第7話 ミレニアと、宰相にして賢者フィレス①

 私とお兄様は、距離感がありつつも、兄妹としてともに学ぶという関係性を構築することができた。

 図書館でともに過ごす時間は、必ずしも会話をしているわけでもなく、黙々とそれぞれの課題をこなしていることもある。

 けれど、過去の四回の、いずれとも違う距離感だな、と私は感じていた。


 そんなある日、私はお兄様に相談してみたのだ。

「ねえ、エドワルドお兄様」

「どうした?」

「私は、お父様ともお近づきになりたいのだけれど、どうしたらいいのかしら?」

 そう尋ねると、なぜかお兄様は渋い顔をした。


 ……何か、気に障ったのかしら?


 もしかしたら、まだこういう質問をするのには早すぎたのか。

 私は若干の不安を抱きながらも、顰めた顔で逡巡するお兄様を見守った。


「……まだ、少し早いんじゃないかな」

 ようやく口を開いたお兄様から発せられたのは、その言葉だった。


 ……父親を取られるかもしれないという、子供の嫉妬心でもあるのかしら?


 ちょっとお兄様らしくないと思いながらも、私はそう考えた。

 それに、私に必要なのは、時に私を庇護してくれる人。

 そう考えたら、お父様はあまり積極的になる必要はないのかもしれない。

 そもそも私を引き取ってくれた国王陛下は、私に優しかった。


「ところで」

 まるで、話題を変えたいかのように、お兄様が口にする。

 なぜそう思うのかというと、お兄様から私に何か話題を振ると言うことが、珍しかったからだ。


「なあに? エドワルドお兄様」

 私は傾聴しているのだと伝わるように、少し首を傾けて見せた。


「君は魔法の練習はしないのか?」

 お兄様はまだ私のことを、妹とも呼ばず、名でも呼ばない。

 けれど、『お前』というきつい呼び方から、『君』に変わっていた。


「……魔法」

 お兄様からの思いがけない問いかけに、私は復唱した。


「どうしてそんなに不思議そうな顔をする? 君はそもそもフィレスの『魔法の才がある』という進言もあって、王家に引き取られたんだろう? 才能があると言われているのに、それを伸ばさないのは勿体ないじゃないか」

 お兄様が珍しく饒舌に語る。

 確かに、そういわれてみればそうだ。


 けれど、今までの生の中で、積極的に魔法を学ぼうとしたことはなかった。

 引き取られて早々に婚約話が上がってきたのもその一因だ。他国に嫁がせる娘に必要なのは、魔法の教育ではなく王妃教育だと判断された。

 一時期魔法を教えるための家庭教師がついたものの、最終的に私の時間は、王妃教育のために費やされたのだ。


「魔法……、そう、ね」

 私は、もう一度その単語を復唱して思案する。

 私には、魔法の才能があるらしい。

 それを伸ばして、国に貢献できる、国になくてはならない人物になれたとしたらどうだろう?


 そうしたら、安易に「婚約させればいい」などという声は上がらないかもしれないし、婚約話を取り消そうと思う者だって現れるかもしれない。


「お兄様、ありがとう」

 私は、多分今までで一番の笑顔をお兄様に送った。それはまだ、少しぎこちないのかもしれないけれど。

「ミレ……ニア?」

 お兄様が、私の顔を見て、驚いたように目を見開いた。


「確かに、才能があるのに努力をしないのは、勿体ないと思います。……そして、私はエドワルドお兄様の妹として、相応しいよう、お兄様のように努力できる人間でありたいわ」

 彼は、かつて断頭台に送られる私を見捨てたという、義理の兄でしかなかった人。けれど、将来の王になるためにと真剣に学ぶ彼の横顔は、誠実そのもので、その瞳は聡明だった。


 私は、お兄様の勧めを受けて、魔法の勉強をすることを決意した。

 ならば、師には最高の人を求めたい。

 そう思って、ある人を思い浮かべる。


 ちなみに、当然お兄様との勉強も両立するつもりである。


 ◆


 翌日、私は宰相であるフィレスの執務室まで出向いた。

 入り口を警備する兵が、私を認めて、彼が在室中だと教えてくれる。


「ミレニアです。フィレスは、いるかしら?」

 私は、名を名乗りながら、その部屋のドアをノックした。


「ミレニア姫。ちょうど手が空いたところです。どうぞお入りください」

 ドア向こうから返事が聞こえたのを確認した兵が、そのドアを開けて、入室を促してくれる。

 私は、部屋に足を踏み入れた。



「初めまして、ミレニア姫」

 緩いローブを纏う男性が一人、部屋の中にいた。

 髪も瞳も、まるで夜の深淵の闇を思い起こすかのような、濃い紺色をしている。

 そして、赤く薄い唇が弧を描いている。


 宰相、あるいは賢者フィレス。

 私は、今世で初めて彼と出会ったのだった。

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