第四章 小牧樹莉亜の場合2
「樹莉亜――ドラムなんて出来るの? ていうよりバンドなんて分かるの?」
お姉ちゃんがそれ言う? とは、私は言わない。だってお姉ちゃんは、いつも思いっ切り気持ち良さそうに歌うからこっちも聴いていて気持ちがいい。
「歌は技量よりも魂」とは亡くなったお爺ちゃんの言葉である。
楽器屋を出た後、近くのファミレスに五人で入り、それぞれドリンクバーを頼んだ。私は頼まない。お姉ちゃんと交代ばんこで飲む。黙って珈琲を飲んでいた私にお姉ちゃんが訊いてきた。
「私、お姉ちゃんよりも音楽詳しいと思うよ。お爺ちゃんに教えてもらってたし」
「え、嘘」
これは本当。
お姉ちゃんはお爺ちゃんが亡くなる前、お爺ちゃんの聞いてた音楽に対する薀蓄は全然興味無さそうだったけど、私はちゃんと聞いていたし、聴いていた。……薀蓄という言い方も好きじゃないな。知識。
知識があるかどうかで、物事に対する理解は違ってくる思う。
私はお爺ちゃんを敬っていた。年上には敬意を示さなければならないと常に思ってる。だけど目の前にいるこいつは違う。年上だろうと警戒すべきだ。
「樹莉亜ちゃん、樹莉亜ちゃん。好きなドラマーいる?」
「ジョン・ボーナムです。それと、樹莉亜で」
「おっいいね。私も好き。好きなアルバムは? 樹莉亜ちゃん」
「Ⅱです。ちゃんはいらな」
「王道! いいね! 樹莉亜ちゃん!」
聞け。
一人テンションが上がっていた。まあいい。仲良くなるつもりは毛頭ない。
「それで。どうするんですか?」
「まずは各自やりたい曲でも言ってコピー何曲かやればいいんじゃないかな」
「ライブなどもするんですか」
「あ、ライブ? 考えてなかった。わたし、最初は円と二人でやれればいいかなって思ってて、そこまで考えてなかったんだよね……どうする? やりたい? わたしはどっちでもいいけど」
そう言って藤堂不妃が周りを見る。
「私はどっちでも。藍は?」
「あたし? よくわかんない。やるっつったってどこでやんの?」
「人前で歌うなんて聞いてない……」
寧々と白峰藍はどっちでもよさそうだったが、お姉ちゃんの返事は芳しくない。そんな姉の態度が頭にきた。
「せっかくなのでライブはやりましょう。場所は私が探しておきます」
「ちょっと、樹莉亜」
「お姉ちゃんはうるさい」
「そんな怒んなくてもいいじゃん……」
そんな私たちを見て藤堂不妃が言う。
「美しき哉、姉妹愛? めっちゃやる気だね。わたしとしては嬉しいからいいけど。あ、すいませーん、杏仁豆腐くださーい」
店員を呼び止め注文する呑気な様子の藤堂不妃を見て思う。
こいつの狙いはなんだ。
冷静に今の状況を見てみると、全てこいつにとって都合の良い状況になっていると感じる。
ガールズバンド、女の子だけのバンド。藤堂不妃の理想とするところではないのか。白峰藍も形は派手だけど見た目だけは良いし、寧々は見慣れてるから何とも思わないけど、顔はいい。お姉ちゃんは前髪長くて顔隠れている上に姿勢悪いから、それで大分損してるけど、普通に可愛い部類に入る。スタイルも良い。私の見立てでお姉ちゃんの敵になる奴はいない。
私はお姉ちゃんと違ってちんちくりんだから絶対に分かる。
「どういう経緯でバンドをすることになったんですか?」
「あたしもそれ聞きたかった。ナイス、樹莉亜ちゃん」
白峰藍が何故か前のめりになっているが無視。ちゃん言うな死ね。
「うん? 君の姉が自転車乗りながらノリノリでローリングストーンズの曲歌ってたから声掛けたんだよ。それが切っ掛け。藍さんと寧々はそっちから声掛けてきてくれたの」
「ただの偶然って言いたいわけなんですね」
「うん?」
藤堂不妃が聞き返した。空気が冷えたのを感じる。
「どういうこと?」
「うちのお姉ちゃん――騙そうとしていませんか?」
「ちょ、ちょっと、樹莉亜っ。いきなりなに言って……」
「お姉ちゃんは黙ってて。私、不妃さんのお噂は色々耳にしているんです。単刀直入に言いますけど、色んな女の子に手を出して取っ替え引っ替えしているそうですね。私はこの集まりもそれの為に作ったんじゃないかと疑っているんですけど」
「え? え? 女の子? え?」
「私、知ーらない」
お姉ちゃんは知らなかったようだが、この態度だと寧々はやはり知っていたのか。
チラリと藍を見ると固唾を呑んでこちらを伺っていた。こいつは何だ。てっきり私に文句の一つでも言ってくるんじゃないかと警戒していたのに。
「くっふふ、」
「笑わないでください」
藤堂不妃は耐えきれないとばかりに顔を覆って笑っていた。まるで応えた様子はない。楽しんでるようですらある。
「いやっ……ごめっ……面と向かってそんなこと言われたの初めてでさっ……あー、ごめん。落ち着いた……えっと、そうだね――」
藤堂不妃は自分の中で答えを探すように俯く。顔が見えない。何を考えている? 訝っていると、やがて顔を上げた。表情は晴れやか。そこからは何も読み取れない。
「色んな女の子に手を出したことは事実。でもそれがなに?」
「なにって」
「趣味嗜好は人それぞれって簡単に言うことも片付けることも出来るけど――そうだな。
取っ替え引っ替えしてるって言い方がよくないんだね。先入観ない? わたし、ちゃーんとお互い話し合った上で納得して次の恋に進んでるからね? それを取っ替え引っ替えって言い方されてもな」
ピリついた雰囲気。
お姉ちゃんは俯いて、寧々はそっぽ向いて知らんぷり、白峰藍は身を乗り出して聞いている。
「先入観ですか?」
「短期間に複数人と付き合うのがいけないって考え方ない?
わたし、自分で言うのもなんだけど結構女の子に言い寄られるんだよね。自分で蒔いた種だけど。アブノーマルな趣味だし隠してるつもりでも、こんな小さな田舎の学校だと、樹里亜ちゃんが聞いてるみたいな噂もすぐに出回る……そうなると自然と有名になるでしょ? 有名になると同士が集まるの。自然、言い寄られる数も多くなる。そんで言い寄られるとやっぱり相手の事ちゃんと知りたいって思うし、少し付き合ってみて、合わなければ別れちゃう。わたし、こんな趣味してるから、相手と合わないこと多いんだよね。おっさん臭い。話合わない。何言ってんのかわかんないってよく言われるし」
「でも二人きりになると、不妃さんの方から迫ってくるって」
「言い方の問題だよ。わたしだって、一日中学校で誰とも話さないとなると、気ぃ滅入るし。だけどわたしって、教室だと無視されてる扱いなんだよね。目立つところで話しちゃうとお互い気ぃ使って、本音も言えなくなるでしょ? そんな感じでひと目に付かないところで話しかけてたら、何故かそういう噂が出回っちゃって。逆に言い寄られる数が増えたというかね」
言ってることは分かるし、筋は通ってる、のだろうか?
要するに女の子と付き合ってたら、そういう趣味の人だって見られて、こんな見た目だし、話も合わないから孤立しがちだった、と。それで影でこそこそやってたら、さらに勘違いされて、手も早い物だから、自然と取っ替え引っ替えしてるそっち趣味の変人と見られた、と。
……いや。
「……でも、私の言ったこと全然否定出来てないですよね。認めたも同然じゃないですか」
「だーから! これは私の趣味なの! 趣味ってそっちの趣味じゃないよ? 女子高生がおっさん臭い曲やる為のバンドなんだから、愛とか恋とか無関係なの。もう。よくないよ?そうやって、すぐそっちに繋げちゃうの」
「こちら、ご注文の品になります」
店員が杏仁豆腐を運んできた。凄いタイミング。
「どーもー」
ぷるんとした杏仁豆腐にスプーンを入れて口へと運ぶ。綻ぶ表情。
こうして見ると普通の女子高生だ。そんな藤堂不妃を寧々と白峰藍がじっと見ている。なんだその表情は。
繋げていた? 私が……? 穿ち過ぎというやつだろうか。何かを始めるのに、愛や恋は憑き物、絶対に絡んでくるもの、なんて考え方、わたしはむしろ嫌いな方だった。恋愛系のドラマ全般大嫌いだし、友達がよくする好きな男子の話なども、わたしはいつも置いて行かれてるような気分になり、酷く苦手だ。
……先入観。確かに、私の反省すべき点か。
友達からもよく指摘されるのは事実である。『そうやってすぐ決めつけるんだから』なんて、私は人生の中で、百二十回は言われている。
「私、そんな昔の音楽聴かな……あ、でもシティポップスとかだったらやってみた……ううん」
寧々は何言ってるんだかわからないけど別にわかりたくもないし興味もない。
……とりあえず藤堂不妃が、お姉ちゃんに何か良からぬことをしないように警戒は続けよう。白峰藍は思ったよりも凶暴では無さそうだが、変な奴ではある。何が彼女の怒りの琴線に触れるとも限らないので、お姉ちゃんの言動には注意を払わなければならない。
「樹莉亜は凄いなあ。ねえ、わたしもそろそろ何か飲みたいんだけどいい? 飲み終わった? それと不妃、わたしもやってみたい曲があるんだけどいいかなあ」
本人はこの通り一人ぽけっとしてるし。
「お姉ちゃん、何か飲みたい物ある?」
「え、いいよ。わたし自分で持ってくるよ?」
「いいから」
「う……サイダー」
席を立った。
サイダーを汲みながら頭を冷やす。
「ありがと」
お姉ちゃんにサイダーを渡す。
どうやら、私がいない合間にやりたい曲を話し合っていたようだ。ノートの切れ端に書いたメモを見れば知っている曲ばかり。ターゲット層は五十代以上だろうか。女子高生がやるにはかなり無理のあるラインナップ。藤堂不妃は寧々の挙げた曲に「んー。その辺りはどうだろうねー。初心者がやるには難しすぎない?」とか言っていた。私は割り込むような形で藤堂不妃に話し掛ける。
「あの、不妃さん」
「なに?」
「先程はごめんなさい。指摘された通り、確かに私は不妃さん――と言うより、恋愛そのモノについて何か先入観を持っていたかもしれません。趣味嗜好は人それぞれだと言葉では理解していても、心の中では納得していなかったんだと思います」
「くふふ。いーよー。わたしも言いたいこと言えてすっきりしたし、こんなんなかなか無いし。しっかし、樹莉亜ちゃんは円と違ってはっきりしてるねえ」
笑顔が柔らかくなったような気がする。成程、確かに打ち解けてからこの笑顔を見せられたら、人によっては彼女のことが好きになってしまうかもしれない。
「それで、私もやりたい曲があるんですけど、いいですか」
私は絶対にないけど。
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