第2話 ミレニアと、侍女マリア
そう、私自身が変わればいいのだ。
ただ見かけの良いだけの女、政治の駒ではなく、この国になければならない人間になればいい。
私は、四回目まではそうだった。
ならば、私自身の
その妙案とも思えるものに、自然と笑みが浮かぶ。
……婚約が決まるまでには、あと七年。
私は六歳で王家に引き取られ、程なくして婚約話が浮上する。
なぜだか知らないけれど、ダルケン王国の要請から始まるこの婚約話はなかなか決まらず、十三歳で婚約が決まる。
そして、十五歳で結婚し、十七歳で断頭台へ送られるのだ。
要は、そのタイムリミットまでに庇護者を得ることだ。
その対象は、国でも力のある個人でもいい。
この容姿なら、有力な誰かの最愛になることは容易いかもしれない。
それは、今まで私が一度も経験したことのなかったこと。
この案は、自分自身にとても魅力的に思えた。
五回目の、今までに思いつかなかった案に満足して鏡に向かって笑いかけた。すると、コンコンと部屋のドアをノックする音がした。
「誰?」
尋ねると、ドア向こうから女の声がした。
「侍女のマリアでございます。今日から姫様のお世話をおおせつかっております。朝のお支度のためにまいりました」
時計を見ると、確かに侍女がやってくる時間になっていた。
「入ってちょうだい」
私はドアの向こうの侍女に許可を出した。
「失礼します」
彼女は、車輪のついた小さなテーブルに水の入ったボウルとタオル、木製の歯ブラシなどを載せて部屋に入ってくる。
彼女の所作は事務的だ。
「姫様。朝のお支度をお願いします」
そう言って、持ってきたテーブルを私の横に置いた。
私は、体の向きを、鏡台から、そのテーブルへと変える。
用意された水で顔を清める。次に、歯ブラシで歯を磨き、口をゆすいで水を吐き出す。用意されたタオルで口元を拭った。
「ねえ、あなた。服を見せてくれないかしら」
「はい。では、お着替えとお髪を整えましょう」
私は、過去の四回も、今も、侍女などの仕えるものたちを名前で呼ぶことはない。
侍女はそれを当然のことと受け止める。
そんな彼女促されて、クローゼットの前に二人で歩いていく。彼女が観音開きのクローゼットを開けて、中の衣類を見せてくれた。
そこには、瞳の色に合わせた菫色を筆頭に、淡い水色、ピンクと色とりどりのドレスが吊るされていた。
「この、フリルもリボンも贅沢にあしらった菫色のドレスはいかがでしょう。きっと姫の瞳の美しさを引き立ててくれるでしょう」
どれにしようかと迷っていると、侍女が救いの手を差し伸べてくれた。
「どうしようかしら。折角勧めてくれたのだけれど、今日何をしたいかにもよるのよね」
その勧めてくれたドレスは、とても贅沢にあしらわれたもので、お人形のようにじっとしているのなら良いのだろうが、何か行動するのには何かと気を使いそうなほど繊細だった。
ドレスを選んでいると、隣に並ぶ侍女の姿が目について、ふと思いつく。
……彼女の名はなんというのかしら?
まあ、知っておかないと、彼女を指名したいときに困るな、とか、きっかけはそんな些細なものだった。
でも、一度思いつくと、確認したくなったのだ。
「えっと、……名前」
「え?」
侍女が、不思議そうな顔をした。
貴人はいちいち侍女一人の名前など覚えないことも、ままあるのだ。
過去の私もその類いだった。
だから、侍女は、自分の名を聞かれたのだと、気付きもしなかったらしい。
「あなたの名前よ。……ごめんなさい、さっき聞いた気がするのだけれど、覚えていなくて」
私が改めて尋ねると、侍女が驚いた様子で目を見開く。
「めめ、滅相もございません! しかも姫様に謝っていただくなど!」
侍女は大仰に両手を横に振って、そんな必要はないと訴えてきた。
「名前を知りたいのよ」
私は、彼女に訴えた。
「マリア、でございます……」
恐る恐るといった様子で侍女が名を名乗る。
「そう」
私は、彼女に名前を教えてもらって、ふんわりと微笑んだ。
私を見つめる侍女の表情が呆けたようになる。
「マリア、ありがとう。今日からよろしくね」
私から、友好的に接すると、マリアの表情が緩やかなものになってくる。
……人って、これだけでも変わるのね。
まるで氷のよう、と言われてきた四回目までの過去の私の有り様を、一瞬省みたい気持ちになった。
「わ、私こそ、よろしくお願いいたします……!」
マリアが、今までとうって変わって明るい笑顔を浮かべた。
私は、誰からも必要とされる人間になりたい。
ならば、まずは身近な人から。
身分を問わず、私に近しい人から、私から歩み寄るのも必要かもしれない。
そう、気が付いたのだ。
「ところで、今日の服なんだけれど……」
「そうでしたね。姫様は、今日何をなさるかによって、服を考えたいんでしたね」
「そうなのよ」
一度溶け出した氷は溶けるのが早いのと同じなのだろうか。私とマリアは、今までの過去のいつとも違って打ち解けた話し方ができるようになった。
……私、今までこんなに親しげに侍女と話したことがあったかしら?
それまでの記憶を感慨深く思い出す。
侍女と打ち解けられた(かもしれない)。
だったら、次は新しい家族。
私から歩み寄ったら、その関係性も変わるかもしれない。
過去の人生では、その終わりの時、お兄様が王位を継承していた。お父様がまだ若くして急逝したからだ。
冷たい家族関係(しかも養女)では、私が断罪されるその時も、積極的な抗議をしてもらえはしなかった。
もし、人との仲を改善できるとしたら、まずは家族じゃないかしら?
だって、私の後ろ盾になる人たちだもの。
ああ、思考が逸れてしまった。今はドレスを選ぶ話だったわね。
「……私、お父様とお母様を亡くしたでしょう?」
「……」
私がそう話を振ると、なんと答えて良いのか迷ったようで、マリアが黙ってしまった。
「でもね。国王陛下は私を引き取ってくださった。そして、一人っ子だった私に、新しいお兄様もできたのよ」
「……姫様」
私の今の考えは置いておいて、健気な素振りで理由を伝える。
もちろん、素振りだけではなく、仲良くできるなら、仲良くしたい。
一人寂しい境遇は、改めて考えてみると、悲しく思えたのだ。
すると、マリアが、私の言葉に、胸の前で両手を組んで目を潤ませていた。
「まずは、お父様とお兄様にお近づきになりたいの。感謝の気持ちを伝えたいのよ」
「まあ、姫様! ……でしたら、しばらくは華美すぎない、でも王家の一員として恥のない装いにしましょう」
そうして、最初勧められたドレスよりは装飾が少なめの、けれど、元の家で来ていた服よりは豪奢なちょうど良い程度のドレスに着替えさせてもらい、髪をまとめてもらったのだった。
私は、落ち着いた淡い水色のドレスを着付けてもらい、蜂蜜色の髪は両サイドを編み込みにして後頭部でリボンでまとめられている。リボンの色も、マリアの提案でドレスと揃いの色合いだ。
鏡の向こうで、マリアが丁寧に仕上げてくれた姿に満足して、思わず顔が綻んだ。
すると、鏡の中で私の横に写っているマリアも微笑んだ。
「本当に愛らしくてらっしゃる。お髪や瞳の色は勿論ですが、そうやって微笑まれていると、いっそう愛らしいですわ。きっと大きくなられたら殿方の心を掴んで離さなくなるでしょう」
……あれ。今まで彼女にこんなに褒めそやされたことってあったかしら?
しかも、マリアの顔は自然な笑顔であって、その言葉がおべっかとも思えなかったのだ。
少し首を傾けて逡巡したけれど、かつてマリアが私にそんな対応をしてくれた記憶はついぞ見つからなかった。
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