第22話:クッキー屋の社長、死力を尽くして準備する
バレンタインフェアへの出店を関係者全員で喜んだのもつかの間、ある問題が発生した。
『五月雨さん、今回は、無理かもです……』
催事関係のプロデュースも桐嶋君にお願いしていたが、CM制作の依頼が激増してスケジュールの確保ができないと連絡があった。
この流れは桐嶋君にとってもチャンスだ。
ぜひモノにして、大きく成長してほしい。
「連絡ありがとう。別の会社を検討するよ」
『うぅっ、オレがやりたかったぁ』
電話口から聞こえる涙声が子どもっぽくて少し笑えた。
そういえば桐嶋君ってまだ20代なんだよな。
さすがに子どもってほど若くもないけど、それでもまだ20代。
20歳も年下の子にずいぶんと頼りすぎてた。
別の会社を検討すると言ったものの、その候補がまったく思い浮かばない。
江里花に依頼しようかとも考えたが本業じゃないし、あいつも売れっ子デザイナーだから都合がつかないだろう。
今まで取引をしたことがない会社に、これまた社運をかけたイベントを任せるのは心許無い。
ダメ元であいつに依頼してみよう。
ということで、あせびの会社に来た。
「もちろんやります。やらせてください」
「いいのか?」
「いいに決まってるじゃないですか!やっとあなたのお役に立てるんですよ!この時をどれだけ待ちわびたか!」
両手で頬を持ち上げながら、その場でクルクル回ってる。
こんなに喜んでもらえるとは。
あせびは数年前から、美容関係の会社以外にイベント企画会社の経営も始めた。
知ってはいたが、依頼するのはこれが初めて。
「ブースの広さ見ましたけど、すごいですね。初出店でこんな大きさもらえるなんて。しかも液晶モニター付きですか」
猛プッシュするという言葉どおり、百貨店側はこれでもかと厚遇してくれた。
液晶モニターに流すのは当然、あのCMだ。
「ありがたい話だが、その広さが問題なんだ。ここ数年でクッキー缶以外にも商品は増やしてきたが、この広さは埋められない」
“ichigo”はクッキー缶で有名になったが、事業拡大と同時に焼き菓子全般へ幅を広げてきた。
しかし一つ一つの完成度を重視してきたため、年数のわりに商品点数はそれほど増えていない。
「うーん、別にそれは問題ないですよ?バレンタイン限定のパッケージを追加して、他の商品にもS・M・Lサイズを用意すれば、商品なんてすぐ増やせます」
たしかに、既存商品の横展開なら十分可能だ。
パッケージデザインなら江里花もスケジュールを確保してくれるだろう。
「それよりも他の、とくにパティシエさん達の嫉妬が怖いですね。大御所だけでも早いうちに挨拶周りしといた方がいいです」
そこまで考えが及ばなかった。さすが経営者の先輩だ。
あせびに言われたとおり、百貨店に許可を得てから出店が確定しているブランドへ挨拶しに行った。
会社同士の挨拶で終わるところもあれば、嫌味を言われたり、見下げた態度で対応してくるブランドもあった。
この話を、パッケージデザインの打ち合わせに来た江里花にする。
「まぁ、職人でもない素人の、しかも元極道のブランドが出店するだけでもムカつくのに、超好待遇までされてたら嫌味の一つや二つも言いたくなるよね」
「そう言われてみると、たしかにムカつくな」
「だからって周りに遠慮する必要はないよ。“ichigo”の名前を一気に広めるんでしょ?」
手渡されたデザインのラフ画を見る。
相変わらず、何一つ言うことはない。
「苺ちゃんなら、絶対にこの流れを逃さない」
「分かってる」
「がんばって。私もがんばる」
江里花の口から「頑張る」なんて言葉をはじめて聞いた。
“ichigo”のために全力を尽くしてくれるのか。
だったらオレは、死力を尽くそう。
絶対に成功させてみせる。
関係者との打ち合わせを繰り返し、全ての準備が終わったのはフェア当日の朝だった。
「遅くまでありがとう。あせび」
「何言ってるんですか。明日、いやもう今日か、今日からが本番ですよ。状況に合わせてセッティング変えていきますから」
売り子は全員ウチの社員で固めた。
彼女たちと逐一連絡を取りながら、商品や配置などを毎日細かく調整する。
「結局、桔梗さんはイベントに顔出さないんですよね」
「あぁ。百貨店側からは強く要望されたが断った」
“ichigo"からオレのイメージを消そうとしているのに、ここで顔を出したらすべてがパーだ。
「それを聞いて安心しました。桔梗さんのファンがこれ以上増えるとか冗談じゃない」
この手の話を否定すると熱弁されるのは経験済み。
あせびもきっと疲れているだろう。数時間だがさっさと休ませよう。
さぁて、一世一代の大勝負。
ここで勝たなきゃ男じゃない。
必ず、ぶっちぎりで、勝つ!
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