第5話 ミレニアと、王太子エドワルド③
「お兄様……エドワルド様ですね?」
マリアが私に問いかけてくる。私はそれを肯定して縦に頷いた。
「そう。確かに私は王家に引き取られる前に、お兄様にお会いしたことはあったわ」
私が語り出すと、マリアは先を促すかのように相槌を打ってくれた。
「でも、何かお兄様に対して粗相をするというほど、親しく接したこともなかったのよ」
「……でしたら、ああいった態度をされるというのは、姫様からしたら驚きですよね」
「そうなのよ」
私は、マリアの言葉に頷いて、ティーカップに口をつけた。
「……それにしても、姫様は六歳というお年なのに、とてもお話が上手でいらっしゃいますね」
「えっ」
そこを指摘されて動揺した私は、手にしていたティーカップを傾けそうになり、なんとか中のお茶をこぼさずに踏みとどまった。
……確かに私はまだ六歳。過去に学んだ所作や会話術のせいで、何か怪しまれてしまったかしら。
私は、この五回目の生を失敗したくはない。
だから私は、ティーカップをソーサーの上に戻しながら、マリアの真意を探るべく、ちらりと彼女の顔を伺った。
そんなマリアからは、私を疑うとか、そういった類のものは見て取れなかった。
「侍女に過ぎない私が語るのもなんですが、姫様はとても賢くていらっしゃると思いまして」
にこりと笑うマリアの瞳には、まるで私を尊敬しているとでもいうような情熱が感じられた。その瞳がキラキラと輝いて見えたのだ。
「そ、そうかしら……」
私はまだ心に少し動揺が残っていて、ぎこちなく笑う。
「そうですよ! 先程の図書館での件もそうです」
「図書館の件……」
私は首を傾けて、あの時の光景を思い出そうとした。
「そうです。三つも年上のエドワルド殿下が悩んでいる問題に、まだ六つの姫様が手を差し伸べることがお出来になるなんて!」
その言葉を聞いて、私はようやく納得がいった。
「それに、とても気配りに長けた方でいらっしゃいます」
「そうかしら?」
それに対しては、私は疑問を持った。
私はもともと人に気を配るような人間じゃない。むしろ、心を凍らせて生きてきて、誰にも興味など持たなかったのだ。
好意的な言葉を受け取っても、それを鵜呑みにすることが出来なかった。
多分今の私はとても訝しげな顔をしているだろう。
そんな私を見て、マリアが彼女の胸に片手を添えた。
「姫様は、まだ家族になって間もないお兄様と打ち解けたいと自ら歩み寄られ、手助けなさろうとされました。私についてもそうです。侍女に過ぎない私に、一人の人間として名を呼んでくださり、そして、こうして向かい座り、語らうことを許してくださいます」
そんなマリアの言葉は誠実そのもので、欠片ほども嘘はないように思えた。
マリアは、多分、主人としての私に好意を抱き始めてくれているのだろう。
そう思うと、私の口元が自然と緩み、そして胸が温かくなるのを感じた。
「マリア、ありがとう」
私の口から出たのは、そんな短い言葉だけだった。
感極まって、それしか言葉が思いつかなかったのだ。
そうして私たちは微笑みあってから、二人でお茶を飲む。
そして、会話の話題はお兄様だけでなく、マリア自身にも向けられる。
マリアは子爵家の三女で、行儀見習いも兼ねて城勤めをしているのだそうだ。どうりで、義理とはいえ姫である私専属の侍女になったわけである。
そして、話していて感心したのは、彼女自身の頭の回転の良さと、礼儀作法がきちんと身についていることだ。
マリアは、この時を契機に、次第に私の信頼できる人となっていくのだった。
◆
「そういえば、姫様のご相談は、エドワルド殿下のことでしたね」
「ええ。せっかくご縁があって兄妹になれたのだもの。どうせなら仲良くしたいわ」
マリアが席を立ち、長話になって空になってしまったカップにポットからお茶を注いでくれた。それが済むと、彼女は再び腰を下ろした。
「エドワルド殿下は、国王陛下のたったお一人のお子様で、王太子殿下であるということを認識されているのでしょうか。とても真面目な方です。今日のように、家庭教師がいない時間も図書室で自ら勉強なさることも多いです」
「そうなのね」
「ですから、今日のように殿下がお勉強されているときに、その手助けをなさってはいかがでしょう。ああ、いいえ。そうですね、一緒にお勉強をしたいとか、教えていただきたい、とお願いするのが良いかもしれません」
「教えて、いただきたい……?」
さっき私は、お兄様が悩んでいることに対して、解を与えた側だ。
なのに、なぜその私が教えを乞うのだろう?
私は、マリアの提案の意図が読めずに、黙って首を傾げた。
「殿下は姫様の三つ年上、そして将来この国の国王となられる男性です」
それを聞いて、「ああ、そうか」と腑に落ちた。
「私がお兄様よりも優れているとか、まして『教えてあげる』なんて態度は良くないわね」
「ええ」
◆
そうしてひと月ほどが経った。
翌日というのはしつこいと思われるかもしれないと言うマリアの助言もあって、日を置いてから私は図書館で一人で勉強をしているお兄様のもとへ、度々再び訪ねていった。
「お兄様」
「何か用?」
お兄様は私に顔も向けずに返事をした。
「お兄様に、この国のことを教えていただきたいのです」
「……この国のこと?」
私は、腕に抱えて持ってきた本をお兄様に見せた。
それは、『統治』に関する本。
それは、王妃になればよかった私が学ばなかったものだ。
「王妃は王に従えば良い。統治や帝王学といったものは、王妃教育には必要ない」と言われて、教育内容には含まれていなかった。
けれど、王太子であるお兄様なら、学んでいるだろう。
そして、私はそれを知らない。
知っているものを知らないフリをして教えて欲しいと乞うても、そのうちボロが出るだろうと思ったのだ。
「お前は女だ。なぜこれを学びたいと……思ったんだ?」
訝しげな顔をして、お兄様が私に尋ねた。
「確かに私は女です。ゆくゆくは他家へ嫁がされる身でしょう」
「……」
「ですが、将来私が嫁ぐ方の支えになれるように、殿方が学ぶことも学んでみたいのです」
お兄様が驚いたように目を見開いた。
「……それに、私はお兄様がお勉強なさっていることを、知りたいです。私には兄弟姉妹がいません。初めてのお兄様なんです。一緒に、いたいのです。……私には、お父様とお兄様の他に誰も家族がいないのですから」
「……ミレニア」
最後に、私の身の寂しさを伝えると、お兄様が私の名を初めて呼んで、息を呑んだ。
寂しい、人と一緒にいたい。
それは、嘘偽りのない本心だった。
「隣に座るといいよ」
お兄様がそう言って、彼の隣の椅子をひいてくれた。
「……ありがとう、お兄様!」
そうして、私はようやくお兄様との距離を縮める、そのスタートラインに立てたのだった。
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