第2話【他者との遭遇】

 私が声の聞こえた方へ向かったのは、単なる好奇心だった。

 独り言を以外に意味のある言葉なんて聞いたがいつだったかすら忘れてしまった。


 それがたまたまそう聞こえた別の音じゃないなんて保証はどこにもない。

 だけど、結果的に私はその場に到着し、そして出会ってしまったのだ。

 今後の私の人生を大きく変えることになる人物に。


 目の前に居たのは、普段ならこの辺には姿を現さない『二本ヅノ』と、見たこともない衣装を纏った女性だった。

 昔、男女の違いは胸の膨らみ方に現れると聞いたことがあるから、あんなに立派に膨らんでいれば、女性で間違いないだろう。


「しかし……あれが女性の胸だとすると……ずっと私は女だと思っていたのだけれど、実は男だったのかしら……」


 自分の獣の皮で覆われた胸部に目線を落とし、衝撃の事実を知ってしまったのではないかと戦慄している時に、女性が声を上げた。


「そ、そこの野性味あふれるお嬢さん! 逃げてください‼︎ 三メートルを超えるバイコーンなんて、敵いっこないですから‼︎」


 お嬢さん……

 お嬢さんというのは確か、女性に使う言葉だったはずだ。


 ということは、私はやはり女だということになる。

 安堵と共に、何故あの女性が私を女だとすぐに分かったのか教えてもらうため、私はひとまず邪魔な『二本ヅノ』を排除することに決めた。


「大丈夫! こいつはちょっとだけど、問題ないから!」

「ニガテじゃ済まされる相手じゃないですよ⁉︎ 分かっているんですか? バイコーンは周囲に毒を撒き散らす危険な魔物で、特に額に生えている二本の角は、あの巨人サイクロプスさえ一撃で仕留めるほどの猛毒なんですから‼︎」


 『二本ヅノ』というのは、私が勝手に呼んでいる名前で、あの女性はバイコーンと呼んでいるようだ。

 確かに額に生えた二本の滑らかな黒角で、この辺りの多くの生き物を一撃で殺してきたのを何度も目撃している。


「まぁ、角なんて避ければ」

「そんな簡単に行くなら誰も苦労しません! バイコーンはその巨体によらず素早く機敏な動きをしますし、角以外にも上体を起こしてからののしかかりや、後脚の強力な蹴りだって一撃必殺の威力を秘めているんですから‼︎」


 なんだか随分と『二本ヅノ』について詳しいみたいだ。

 なんて思っていたら、私との会話のせいか、逃げていた彼女が足元でつまずき、前に転がるように倒れ込んだ。


 周囲の状況に念のためざっと目を向ける。

 所々の木々は燃えたり折れたりしていて、女性の服は明らかに逃げ惑ったことが分かるほど破れ汚れていた。


 どうやら逃げながらも反撃はしていたようだ。

 そんなことを思っている間に、女性は観念したのかその場に座り込み、呪詛のような言葉を漏らし始めた。


 バイコーンは女性に向かって上体を高く持ち上げる。

 このまま下に前脚を振り下ろすつもりだろう。


「あーあー。私の人生ここで終わるんですね。なーんもいいとこなかったけど、こんなことになるなら、王都にできたミレッツェのお店で吐くまで食べておけばよかったです……港町の新鮮な海鮮が食べられるアドラーだってまた行きたかったし、そういえばミザリーさんの新作だってまだ味見できてないし……」

「なんかブツブツ言ってるけど、それは詠唱か何か?」

「え……? って、ぎゃあー!? なんで貴女が隣にいるんですか!? 一緒に押しつぶされちゃいますよ!!」

「押しつぶされるって何に?」

「何って、バイコーンに決まってっ! ……!? あれ? バイコーンは?」


 うずくまっていた女性は、目線を上や下に忙しなく動かし、やがてかなり離れたところで息絶えたバイコーンを見つけたようだ。

 目の前にかけた二つの輪っかを付けたり外したりしながら、バイコーンの死骸と私を何度も見返していた。


「ひとまず。『二本ヅノ』……じゃなかった。バイコーンって言うんだっけ? あいつは殺したから、もう安全よ。私はルシア。あなたは?」

「ば、バイコーンを……しかも成獣を一瞬で倒したんですか!? どうやって……あ! わたしはエマと言います。危ないところを助けてくださって大変ありがとうございました!!」

「どうやってって、こうやって、こう! ってしただけだよ。簡単でしょ?」


 そう言って、私は手に持った木の棒を軽く振り下ろす素振りを見せた。

 かなり軽く振ったつもりだったけど、辺りに強風が発生し、落ち葉が舞う。


「え、えーと。ルシアさんでしたね。とにかくありがとうございました。このお礼はどうやってお返しすればいいか……」

「あ、エマ。ちょっと待ってね。先にこいつを処理しないと。食べられなくなっちゃうから」


 キョトンとしたエマをひとまず置いて、私はバイコーンの死骸へと足を運ぶ。

 そして力任せに二本の黒角を引き抜いた。


「な、何やってるんですか!? バイコーンの角には猛毒があるんですよ?」

「そうだよ。だから、殺した後はさっさと抜かないと、毒が身の方にまで回って、食べられなくなっちゃうでしょ?」

「え?」


 いつもならバイコーンを見つけても、こいつを狩りの対象にすることはまずない。

 いくら角を抜いたとしても、生きている間にすでにバイコーンの身には少量の毒が含まれているからだ。


 つまり、こいつの肉ははっきり言って不味いし、食べる量に気を付けないと、身体にも悪い。

 だから、私はこいつがなのだ。


「ば、バイコーンを食べるなんて! 自殺行為ですよ!?」

「私も昔はこいつの毒のことに詳しくなくて、何度か死ぬ思いをさせられたけど、きちんと処理すれば食べられるの。不味いけどね……」


 バイコーンの血抜きなどの処理をしている間に、エマに聞かなければいけなかったことを思い出した。

 私はエマの方に身体を向け、目線をしっかりと合わせてから、おもむろに口を開く。


「エマ。実は、エマに聞かなくちゃいけないことがあるの……」

「は、はい……なんでしょうか……?」


 私の問いかけに、気迫を感じたのか、エマの唾を飲み込む音が私にまで届く。

 意を決して、私は質問を投げかけた。


「なんで私のこと、女だってすぐに分かったの? エマの胸はすごく膨らんでるから、私はエマが女だって分かったけど」

「はい?」

「いや……遥か昔の記憶だから私も自信がないんだけれど、女には胸があり、男には胸がない。それが男女の違いだって聞いたはずなのよね。でも、自分で言うのもなんだけど、ほら……私の胸って……」

「あ、なるほど! って、手を打ってる場合じゃないですね。遥か昔の記憶って、一体ルシアさんはその話聞いたの何年前の話ですか? 大人が子供に教えるくらいのやつですよね。それ」


 エマはまるで私が子供の時置き去りにされて以降、誰とも話したことがないことを知っているようだ。

 そんなこと一切話してないのに、何故エマはこうも私のことをすぐに見抜くのだろう。


 私は驚きながらも、素直に答えることにした。


「正確かどうか自信がないけど、大体千年前ね」

「あはは。面白い冗談言いますね。千年以上生きててそんな容姿だなんて、まるでエルフみたいじゃないですか。あ、ちなみにエルフっていうのは、私がこの森に入った目的なんです」

「エルフが目的?」

「ええ! 目的の詳細は流石に命の恩人のルシアさんにも言えませんが。エルフをご存知ですか? 色々な特徴がありますが、長命もそのひとつですし、見た目で分かりやすいのは、ルシアさんみたいな長い耳で……え?」

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