第九章 小牧円の場合12

 

結論から言えば、わたしたちのライブは失敗に終わった。




 思えば、始めから失敗する要素は揃っていたのだ。

 わたし自身予感していた樹里亜、よっちゃん問題も確かにあった。けれど、その問題をさらに助長させてしまった要因も複数あった。

 予想されて然るべきだったのに、今まですっぽりと抜け落ちていたのは、わたしたちが演奏する楽曲にあった。


 ――古過ぎた。


 演奏する五曲の内、一番新しい曲で九〇年代初期、他は六〇、七〇年代の洋楽が中心。お客さんは高校生が中心。女子高生五人がステージに現れたら、まず期待するのはノリの良い青春ソングとか、ちょっと前に流行ったラブソングとかじゃないだろうか?

 ものの見事に外していた。

 滑った。ダダ滑りと言ってよかった。

 ――それでも、普通の文化祭のステージならもうちょっといけたと思うんだけど……。

 幕が上がった瞬間、わたしたちは思い知った。

 自分の学校にいながらとんでもない場違いな空間にいると。そう思ってしまった。サッカー、野球などスポーツで、自国じゃない土地で試合をすることがあるけれど、あの選手たちはこんな気分を味わっていたのかな……違うか。もっと正確に言えば……。

 前座だ。

 藍が言っていた通り。

 お客さんの大半はわたしたちのその後を待っていた。

 ある人は携帯を弄り、ある人は座って連れの人と喋っている。またある人は、わたしたちに興味深げな視線を一度するものの、目当ての物じゃないと知ったのか、すぐに視線を逸らす、或いは手元のプログラムで終了時刻を確認して、体育館を後にする。そんなお客さんばかり。

 手前で、さっちゃん、うっちゃん……もう少し後ろの方に陽菜さん……クラスメイトの姿を確認出来たことは本当に救いだった。

「藍ー!」「寧々!」「つーぶら!」

 とか、そんな掛け声と一緒に、

「樹里亜ー!」

 という、妹の名を呼ぶ声も聞こえた。

 登場した瞬間、ぐっと喉が詰まったような気がしていたけれど、その声で調子を取り戻せた。そして、不妃の軽快なギターリフを合図に曲が始まった。

 わたしは自分でもびっくりするほど冷静だった。

 逆に、わたしはもしかしたらお客さんが少なかった方が緊張していたかもしれない。想定外にいっぱいになった会場に、目の前の人が有象無象に見えたというか――一人一人じゃなくて、人の群れだと認識してしまって、恥ずかしさとかそういうのが消え失せてしまった。

 今までで一番調子が良かった。

 踊った。それはもう。ひょっとすると動きまくったといった方が正しいかもしれない。

 ただ、伝わらない。

 クラスの子たちが期待していた物とも違ったのだ。曲が古すぎてよくわからなかった。これがもうちょっと新しい曲ならクラスメイトの皆も乗ってくれたのかもしれないけど。

 英歌詞、最近のビートとは違うノリ、しらける客、そしてわたしたちを見に来たわけじゃない人達――その人達から伝わる興味の無さ、雰囲気といった物が、次第に同じ高校の子たちにまで伝播していくのに時間は掛からなかった。

 そんな空気みたいなものが確かに伝わってきた。

 わたしに解ったんだ。

 他の皆にはもっと明確に伝わっていただろう。

 藍は問題無かった。最初に崩れたのはよっちゃん。ミスを連発。今まで完璧に弾いてた曲もちょこちょことミスを繰り返した。

 よっちゃんのキーボードパートは前に出て来ずに、後ろの方で伴奏を熟していることが多い。

 伴奏のミスは致命的だ。

 伴奏とは、言わば影で支える役割だ。そこで弾くべきコードをミスしたら不協和音が楽曲全体に乗っかる形になる。

 ――あれ?

 歌って踊ってなりふり構わずにしていたわたしでもちらりとよっちゃんを振り返った。

 前を向いてすぐ顔を逸らして手元を見る。それの繰り返し。

 ――焦ってる。

 わたしはこの時、もしかしたら、よっちゃんたちは観客がここまで入ってることを知らなかったんじゃないか、って思った。

 開会式が終わってずっとここにいて、暗幕の裏にいたのなら、その可能性も十分に考えられる。ガヤガヤとしたお客さんの声も、生徒が煩く騒いでるだけとでも思っていたのかもしれない。

 わたしはマイク片手に歌いながらよっちゃんの方に近づいていった。

 メンバーも何事かと見やる。それでもよっちゃんは気が付かない。わたしはよっちゃんがミスするのも構わずに思い切り横から肩を組んだ。

「あっ――なっ――」

 よっちゃんとばっちりと目が合った。一瞬、文句を言いそうになるよっちゃん。そんなよっちゃんにわたしは優しく微笑む。やがてわたしの意図に気づいたのかよっちゃんも微笑み返してくれた。

(ありがと)

 ゆっくりと、口パクで伝えてきた。それを確認し、わたしは組んでいた肩を外し、元の位置に戻っていく。それが多少ウケたのかお客さん――手前のクラスの子たち――が反応して、笑ってくれた。そこで少しは良い雰囲気になる。

 たぶん、わたしの大胆な行動で笑ったんだろう。普段の教室での地味なわたしを知ってる人たちからすれば、今のわたしはさぞかし笑えるんだろう。でもその時は後でどう思われても良かった。とにかく成功させないとって気持ちでいっぱいだった。

 二曲目が終わる。ぱちぱちぱちとまばらな拍手が観客席から上がった。

 ……あれ? そういえばMCってどうするんだっけ? 今までさっぱり考えていなかったと思い至る。

「つぶらー! なんか喋れー!」「そうだぞー!」

 さっちゃんとうっちゃんの声がステージの真下から聞こえた。

「わっ。わっ。え、えっと!」

 不妃を見るとにっこりと笑顔で首を振った。円が喋っていいよと言ってるように聞こえた。藍とよっちゃんは手を自分の前で振った。やりたくない。そう言ってるようにしか見えない。

 樹里亜は――水飲んでてこっちを見てもいない。

 聞いてないよう。

「えっと! THE GIRLSです! この前結成したばかりのバンドです! いっぱい練習しました! よかったら最後まで聴いてって下さ――ふぎゃんっ!」

「円!?」

 お辞儀してマイクを頭にぶつけちゃうみたいな、あるあるドジだったらどんなに良かったか……わたしはステージ中央で盛大にずっこけた。

 あまりにも激しくステージで動き回ったせいで、マイクのコードが脚にめちゃくちゃに絡まっていたのだ。演奏中にこけなかったのは幸いだった……けれど、あの一斉に観客が吹き出す様と、くすくす観客が笑ってる中、コードをステージ上で必死に解くあの恥ずかしさは一生忘れられそうにない。

 ……あれのせいで後半の動きが若干大人しくなったわたし。

 なんか、つい最近も、こんな恥ずかしい想いした気がする。

「え、えー。気を取り直して次の曲いきます! これもまた古い曲ですが、盛り上がること間違いなし! ビートルズでA HARD DAY'S NIGHT.」

 よっちゃんがマイクを取って、ちょっとベソかいてるわたしをフォローしてくれた。意外だった。ああいう場でよっちゃんは絶対に率先して行動してくれないから。

 わたしは嬉しくなってちょっと回復。嘘。大分回復した。

 ……しかし。

 次に崩れたのは樹里亜だった。

 案の定だった。ドラムがもたつき始めた。

 二番に突入したところで、ドラムが崩れだす。屋台骨であるリズムパートのもたつきは全体へと波及。よっちゃんもまたミスをしたし、藍もチラチラと樹里亜を見始めた。

 ――樹里亜は。

 汗びっしょりだった。

 額には勿論、頬にも汗が伝っている。他の人は見えなかっただろうけれど、わたしはボーカルだから動き回って確認することもできた。太ももからふくらはぎまで汗が伝っているのはどう見てもおかしく思えた。ここまで汗をかくような子だったろうか。

 傍らに置いたペットボトルの水も全て無くなっていた。

 しかし、曲の途中。止めるわけにもいかない。観客席を見てみると、みんな頭の上に疑問符を浮かべているような顔をしていた。さっきまでは多少なりとも聴けたのに、いきなり凄い下手くそになったな、とでも思っているのかもしれない。

 曲が終わりに近づけば近づく程崩れていき三曲目が終わった。もうぐだぐだ。わたしは曲休みの休憩を装って樹里亜に駆け寄った。

「樹里亜。それ、脱ぎな」

「やだ」

「……」

 なんで? こんな強情な子だったっけ?

 ドラムは体全体を動かす。それなのにそんな革ジャン着ていたら、どう考えても熱が籠もるし動きづらい。ただでさえサイズが合ってないのに。おまけにこの時の会場の暑さ。慣れないステージや想定外の観客の入りによる緊張感だってある……もしかしたら、それが樹里亜から冷静さを奪っているのか……そう考えていると、不意に不妃がやって来た。

「樹里亜ちゃん、脱いじゃいなよ。それ。倒れちゃうよ? 着ていたいのは分かるけどさ」

「――はい。わかりました」

 そう言うと、不妃はさっと元の位置に戻った。そして樹里亜は素直に革ジャンを脱ぎ始める。

「?」

 何が何だかわからなかった。

 樹里亜の表情を見てもそこからは何も読み取れない。どうして、と思うものの、時間も無い。樹里亜が良いなら良いか。この時はそう思った。

 樹里亜が何故革ジャンをそこまで大事にしていたのか、わたしがそれを知るのはずっと後になってから。

 続けて四曲目。これは練習の時より上手くいった。けれど観客の反応は微妙だった。理由は簡単。曲がスローバラードだったせい。素人のライブなんて盛り上げてナンボの世界なんだなとわたしはこの時初めて知った。

 けれど、最後の曲――不妃希望のその曲は観客の反応も上々だった。歌っていて気持ちがよかった。アップテンポなナンバーだったし、会場全体、メンバー全体に漂っていた嫌な雰囲気も無くなったとまではいかないけど確実に良くはなったから。

 悪くはなかったんじゃないか。そう思う。

 わたし自身魂を乗せて歌えていたし。

 とても楽しかった。




 わたしはあの時、確実にロックンローラーだった。

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