問題編 8,内部犯? 外部犯?

「固定電話か、もしくは衛星通信が可能な物はありませんか?」

 入り口からすぐの回廊には、貴島が心配げな面持ちで待っていた。安東が問うと、彼女から逆に問い返される。

「……どうか、されたのですか?」

 服に付いた臭いを嗅ぎ取ったのだろうか、あるいは安東達の顔つきが余程切羽詰まって見えたのか、眉間を寄せ、確信的な眼で問う貴島。安東はどう説明すべきか考え倦ねていると、

「オレから伝える。二人は先に着替えてきなよ」

 そう阿曇に促された。ここは素直に甘えさせてもらおう。

 シャワーを済ませ、独特の臭気のする服を着替えると、安東は一息付こうとベッドに座り込んだ。少しでも気を許すと、脳裏に遠山の無残な光景がフラッシュバックする。大きくかぶりを振って記憶の奥底に押し込める。駄目だ。気持ちをしっかり持たなければ。使用人の二人がいるとはいえ、ミス研メンバーを安心させられる人間は自分しかいない。独り善がりかもしれないが、役割を全うすべく安東は自身を鼓舞し、立ち上がってドアを開けた。

 酒宴部屋には全員が集まっていた。

 ミス研メンバーの沈んだ顔を見て、凶報はすでに全員に伝わっているようだと察した。

 近場にいた阿曇に安東は小声で問う。

「電話はどうでしたか?」

「この邸宅には初めから電話はないんだ……。ネット回線もな。貴島さんにクルーザーを確認しに行ってもらったんだが、鍵は抜き取られていて、無線は何者かに壊されていたらしい」

「そうですか……」

 予想していたこととはいえ、いよいよ隔絶された孤島である事実に緊迫感が走る。そんな危機を抱きながら不意に思う。

「……って、まさか貴島さんを一人で行かせたんですか?」

「あ、ああ、配慮に欠けていたね。すまん」

 阿曇は精悍な顔つきを歪ませた。よく見れば疲労が窺える。判断を誤ることもあるだろうし、何にせよ貴島が無事に戻っているようなので一安心だ。

「遠山君が、その……オリオンに見立てられて、殺されたのでしょう……?」

 安東に気付いた雪乃が、真剣な眼差しで問うた。状況まで説明したのかと阿曇を一瞥するが、彼は仕方ないだろうと目配せを返してきた。思えば、隠し通せるものではないことは重々承知していたはずだ。

「阿曇さんは初めは教えてくれなかったけどな、どうみても緊急事態って顔してたぜ。貴島さんは慌ててどこかに行っちまうし……。彼女が帰ってきたところで俺達で問い詰めたんだ」

 経緯を説明する寺田も、これからの対応に苦慮しているような様子に思えた。

「その通りだ。遠山は山小屋で何者かに殺害されていた」

 ごくり、と誰かが息を呑む。

 沈鬱な空気が酒宴部屋に漂っていた。

 貴島も阿曇も、未だにリーダーシップを取れる心理状態ではなさそうで……。それを確認すると、安東は自らを奮い立たせ、重い口を開けた。

「スマホは圏外、この邸宅に電話はなし、ネット回線もだ。……そして迎えが来るのは明明後日の昼。……遠山はどう見ても殺されていた。しかも、銀の矢を見立てに用いた猟奇殺人者の手によってだ。俺達は、一つに固まっているべきだ。邸内のあらゆる武器を掻き集めておこう。施錠出来る箇所は施錠をし、屋上に出る階段はバリケードを張り巡らせよう。食料は問題ないんですよね? ――だったらとにかく籠城して、明明後日の朝に船着き場に移動する。幸嵩さんのクルーザーが迎えに来るからな。犯人が逃走しているか判断が付かない以上、それがもっとも安全な方法だと思う」

 誰もが賛同してくれるとばかりに期待していた安東だったが、それは甘い考えだったようだ。しかもそれは、安東の思いもよらない方向に転がる。

 綾乃がぽつりと意見を零す。

「わたしは……、あの二人のことを信じ切れない」

 彼女は眼を細めた。その視線は、貴島と阿曇を射貫いていた。

「何だって?」

 安東は思わず問い返した。

「だって、だってさ、弓塚さんが行方不明ってこと自体おかしいじゃない。今朝になっても、遠山くんのことは心配してくれるのに、彼女の行方については全く触れようともしなかったのよ。九枚のドラクマのうち、一枚が赤く塗られてたら、まずは弓塚さんを探すでしょ? 今だってそう。もしかしたら、その人も二人に殺されて……ッ!」

「綾乃!! 言い過ぎだ!」

 寺田の蛮声に、彼女は小動物のように身を竦ませておとなしくなった。

「すまないな……」

 謝罪の言葉が正しいのか分からなかったが、気分を害したことは間違いないはずだ。

「疑われるのは仕方ないさ。……こんな島で、こんな状況で、冷静でいろっていう方が無理な話だろ。オレだって……」

 阿曇は口ごもり、言葉尻を濁す。

 彼が言い淀んだことは理解出来た。こちら側も同様に安東達を疑っていると伝えたかったのだろう。それに、彼にとっては貴島はただの仕事仲間だ。彼女さえ信頼出来る相手とはとても言えない。阿曇や貴島の側に立ってみると、信じられるのは自身だけ。精神的な余裕は推して知るべしだ。

「これだけは教えてくれませんか。貴島さんは昨日俺達が訪れたときに、主人は外出していると言っていましたね。その主人はどんな人で、現在どこにいて、何をしているのです?」

 クルーザーが停泊しているということは、この島にいるのだろうが……。安東の脳裏には、すでに狂気に歪んだ女主人の絵が浮かんでいた。

 貴島は諦めたように息をつき、ちらりと阿曇を見た。彼は頷いて、今度は安東達を見回しながら告白する。

「実は……、オレ達二人は求人の仕事を受けた後、X県の港からあの無人のクルーザーをオレが操縦してこの島に来たんだ。君たちが来る前日にね。到着したときにはこの邸宅に主人はいなくて、仕事内容が割り振られた紙だけが数枚置かれていたんだよ」

「当然怪しいと思っていたんですけど、前金として五十万円が振り込まれていましたので……」

「騙した形になってすまない」

 二人は気まずそうな顔を伏せる。

「なるほどな……。だったら主人って奴は、この島に最初からいないってことっすか?」

「おそらく……」

 寺田の問いに、貴島が囁くように答えた。

「……その話も、嘘かもしれないじゃない」

 疑いを拭えないのは綾乃だった。

 意見が合うのだろう寺田が提案を述べる。

「だったらよ、殺人犯をあぶり出すか、綾乃の言う殺された主人の死体を見つけに、とにかく島を捜索してみるか?」

「海に投げ落とされてたら無意味よ……」と綾乃。

「そんなら、部外者の存在だけでも試しに探し出そうぜ」

「それは駄目だ」

 安東は一際声を大きくして、寺田の意見を却下した。皆が注目していることを確認して再び説得を試みる。

「先ほども言ったように、外部との連絡手段は断ち切られているんだ。ネットはともかく、クルーザーの方は犯人の悪意によってだ。単に殺すだけなら一夜の内に行なったはずだ。適う相手ではないだろうし、見つけられるとも思えない、……遠山の遺体は弄ばれていた。俺達に恐怖を与え、疑心暗鬼にさせ、あわよくば内部から混乱の渦中に陥れようと企んでいるのだろう。俺達は、余計なことはせずに共にいるべきだ」

 安東は弁舌を振るうが、どうにも思う以上に共感は得られないようだった。

 沈黙していた雪乃が反応を返す。

「部長さんは……つまり、まだこの殺人が続くと思ってるのですか?」

「犯人の正体も思惑も、具体的には分からない。けれど俺達が一緒にいることで防げる事態は多いはずで――」

「待ってよ部長さん。わたしは貴島さんと阿曇さんのこと、やっぱり信用しきれない。一緒にいるなんて、……むり」

「綾乃……」安東は言葉を詰まらせながら、説得を試みる。「一日お世話になって、貴島さんも阿曇さんも猟奇殺人をするような人間じゃないって、分からなかったのか。この二人が、あんな、見立て殺人などすると思えるのか」それに、と安東は昼前の食堂シーンを回想して言う。「ドラクマの件に関しても二人は食堂から出ていなくて、祭壇に近寄れなかったと結論が出たじゃないか」

「そんなの……奇術でも使ったのよ!」

 全く理に適っていない発言だが、ミステリ的に言ってしまえば何らかのトリックや秘密の抜け穴がないとは断言出来ない。安東は何も言い返せなかった。

 彼女を説得する術を考え倦ねていると、

「……私も、妹の意見に賛成です……」

 囁くように、しかし決意を帯びた声で雪乃が言う。

「命が掛かっている事態なので、はっきり言わせてもらいます……。ミス研の人達は……信じています。……けれど、そちらのお二人は、まだ気を許すには、時間が短すぎるのです。話し足りないのです……。貴島さんも阿曇さんも、ごめんなさい……」

 二人、あるいは一人と一人と六人になってしまえば、少数派は外部犯の格好の餌食だ。まずい状況であることに変わりはない。

「そうだわ。マスターキーも渡してもらわないと!」

 綾乃のその言葉に、貴島はキトンの腰紐にぶら下げた鍵をぎゅっと握り締めた。せめてもの抵抗が伝わってくる。

 駄目だ。こんな不毛な応酬を続ければ、対立する関係も十分にあり得る。疑心暗鬼に陥って、疑うことばかりが先立ってしまう。

「どうすれば……」

 思わず声に出ていたのだろう、安東の苦渋の思いを聞き取った人物が、さらりと回答を述べた。

「――この状況を打開する方法ならありますよ」

 それは、今まで沈黙を守っていた有馬だった。薄く笑みを浮かべ、神託を告げるように安東達を誘う。

「犯人を見つけるんです」

「お前は何を言ってるんだ。犯人はその女主人で、未だに島に潜んでいるのかもしれないんだぞ」

 有馬は笑みを深める。ルックスの良さも相まって皮肉な表情にも見えた。いや、そう思えるのは、彼がオリオンの見立てを賞賛する姿が、脳裏から焼き付いて離れないせいかもしれない。

「部長さんこそ、落ち着いてください。警察が来られないのなら、僕達で真相を明らかにすればいい話なんですよ。別に殴り合いなどの暴力で解決しようってわけじゃないんです。僕達は、冷静に、論理的に、遠山先輩を殺した人物を探し当てればいいんです。合理的な手続きによってね」

 ゆっくりとした声音が、耳朶に残る。脳を揺さぶる。メンバーは沈黙して考える仕草をしていた。……まずい。皆、有馬の口車に乗せられようとしている。

「もしも弓塚という謎の人物が犯人だとして、崖下の秘密の洞穴などに隠れでもしていたら、いったいどうやって見つけると言うんですか。僕達が第一に探すべきは、霧のようにつかみ所のない招待主ではなく、犯人へと至る為の手掛かりです。それは、早く探さなければ消えてしまうものもあるかもしれない……。そして手掛かりが揃ったときには、問題となっている犯人が内部犯なのか外部犯なのか、自ずと導き出されることでしょうね」

「耳を貸すな。今すべきは島に潜んでいるかもしれない殺人者に対して――」

 ぐっと有馬が顔を近づけた。背丈の差から上目遣いに眉根を寄せて、

「部長さん……」と、幾分声のトーンを下げて安東に囁きかける。

「本当に外部犯だなんて思ってるんですか? 僕達に恨みを持った人間が、わざわざ数時間かかるこの島までやってきて遠山先輩を殺し、すぐに逃げれば良いものを、危険を冒してまで邸内の槍と矢を本数分盗んで見立てを行なったと? ……ねぇ、部長さんは、本気で思っているんですか?」

 反論は出来なかった。しかし、そんな殺人者がいる可能性も同様に否定は出来ないはずだった。

「では、こう考えてはどうでしょう」

 更に声のトーンを変え、他の人にもアピールをするように全員を見廻しながら言う。

「信用しているからこそ、真実を明らかにしましょう。この中に犯人はいないと証明するんです! そして晴れて内部犯ではないことが詳らかになれば、僕達は何の憂いもなく、互いに手を取り合って協力出来るのではないでしょうか!」

「……そう、ですね。貴島さんと阿曇さんを信じる為にも、私達は調べて、考えてみるべきなのかもしれない……」

 雪乃は言いくるめられたようだった。使用人二人を盾に使われては、旗色の悪さは見えていた。

「わたしも有馬くんの意見に賛成するわ」

 綾乃も姉に同調した。貴島と阿曇の発言力の弱さは元より、寺田も諦めたように大きく息を吐いた。結論は出ていた。

「さて、話も纏まったところで、まずは邸内を調べましょうか」

 もはや、場の主導権は有馬が握っている。

「二組に分かれましょう。綾乃さん達が心配だというなら、貴島さんと阿曇さんには別のグループになってもらえばいいですよね。では部長さんと貴島さんと――」

 有馬の指揮のもとで、素早く物事が進んでいく。

 安東の声が響かない今、悄然とそれに従うしかなかった。


 寺田、雪乃、綾乃、阿曇のグループが酒宴部屋から時計回りに、安東、有馬、貴島のグループが反時計回りに、部屋と回廊を検めることになった。有馬が一度、全部の鍵を預かってから、寺田達のグループに該当する部屋の鍵を渡し、安東達は貴島の持っていたマスターキーを使う手筈になった。さっそく酒宴部屋を出て左右に分かれる。

 有馬の言に乗せられた形になったが、何を探せというのか。自分達はミステリ小説の中の探偵ではない。安東は問い詰めようとすると、

「アテナ像の槍が無くなったこと、もっと真面目に考えるべきでしたねぇ……」

 貴島が、神像を見上げるようにして後悔を口にした。

 結果論になるが、あの時点で大袈裟にも人を起こして確認していれば、惨事は防げたのだろうか。犯行時刻がはっきりしなければ何とも言えないが、現状より自体は好転していた可能性はある。……たらればの話だ。

「俺は遠山か有馬がこっそり持っていったと思ってたんだが」安東は有馬を尻目に言う。「お前じゃないのか?」

「まさか。部長さんは僕を盗人の類いか何かとお思いですか……? 断じて僕の仕業じゃありませんよ」

 槍は犯行に使用された凶器の一つで間違いない。もし有馬が事前に部屋に持ち込んでいたとすれば、ヘルメスの部屋に忍び込んで奪い返した人物が犯人とも考えられたが、そこまでしてアテナの槍に拘る意味はないだろう。

「聞いてみただけだ」

 安東達は雪乃が使っているアテナの間を調べるべく施錠を解いて中に入った。と言っても、女性の部屋を隈なく調べるのも気が引けるので、貴島が検める姿を安東達が見守るといった方法を取る。

 特に不審な物は見つからず、その後も回廊と、アレスの間、アフロディーテの間、デメテルの間を調べたが不発に終わった。さらに物置、食堂と台所を調べ終えると、反時計回り組がアポロンの間に入るところだったので、安東達は石段を上がって屋上を確認することにした。安東には思い当たる節があったからだ。

 デメテルの間の上辺りに立ち、手摺りから身を乗り出す。そこにあるはずの、昨夜見た穴の空いたハンギングバスケットは、

「無くなっている……」

 ――影も形も無くなっていた。見下ろす先には、ただ瓦屋根が傾斜を持って連なっているのみ。

「何が無くなってるんです?」

「昨日の夜、寝付けなかった俺は屋上にいたんだよ。斜向かいの手摺りから目を凝らすと、ここには四方に吊されたハンギングバスケットと同様にそれが吊されていたんだが……奇妙なことに穴が空けられていた。しかし今になって確認すると、影も形も無いというわけだ」

「ほう……」

 安東にとっては怪しい手掛かりだと確信していたが、有馬の反応は薄い。

「それは部長さんの見間違いではありませんよね? それと、他にそのハンギングバスケットを見た人はいませんか?」

 なるほど、実物が存在しない以上、疑いの眼は外せないというわけか。

「あのう、私も確かに見ましたよ。安東さんの言うように何かで突き刺したように穴が空いたバスケットでしたねぇ」

「貴島さんはいつそれを?」

「安東さんと同時です。私がお誘いして、一緒に星座を見ていたので」

「え? お二人でいたんですか」

 有馬は意外そうな声を上げながらも、質問を続ける。

「じゃあ……昨日の台風で飛ばされた可能性はありませんか」

「それもないと思いますけどねぇ。なぜなら他のバスケットが、多少傾いてはいますが飛ばされていませんから」

 有馬はようやく腑に落ちたような口調になり、

「なるほど。それならば話は早いです。これも重要な手掛かりになるかもしれませんね……」

 一人得心したように笑みを浮かべる。

「さて、寺田さんのグループも調べ終わってる頃だと思うので戻りましょう」

 軽い足取りで石段を下りていく有馬の背中を、安東と貴島は急いで追いかけるのだった。

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