第3話 ミレニアと、王太子エドワルド①

 私はその日、私の住まいである王城にある、図書館へ向かうことにした。

 マリアに、「家庭教師がくる時間以外は図書館で勉強していることが多い」と、兄のことについて教えてもらったからだ。

 ちなみに、お父様は朝食後は政務に入り、昼食で一休みはするものの、夕方になるまでは空かないだろうと教えてくれた。


 ここで、なぜ一侍女にすぎないマリアがそこまで彼らの行動を知っているのだろうと思うかもしれない。

 彼女は、私付きになる前に、お父様、お兄様の侍女(ただし補佐)として見習いをしてきた身なのだそうだ。


 私は一人で朝食を済ませてから、マリアと二人、図書館へ向かっていた。

 ここの王家は家族揃って食事をするということはない。

 事情はわからないのだけれど。


 まあ、死に戻って五回目なのに、兄の行動すら把握していなかったというのは、いかに今まで引き取ってもらった家に対して興味もなかったのかと、自分でも呆れてしまう。


 とはいえ、今までは死に戻るたびに自分のことばかりを考え、そしてやってくる未来に絶望してばかりだったからなので、仕方がないとでも思っていただきたい。


 私付きのマリアは、「まだ城にこられたばかりで、迷ってしまうかもしれません」と案内を申し出てくれて、私はその言葉に素直に甘えることにした。


 実をいえば五回目だから、城の主要な場所など覚えてはいる。けれど、はまだ城に引き取られたばかり。案内をいらないと言ったら、それはそれで辻褄が合わないだろうと思ったのもあった。


「……マリア、ありがとう」

 申し出に甘えてみると、マリアが嬉しそうにしたのには驚いた。


 ……他人って、頼っても良いものだったのね。


 というか、頼られて嬉しいという感情を持ってもらえるものなのね。

 それは、五回目の生で、初めて知った。


 そうして歩いていると、渡り廊下を隔てた向こうに、王城に設けられた図書館が現れる。

 石造りの頑丈な建物で、大人の身長よりもずっと高く、大きな扉が入り口だ。


 その扉の片方を押して、マリアが「どうぞ」と私に中へ入るように促してくれた。

「ありがとう、

 すると、すれ違いざまに、マリアが目を細めたのが目に止まった。


 ……マリアは、名前を呼ぶと嬉しそうだわ。


 私は彼女という人について、一つ学習するのだった。


 マリアが開けてくれた扉をくぐり抜けて、私は図書館に足を踏み入れた。

 図書館は広かった。けれど、見慣れた、というほどではない。


 石造りの頑丈で広い建物の中に、ずらりと書架が並ぶ。確か、奥には厳重に施錠された部屋があって、その中には希少かつ機密事項か記された貴重な書物が納められているはずだ。


 図書館には窓がない。日の光は本を痛めるからかもしれない。

 その、日の光の代わりに館内を照らすのは、魔導式のカンテラ。要は実際の火を使っていない、光源だけを与える魔道具である。

 一定間隔を置いて壁に設置されているものと、閲覧用に置かれているテーブルの上に置かれたものがある。


 図書館の中では静かに、というのは、共通の認識であると思う。

 だから、私は足音をあまりたてないように館内を歩いて回った。

 探しているのは、もちろんエドワルドお兄様だ。


 薄暗い館内で探していると、お兄様が閲覧用のテーブルに二冊の本とノートらしきものを開いて、腰掛けているのを発見した。


 私はそっと近づいていって、お兄様の傍に立った。

 彼は私よりも三つ年上で、今は九歳のはずだ。


「……お兄様」

 図書館の中だから、私は静かに彼に声をかけたけれど、彼は私を一瞥するだけで、すぐに視線を机に戻してしまった。


 ……これは、辞書ね。


 私は机の上に広げられた二冊の本に視線をやって、その本のうち一冊がユーストリア語からダルケン語に訳すための辞書だというのに気が付いた。


 まだ六歳である私がなぜそれを瞬時に判断できるかというのは、想像に容易いわよね?

 だって、私は六歳に戻ったとしても、一回目からの記憶を全て覚えている。だったら、過去に未来の王妃になるために施された教育も覚えて当然でしょう?


 けれど、お兄様は正真正銘の九歳。

 記憶を持ってリスタートしているのは、知っている限り、私だけだ。

 お兄様は、母国語をマスターした後に、隣国の異なる言葉を学べと言われても、そう簡単にいかないようだった。

 彼はペンを握ってはいるものの、そのペンはなかなか書き進まない。


「……お兄様、その言葉は、『税』です」

 私は、『税』という言葉を、ダルケン語で伝えた。

 お兄様は、私の方に顔を向けて、大きく目を見開いた。

 私の付き添いできたマリアも、声を出さないものの、口をぽかんと開けている。


 お兄様のノートには、ユーストリア語とダルケン語が並んでいる。

 そして、お兄様がこれから書こうとする場所には、ユーストリア語の『税』と書かれ、その横に空欄があった。

 お兄様は、そこに何かを書こうとしている。

 そこから推測すれば、お兄様は多分、ダルケン語の『税』という単語が出てこずに悩んでいるのだろうと、おおよそ気がつくというものだ。


 お兄様は、まだ私を凝視していた。

「……お前は、その年でダルケン語をマスターしているのか?」

 少し棘のある声で問われた。

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