第五章 小牧樹里亜の場合4
「ぎゃあああ! やっぱイチャイチャしてるー!」
ガレージの扉が勢い良く開かれた。白峰藍が変に騒いでいた。
「だよね。だよな。やっぱり不安だったんだよ。二人っきりで練習とかさ。かと言って譜面覚えるみたいな地味な作業。あたし一人じゃないと集中できないし。どうすればいいの? ねえ、どうすればいいと思う?」
「じゃれてるだけじゃん」
「あのクソ生意気なちんちくりんがあーも心開いてる所に違和感を覚えるべきでしょ。この前のアレからあーよ?」
「言われてみればそうかも?」
「……」
カチン、と来る。白峰藍の口の悪さにも、寧々のコロコロ意見が変わる相変わらずな日和見主義にも、一番最後に入ってきた姉が、口を真一文字にして、極度に緊張している様子にも。
的外れなことを指摘されているのに、何でか心を掻き乱されている自分自身にも。
「うるさい!」
藤堂不妃の手を払い除けて丸椅子を立った。
「だとー! やんのかちびっ子ー!」
「さっさと練習しますよ! 時間無いんです!」
「やったらクソガキー!」
「寧々、この二人って仲良いの? ていうか時間無いの?」
「さあ? いいんじゃないの? 知らない」
そんな感じで練習が始まった。
白峰藍が不妃に借りた練習用の小型アンプと変形ベースをシールドで繋いで、アンプの電源を入れる。ボリュームノブを回すと、室内にブーンという音が響く。ガンっと一番太い弦をピックで弾いてベンッというお腹に響く音が鳴る。私に挑戦するような瞳でベースを構えた。腹が立った。
寧々がガレージ備え付けのキーボードの前に立つ。譜面に楽譜を置いて、確かめるように鳴らした。経験者なだけ合って動作一つ一つが熟れていると感じる。まるで勝手知ったる我が家のようだ。しかしここにあるキーボードを触るのは初めてなはず。不妃はお姉ちゃん以外は来たことがないと言っていた。キーボードならばどれも一緒なのだろうか。多少気になったが、私はキーボードに疎いのでよくわからない。腹が立った。
藤堂不妃はいつものように立て掛けてあったギターを構えた。アンプにも最初から繋げてある為、ボリュームノブを回すだけで、室内にジーというノイズが響く。
お姉ちゃんはおっかなびっくりマイクに触れ、不安そうに周囲を見渡した。私と目が合い、すぐに逸らす。腹が立った。
私はドラムセットの前に座る。椅子の位置を調整し、出過ぎたハイハットを手前に持ってきて、バスドラム、スネア、ハイハット、フロアタム、ロータム、ハイタム、左右のシンバルを順番に鳴らし一息つく。音の大きさにびっくりしたのかお姉ちゃんが「ふぁっ」と声を漏らした。そういえば、お姉ちゃんは生ドラムの音聞いたことがないんだ。白峰藍も寧々も一緒か。だけど二人は平然としている。その姿を視界に収めもう一度なんとなく姉に腹が立った。
精神を集中させる。グッと目を見開いた。お姉ちゃん以外の皆が頷く。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
ドラムスティックの音でカウントを取り、練習曲の一曲目、言い出しっぺの不妃の希望曲であるビートルズのアップテンポなナンバーが始まった。
だんだんズレてくるドラム、他者の演奏をまるで聞いていないベース、わけがわからなくなったのか途中で演奏を止めるキーボード、走り気味なギター、小さくてよく聞き取れないボーカル。
ワンコーラスも行かずに演奏は止まる。
「……?」
誰の顔にも「なんだこれ」「しっくり来ないな」という疑問が浮かんでいた。
……まだ一回目だ。間を置くことなく私は再びカウントを取る。
「もう一回!」
三度目のワンコーラスが終了した。
「いいじゃんいいじゃん!」「今のは合ってたね。一回目は酷かったけど」「感じ掴んだんだね。これからどんどんよくなってくよ。おとんもよう言っとるよ。一回目は大抵酷いってさ」
白峰藍、寧々、不妃がそれぞれ反応を示す中、お姉ちゃんは一人黙ったままだった。
「お姉ちゃん。声小さい」
「そ、そう?」
「ちゃんと歌って」
「わかった」
口をもごもごさせて脚をもじもじさせて言葉を返す姉と、そんなやりとりを見守る周囲の三人。居心地が悪かった。
それから二時間程演奏を続けたが、お姉ちゃんの歌は一向に代わり映えしなかった。家で歌っているあの楽しそうな姿は嘘のようで、私を苛つかせたし、他の奴らにこんなお姉ちゃんを見せたくなかった。
逆にバンドとしての演奏はどんどん洗練されていくように思えた。続ければ続ける程お姉ちゃんの身体がぎゅっと縮こまっているのが分かった。緊張と焦り。演奏の度に、チラチラと私を見てくる視線は不安からだろう。それがさらに私を苛つかせる。どうにかしたい。けれど、私はそんなお姉ちゃんの殻を破る術を持ち合わせていない。怒ることしかできない。
そんな自分に苛立った。
休憩中、白峰藍が皆に向かって訊いた。
「ライブ、どうすんの?」
誰からともなくお姉ちゃんにチラリと視線を向ける。その視線の意味は「この子、こんな状態でライブできるの?」と言っているようにも思え、私は反発するように返した。
「やると言ったからにはやります。文化祭のステージにまだ空きがあるんです。時間はまだありますし、そのステージでライブをしましょう。実行委員会への許可等は私が何とかします」
「ふうん。文化祭。けっこう早いね」
白峰藍の瞳に怪しい光が灯った。そんな白峰藍を寧々が何とも言えない表情で見返しているのが妙に気になった。
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