手記
これは、ある旅好きな男の手記の中の一部。
手記は私の妻が経営しているコンビニの駐車場にずっと停まったままの車の中で見つけた。これから話すのは、私が特に気に入っている話。
今から話すことは、その男が実際に体験したことだ。
*******
:216 —s県××村—
俺は旅が大好きだ。
さまざまな場所へ行き、その土地の人、文化と触れ合い、そこでしか見られない景色を目に焼き付ける。それが楽しくてたまらない。
今までに俺は日本国内だけではなく、世界中のさまざまな国を訪れた。
「できるならまた行きたい」と思うような場所はあっても「こんな所、二度と行くものか!」と、そんな風に思うような場所は無かった。無いと思っていた。
この村に来るまでは……。
・旅の記録:①
今回の旅の目的地はs県のとある村。なんでもその村は、綺麗な星空が見える、ということで有名になった村だ。
その村には、都会と違って街頭やビルの明かり等は一切無い。日が沈んだ後に村の住人が眠りにつけば、そこは完全な闇。目を瞑っているのか開いているのかわからないほどの暗闇の中で、天候さえ味方につけることが出来れば、プラネタリウムも顔負けな満点の星空が拝むことができるというわけだ。
俺はこの旅を非常に楽しみにしている。もちろん、旅というだけで心の底が何かにくすぐられるような、ふわふわと浮ついた感情が込み上げてくるものだが、今回は少し違う。
俺は星空を見ることが大好きなのだ。プラネタリウムも顔負けの満点の星空。きっと、何時間だって見続けられるだろう。
カメラだって性能の良いものを新調して、準備は万端。あとは当日の村の上空が晴れることを祈るのみだ。
・旅の記録:②
灯かりが
俺の
俺と同じ道のりを辿る車は少ない。国道を幹に例えるなら、このガタガタ道は先細った枝と言ったところか。
整備くらい、しっかりしてやれよ。そう思いながらカーナビの指示に従いアクセルを踏み続ける。
細い枝、と表現したガタガタ道は少しずつ人の手を離れ、寂しい景色を映すばかりになってしまった。まるで枯れ枝だ。
そんな枯れ枝を一時間ほど走らせた時、突然カーナビが、『目的地に着きました』と冷たい口調で自分の仕事がここまでだということを告げた。
俺の視界に広がるは、小さな農村。おそらくここが、今回の目的地である××村だ。
緑が多く、都会の喧騒を忘れさせるのどかさ。俺たちがどこかへ忘れてしまった自然との共存。それが、ここにはある。というのがこの村の第一印象だ。
村には旅館やコンビニといった施設はない。不便だが、それは事前の調べでもわかっていたこと。少しの不便を我慢することで「満天の星空」というおつりが返ってくるのであれば、俺はいくらでも我慢するつもりだ。
最初は村の住人に一泊だけ泊めてもらおうかとも思ったが目的は星を見ること。それに、いきなり部外者が泊めてくれ、と押しかけてもきっと迷惑をかけてしまうだろう。
車を停めても邪魔にならず、文句も言われなさそうなところで車中泊することにする。車を停めるところは村の入口の近くにある大きな広場。ここなら問題は無いはずだ。
この村に来る途中、国道にあるコンビニで買った食料で腹ごしらえを済ませ、夜まで仮眠を取ることにする。
・旅の記録:③
どのくらい寝ただろうか。俺はかけていた目覚ましではなく、『グジュ……グジュ……』という何かを啜るような不気味な音に起こされた。
上半身を起こし窓ガラス越しに外を見れば、そこに広がっていたのは吸い込まれてしまいそうになるほどの深い暗闇。
これが、この村の夜。前情報の通り、目を開けているのか、閉じているのか、判断がつかなくなりそうだ。寝ぼけているのなら尚更だ。
しばらくの間俺はそんな暗闇に興奮していたが、ふとした瞬間に、先程の不気味な音の正体が知りたくなった。目を閉じて耳をすます。
……すると、
『ドコドン……ドンドコドンドコ……ドドン』
と、不気味な音の代わりに、お祭りで聞くような太鼓の音が俺の後方から聞こえた。
車から降りて音のする方に向かって少しだけ歩く。すると、焚き火をしているのが見えた。村の住人だろうか、人影が火の周りを囲むようにして立っているのが見える。
今日は何かのお祭りでもあるのか? と思っていると、村の住人が一人、二人とゆっくり座り始めた。
火を囲んでいる村の住人全員が座わり終えると、今度は何やら天を仰ぎ始めた。雨乞いか、神さまへのお祈りか。よく分からないがとりあえず儀式を行なっていることは理解できた。
そんなことを考えていると、焚き火の奥の暗がりに、ぼうっと人影が浮かんだ。
その人影はどんどんと焚き火に近づく。
火の光に照らされた人影をよく見ると、頭部になにかを付けている。俺の少ない知識でそれに一番近いものを挙げるなら、ペストマスクだろうか? いずれにせよ、不気味だ。
ペストマスクに続いて暗がりから焚き火へ近づいてきたのは、白装束を着た女性。ゆっくりとした足取りの彼女は、ペストマスクの横で立ち止まった。
俺は遠くから眺めているだけなのでその女性の表情や、細かい部分を見ることはできなかった。が、その女性には生気と呼ばれるものが一切ないことが、なぜかわかった。何かを諦めているような、或いは覚悟を決めたような。そこに生という力強さは一切なかった。
そしてその女性はおもむろに焚き火を一周回ったのち、ペストマスクの前に跪いた。
俺は最初、ペストマスクを神か何かに見立てて、白装束の女性が祈りを捧げているのかと思っていた。
だが次の瞬間、そんな甘い俺の妄想を遥かに超える悲惨な出来事が、俺の目に飛び込んできた。
……刎ねたのだ。スパっと。
——誰が、何を?
……ペストマスクが、白装束の女性の首を。と同時に、ペストマスクの手に日本刀が握られていたことに気づく。
そして、もっと恐ろしい事態が。
今この瞬間、肉塊になってしまったそれに、それまで焚き火の周りで祈りを捧げていた村の住人たちが群がったのだ。
『グジュ……グジュ……』
あの音だ。ついさっき俺が起こされた、あの音。
どこかで聞いたことのある音だと思ってしまった、そんな自分を激しく責める。気づいてしまったのだ。
村の住人たちは……それを食べている。
次の瞬間、俺を強烈な吐き気が襲った。
俺は急いで元来た道を走り抜ける。車に乗り込み、息を止め、耳を塞いで、目を閉じる。
(俺と俺の車は普段からそこにあるオブジェクト。この村のシンボル。誰もここに存在していることを気に留めない。)
必死に、バレないように、この場に溶け込むことだけに意識を集中させる。今、村の住人たちに見つかったら確実に殺される。
車の窓の外、『グジュ……』という音は微かに、塞いでいるはずの俺の耳に届く。まだ食事は続いている。
しばらくすると——と言っても一分程だったと思うが——辺りが静かになった。恐る恐る俺は目を開け、外の状況を確認する。
村の住人たちは元の場所で焚き火を囲み、祈りを捧げ続けているようだった。
奴らはおそらく、微動だにせず、何事もなかったかのようにしているのだろう。
(星空を見に来たはずの俺が、必死になって朝日を求めている。)
『ドンドン……ドコドコ……ドンドコドン』
(……早くこの暗闇を照らしてくれ。)
再び、太鼓の音が響き出した。
不気味だが、『グジュ……』という音よりは幾分かマシだ。
(これが終わりの合図であって欲しい。儀式でも、お祭りでも、なんでもいいから。
村の住人たちは祈りを捧げることをやめ、焚き火は静かに消える。そして最後に残るのは、この暗闇だけ。そうであってくれ!)
『ドドドドド……ドン!』
少しだけ激しくリズムを刻んだ後、太鼓の音は聞こえなくなった。
(よし! 儀式は終わりだ! 俺は朝までここでじっとしている。朝日が昇ると同時に俺はここを去る。それでいい。)
『……ジリリリリ!!!』
俺の心臓が大きく跳ねる。
……目覚まし時計だった。そう気づいた瞬間、俺は自分でも驚くような速度で鍵を差し込み、車のエンジンをかけた。
(バレた。今の音で俺の存在はやつらに認識された。)
俺の車は、この村のオブジェクトから、一刻も早くこの場から逃げるための文明の利器へと一瞬にして姿を変えた。
車のエンジン音に気付いた住人がこちらに向かって走ってくるのが、バックミラーから確認できた。先ほどまでの無表情さは消え去り、皆一様に驚いた様子だった。
ここで俺は祈りを捧げていた村の住人全員が同じようにペストマスクをしていたことに気付いたが、そんなことは今更どうでも良い。
ペストマスクたちがやってくる。
俺はアクセルを踏み込む。
少しずつペストマスクたちが近づいてくる。
車のスピードメーターがゆっくりと動き出す。
ペストマスクたちは異様に早かった。こっちは車だというのに、ケガも恐れずに車に突撃してくる。
『ガン!』
サイドミラーにペストマスクが一人、いや、一つしがみついた。
間近にあるペストマスクをじっと睨みつける。マスクをしているから当然だが、どんな表情をしているのか読めない。
ハッと我に返り、ハンドルを切る。視界からペストマスクが消え、振り落とすことに成功。
そのまま残りのペストマスクたちも振り切り、村の外に出て、整備もろくにされていない山道を走った。
……。
……村とは対照的な都会の喧騒。
俺はずっとスヌーズ機能によって鳴り続けていた目覚まし時計を見る。
どうやら行きに一時間かけた枯れ枝のような道を四十分で走り切ったらしい。
街灯に感謝をしたのは生まれて初めてだ。本当に帰ってこれて良かった……。
とりあえず、近くのコンビニに車を停めて少し休もう。
あの村で行われていたのは一体、なんだったのか?
もし車中泊ではなく、村の住人の家に泊めさせてもらっていたら?
もし、ペストマスクたちに捕まっていたら?
俺は、どうなっていたのだろう。
考えたくもない。
*******
手記はそこで終わっていた。
残念だったな。と、私はほくそ笑みながら、ペストマスクをつける。
外から宴の始まりを告げる太鼓の音が聞こえる。今夜はどんな奴が餌になるのか。
楽しみでならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます