廃墟
とある廃墟に忍び込んだ時の話。
廃墟マニアだった俺は、同じく廃墟マニアであった友人から山の中にひっそりと佇む廃病院の話を聞いた。
廃れる前は精神疾患のある患者さんを収容していた閉鎖病棟だったという。
山道を走っていると、たまに「なんでこんなところに脇道があるんだ?」と思うような山の中へ続く道があると思う。土砂崩れや新しく開通したトンネルによって使われなくなり閉鎖された廃道だったり、山の中に建てられた施設に続く道だったりするのだが、目的の廃病院はそういう脇道を進んだ先にあった。
所々古くなりながらも工事によって少しずつ舗装されていく山道からひっそりと伸びる寂れた道を、ウインカーを出してゆっくりと進む。二十秒ほど走ると、大きな門扉が現れた。
門扉は硬く施錠されていて、すぐそばには立ち入り禁止の看板も立っていた。車を止め、なんとかして先に進めないか探る。と、ここで門扉に不自然な汚れが付いていることに気がついた。
おそらく俺より前に廃病院の噂を聞きつけた同類が、門扉をよじ登って侵入したのだろう。汚れはその際に付いたのだと思う。
俺もその汚れに沿って門扉に足をかけ、廃病院へと続く道のその先に進んだ。
深い緑の匂いのする道をしばらく歩くと、自然の中に違和感。閉鎖病棟が目に入った。
病棟は俺が想像していたよりも大きくて、崩れかけていた。元は白だったであろう外壁の塗装が剥がれ落ちて灰色になり、窓ガラスはほとんどが割れていた。ツタを始めとする緑が、それら全てを飲み込もうとしていると錯覚するほどに生い茂っていた。
これは人目を避けるように、外界とは隔絶されるように竣工された。そして今、本当の意味で人の手から離れている。そんな気がして鳥肌が立った。
病棟に近づくにつれて、地面を踏みしめる靴の音や匂いが変化していった。それまでは湿った草や砂利を踏んだ音だったのに、急にガラスを踏んだ時のジャラジャラとした音に変わった。
音はまだいい。問題は匂いだった。葉っぱや土といった森の匂いに混じって、
今更だが、廃墟は危険だ。ひとえに危険といっても、建物の崩落、心霊的現象、不慮の事故、不審者との遭遇……と挙げればキリが無い。特に一番最後の不審者との遭遇は防ぎようが無い。
この饐えた匂い。廃墟には雨風を凌ぐためにホームレスが住み着くことがある。いや、ホームレスならまだなんとかなる。最悪の場合は、犯罪を目撃すること。死体遺棄とか、暴行の瞬間とか、闇の取引とか。考えると止まらなくなる。
さまざまな考えが頭の中をぐるぐる回る。それでもなかなかどうして、俺の廃墟を見たい欲がそれらを上回った。
割れて無防備になった正面入り口から、静かにお邪魔をする。中を見回すと、それまでの心配事が一気に吹き飛んだ。
病棟は本館と南館に分かれていて、俺が入ったのは四階建ての本館。天井板は無惨にも一つ残らず落とされていて、配線が剥き出しになっている。受付だったであろう一角は汚れにまみれていて、文字が掠れて読みづらくなった案内が寂れ具合を後押しする。待合に使われていたソファは破れて中のワタが出ていた。非常口の吊り下げは壊れてこそいなかったが、当然明かりがついておらず、それがいいアクセントになっている。
一言で言って、とてもいい廃墟だった。
俺は上がったテンションそのままに本館を見て回る。どこもかしこも人がいた形跡と自然の侵食が混じり合っていて、えも言われぬ感情が俺の中で湧き上がる。
本館を隅々まで見終わり、残すは南館。
やはりこういう、元は特殊な施設だった廃墟に忍び込む時は、下手に下調べをしない方が純粋に廃墟を楽しめるな。そう思いながら一階に降り、南館へ向かう連絡通路を通った時だった。
南館の受付の中に何かの影が動いたような気がした。
俺は歩みを止めて、南館の様子を伺う。誰かがいるのか? そう思いながら身構える。
しばらく連絡通路に立っていて、日が少しずつ落ちてきた。割れた窓の外からひぐらしの声が聞こえる。
南館の案内だけでも見て、何かあったら走って帰ろう。
俺は覚悟を決めて連絡通路を渡りきり、影の見えた気がした受付の中に入る。デスクの下、棚の裏、恐る恐る確認したが、何もなかった。
ホッと胸を撫で下ろし、振り返る。ホラーではホッとして振り返った瞬間に幽霊がドーン! と出てきて驚かすのが定番だが、幸いなことに幽霊が俺の目の前に現れることはなかった。
代わりに俺の目に映ったのは、受付のデスクの上にあった人形だった。見た目はキューピー人形に似ていた。日の沈む時間帯の廃墟で見るそれはどこか陰鬱な空気を纏っていて、全身の毛が逆立ち心臓のあたりがフワッと浮く、そんな不快感を覚えた。
流石に気味が悪いしそろそろ帰ろう。そう思うのだが、帰るには人形の横を通らなくてはならない。
人形を視界に入れたくはない。ないが人形から目が離せなかった。なんとなく、背を向けたらまずいような気がしたからだ。
人形の横を通る。それはピクリとも動かずにデスクの上に鎮座していた。
受付を抜けて廊下に出る。この間も俺は人形からは目を離さなかった。
ここで俺は思わず「うわっ」と声を上げてしまった。
人形の座っているところの横に、子供が書いたような文字で『ぼくのおにんぎょ さん』と書かれていたのが目に入ってしまったからだ。
文字の上に埃がかぶっている。そうか、ここは精神病院だったから、入院していた患者さんが落書きしたのだろう。そうやって落とし所を決めて、決して人形から目を離すことなく、後退りで連絡通路を渡る。
本館に入ったと同時に、意を決して前を向いた。
暗い非常口の吊り下げのすぐそばの柱に、『みつけてくれてありがとうございま た』と書かれているのが見えた。おかしい。先ほどはこんな文字無かったはず。
慌てて文字から逸らした視線の先に、中のワタが飛び出てしまったソファが映る。背もたれの裏にさっきと同じような字で、『ぼくといっしょにかえ う』と書かれていることに気がつく。
声が漏れるのを必死に抑えて、俺は出口に向かって歩く。心臓は今にも飛び出してしまいそうなほど拍動している。
一刻も早く病棟から抜け出したい。そう思うが、膝が震えてうまく走れない。けど、早く立ち去らないと精神がおかしくなる。本気でそう思った。
床に落ちているガラスを躊躇なく踏み砕き、本館の受付にたどり着く。
俺は見てしまった。読みづらくなった案内の上に、書かれているはずのない言葉が、はっきりと書かれていた。
『おじさん またきてね』
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