第5話 魔法薬の授業
一週間たった。
毎日、夕方になると、リーバー先生のところに行かなくてはならない。
隠蔽魔法はだいぶ上達したらしく、今は誰からも魔法の渦がなどと言われることは無くなった。
少なくとも中級の隠蔽は、完ぺきに身につけた。
もう魔力を気取らせることはない。
そうなってみて初めて、今までが暢気すぎたのだと気がつく。
そんなことを気にする必要がなかったからだ。
辺境の城にいる者たちはみんな相当に魔力がある者たちばかりだったのだと、今更、知った。
魔力は気だ。その時の、気分や体調に左右される。その振れ幅は大きく、時に信じられないような事態を招くことがある。
まだ子どもだったレンは、そんな異常事態を引き起こすことはなかった。せいぜいがダダをこねて怒られるくらいだった。
なぜなら、子どもは、子どもの範囲でしか野望がないからだ。
お菓子が欲しいとかおもちゃが欲しいとか。新しい本を読みたいとか。
だが、大人はそうではない。
もっと大きな野望を抱く。
子どもだったレンがどんなに魔力を振るおうと、それは大抵剣の腕を磨きたい止まりであって、他人に迷惑をかけるような欲望ではなかったので、誰も気にしなかったのだ。
だが、レンも十五歳。子どもではなくなる年だった。
大きな魔法力は力だ。
権力を目指す者たちにとって、素晴らしく魅力的に映る。
その持ち主が、まだ年端も行かぬ少女だとわかったら、どうなるか。
魔力が大きくても、使う方法も、覚悟もなかったら、どうなるか。
学院に入れたのは、妥当な選択だった。女の子なのに、男子校だが。
「上級魔法は、存在すら消すわけだから、今はそこまで必要ないと思うが……」
リーバー先生にもだいぶ慣れてきた。
学園内をフラフラと頼りなげに歩いている老先生が、実はガツガツ歩く元気そうな若い男だと言うのは、どうも違和感があった。
バートもレッドも、ほかの人たちも彼のことは、その存在すら時々忘れているくらいだった。
「あ、あの、頼りなさそうな、いるかいないのかわからない先生ね!」
やっと思い出したと言わんばかりにレッドが言った。
「あの先生に、まだ見てもらってるの!」
レッドは呆れたように、アレンに向かって言った。
生徒にはそれぞれ担任の先生が決まっていた。
それぞれ能力が違うので、どんな得意な魔法があるのかわかってくると、その魔力が専門の先生のところへ担任を変えていくのだ。
「リーバー先生の担任の生徒って、いないよな」
「うん。聞いたことない。何が得意なのか、知らないな」
「そうだね。新入生を見る担当をしてる。あと、一般教諭と」
「君もじきに新しい担当の先生が決まるんじゃないの?」
バートがアレンに向かって言った
「僕の担当は、シュリット先生だ」
レッドは言った。
シュリット先生は、枯れ木のような手をした年配の女の先生で、生徒たちは、こっそり魔女と言うあだ名をつけていた。
「優秀なんだよ。教え方もうまいし」
でも、ちょっといつも怖いんだとレッドは告白した。
「カエルの肝とか、脱皮したてのヘビを使うんだけど、先生は嬉しそうなんだ。気味が悪いのに」
「君の魔法の特性上、カエルやヘビはやむを得ないんじゃないか?」
「でも、先生は似合いすぎなんだよ」
確かにシュリット先生は魔女そのものと言った様子をしていた。黒いガウンがお好みらしい。それに魔法薬が心底好きらしい。
「先生の薬は確かによく効く」
真面目くさってレッドが解説した。
「あちこちに輸出されているらしい。僕もいずれ手伝いをさせてもらって、作り方を教えてもらうつもりだ」
魔法薬の授業は、なんだか不思議だった。
「今日は傷によく効く軟膏を作ります。ウヒヒ」
最初からその調子で、アレンは首を傾げた。どこでも見かける普通の軟膏を作るだけの授業なのに、先生はむやみに嬉しそうで、妙な笑い声をあげた。
「これは簡単な軟膏です。誰でも作れます。魔力がなくても作れます。だが、魔力を持つ者は効き目を増幅させることが出来る」
レッドが嬉しそうだった。彼はこの分野が得意なのだ。当然成績も優秀だった。
そう言われれば……この軟膏にはレベルがあった。安いものから高いものまで。
一番高い軟膏は、アレンはお目にかかったこともなかったが、相当深い切り傷でも一晩で塞ぐ力があると言う。
先生が戸棚から軟膏を並べ始めた。
「1級から6級まで。それからこれは特級です。値段は……3千ソルします」
軟膏一つに三千ソル!
生徒からどよめきが起きた。
一年生は全員で六十人ほど。二組に分かれて授業を受けている。身分の順に。
なぜなら、身分の高い者の方が高い魔法力を備えていたから。
高い魔法力は、重宝される。突出した能力は重用され、やがて身分や役職を得て出世していく。
魔法力は遺伝する傾向が顕著だ。六十人も生徒がいれば、クラスを分けなくてはならない。能力順に分けるためには能力の見極めが必要だが手間なので、あっさり身分順に分けられたのだろう。そんな大雑把な分け方でも、多分、能力順か、それに近いものになるだろう。身分違いを同席させて、もめ事が起きるのは面倒だし。
そんなわけで、アレンは、バートやレッドと一緒に魔法薬のクラスに座っていた。
「へええ……傷薬の値段が、魔法力順だなんて知らなかったよ」
思わず本音を漏らしてしまい、レッドに変なモノでも見るような目つきで眺められる。
「どこの田舎の出身なんだ」
「……ラサ」
ちょっと顔を赤らめて、アレンは答えた。
これは家を出る前に念入りに教えられた。
紹介状を書いていくれた人物ルーン・バルトマルグはラサに住んでいるので、同地方の出身だと言うことにしなくてはならなかった。
「ラサか」
ラサは、そこそこ大きな町だが、ここからだいぶ距離がある。
「なら仕方ないかな」
辺境伯の支配する一帯は、もっとずっと北だ。
ずっと田舎だ。ラサどころではない。
だが、アレンがシュリット先生謹製のトレードマーク、クマ印の市販の傷薬を知らなかった理由は、田舎だからではない。
ケガをしても、治癒魔法の持ち主がわらわら出てきて、治してしまうからだ。
辺境伯令嬢のケガは城の一大事である。
「治癒魔法を込めているのかな? それとも元々ある効用を大きくしているのか」
「いい疑問ですね、アレン・ディー」
私語に魔女の先生が反応した。
「治癒魔法ではありません。そもそも治癒魔法の持ち主は希少です」
アレンはビクッとした。
女中頭のナタリアと門番の老トマシー、それからいよいよになると駆り出されていた教会の祭師は希少魔法の使い手だったらしい。
「この軟膏はですね、魔力で元々の効用を高めます。そのために、魔力と相性の良い成分を多く含んでいます」
先生は黒板に原料となる草の種類を書き始めた。
「材料は皆さんの手元にあります。早速教科書通りに作ってみましょう」
おそるおそる教科書通りにかき混ぜていく。
魔法力を移動させる点では、隠ぺい魔法と一緒だ。
手先から何かが流れ出していく感触がある。隠ぺい魔法の時は逆だ。自分から発散されているものをとどめ置くことが求められた。
「魔力が加われば加わる程、軟膏の色は白っぽくなります」
なるほど。
生徒たちは、手元のボウルの中身の色に集中した。
かき混ぜるほど、元のどんよりした濃い緑色が変わっていく。
沼の緑色から、森の緑へ、草原の緑、もっと薄くなって草の色は消えて、薄緑からやがて白に。
「まず、十分、かき混ぜてみましょう。そして色の変化を見てみましょう」
だが、アレンのボウルの中身が銀白色になって、光を放ち始めるのに二分かからなかった。
「アレン!」
魔女のシュリット先生が叫んだ。
「止めなさい! 過剰になると……」
遅かったらしい。なにか炸裂音がして、ボウルと中身が吹っ飛んだ。
シュリット先生が呆然と天井を見上げていた。
他の生徒も同様だった。
「誰にもボウルは当たらなかったし、軟膏は真上に飛んで天井が修繕されただけだから、よかったようなものの……」
ボウルが天井に激しい勢いでぶつかり、天井に白い液体がちょうどペンキのように付着していた。見ていると、天井のシミが消えていき、一体何十年前の話だかわからないが、元はこんな状態だったんだろうなあと想像できるきれいな状態になっていた。
「多分、世の中で最も勿体ない最高級レベルの軟膏の使い方だね。天井の修理だなんて……」
正直、三千ソルがどれほど値打ちがあるのか、イマイチ、ピンと来ていないアレンだったが、バートとレッドが肩を落としている様子を見ると、なにかやるせない気持ちになった。
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