第18話:ムショ帰りの極道、残されたメッセージをたどる

 販売開始してからは、来る日も来る日もクッキーを焼き続けている。

 クッキーだけじゃない。発送までの全てを一人でやっている。


 てっきりあいつも手伝ってくれるとか思いきや「なんで?」と言われて終わった。


 作業の様子はずっと生配信している。

 購入者からは特に好評で、

[全部手作業なんだ][ちゃんとしてて安心した][届くの楽しみ!]

 とコメントしてくれる。


 届いた人達からの感想も上々で、想像と期待を超える美味しさだと評価されている。


 元の期待値が低かったおかげもあるが、使っている材料の力も大きい。

 人件費や広告費をかけていない分、材料費は平均の三倍以上かけている。

 値段をかけた分以上に美味くなると分かっているから、そこはケチらなかった。


 とにかく毎日毎日、一人でも多くの人に喜んでもらえるよう、心を込めてクッキーを焼き続けた。


 その結果、月商は200万を超えていた。


 さすがにバイトを続けられなくなり、桐嶋君がいなくなった翌月に俺も辞めた。

 辞める前に深夜帯の人員についてどうするのかをオーナーに聞いてみた。


「和蘭さんが同級生を2人紹介してくれたので大丈夫です」


 手際の良さに舌を巻いた。

 あいつに出来ないことなんて、この世に存在しないのかもしれない。



 出会ってから1年と数ヶ月。

 もうすぐ桜が咲く。

 

 「出ていくのか?」と聞けばいい。

 「出ていく」と言われたら見送ればいい。


 それだけのことなのに、どうしてもできない。

 

 進学するんだろうか。あの頭の良さならどこの大学でも受かりそうだ。

 それとも自分でビジネスを始めるんだろうか。会社を立ち上げたら数年で上場させそうだ。


 あせびよりも、桐嶋君よりも、六代目よりも、誰よりもあいつは才能に溢れている。


 1年と数ヶ月で知ったことはそれだけだ。

 結局本当に俺の娘なのかも分からない。

 調べる手段はいくらでもあるが、どれも使わなかった。

 あいつがいて当たり前の日常を壊したくなかった。


 一緒に食事をしたこともないし、笑い合ったことすらない。

 だけど「おかえり」と「ただいま」を言う毎日は特別だった。


 そんな日常も終わる時がくる。

 いつなのか分からないから、ずっと心の準備はしていた。


 例えそれが、今日だったとしても––


「ただいま」


 真っ暗な部屋が出迎える。

 「おかえり」の声が聞こえない。

 

 電気を点ける。

 

 部屋の隅に置いてあったリュックがない。

 残っていたのは、小さな段ボール箱が1つ。


 中にはノートパソコン1台、スマートフォン2台、三脚2台、事業に関する書類、通帳が入っている。

 事業に関する全ての権利は俺名義になっていて、口座には約1,000万円が入っていた。


「ノートパソコンとスマートフォンは桐嶋君に渡す?なんで?」


 手にした紙には桐嶋君の連絡先が書いてあった。

 

 とりあえず電話をかけてみる。


『五月雨さんだ!本当にかかってきた!』


 電話に出た桐嶋君は驚いているというより喜んでいる。


『ということは、もう苺ちゃんは出て行ったんっスね』

「君は知っていたのか?」

『日にちまでは知らんかったっス』


 そうか、彼氏には話していたのか。


「ノートパソコンとスマートフォンを君に渡せとあるが?」

『そうそう!これからはオレが五月雨さんのSNSを運用します!』


 話が見えてこない。

 困惑の上に混乱も重なって、もう頭の中はぐちゃぐちゃだ。


『苺ちゃんから、進学の都合で家を離れるから父親の代わりに運用してほしい、って頭を下げられたんです』


 頭を下げた?あいつが?下げる頭を持っていたのか?

 

『オレもちょうどそんな感じの会社を立ち上げようと思ってたし、何よりオレ、五月雨さんのこと好きだから即オッケーしちゃいました!』


 だからあの時、忙しくなりそうだと言っていたのか。


『あの、俺が担当者でも、大丈夫ですか?』

「君が担当なら心強いよ。ありがとう」


 桐嶋君なら大丈夫。

 実績もあるし、何よりあいつが頭を下げてまで頼んだ相手だ。

 不安なことは一つもない。


 ただ、これだけは確認しておきたかった。


「あいつとは、別れたのか?」

『別れる?えっ、付き合ってないっスよ?』

「そっ、そうなのか?てっきり付き合ってるから食事に行ったのかと」

『なんスかその方程式!ウケる!』


 爆笑している。笑いすぎてヒーヒー言っている。

 そんなにか?そんなに面白いか?


『さっきの件について話してただけですよ。断じて付き合ってません』


 俺の早とちりだったのか。


『じゃあ、近々ノートパソコンとスマートフォンを受け取りに行きますね!』


 電話を切った後、しばらくボーっとしていた。

 ボーっとしすぎて、いつの間にか夜になっていた。

 

 夜はろくでもないことしか思い浮かばない。こういう時はさっさと寝るにかぎる。

 


 シャワーを浴びようと立ち上がったその時、



 ––ピーンポーン



 1年と数か月ぶりに玄関のチャイムが鳴った。


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