺麗……」

 胸を押さえて苦しそうにしていた少年が、顔を上げて私を見て、呟いた。


「こら! 失礼な!」

 母親が子供を叱った。

 私が質素ではあるけれど、質は良いドレスを身に纏っているから、恐縮したのだろうか。

 私は、「構いません、大丈夫」そう言って、首を横に振った。


基本回復ヒール

 私が、少年の額に手をかざして唱える。

「コホン、コホ……あれ?」

 少年が不思議そうな顔をして自分の胸を手で押さえた。

「母さん。……苦しくないよ」

 彼は寄り添う母親の方に顔を向けて、訴えた。

「……マルク……!」

 母親は、少年を腕の中に掻き抱いて、涙をこぼした。


 そうして、その親子もお布施を払って帰途についた。

 一応、お布施は最低限の目安というものを教会側から示しているらしい。

 だから、貧しい庶民なら、そのギリギリの金額を、貴族ならば、それに加えて身分相応の額を足した金額を払っていくのだという。


 神に仕えるものが金を取るのかとは言っても、世の中理想だけでは成り立たない。

 お布施は教会に勤めるものたちを養い、教会そのものの維持に使われる。そしてさらに、貧しいものたちのためへ、パンを配るなどの施しをするために使われるのだ。


 私はそう理解していた。

 けれど、その当時の私は、お布施すら払えないものたちがどうしているのかなど、知るよしもなかったのである。

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