第3話【茶色い塊】
私の顔をじっと見つめるエマ。
何を思ったか、両手でいきなり私の耳を引っ張った。
「ちょっと! 何するのよ!?」
特に痛いわけでもないのでなすがままにされていると、エマは私の耳を撫でたり顔を近付けたりしてくる。
エマの吐息が耳にかかるので、ゾワゾワする。
「ほ、本物ですね?」
「当たり前でしょ。どこの世界に偽物の耳を付けて喜ぶ人がいるっていうのよ」
「あ、いや。そういう人はいると思いますよ。付ける方も付けてるのを見る方も」
「え?」
「ああ! なんでもないです。とにかく! ルシアさんって、正真正銘のエルフなんですか!?」
明らかに興奮した様子でエマは私の答えを待っている。
顔は紅潮し、黒に限りなく近い茶色の瞳は輝いていた。
そこで私はエマの顔にかかっている物の存在が気になった。
「ねぇ、エマ。あなたの顔に付いている二つの丸は何?」
「え? ああ、これですか? これはメガネと言って、視力、物の見え方を助ける道具ですね。って! 違いますよ!! ルシアさんはエルフなんですか? そうなんでしょう!?」
「ええ。私はエルフね」
既に確信していたのだろうけれど、私の口からその答えを聞いたエマは、立ち上がり両手を天に突き出した。
口からは声にならない叫び声のようなものを発している。
エマが立つと私との身長差のせいで、私の目のすぐ下にせり出した胸がやって来た。
私は思わず視線を上下し、自分のものと見比べてしまう。
「早速ですが、ルシアさん!! お願いがあるんです! 私を魔法の弟子にしてください!」
「魔法?」
「ええ! こう見えて私、ちょっとは名の通った魔導師なんですよ! ただ、どうしても越えたい相手がいて……そこで! 種族全てが膨大な魔力を持ち、優れた魔法の数々を扱う種族、エルフの弟子になることに決めたんです!!」
エマは私と目線を合わせるためか、前屈みになって私を見つめてきた。
私の目線はエマの顔を通り過ぎ、その向こうにある服の隙間から現れた二つの山とそれに挟まれた谷に吸い込まれているけれど。
「お願いします! この通り!! さっきのバイコーンをやっつけたのも風魔法なんですよね? 無詠唱でそんな威力を出せるなんて!」
「ううん。あれは魔法なんかじゃないわ。ただ棒を振っただけよ。私は魔法なんて使えないし」
「ええ!? そんな!? エルフなのに魔法が使えないだなんて!」
エマの放った『エルフ
それに気付いたのか、エマは慌てて胸の前で両手を左右に振り、謝ってきた。
「ご、ごめんなさい! 事情も知らずにズケズケと! 悪気があった訳じゃないんです。でも、ルシアさんにとってはすごく失礼な言葉でしたね。本当にすいません!!」
「いいのよ。本当のことだし。悪いけれど、私は
言ってからトゲのある口調になっていたことに気づく。
エマは少し黙り、そしておずおずと口を開いた。
「あの……図々しいのは承知なんですが、他のエルフの方を紹介してもらえませんか? ここに来るまでに、色んな人に『エルフなんてもうこの世に居ない』とか散々馬鹿にされたんです。そもそも存在自体が作り話だなんて言う人もいました。ようやく辿り着いた夢なんです!」
「無理ね」
私は間髪入れずにそう返す。
言った途端、エマの身体がピクンと揺れたのが見えた。
「意地悪したいわけじゃないの。無理なのよ。だって、私も他のエルフが今どこに居るのか知らないんですもの」
「え!? ルシアさんは一人でここで暮らしてるんですか? 私が調べた古い文献にはこの森のどこかにエルフの里があるはずだったんですが……」
「好きで一人暮らし暮らしているわけじゃないわ。言ったでしょ。魔法が使えないって。私は生まれつき魔力がゼロなの。そしてエルフは身に宿す魔力量で価値が決まる。つまり無価値な私は、里から捨てられたのよ」
話し始めた私は、どうせだからと自分の身とエルフの里に何があったか、知りうることを全て話した。
エマは口を挟まずじっと聞いてくれる。
「というわけで、この森にはもうエルフは私一人だし、他のエルフの行方も検討もつかないってわけ。そもそも私はこの森以外の場所を知らないしね」
話し終えた私の言葉に、エマは身体を小刻みに震えさせ始めた。
文字通り死にそうな思いをしながら辿り着いた望みが、潰えたのがよほど悲しかったのだろうか。
エマは眼鏡を上げて目を拭うと、私の両手を強く握りしめてきた。
視線を始めに握られた両手、そして顔を上げエマの目へと向ける。
今にも泣き出しそうな顔だ。
口元はわなわなと震えている。
手を握られた理由は分からないけれど、やはり悲しいようだ。
そんなことを考えていると、突如目の前が真っ暗になった。
エマが私を力いっぱい抱きしめたのだ。
初めて感じた他人の体温、柔らかさ。
エマの身体の震えは消えていた。
「ルシアさん!! 偉いです! 凄いです!! どんな言葉を使ってもなんの慰めにもならないと思いますが、あなたは無価値なんかじゃないですから! いっぱい、いっぱい価値がありますから!!」
「エマ……?」
「私はルシアさんのこと少ししか知らないですけど、私の中では命の恩人です!! 人を助けられるような人に、価値がないわけないんです!」
無価値じゃない。
私には価値がある。
会ったばかりの、名前しか知らない女性。
私が生きた千年の中のほんのひと時を過ごしただけの女性。
そんなエマは私が欲しかった、欲しくて堪らなかった言葉を、言ってくれた。
エマから感じる温かさとは別に、私の身体の中にも温もりを感じた。
「そうだ! 私いいもの持ってるんです。悲しい時にはこれに限ります。美味しいものを食べれば、悲しい気持ちなんかすぐに吹っ飛んじゃうんですから! 一緒に食べましょう!」
エマはそう言いながら私から離れ、腰に付けた鞄の中から、小さな包みを取り出した。
さっきの言葉からすると食べ物らしい。
「はい! ちょうど半分こしました。こっちはルシアさんの分です」
「ありがとう……」
エマから手渡されたものは、四角い形をした茶色い塊だった。
どんな味がするのか全く想像できず戸惑っていると、エマが笑顔で私を見つめているのが目に入る。
それでも口にできずにいると、エマは何か気付いたような素振りを見せ、おもむろに右手に持った自分の塊を口にした。
何回か
「毒は入っていませんよ。安心してください。騙されたと思って食べてみてください。凄く美味しいんですから!」
「う、うん……」
目をつぶったまま塊にかぶりつく。
カリッと軽い音を立て、塊が舌の上に触れた瞬間。
「わっ⁉︎ なにこれ! 甘くて……すっごく美味しい‼︎」
「でしょ、でしょ⁉︎ 私のお気に入りなんです。気に入ってくれたみたいで嬉しいです」
「コレは何? こんなもの食べたことがないけど」
「マルレっていうお菓子ですよ。すり潰した木の実の粉と蜜を練り合わせて固めたものです」
「マルレ! 凄いね、エマ。森の外にはこんなに美味しい物があるの⁉︎」
気付けばエマからもらったマルレはすっかり消えてしまった。
私は口の中に広がる甘い余韻を楽しむように舌をあちこち動かす。
「いっぱいありますよ。ムーのクリームを使ったケーキは味が濃厚で頬っぺたが落ちますし、ピーベリーサンドは酸味と甘味が絶妙で何個でも食べれますし……他にもまだまだ私も食べたことのない美味しいものが世界にたくさんあるんです!」
「凄い! エマはこんなに美味しい食べ物をいっぱい知ってるんだね‼︎」
「えへへ。自慢じゃないですけど、私の夢の一つは世界中の美味しいものを食べることですからね。ここに来る前も色んな所を旅していたんです」
にこにこと話すエマの顔をじっと見つめ、私は思いついたことを口にすることに決めた。
エマの願いを叶えることができなかった私の頼みを、エマは聞き入れてくれるだろうか。
「ねぇ、エマ。お願いがあるんだけど……私も……私もエマの旅に同行させて!」
「ええ、もちろん……って? ええ⁉︎」
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