第59話 町へ

「リコ、お前さんはこの家から出て行った方がええぞ」 


 私はイザベラさんに言葉を聞いた瞬間、心臓が縮み上がりました。


 何かしたのだろうか?

 そもそも、この家にいるのが迷惑だったのだろうか?


 嫌な考えが次々と頭に浮かんできます。


 イザベラさんはそんな私の表情を見て、


「ああ、別にリコをこの家に置いておくのが嫌というわけではねー。勘違いさせて、悪かった」


 と謝ってきました。


「あ、そうなんですか」


 私はほっと胸を撫で下ろします。


「あれ? じゃあどうして?」

「お前さんが持っているそのスキル。そりゃあ、まるで神様にでも貰ったようなもんじゃ。そのスキルを持っているのに、こんな周りに誰もいない小屋にいるのは、あまりにも勿体ないじゃないかね、と思っただけさ。お前さんには、何かやるべきことがある。そんな気がしてならいのさ、あたしゃね」


 イザベラさんの言葉を聞いて、私は返答に困ります。


 何かやるべきことがある。

 その言葉に心を揺り動かされていました。

 アイサとイザベラさんと、一緒に暮らすのは悪くはありません。

 しかし、異世界に来て以降、私にはテツヤさんを見捨ててしまったという負い目を、常に感じながら生きていました。


 これから何をして生きていけばいいのか、考えた時、一人でも多くの人間を救う。それがテツヤさんを見捨ててしまったという罪を少しでも晴らすため、私に出来ることであると、その時は思いました。


 とはいえ、この家にもお世話になり、アイサとイザベラさんとも、親しくなりました。お別れするという決断をするというのは、とても悲しいものです。

 すぐには返答できませんでした。


「別に出たくないならここにいてもかまわねー。あんたがきて迷惑どころか、むしろええことしかなかったからね。じゃが、もし出ると決めたんなら、どうかアイサも一緒に連れていってくれねーか」

「え?」


 その言葉は少し予想外でした。


「あの子は昔は町で暮らしてたんだがね。自由都市ヴァーフォルちゅう、ここから結構距離はあるデカい町さ。息子夫婦が死んだってんで、息子の知り合いがここまで連れてきたんだ。あの子が三歳くらいの時だったかね。それ以来、ここにずっと住み続けておる。かわいそうだとは思わんかね。ずっとあたしと二人暮らしで、友達もおらん、食うに困ってひもじい思いをすることだってあった。あたしゃ、ここでの生活しか知らんから、町に引っ越す事もでけん。あの子はもっとほかに人がおるところで、暮らすべきじゃと思うのじゃ」

「……でもアイサは幸せそうですよ」

「そりゃここでの生活しか知らんから、そう思うとるだけじゃ」

「イ、イザベラさんはどうするんですか。一人になってしまいますよ」

「ははは、あたしゃ、三十年くらい前、夫が死んでから、あの子が来るまでのおおよそ二十年間、ずっと一人じゃったよ。慣れておるから、何てことはないわい」


 イザベラさんは、本当に何でもないという風に笑いました。


「それに、あんたのスキルの水は貯められるんじゃろ? 現に今樽一杯分くらいたまっておったはずじゃ。あれがありゃー、寿命までは良い生活が出来そうじゃわい」


【虹色の神水】はコップかバケツに移すと、浮力を失い溜まります。その後、その水を飲まなくても、新しい水が出てくるようになるのです。

 限界まで大きくなったら、もうそれ以上増えません。そうなると増えない時間が勿体ないので、常に限界になったらバケツに移し、それを樽に移して保管してきました。


 確かに結構な量、その時点ではあったと思うのですが、いつまで効果がもつかは分かりません。ただ勘で、ずっともつだろうとは思っていました


「あの、アイサの意見を聞かないことには……あの子が行くと言ったら、連れて行くのは構いません。もし私がこの家を出ることになったらの話ですけど」

「それでええ、あの子はあたしが説得する。最初は行かんというじゃろうが、本心では町で暮らしたがっておるはずじゃ。きっと最後は行くというじゃろう」


 私はその話をしてから三日後、この家を出るということを、二人に告げました。


「えーーー! リコおねーちゃん、出ていっちゃうの!? やだよー!」

「アイサ! リコが決めたことに口出しをするんじゃないよ。この子の力はきっと色んな人の役に立つじゃろう。こんなところにおってはいかんのだ」

「……う、そ、そうだよね……あのスキル凄いもんね……この家にずっといるのは勿体ないか……」


 最初は嫌がったアイサも、イザベラさんの言葉を聞いて納得しました。

 問題はこれからです。


「リコおねーちゃん。この家を出ても元気でね。私絶対リコおねーちゃんの事、忘れないよ」

「何を行っておる。アイサもリコと一緒に行くんじゃ」

「へ?」


 イザベラさんの言葉を聞いたアイサは、呆気にとられたような表情をしました。


「な、なに言ってんのおばーちゃん」

「聞こえんかったか? お前もリコと一緒にこの家を出て、町で暮らせというたのじゃ」

「そ、それは出来ないよ」

「なぜじゃ」

「な、なぜって、リコおねーちゃんに迷惑だし」

「リコは、アイサが行くというのなら、連れて行くのは構わんというたぞ」


 その言葉を聞いたアイサが、私を見てきました。私は言葉を発さずにただ頷きます。


「お、おばーちゃんを一人には出来ないよ!」

「アイサ、お前はずっとこの家にいるつもりではないじゃろ? いずれは町に行かなければならん時が来るはずじゃ」

「そ、それはそうかもしれないけど……それは大人になってからで……」

「いや、今行くのじゃ。子供のうちから行っておかねば、町でいきなり生活しても何をすればいいか分からんじゃろ」

「……でも」

「ええか、あたしのことは考えんな。お前が来る前はずっと一人じゃったんじゃ。今更一人になっても寂しくはない。リコの水もあるし、生きていくのには不便はせんじゃろう」

「……」


 アイサは黙って話を聞きます。

 心が揺れているように傍から見てて思いました。


「三歳くらいまでは、町で暮らしておったから、まだその時の記憶は薄っすらとじゃが、残っておるじゃろ? 行きたいと思わんか?」

「……町」


 アイサは何かを思い出しているようでした。

 まだ幼いアイサは三歳の頃の思い出を覚えていたのでしょう。


 その後、アイサは長い時間悩んだ末に、


「あたし町に行きたい」


 アイサは、イザベラさんが予想した通りの結論を出しました。


 数日後、私とアイサは家を出て、昔、アイサが暮らしていたという、いま私たちがいるこの町、ヴァーフォルへと向かう旅にでます。


「アイサのことよろしく頼んだぞ」


 別れる時、イザベラさんは私の手を握ってそう言ってきました。

 彼女の目には薄っすらと涙が浮かんでいました。その時、寂しくないという言葉は嘘であると悟りました。しかし、イザベラさんのアイサを思う気持ちを考えると、特に言及はしない方がいいと考え、


「はい」


 と、イザベラさんの手を握り返して、返事をしました。

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