第6話 王太子エドワルドの思い

 僕はミレニアが嫌いだった。

 正確には、彼女の生母であるエレナが嫌いだ。


 僕の母は、ユーストリア王の王妃リリアナ。僕は彼女のたった一人の子供だ。

 父には他に夫人も愛妾もいない。

 けれど、母曰く、父と母の間にも愛情はなかったらしい。

 正確には、母は父を愛していたけれど、父の愛は彼女に注がれることはついぞなかったそうだ。


 僕は、物心ついた頃には、すでに母の叶わぬ恋の怨嗟の言葉を浴びせ続けられていた。

 それは、妻を顧みない父への思いと、彼の心を奪った女への恨み。

 僕が理解できるできないに関わらず、それを聞かされて育ったのだ。


 父は母とは王族の義務としての結婚をし、そして僕が生まれた。

 跡継ぎができた途端、義務は終わったとばかりに、母の元へ通うことはなくなったそうだ。

 母は父の訪れをずっと待っていたけれど。


 僕が初めて出席を許された舞踏会の夜のこと。

 広いホールは、着飾った貴族たちで溢れかえっていた。

 ホールはいくつものシャンデリアが天井から吊るされていて、シャンデリアに灯された灯りがクリスタルに反射して七色に煌めき、夜なのに世界は真昼のようだった。


 僕は、そんな煌びやかな光景に興奮した。


 けれど、そんな初めての夜、僕は目を疑う光景を目の当たりにしたのだ。

 父と母が踊っていた楽曲が終わった途端、そそくさと父が、別の女性の元へと移動する。

 その女性は、蜂蜜色の美しい髪と、菫色の瞳を持った、美しいひとだった。


 程なくして、再びホールにワルツの演奏が流れ出した。

 父の片手は作法どおりに女性の片手と重ねられた。けれど、本来背に添えられるはずの手は、その女性の腰のラインをしっかりと捉え、さらに父は彼女の体を自分の方へと引き寄せていた。

 女性は、二人で作った輪の外の誰かに助けを求めるかのような、困ったような視線をチラチラと向けていた。


 顔を顰めた母が、僕の元へやってきた。

 そして言ったのだ。

「あれが、女だ」と。


 彼女はエレナ・フォン・オズモンド。

 オズモンド公爵家に降嫁した、父の実の妹であると聞かされた。


 そう。父は、母と婚約したとき(もしくはそれ以前)から、叶わぬ恋に身を焦がしていたのだ。

 その相手が、父の実の妹であり、ミレニアの母であるエレナだった。


 そしてまた日が過ぎたあと、オズモンド公爵(当時は嫡子)と彼の夫人のエレナが、娘を連れて城にやってきたのだ。父がエレナを招き、夫と共になら、とエレナが承知したらしい。


 親族として、僕も父とともに顔合わせをした。

 母は頑なに拒み、その場にはいなかった。

 僕は驚いた。

 娘であると紹介された、その娘、ミレニアが、エレナに瓜二つだったのだ。


 もちろんミレニアはまだ幼く、瓜二つといっても、女としての容姿は持っていない。

 けれど、ふわふわと波打つ蜂蜜色の金の髪と、柔らかな菫色の瞳は、母子そっくりだった。


 僕は、その時から、母から受け継いだエレナをいとう心を、彼女とそっくりなミレニアにも向けるようになった。


 この国には、フィレスという男がいる。歳を取らずいつからいるともしれないと言われ、代々の王に宰相として仕え、補佐してきた男だ。

 彼は魔法にも長けているので、賢者とも称されている。

 国への貢献と実力を以って、彼はこの国の宰相として代々の国王を支えていた。


 僕は、顔合わせの翌日、フィレスのもとを訪ね、そして、父とエレナのことを尋ねた。

「父は、母の言うとおり、あの女いもうとと通じているのか」と。

 長く生き、王家のそばにいる彼であれば、その真実を知っているのではないかと思ったのだ。


 歳のわりにませていると思うだろうか?

 けれど僕は、男と女の話を、物心ついた頃から母から聞かされ続けていた。

 そんな話は、僕にとってはなんてことない話題だったのだ。


 フィレスは、僕の問いに首を横に振って答えた。

「オズモンド公爵家の嫡子とエレナ様は、幼馴染であり、当時から心を寄せ合っていた仲です。そのようなことはないでしょう」

 彼は、そう付け加えた。


 僕の杞憂は杞憂に終わった。

 けれど、母の言葉は呪いのように僕の心におりのごとく沈んで溜まり込んでいて、エレナとミレニアへの嫌悪が消えることはなかったのだ。


 やがて、ミレニアの父母が馬車事故で揃って亡くなり、父が「妹の遺児であるミレニアを娘として引き取る」と言い出した。

 フィレスが、ミレニアに魔法の才がある、と進言したのも、後押しとなった。

 その頃には、僕の母も鬼籍の人だったから、障害もあまりなかったらしい。

 僕は、そんなミレニアを黙視することに決めていた。


 けれど。

「私はお兄様がお勉強なさっていることを、知りたいです。私には兄弟姉妹がいません。初めてのお兄様なんです。一緒に、いたいのです。……私には、お父様とお兄様の他に誰も家族がいないのですから」

 そう、寂しそうに訴える彼女の表情には、嘘偽りがないように思えた。

 一緒に学びたいと彼女が持ち込んだ本を抱きしめる手が、小さく震えていた。

 だから、冷静に実の父母を失ったばかりの彼女の状況を考えれば、まだ幼い彼女が寂しいと思うのは当たり前だろうと理解したのだ。


 そうして僕は、「隣に座るといい」そう言って、僕の隣の椅子を引いたのだった。

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