『山根 賢治』の場合・6
何かあれ。
非日常よ、途切れるな。
そう願いながら発した、勢い任せの一言。だがそれは課長にとって完全に理外の一手だったのだろう。
私の提案を訊いた瞬間、それまで疑いに細められていた目が大きく見開かれた。顔中に広げられたその驚きはしかし、数秒もしないうちに歪む口元に収められていく。
その急激な変化の理由を推し量る間もなく、彼の表情がはっきりとこちらに嘲笑を向けるそれへと変わっていった。
「君に、そんな伝手があるとでも?大体――」
そこで一度視線を切った課長が、忌々しさを込めた顎先をドラム缶の列へと向ける。
「中身が何であるかも知らないから、そんな事が言えるんだろう」
粗方の察しは付いていたが、けだしの正論に似つかわしくない吐き捨てるようなその口調で確信する。
「つまり、通常の手筈で捨てる事が出来ないんですね、その中身は」
そして、こちらの返しに続いた沈黙が答えだった。
やはりあの中身は公に、会社の名を使って処理する事が
それを体よく押し付けられた、ということだ。
これで彼が不自然なほど規模の大きい取引を得たカラクリが見えた。あるいは彼も
都合の『いいひと』
どうでも『いいひと』
いなくなっても『いいひと』
ここで、この場においてだけは、そんな普段の私でいてはならない。
「だとしても君には関係――」
「ここで引き下がるなら、こんな時間にこんな田舎くんだりまで追ってきませんよ」
会社での仮面を脱ぎ捨て、決まっていく肚。
それに引っ張られるように、語気までもが普段の臆病さを潜めていく。自らの内側で起きている変化に体までもが勝手な熱を帯びていくような心地だった。
「……」
抗弁の端緒を食いちぎられ課長が、僅かに気圧された様子で腰を引く。望んだか否かの違いはあっても、のっぴきならないのは彼も同じだった。彼は先の電話で大見得を切ってしまった事で、そして私はこうして課長に見つかってしまった事で、どうあってもいつも通りの明日を迎える道は崩れ落ちている。
「なら、どうする?これをネタに私を
まだ余裕の残るその声に、今度はこちらが沈黙を返してやる番だった。
出来もしないくせに――そんな侮りが透けて見えるその口調。察するにこの場において課長はまだ、絶対的な
そして何より、営業としての年季も顔の広さも自分より劣る部下が、自分でも手に余るような厄介モノを処理できるコネを持っているはずがない、と。
だからこそこの化かし合いも、どうせすぐに奴が音を上げて終わる――互いに短くない付き合いだ。その間に下された人事考課のとおり、その見立てが9割正しい事は他でもない自分が保証してもいい。
「いいえ」
だがそれ故に、ひとたび立てた予測を裏切られれば、挟まれたオセロのように盤面が一気にひっくり返る。
「半年前偶然知り合った、グレーの処理業者です。割高な金を払う羽目にはなるでしょうが口は堅く、処理するものは問わないそうですよ」
意味ありげなアクセントの一言を残し、少し勿体ぶった手付きで財布から一枚のカードを取り出す。そうして
「そんなもの、所詮便利屋気取りに過ぎんだろう」
そっけない口調とは裏腹に、こちらへ一歩詰め寄る課長。その血走った眼が名刺の字を捉える直前で、再び懐にしまってやる。
ぽつぽつと明かりはあるものの、お互いの輪郭もおぼろげな暗さだ。その上見せてやるのは一瞬とくれば、誰の名刺でも構わなかった。
「山林持ち、かつ登記もしていないと言ったら?」
「何だと?」
こうして並べ立てるでたらめの信憑性を少しでも上げるための演出に使う小道具。それが処理業者を名乗る怪しい男の名刺であったのは、偶然の一致に過ぎない。
「……要するに、自前の土地で処理して、帳簿も残さない、と?そんな都合のいい話があるか」
それが勝手に限を担いでくれたかどうかは知らないが、予想以上の食いつきを見せてくれた。都合の良過ぎる展開と自分でも口にしているにも拘らず、嘘と切り捨てる事も一笑に付すこともしないまま、続きを促してくる。
あと一息か。威圧を込めてこちらを睨み上げてくる瞳の奥は、僅かに揺らいでいるように見えた。
僅かに残された冷静さが垂らされた蜘蛛糸を前に、本当に縋っていいものかどうか戸惑わせているのか。
「目算があるからここまで食い下がるんです。第一、こんな嘘を吐くメリットがこちらにあるとでも?」
あなたが日常、嫌というほど目にしてきた優柔不断で無能な部下が、ここまで一向に進言を取り下げない。
こんな事が今までありましたか?
こうして傍目にも明らかな状況証拠を見せ、糸の強さをアピールしてやる。すると課長は視線を横にずらして下唇を噛み、重苦しい思案の姿勢を見せた。
「後悔する事になるかもしれんぞ」
たっぷりと挟まれた泳ぐ目と逡巡の後、値踏みするような口調でこちらへ向けられたその言葉は紛れもなく、共犯の誘いだった。
ああ、これで望み通り話がこれ以上なくややこしくなってくれる。道理道徳のまかり通らないほど事態が捻じくれれば、
それが御法に触れる行いを交えているとしても、進む以外の選択肢はもう存在しないのだ。私も、課長も。
若さを失って久しく覚える事のなかった感覚……いや増していく緊張と危機感。身を固めて以来安定を求めて忌避してきたはずのそれらに晒された心は何故か高揚に捉われ、証拠に腰元のあたりが妙なうずきを覚え始めていた。
わざと音を立てるように唾を喉奥へと呑み込み、臆病風に吹かれて後ずさる――ふりをして引いた半身で死角となった左手でスマホを構える。リターンを得るには充分の、だがしかし大きすぎるオッズを前に、小心者の性根は半ば生存本能混じりに賢しく頭を回し始めていた。
「しませんよ。こっちだって暮らしを守っていくのに死に物狂いなんです。中から何が出てきたって――」
「それが死体であっても?」
「――!!」
一瞬で心臓を鷲掴みにされた気分だった。
『普通の手段では捨てる事の出来ないもの』と聴いた時、中身の可能性として頭をよぎりはしていた。しかし、いくら裏取引とはいってもそこまでの事をするとはとタカを括っていたのは事実だった。
いや、人としての一線への信頼を彼に置いていたと、言った方が正しい。
確かに私へリストラを宣告した張本人であり、それ以前の事を鑑みても、互いに良い感情を育んできたとは言えない。だがそれと人としての善悪、道徳は別軸線上の話だ。自らの利得の為に人倫を踏み違える人間という評価を下している訳ではない。
しかし、その瞳は何の色も浮かべないまま、まるで実験を観察するかのように無機質な視線をこちらへ向けている。
真意が、読めない。
「……くっ」
自分でも気づかないうちに、口の端から苦悶が漏れた。
中身が死体という情報は、こちらの本気を測るためのブラフである可能性は充分にある。というかほぼほぼその見立てで間違いない。
しかしそうだとしても「さすがにそれは」と軽々に首を横へと振れはしなかった。中身の判別がついていない今、たとえ道徳という名分があったにしても要求を突っぱねてしまうのは悪手だ。死体ではなかったとしても処理の難易度、言うなれば質の悪さがそれを上回る可能性は充分にある。
故にここであっさり手のひらを返し「できません」と身を引けば、覚悟はおろか処理能力さえ疑われてしまう。
くそっくらえの正しさを前に裏切る可能性のある者、あるいは単に能無しとみられたが最後、二度とこちらにお鉢が回ってくることはないだろう。
そうなればこんな大立ち回りを演じている意味自体が失われる。受け入れない、という選択肢はない。
だがもし「やれます」と答えて本当に死体だったら――
顔中の皺を寄せる私を見て、課長の口元は少しずつ吊り上がっていった。
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