第4話ー03

「さ、実斐さん!?」

 悠音はきょとんと目を丸くした。

 なんでこの鬼の青年がこんな所にいるのかが分からない。今は日向が出て行ったあとだったから良かったようなものの、まだここに居れば大変なことになっていたのではないか?

「ふん。邪魔だったから、あの者は追い出した」

 実斐はどこか不機嫌そうに美しい眉を逆立てた。

「追い出したって……日向おじさんは」

 拝殿の注連縄が落ちたから、その様子を見に行っただけだ ―― 。

 そこまで考えて、悠音はさっきの日向の言葉を思い出した。『困ったことをする人だ』と、確かに日向はそう言っていた。

 それが、宇山に対しての言葉ではないということは……。

「ねえ、もしかして実斐さんが注連縄を落としたの?」

「我の知らぬところで、勝手に我のことを詮索されて話されるのは好まぬのでな」

 いかにも不愉快そうに青年は唇を曲げた。

「そなたもそなただ。我のことを知りたいのならば、他人などに頼らずとも、我に聞けばよかろうが」

 じっと、真闇のような漆黒の瞳が射るように少女の顔を見やる。

 確かに。内緒で相手のことを探るのは感心されたことではない。悠音はバツが悪そうに肩をすくめた。しかし負けじと上目遣いに鬼の青年を見据えた。

「だって、あなた自分で封印された理由がわからないんでしょう? だったら日向おじさんに聞いたっていいじゃない」

「……何ゆえ我が封じられた理由に、そなたはそんなにこだわっておるのだ? 我にはそこが理解できんな」

 さらりと顔にかかってきた紅い髪をうしろに跳ね上げて、実斐は苦笑するように口端をつりあげる。

 自分の為したことが単に人間の意に沿わなかっただけで、その"理由"などにはたいして意味もないことだと思うのだ。

「理由を知ったからとて、そなたに益があるわけでも、何が出来るわけでもなかろうが? 無駄なことはするものではない」

 くつくつとからかうように笑いながら、実斐は悠音の隣へと歩み寄って来る。

「……不思議に思ったことを、そのままにしておくのが嫌なだけだもん」

 巧い反論が見当たらず、悠音はぷくりと頬をふくらませる。

 ただ、実斐のことが知りたかっただけなのに。理解したかっただけなのに、そんなふうに『無駄なこと』だと切り捨てられるのは悔しかった。

「やはり、変わった娘だのう、そなたは」

 艶やかな微笑みを見せて、実斐はぽんっと少女の頭に大きな手を載せた。頭上に感じる青年の、温かなその重みが心地よかった。

 けれどもふと、先程の日向の話を思い出してしまって、更に彼女の頬はふくらみを増した。

「実斐さん、神社を燃やして宮司さんを殺して……その挙句に巫女さんを攫ったんでしょう? ほんっと酷い鬼だったんだね」

 思わず憎まれ口をきいてしまう。

 別に、封じられた理由を聞いたからといって恐ろしくなったわけではない。それはもう千年以上も昔のことだ。本で読む昔語りと同じで、実感としてわいてくるはずもなかった。

 ただやっぱりどうしても腹が立ってしまうのだ。―― ある、に。

「……さっきの神主がそう言ったのか?」

「え? うん、そうだけど……実斐さん、私たちの話を聞いていたんじゃないの?」

 ふと自分を見おろしてくる実斐の表情がいつもと違った。

 憎々しげで。けれどもどこか寂しげで……こんな彼の表情を前にも一度見たことがあると、悠音はそう思った。

 確か ―― 初めてこの鬼と出会ったあの日だ。

 自分が『神矢献上式』で射士を務めるのだと知ったあと、永久とわの眠りの話をしていたときの表情とよく似ているのだ。

 どうしてそんな表情をするのか、理由までは分からなかったけれど。


「いや。神苑を散歩をしておったら、こちらより我の好まぬ話をしているがしたのでな。それで邪魔をしただけだ。話の内容までは聞いておらぬよ」

 ゆったりと腕を組むように太い柱に寄り掛かり、実斐は苦笑まじりに答えた。その表情からは先程の不可思議な感情のいろは消え失せて、いつものようにどこか尊大な笑みが浮かんでいる。

「実斐さんって気配を感じ取るのが得意なんだね。この間はそれだけで私の家に来られたし、今日はあんなに離れた神苑から社務所の気配を感じるなんて……」

 思わず感心したように悠音が言うと、実斐は心底から馬鹿馬鹿しそうに眉をひそめ、ふんと少女を見おろした。

「鈍すぎる人間とは、すべての出来が違うのでな」

「ふうん? じゃあ人とは出来が違う優秀なその鬼が、どうして馬鹿にしている人間の女の子……美人な巫女姫を攫ったりするのよ」

 なんだかんだと言いつつも、けっきょくはそこに行き着いてしまう悠音だった。

「……はぁ?」

 実斐は一瞬きょとんと目をまるくして、思いも掛けないことを言う少女を見やる。彼女の桜色の唇が不機嫌そうに尖っているのを見て、思わず吹き出すように肩を揺らして笑った。

「悠音……それは、我が攫った女どもにいておるように聞こえるが?」

 神社を燃やしたことでも、人を殺したことでもない。まさかそこを責められるとは、実斐は思ってもみなかった。

 この少女が不可解にも"鬼"である自分に対して好意を持っているということは、毎日会いに神社を訪れて来ることからも分かるのだが……。

「ど、どうしてそういう発想になるのよ! ほんっとあなたって自意識過剰だよね。私はただ、それって女の敵だなって、そう思っただけなのに!」

 毎度のことながら、鬼の青年の言葉は悠音にとってはかなり心臓に悪い。

 確かに実斐と一緒にいる事は楽しいから会いに来ているのだ。それはもう、自分でも気が付いてしまったから認めるけれど。

 だからと言って、決して愛だの恋だの、妬くとか妬かれるとか、そういうことじゃないのだと、悠音は思う。

「ふふん。そうか。まあよい。……そろそろが戻ってくるようだしな。我は帰るとしよう」

 外の気配を感じたように、実斐は社務所の入口の方へと視線を向けて吐き捨てた。

 そうして僅かに微笑むように漆黒の瞳を細めて悠音を見やると、ゆらりと柱から身体を起こした。

 細く長い指をそっと少女の頬に伸ばし、そこから優しく髪を梳くようにゆっくりと手を後頭部へまわす。

「我がいま獲物と定めておるは、そなたのみだ。安心するが良いぞ」

 まるで囁くように、耳元に呼気が触れるほど近くで実斐は言葉を紡いだ。その声音は鳥肌が立つほどに甘く、心地よい。

「 ―― っ!?」

 思わぬ青年の言葉に絶句した悠音の顔が一気に真っ赤に染まると、実斐は再びにやりと笑った。

「まあ、鬼に『喰らう獲物』だといわれて安心も何もないであろうがな」

 からかうように言い放つと、何事もなかったかのように、さっと少女の髪から手を放す。

 そうして美しい紅い髪を風に揺らめかせるようになびかせて、窓の外へと駈け去って行った。

「……な、なんなのよぉ……」

 悠音は茫然と、鬼の青年が去った木々の間を見つめていた。

 もう、その姿は見えなかったけれど、頭の中にはさっきの声がこだまする。くらくらと、貧血でも起こしてしまいそうだった。

 実斐が開け放して行った窓から入る冷たい初冬の風がゆるやかに、悠音の跳び跳ねる鼓動を抑えるように頭を冷やす。

「私……なんか最近思考が変になっちゃってるのかなぁ」

 深く溜息をつきながら、悠音は冷えた窓硝子にこつんと火照った頬を寄せた。

 鬼の『獲物』だと言われてしまったというのに。さっきの実斐の言葉に怒るどころか赤くなってしまった自分の心が納得いかなった。

「……ち、違う違う。ありえないもん。言葉の内容じゃなくて、あんなに艶っぽい声を耳元で聞いたから照れただけよ。意識なんてしてないもの。……まったく、なんて声を出すのよあの……バカ鬼っ!!!」

 自分自身に言い訳するようにそう呟いて、最後の台詞は紅い鬼が去っていった木立に向かって思いきり叫ぶ。

 そうすると、なんとなくモヤモヤした心がすっきりするような気がした。


「…………」

 社務所の入口でいつもの穏やかな微笑みを浮かべたまま、日向がそんな彼女の叫びを聞いていたことに、まだ、悠音は気がついていなかった。

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