第4話『微笑みの裏側』

第4話ー01

 いつものように鳥居をくぐり拝殿へ向かう参道を歩いていると、ふいに名前を呼ばれて悠音は足を止めた。

 ゆっくり振り向いて見ると、神主の白い狩衣姿に黒のダウンコートを羽織った日向の姿が見えた。

 神職の装いとはかなりミスマッチなそのコートが、とても温かそうだった。

「日向のおじさん、寒いのに毎日お掃除大変だね」

 いつものとおりに竹箒を持っている日向に、悠音はにっこりと笑ってみせる。

 寒かろうが暑かろうが、毎日参道や鳥居の周辺を掃き清めなければならないのだから、お勤めとはいえ大変だろう。

「はは。まあ、たいていの場所は宇山君たちがやってくれているからねぇ。僕はそんなに大変でもないんだよ」

 にこにこと若々しい笑顔を浮かべて、日向は悠音の隣に歩み寄ってきた。

「悠音ちゃんも最近よくお参りに来てるみたいだね。もしかして、大学受験の合格祈願かな?」

 この藤城神社は病気平癒や家内安全などが主なご利益ではあるが、とりあえず合格祈願も受け付けてはいるのでそう思ったのだろう。時期的にそういう人間が増えてくる頃だった。

「え? 私の学校は付属だもの。受験はないよ」

 くすりと悠音は笑った。逢沢家の一人娘である彼女は幼稚舎から一環の私立校に通っているので、受験というものには馴染みが薄かった。

「ああ、そうかぁ。悠樹がそういえば、受験ナシにのびのび育てたいって言ってたかな。あいつ、親馬鹿だからなぁ」

 悠音の父親の名前を出しながら、日向はくすくすと笑った。

 若い頃に自分が受験で苦労したので娘にはさせないと言っていた幼馴染みの顔を思い出して、更に可笑しかった。

「でも、それじゃあ何をお参りに来てるんだい?」

 にこにこ笑顔で日向は悠音の顔を見やる。

 なんだか、日向のその眼差しが意味ありげに思えて、悠音は困ったように視線を泳がせた。

 自分にやましい(?)ところがあるからこそ、そう思えたのかもしれないけれど。

「えーと……」

 まさか、「毎日鬼に会いに来ています」などと言えるわけもない。

 鬼が解き放たれていることがバレて、宮司であるこの日向に再び封じられてしまったらと考えるだけでも怖ろしい。

 実斐は無理だと否定していたが、心配なものは心配なのだ。

「きゅ、弓道がもっと巧くなりますようにって! もうじき五段の審査も受けたいと思ってるし」

 背負っていた弓道具を不自然なほどに素早く前に差し出して、悠音は壮年の宮司にそう言った。誰がどう見ても"言い訳"としか思えないその少女の態度に、しかし日向はくすくすと笑っただけだった。

「そうなんだ。本当に悠音ちゃんは弓道が好きなんだねぇ。君に弓道を勧めた僕としては嬉しいな」

「うん。大好き」

 それは嘘ではないので、今度はきっぱりと悠音はそう答えることが出来た。

「弓道のおかげで色々な人にも出会えたしね。日向おじさんにも感謝してるよ」

 悠音の所属する弓道連盟の道場には、実に様々な人たちが通って来ている。

 学校だけでは知り合えないような年配の人とも親しくなれたし、何よりも、弓道をやっていたことで『神迎の神事』の射士に選ばれ、紅い鬼……実斐と出会うことも出来たのだから。


「ははは。好きこそ物の上手なれ、だね」

 にこにこと笑って、宮司は少女の頭を軽く撫でた。

「ところで悠音ちゃん。神苑に封じられていた鬼の話だけど」

「えっ!?」

 突然ふられた話題に驚いて、思わず悠音は上擦ったように叫んでしまった。

 やっぱり、この宮司は実斐のことに気がついているのではないだろうか? そんな緊張が悠音の表情を固くする。

 相変わらず日向の表情は穏やかで優しいけれど、その微笑みの裏側には何か別の意図があるように思えて、大きく鼓動が跳ね上がった。

「うん? どうしたんだい、そんなに驚いて?」

 にっこりと、日向は目を細めるように軽く首を傾げてみせる。

 昔から大好きだったこの宮司の優しい笑みが、根拠もなく不穏なものに思えてしまうのは、紅い鬼の立場を思えばこそだ。

 己の心の中での優先順位が、知らず知らず実斐を中心に動いているのに気が付いて、悠音は溜息をつくようにゆるゆると首を振った。

「ううん。なんでもないよ。で……鬼がなあに?」

「ああ。前に悠音ちゃんが興味を持ったって言ってたでしょう。あのときの約束をね、ちゃんと果たそうかなと思ってね」

 いたずらっぽく片目を閉じて見せて、日向は社務所の方を指し示す。

 ここでは寒いから部屋の中で話そうということだろうと理解して、悠音はちょっと迷ったように拝殿の方へと視線を向けた。

 相変わらず、ここに来て会うということを実斐と約束しているわけではなかったけれど、毎日訪れているものを突然行かなければ心配するのではないかと思った。

 自分が居ない時にあの鬼がどこに居るのかは知らないけれど、行けば必ず現れるのだから。しかし ―― 

「……心配なんか、するはずもないかぁ」

 そう考えることは少し切ない気もしたが、実斐の性格を考えればそれが現実だろうと思う。だから悠音は拝殿のあるほうを見やり、苦笑するように息をついた。

「心配って? ああ、もしかして悠音ちゃん、誰かと待ちあわせてたりするのかな? 用事があるなら話は今度にしようか」

 にこりと優しい笑顔で日向は少女の瞳を見やる。けれども。悠音はぶんぶんと大きく頭を横に振った。

「あっ……ううん。違うの。約束してるわけじゃないから大丈夫。だから鬼の話を聞かせて、おじさん。出来ればホットチョコを作ってくれたら、もっと嬉しいなぁ」

 実斐が千年もの昔に何をやって封じられたのか。そしてどんな鬼だったのか。知りたいという気持ちはもちろんあった。

 だから父の幼馴染みであり、幼い頃からよく遊んでくれた"神主さん"におねだりするように、悠音は上目遣いの笑顔になる。

 日向は可笑しそうに笑いながら、そんな少女の髪をくしゃくしゃと撫でた。

「はは。悠音ちゃんにはかなわないなぁ。じゃあ、とっておきのホットチョコを作ってあげようね。さあ、寒いから早く社務所に行こう。僕は慣れてるからいいけど、女の子は身体を冷やすのはよくないからね」

 軽くぽんっと少女の背中を押して、日向は社務所の方へと歩き出す。悠音はもう一度だけ拝殿の方を見やってから、日向のあとについて行った。



「はい、どーぞ」

 年季の入った焦茶色の木製座卓に、ふわりふわりと温かそうな湯気の立つマグカップを二つ置いて、日向はにこりと笑った。先程の悠音のおねだりを聞き入れる形で、粉末ココアなどではなく本当にホットチョコを作ってくれたのだ。

 甘い物が大好きだという日向の、特製飲み物だ。昔からこの神職の作ってくれるホットチョコが悠音は大好きだった。

「ありがとう、日向おじさん」

 嬉しそうに顔を輝かせて、悠音は冷えた両手を温めるようにマグカップを包みこんで持つ。じんわりと指先から感じられる熱が心地よかった。

「いいえ。どういたしまして。はは。僕も久しぶりに飲みたかったし、ちょうど良かったよ」

 やんわり笑顔で日向は自分のマグカップを口にする。大人の男性が嬉しそうにホットチョコを飲む姿はなんだかとても微笑ましい。

 もともと甘いチョコレートのような性格と穏やかな容貌をした神職でもあるので、なおさら可愛く思えて悠音はちょっと笑った。

「それで、神苑に封じられている鬼の話なんだけど……蔵に残っていた文献でいろいろ分かったことはあるんだけどね、悠音ちゃんは何が一番知りたいのかな?」

 既に陽は暮れているので、全部を話していたのでは夜遅くなってしまう。だからまずは、彼女が知りたいことだけを話そうと思ったのだ。

 残りも悠音が知りたいようならば、おいおい話せばいいだろう。

 ことりとカップをテーブルに戻して、日向はやんわりと少女に尋ねた。

 悠音は一度「うーん」と考え込むように俯いてから、意を決したように宮司に視線を返す。

「えーと。じゃあさね……鬼は、どうして封じられてしまったの? そんなに、悪いことをしたの?」

 それが一番知りたかった。自分と一緒に居るときの実斐からは、封じられなければいけないような非道さは伺えない。彼に訊いても、善し悪しは分からぬと言われるだけで、封じられた理由はさっぱりわからなかったのだ。

「あはは。悠音ちゃんの言い方だと、なんだか封じられた鬼に同情してるみたいに聞こえるなぁ」

 くすくすと日向は笑う。

「でもまあ、もちろん『鬼』だからという理由だけで封じられたわけじゃなくて、原因はちゃんとあるんだよ」

「……う、うん」

 相変わらず日向は笑顔であったけれど、悠音を見やるその瞳はどこか真摯な眼差しになっていた。

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