問題編 9,真の手掛かり
酒宴部屋には主人と遠山を除いた七人が再び集まっていた。
単刀直入に、反時計回り組の寺田が言う。
「さあて、それなりの収穫はあったぞ。まずは俺達から報告させてもらおうか」
寺田が張り切った面持ちで言うには、
「アルテミスの間から話そう。室内では金属製の矢筒が見つかったんだが、中身は空っぽだったぜ。貴島さんの言い分では、昨夜まで銀の矢はそこに入れてあったんっすよね?」
綾乃が猜疑の眼を再び貴島達に向ける。
「アルテミスの間の鍵は、貴島さんしか持ってないよね。マスターキーも含めて。だって、貴島さんの部屋だもんね……」
「決めつけるにはまだ早い。内部犯の可能性が濃くなっただけで、別の人が盗んだのかもしれないだろう」
安東は擁護の声を入れるが、何れにせよ分が悪いことは見えている。
「アテナの槍やヘルメスの羽帽子のように、アトリビュートとなる武具は神像が身に付けていますよね。アルテミスの銀の矢と矢筒は、なぜ室内にあったんでしょう?」
有馬がもっともな疑問を呈した。
「それはですねぇ」と貴島。「私達がこの邸宅に着いたとき、すでに矢筒を支えていた紐が千切れてしまっていたんですよ。床に置いておくのもどうかと思いましてね、部屋の机の上に中身の矢ごと安置しておいたんです」
「じゃあ、アポロンの間にあった矢筒と金の矢の方も、紐が切れてたから部屋の中に置いといたってことっすか?」
寺田がやや疑いの眼を向けた。会話の流れから察するに、銀の矢も金の矢も、室内にあったようだ。片方ならともかく、アルテミスもアポロンも同時に矢筒の支えが取れていることは、偶然で片付けられる確率とは言い難い。
貴島の反応はと言うと、
「それが、アポロンの金の矢の方は初めから室内に飾られていたんですよ。この邸宅に祀られたアポロン像は月桂冠を頭に載せ、竪琴を奏でています。どちらもアポロンの重要なアトリビュートなんですけど、実は竪琴は弓矢より分かりやすいアイテムなんです。ですので……」
有馬が話の穂を継ぐ。
「なるほど。確かに僕達が邸宅に着いたときにも、アポロンは竪琴を持ってましたね。矢の方は室内用の鑑賞として作られたのかもしれません。ほら、各部屋にはそれぞれ絵画の複製と、神に関連する植物や動物、武具が一つ以上は飾られてますからね」
それを聞いて寺田は思案顔になる。
「まあ、そう考えられるな。俺の部屋にも男女がまぐわう絵画と、オオカミの剥製、武具は剣があったぜ。同様に考えると、アルテミスの間の絵画は……」
「イタリアの巨匠、ティツィアーノの『ディアナとアクタイオン』だよ。そして鹿の剥製と、武具は銀色の弓が飾られていたはずだ」
反時計回り組の一人、阿曇が答えた。
それに追随するように、
「……推理の参考になるか分かりませんが、ヘファイストスの間は、金槌。ヘルメスの間は、二匹蛇の絡まった杖。デュオニソスの間も、笠のついた杖。ヘラの間は、花の王笏でした……。だよね?」
と、妹に心配げに問う。
「合ってるよ、お姉ちゃん」
綾乃は堂々と答えた。この姉妹は揃って記憶力が良い。
雪乃の補足に、安東も各部屋の武具となりそうな物を思い返す。アテナの間は、メデューサの首が付いた大楯。アフロディーテの間は、ホタテの貝殻。デメテルの間は、麦の穂。反時計回りの部屋と比べると殺傷能力は見劣りするが、鈍器になりそうな物はなくもない。
「実はな」
と寺田が、織物の隙間から一本の金色に塗られた矢を取り出した。
「参考になるかと思って、アポロンの間から一本拝借してきた」
普段なら良く思わないが、今は急事だ。安東達は受け取って、念入りに金の矢を観察した。金属で出来ていると思っていたが、通常の矢の鏃から矢羽根まで全体を、スプレー等で金色に塗装しただけのようだった。おそらく銀の矢も同様なのだろう。
各々がそれを回し見ている間、
「で……そっちは何か見つかったんすか?」
寺田が話を切り替えて問うた。安東はそれに頷いて、成り行きを語った。
まずはアテナの槍が見つからなかったことを話すと、
「ん? 凶器は銀の矢じゃあなかったんすか」
どうやら遠山の遺体の状況を、全て話してはいないらしい。それも当然だ。彼の凄惨な死に様を具に伝える必要があるはずもない。しかし、状況は変わった。安東は刺激させないよう言葉を選んで、現場で見たものと自分達の行動を伝えた。綾乃が身震いをして、口を真一文字に結ぶ。補足として有馬が遺体の状況を、阿曇が酔い止めの瓶とアネモネの花びらが現場にあったことを付け加えた。
雪乃が不思議そうに囁く。
「アネモネの花……? 確か、四阿の荷車にありましたよね……」大小の壺に活けられていた花の一つだ。「血痕の少なさも鑑みると、遠山君は荷車で運ばれたのでしょうか……。でも、どうして……」
「遺体を雨に濡らしたくなかったとか?」
何気なしに綾乃は言うが、風雨は突然やってきたことだ。四阿から運んで間に合うはずもない。
「殺害現場が、犯人の部屋だったんじゃあないか?」
「どうだろうな。現状では確定要素がない」
「遠山君の部屋は荒らされてなかったよ。彼のバックパックも四人で確認させてもらったが、違和感を感じるほど無くなってる物は誰も思い当たらなかった。財布もあったね」
「少なくとも金銭目的ではないということでしょうか……」
あんな見立てをやる犯人なのだから当然だろう。そう言い掛けた安東は考えを改めた。何か重要な物を盗む為のブラフとして、見立てを行なった可能性もあるからだ。荷物検査などしていないのだから。
安東はついでとばかりに、遺体発見前の話をした。遠山の私物らしきスマホを発見したことだ。そしてそこに、昨夜の邸内を映した動画が残されていた旨を報告した。安東はサマージャケットの内ポケットから、預かっていたスマホを取り出す。
「遠山のメッセージかもしれないじゃねぇか! 早く観ようぜ」
寺田が意気込んで言うが、
「おっと、待ってください」有馬がスマホを防ぐように両手を突き出した。「その前に確認したい事があります。皆さんの昨夜の行動を……そうですね、食堂からお開きになった後の午後九時以降の行動を、今の内に教えてもらえませんか?」
問いかけるようでいて、強制力のある発言だった。
「内部犯を疑ってるのか?」
寺田が眼を細める。
「別にいいでしょ。私達はなにもしてないんだから。それに二人のアリバイを訊くには私達も答えないと不公平よね」
言外どころか露骨な疑いの言葉を綾乃は放った。
結局のところ昨夜の各自の行動は、動画と照らし合わせる限り齟齬は見当たらなかった為、割愛する。いみじくもこの動画は、昨夜の九時半から十時半にかけてぴったり一時間の長さで撮影が終了していた。おそらくはカメラアプリのタイマー機能を用いたらしい。
そして――。
窮屈を物ともせず、七人の視線が注がれる中、スマホの動画鑑賞は始まった。
カメラはアテナ像が立つ土台の大理石から、中庭に向けて立て掛けられていた。その為、アングルは低く、一階上部は映っていない箇所が多い。また、角度的にやや右よりになっていて、左側はデメテルの間が見えず、石段で途切れていた。右側はアルテミスの間から奥に向けて映っているが、アルテミスの間の入り口は四分の三程で上部の映像が欠けている。
中央の奥は食堂、アポロンの間、ヘラの間、デュオニソスの間、ヘルメスの間、全て柱の合間を縫うように入り口が映っている。
「音が聞こえないよ。有馬くん、ボリュームあげて」
「どうやら、音声が意図的に切られています。音楽アプリは再生できますから、スマホの出力装置が故障したわけではないようです」
「どういうことだ……?」
「遠山先輩は何らかの理由で、無音で午後九時半以降の動画を撮ったということになりますね。なぜかは知りませんが」
疑問は残るが、とにかく映像に集中することにした。
食後の時間帯は部屋に戻り、就寝の雰囲気を帯びていた為、動画内でも映ってる人物は少なく、また、極短時間だ。早送りを頻繁に使いながらも、見落としがないように確認していく。
まず始めに、貴島がアルテミスの部屋を出た。回廊に沿って歩いていき、物置に入ってから数秒で、箒とちり取りを手に出てくる。再び回廊を歩き、アポロンの間に入った。
次に、雪乃と綾乃が二人でアルテミスの間を訪ねる姿が映っている。訪問理由は、風呂場が冷水しか出ないとのこと。ノックを十秒ほど行なった後で、綾乃がノブを回して開いていることに気付くと、二人して目を合わせる。綾乃が姉の耳元で何かを言い、最終的に背中を押す形で部屋の中に二人して入った。ドアは疚しさを隠すかのように、丁寧に雪乃が閉じた姿が映っている。出てきたのは、それから約三分後だった。
更にその四十分ほど後に、今度は阿曇がアルテミスの間を訪ねている。姉妹と同じくノックをしても応答がないらしく、ノブを回して鍵が開いてることを確認すると、一度回廊を見廻してから中に入っていった。ドアは自動で閉まらないので開けっぱなしの状態だ。そして約五分後に、部屋から出てくる阿曇の姿が映っている。
寺田はアルテミスの間に出入りする姿はなかったが、屋上から下りてくる場面が動画開始から十分ほど経過した辺りで映っていた。姉妹がアルテミスの間に向かう数分前だ。
有馬の姿は一度も動画には映っていなかった。彼のヘルメスの間は動画のほぼ正面にあり、そのドアは一度も開閉されていない。有馬の証言に沿うならば、午後九時以降は部屋を出ていないことになるが、もしも動画の撮影以前に部屋にいなかったとしたら、真実は真逆で、彼は常に外にいたことになる。ただし、寺田と同じくアルテミスの間を訪れていないことは事実だ。
貴島によると、誰かがアルテミスの間を訪れている間、アポロンの間か酒宴部屋で清掃をしていたという。そのことは、動画と矛盾していない。
遠山の姿は映像に映っていない。彼の部屋は見切れているのだから仕方がないが、映っていれば犯行時刻の助けになっただろうに。
動画の終盤では、貴島がアルテミスの間に戻り、ドアを閉めた。そこからは無音も相まって、ひっそりと何の動きも無く動画は終了した。
タイムテーブル(みてみんに投稿)
https://34896.mitemin.net/i580610/
この映像の扱いをどうするか、誰もが手をこまねいている中で、口火を切ったのは有馬だった。
「貴島さんにいくつかお尋ねしますよ。まず、銀の矢を最後に見たのはいつですか?」
「夕食後に解散した後ですから……午後九時十分ほどでしょうか。精巧に描かれた絵画も、彫刻も、この仕事が終われば見る機会はないと思いまして。金属の矢筒には、ちゃんと九本分の銀色の矢が入れてありましたよ」
「では、銀の矢があることを確かめて以降、部屋の施錠はしっかりとしていましたか? つまり、昨夜も、今朝も」
「動画にも映っている事実なんですが、掃除の間は部屋の施錠をおろそかにしてしまったようでして……ただ、部屋に戻ると鍵を掛け忘れていることに気付きまして、それ以降は厳重に確認して部屋を出るようにしましたねぇ」
朗らかな口調を潜めながら、今朝も施錠は間違いなくしたと言い張った。のちの議論になるが、安東と夜中に会ったときも、施錠は完璧にしていたと断言をした。そして就寝後、朝までドアの施錠は解かれていないことになる。
やはり銀の矢が盗まれたのは、あの動画の一時間内だったことが濃厚に思えた。だが、室内に入った三人が容疑者だとしても盗んだ方法が見えてこない。時間帯を問わないのなら他の全員も疑わなければならないが、貴島は今頃まで……具体的には反時計回りの探索を開始するまで、アルテミスの間の鍵もマスターキーも、就寝時も含めて手放してはいないと証言を譲らない。
有馬は質問が尽きたらしく、代わりに安東が口を開いた。
「風呂場の件は、結局どうなったんだ?」
これには姉妹ではなく、阿曇が答えた。
「たぶん、動画で堀川さん達がアルテミスの間を去った後の時間だろう、彼女達が尋ねてきたんだ。アテナの間に行って試しにバスタブを捻ってみると、あっさりお湯が出たものだから、一安心して部屋に戻ったんだよ」
「昨夜はお騒がせしました。……もっと辛抱強く待てばよかったですね……」
「わたしの部屋はすぐにお湯が出たけどなー」
綾乃が不思議がる。安東もバスルームに不都合はなかったが、普段から使っていない邸宅の客間に不備があっても仕方ないと思える。
彼女ら三人の部屋は手前にある為、行動全てが動画には映っていない。だが、三人が口裏を合わせて嘘を付くとも思えなかった。姉妹が阿曇より先に貴島を訪ねた理由は、女性の方が話しやすい問題だったからだろう。
「じゃあなんだ、阿曇さんが貴島さんの部屋を訪ねた理由は、問題が解決した報告っすか?」
「そうなるな。結果的にアルテミスの間には貴島さんはいなかったけど」
ふと違和感を覚えて安東は問う。
「雪乃達は貴島さんがいなかったから、阿曇さんを頼ったんですよね。だったら報告する必要はあったんですか?」
「別の部屋でも不備がないかを訊きに行ったんだ。今では使用人の立場があやふやだけど、客が困ってるのに先にぐうすか寝るわけにもいかないからね」
なるほど。しかし、疑問はそれだけではない。
「動画では五分間もアルテミスの間にいたようですが」
「それは……」と少し間が空いた。「貴島さんのバスタブも確認してたんだよ。時間は掛かったけど、何とかお湯は出てね。一安心して部屋に戻ったってわけさ」
「ふーん……、変なことしてたわけじゃないのね?」
相変わらず咎める目つきの綾乃。
「当たり前だ。それに疚しいことをするなら、ドアを開けっぱなしにはしないよ」
確かに一理ある。ドアが開いていれば貴島が気になって戻ってくる可能性もあるし、別の人が不審がることもあるだろう。夜中という時間帯なので、実際には邸内を移動していたのは貴島だけだったが、ドアを閉めない理由にはならない。
「じゃあ、寺田さんは屋上で何してたの?……そこそこ長い時間いたんだよね」
「二十分くらいだな。風に当たってただけさ。船酔いには強いが、酒にはこう見えて弱いことは知ってるだろ?」
寺田は下戸とは言わずとも、酒に強くないことはミス研メンバーは知っている。それでも酒は好きらしく、一回生のときは酒に飲まれながら失敗を繰り返し、現在では適量を感覚的に計れるように成長していた。だから、寺田も不自然な行動とは言い難い。
「遠山君を見掛けた方もいませんよね……?」
雪乃が最後にその話を振ったが、誰も答えないことが肯定を意味していた。
安東は念の為、大雑把なタイムテーブルを、酒宴部屋にあったパピルス紙に書き記しておくことにした。
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