第五章 小牧樹里亜の場合3

 私はあの日、スティックだけ購入した。ドラムセットを買うお金もないし、置くスペースも鳴らせる環境も家にない。そんな私がどうやって練習していたのかと言えば、自宅では古雑誌と座布団を重ねてドラムセットに見立ててばすんばすん埃を立てるように叩いて、放課後には一人藤堂不妃の家に通っていた。

 藤堂不妃とは最初、意識してあまり言葉を交わさないようにした。仲良くするつもりはなかった。けれど三日も経ってくれば、社交辞令的な会話を交わすうちに、どうしても慣れが生まれる。

 私のドラム演奏に関することや、好きな音楽から自宅でのお姉ちゃんの様子まで、普通の友達に話すような事を話すようになった。

 でも普通の友達とはどこか違う。

 普段学校で話せないことを藤堂不妃とは話した。お爺ちゃんとしか話せなかったこと。友達の前だとどうしても言えない音楽の話。

 大きいガレージに散らばる楽器、お爺ちゃんが嬉しそうに話していた偉大なるドラマーたちと今自分が同じ楽器を演奏している。日常の筈なのに、どこか違っていた。

 まあ、悪い奴ではない。かもしれない。くらいの認識に改めてやってもいい。

 帰りが遅くなったことで、お母さんから心配されるかと思いきや、

「樹里亜もついに不良?」

 と、冗談めかして言われた。クスッと笑う姿にここまで真面目一辺倒でやってきた私は気恥ずかしくなって顔を俯けてしまう。

 俯きながらも、そんな私をお姉ちゃんがにやにや笑っているのが分かって、なんだかムカムカした。

「お姉ちゃん! 歌詞覚えたの! ほら! 食べたら合わせるよ!」

「お、覚えてるよう。元々好きだった曲だし」

「いいから!」



 そしてあの日、ファミレスから七日目の放課後。

 学校から帰って家に直行し、それぞれ楽器を持って不妃の家に集合。初めてのバンド練習。

 私はスティックだけ学校に持ってきてあった為、一足先に不妃と一緒にガレージでみんなを待つ。

「みんな遅いね」

「そのうち来ると思いますよ。お姉ちゃんは図書委員の当番、寧々は美化委員の集まりです」

「あー……そんなんあったなあ。わたし体育祭実行委員やから普段出番無いなあ。文化祭の手伝いに駆り出されるくらいやけど、それだって結構先やし」

 藤堂不妃はたまにこんな感じでイントネーションが関西弁になる。こういう所、本音と素が出ていたりするんだろうか。

「そういえば、ライブ会場はどうなってんの? ライブハウスなんてお客さん集めるだけで結構苦労するよ」

「そうですね……私もそう思ってました。まずは文化祭のステージが適当でしょう。今、実行委員にどう掛け合おうか考えています」

「真面目だねえ。そっか。文化祭か」

 藤堂不妃はそう言うと、考えを巡らせるように遠い目をした。私は会話が途切れたのを良いことに少し言い辛いことを訊く。一応、許可は取っておかないと。

「……あの」

「んー?」

「また放課後、こうしてドラム触りに来て良いですか」

 俯き独り言のように。毎日押しかけるのに多少の不安はあった。藤堂不妃は常にガレージにいるわけじゃなく、時折凄い忙しそうにしていた。『ごめんね。今日ずっとPCイジってるから相手してあげられないけど』『今日ちょっと出てるね。ガレージとドラムは好きにしてて良いから』などと言ってよくいなくなっていたのだ。

 彼女にも彼女なりの予定があるのだろう。だけど、ずっとこうしていることに罪悪感が芽生えてきたのは事実。念の為。確認だ。

 ぽん、と頭に手を乗せられた。

「えー。どーしよーかなー」

 ぐりぐりやられる。途端に不安になった。子供扱いは嫌だけど、こうして貰えるのは、その、少し嬉しい――わけがない。腹が立つ。死ね。

 そう思っても、その手を払い除けられなかった。藤堂不妃の機嫌を損ねてもう使わせないなんてことになっても困るからだ。切っ掛けはどうあれ初めてみればドラムは楽しい。

「うそー。いいよ~。くふふ。樹里亜ちゃんなんだかんだ時々お姉ちゃんに似るよねー。性格正反対なのに」

「お姉ちゃんと私は違う」

 一安心する。古雑誌と座布団叩いているだけでも結構練習になる。一週間に一度でもここでドラムに触らせてもらえばそれで十分だとも感じている。演奏する楽曲は基本的なエイトビートと簡単なフィルインが多少あるくらいの曲だ。だがしかし。

 それじゃあ練習が足りない。いや、私はそこまでバンドに対して思い入れなどなかったか。元は姉の監視だったはず。

 だけど、どうしてもここに通うのはやめたくない。



 できるならずっとこうしていたいとさえ思っている。

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