第9話 初めての感情
「さて、もうこれは不要かな」
無事に帰宅をした僕は、自室にいまだに置かれている牢屋を見ながら呟いた。
もし何かあった時に、レナを牢に入れて誤魔化して守るために、一応置いておいたのだが、そんな事をするくらいなら僕が守った方が手っ取り早い。
それに……レナがこれを見るたびに、自分は奴隷なんだなと再認識してしまう。もっと早くに気づくべきだろ僕……これだから僕は駄目なんだ。
「この牢屋の撤去、お願いしてもいいか?」
「かしこまりました」
「ありがとう」
一緒にスラムまで行って疲れているにも関わらず、サルヴィは数人の仲間を呼んで手早く牢屋の撤去を始める。
……今思えば、撤去は別に明日以降でも良かったな。どうもレナの事になると少しでも早く行動してしまう節がある……不思議な事もあるものだ。
「ドタバタうるさいな~なにしてるの~?」
「フォリー兄上」
牢屋の撤去を見守っていると、僕の部屋に眠そうに欠伸をしながら、一人の男性が部屋に入ってきた。真っ黒な髪と垂れ目気味な黒い瞳、男性の割には小柄なのが特徴的な彼の名はフォリー・ジュラバル。王族の三男だ。
「お騒がせして申し訳ない。今奴隷の牢屋を撤去しているところでして」
「あ~例の奴隷か~。って、なんで奴隷の住処を撤去しちゃうわけ~? 奴隷イコール牢屋でしょ~? それに、牢屋の中で逃げ場がない状態でいたぶるのが楽しいのに~」
「…………」
のんびりした口調で、とんでもない事を言ってのけるフォリー兄上。
まあ見ての通り、フォリー兄上の考え方も父上や他の兄上と同様、奴隷への考え方は同じだ。いや、残虐な思考を持っている分、家族の中で一番タチが悪い。どうして奴隷もこの国の大切な民だと思えないのだろうか……。
「それで、マルクはどうやって奴隷をいたぶるの~? 人生の先輩としてアドバイスだけど、殴る蹴るとかはすぐ飽きるよ~。個人的にオススメなのは、骨を一本ずつ折っていって反応の変化を見るのが好きでね~凄く興奮するんだ~」
「ひぃ……」
部屋の隅に座っていたレナが、小さな悲鳴を上げながら顔を青ざめさせる。きっと自分がされる光景を想像してしまったのだろう。
昔からフォリー兄上はこんな感じなのだが……いまだに兄弟の中で彼の思考が一番理解できない。人間をいたぶって何が楽しいのだろうか。
「私は遠慮しておきますよ。彼女には泣いて苦しむよりも、幸せそうに笑っていてほしいので」
「え~? いたぶられるのが奴隷の幸せでしょ~」
「……この話は平行線になりそうですし、置いておきましょう。私は私の好きなやり方で彼女に接するので」
「そっか~残念だな~。もしいたぶって遊びたくなったらいつでも聞きに来ていいからね~。そういう話が出来る人ってあんまりいないから、つまんなくてさ~」
「機会があれば」
僕がそう答えてようやく満足したのか、フォリー兄上はにへらと笑いながら部屋を出ていった。それを見送った僕は、すぐにレナの元へと駆け寄った。
「マルク様……」
「すまないレナ。身内が変な事を……大丈夫、僕は絶対に君に酷い事をしない」
「はい、わかってます。あたし、マルク様の事を信じてますから」
信じてる――そのたった一つの言葉を笑顔で言われただけなのに、僕の胸は不思議な暖かさを感じていた。それと同時に、レナの笑顔を見ていたら、不意に胸が暖かくなった。
「ありがとう。うん、やはりレナの笑顔は美しい」
「ふぇ!?」
「いや、心も美しいから、全てが美しいの方が正しいか……ふふっ、レナの心の美しさはとても惹かれるものがある……ん? どうした、そんな顔をして」
「な、なんでもないです……その、ありがとうございます……」
急に顔が熟れた果実の様に真っ赤になったが……熱でもあるのだろうか? もしかしたら今日の一件で疲れが出たのかもしれないな。今日は栄養のある者を食べさせて、ゆっくり寝てもらおう。
「マルク様、牢屋の撤去が終わりました」
「ありがとう。急な頼みだったのに迅速な対応をしてくれて感謝してるよ」
「勿体ないお言葉です。では失礼いたします」
撤去作業をした使用人達を代表して、若いメイドの報告を聞いた僕は、部屋を去っていく彼女達を見送った。部屋に残ったのは僕とレナ、そしてサルヴィの三人だけ。そのせいで、急に静かになってしまったな。
「サルヴィも疲れただろう。今日はもう休んで大丈夫だ」
「いえ、私めは……」
「今日はいろいろと巻き込んでしまったうえに、力仕事まで頼んでしまった。そのお礼と思って、ゆっくりしてくれないか?」
「……かしこまりました」
そう言うと、サルヴィもお辞儀を残して部屋を去っていった。これで完全にレナと二人きりになってしまったわけだが……無駄に広いこの部屋で二人きりというのは、流石に持て余してしまう。牢屋が撤去されたとなると尚更だ。
「なんか急に静かになってしまったな」
「そうですね」
「レナ、何かしたい事はあるか? せっかくの時間を無為に過ごすのは勿体ない」
「え!? そうですね……そうだ、マルク様のお話を聞きたいです」
僕の話? 急にそんな事を言われたら困ってしまう。別に自慢じゃないが、僕は面白い人間ではない。何か話をしても、レナが楽しめるかは疑問だ。
「僕の話なんてつまらないと思うが」
「つまらないとか関係ないです。あたし、マルク様の事って知らない事が多いから、いろいろな事を知りたいなって……駄目、ですか?」
レナは上目遣いをしながら、僕におずおずと聞いてきた。
そんな風にお願いされたら断れないな。よし、なんとかレナに楽しんでもらえるように、頑張って話をしてみようじゃないか。
****
それから外が真っ暗になるまで、僕はレナと話をして過ごした。今まで生きてきた中で楽しかった事や、学園での出来事。アミィとのくだらなくも楽しかった思い出などを、なるべくわかりやすく話すと、レナは楽しそうに笑顔で聞いてくれた。
レナの笑顔を見ていると、何故かとても心が満たされる。不思議な気持ちだ……一体この気持ちは何なんだろうか。今まで十六年生きてきて、こんな気持ちは感じた事がない。
「さて、そろそろ食事の時間だ。その前にシャワーと傷の消毒を済ませてしまおうか」
「わかりました。ではマルク様、先にシャワーどうぞ」
「僕はいつも寝る間際に浴びるんだ。だから先に浴びてきていいよ」
「そういえばそうでしたね……わかりました」
少し申し訳なさそうに眉尻を下げながら、レナはシャワールームへと向かっていく。その間に、もらってきた薬の準備をしておくとしよう。
「えっと、塗り薬と包帯とガーゼ……うん、諸々は揃っているな。あとはレナが出てくるのを待つとしよう」
準備が終わり、手持ち無沙汰になった僕は、暇つぶしに読書をして過ごす事約十分。ふいに部屋をノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
「失礼いたします。お食事の用意ができました」
「ありがとう。まだやる事があるから、こちらの準備が出来たら持ってきてもらう形でも良いだろうか?」
「かしこまりました。では厨房で作業をしておりますので、いつでもお声がけくださいませ」
「ありがとう」
いつも料理を作り、給仕も行っている女性のコックは、深々と頭を下げてから部屋を出ていった。それとほぼ同時に、レナがシャワー室から出てきた。
まだダメージが残っているのか、髪はやや荒れてはいるものの、出会った頃に比べると、本当に綺麗になった。それに、風呂上がりのせいか、顔がほんのりと赤みがかっていて、彼女の美しさをより一層引き立てている。
「お待たせしました」
「おかえり。丁度食事の準備が出来たみたいでね。レナの手当てが終わったら食事にしよう。僕は外で待ってるから。何かあったらすぐに呼んでくれ」
「あっ……」
そう言いながら、僕はいったん部屋の外へと退散する。
レナの傷は身体の至る所にある。それ即ち、手当てをするためには、裸にならざるを得ないという事。流石にそんな状況で同じ部屋にいるわけにはいかない。
「ま、マルク様ーちょっといいですかー?」
「どうかしたのか?」
部屋の中から、少しくぐもったレナの声が聞こえてくる。中に入ると、まだ服を着たままのレナが困り顔で立っていた。何かあったのだろうか?
「そのー……背中とか自分で出来ないので、マルク様にお願いしたくて……」
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