第8話 ミレニアと、宰相にして賢者フィレス②
彼は常に微笑みを絶やさない。
ある意味、表情を読み取れないタイプの人間である。
過去の私は、一度たりとも彼の真意というものを感じ取れたことはなかった。個人的に交流した記憶もない。
まあ、もちろん、私が他者への興味がなかったからということもあるけれど。
……自分からこの部屋を訪れたことがあったかしら?
そう思うくらい、接点はなかった。
「立ち話もなんです。こちらへどうぞ」
そう言って、フィレスがソファとテーブルの置かれた場所を手で指し示した。
「ありがとう、フィレス。お言葉に甘えさせていただいて、座らせていただくわ」
私とフィレスは、向かい合いに腰を下ろすのだった。
「それにしても、姫が私を訪ねてくださるなど思いもよりませんでした。足をお運びいただいたのは、どういったご用件でしょう?」
もともと笑みを描いていた唇が、さらに上がる。
私が来たという事実自体に、興味をひかれているのだろうか?
……確かに彼のいうとおり、六歳の小娘の私が、宰相のもとを訪ねるなんて、あまりなさそうよね。
私は、彼の言葉に心の中で同意する。
とはいっても、私は目的があって彼を訪ねて来たのだ。
早々に口火を切ってしまおう。
「フィレス、あなたに魔法を教えていただきたいのです。私の師になっていただけないでしょうか」
私は、駆け引きは抜きに、率直に申し入れることにした。
「私に、魔法を? 適任者は他にいくらでもいるでしょうに」
フィレスが、訊ね返してきた。
一瞬、彼の言葉に、「確かに彼のいうとおりではないか」という迷いが生まれた。けれど、即座にそれを否定した。
「私は、賢者と名高いあなたに師事したいのです。もちろん、宰相であるあなたがお忙しいであろうことは承知しています。ですから、その政務の合間でもいいのです……!」
私は、殊更、「フィレスであること」を主張した。
「不思議だな。なんだか六歳の姫と話している気がしない」
くすり、と彼が含み笑いをする。その微笑みは色気というものを感じさせる、妖艶さがあった。
けれど私は、その色気ではなく、彼の指摘内容にドキリとする。
……やはり、六歳らしく振る舞った方が良かったのかしら?
私は、胸に手を押し当てて迷った。
相手は宰相。しかも、どれだけ生きているのか、知るものは誰もいない。
彼の容姿は二十代半ば頃で、その容姿は年を重ねても全く変わらないのだそうだ。
……相手が悪かったかしら。
私は、今度こそ生き延びたかった。
ならば、悪手を取ってしまったのならば、すぐにでも引き返して、なかったことにしたくなった。
急に彼が恐ろしく思えた。
「ごめんなさい、フィレス。私、あなたにあまりに不躾な申し入れを……」
そう言って立ち上がろうとすると、フィレスがそれを手で制止した。
「大丈夫だ、ミレニア姫。あなたの魔法の才は、私が見出し、そして陛下に進言した。ならば、あなたのその才能を伸ばすのも、私の責任、役目とも言えるだろう」
そう言って、首を横に振って立ち去る必要はないのだと伝えてくるフィレスの笑みは、先程のものとは質の違う柔らかなもので、私はほっと安堵する。
「じゃあ……!」
きっと私の表情には、胸に湧き上がる希望が出ているだろう。
「はい。師というほどではありませんが、あなたに魔法の手解きをいたしましょう」
フィレスが、柔和な笑みを浮かべて、私の要望に応えてくれた。
そうして、私はフィレスのもとで、魔法を学ぶことになったのだった。
◆
私には、未だかつて魔法というものを行使した記憶がない。
日を改めて、初めてフィレスとともに魔法を学び始めるその日、私の胸は期待と不安で交互に大きく揺れた。
「本当に、できるのかしら……」
私が今フィレスとともにいるのは、城の一角に設けられた魔法の練習場。
まるで闘技場のように円形の場所の端には、魔法を当てるためであろう的も設置されている。
フィレス曰く、ここには強力な魔法障壁が展開されているらしい。万が一誰かが魔法の威力や方向性を誤っても、障壁に阻まれて、その影響が外に漏れないのだそうだ。
その広い練習場には、私たちの他にも人がいて、魔法の訓練をしていた。
そして賢者とも称されるフィレスと、六歳の少女の私というのは珍しい組み合わせなのだろう。時折、チラチラとこちらを物珍しそうに眺める視線を感じた。
「大丈夫ですよ。あなたは過去に魔法を使ったこと……いや、違いますね」
フィレスが、まるで私が過去に魔法を使ったことがあるような物言いをして、即座に否定した。
彼は一瞬瞼を伏せて、言い直す。
「あなたは、過去に類い稀な魔力を漏らしたことがあります。私はそれに気がついていた。だから、あなたには魔法の才があると進言したのです」
フィレスが、彼よりも遥かに背の低い私を見下ろして、微笑んだのだった。
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