第一章 小牧円の場合4

「――あいったあッ!!」

 電柱に激突した。



「ごめんごめん。まさかあれでずっこけるとは思わなくって。それにしても、凄い転け方だったよ? 大丈夫? 本当、動画残しとけばよかった」

 わたしは今、近くの神社の境内に座って休んでいる。

 こういう事らしい。

 わたしが自転車で歌いながら走っていて、見かけた不妃さんが後ろから同じく自転車で追いかけてきた。何か歌ってるな、と思い、暫く真後ろで聴いていると、自分が知っている曲ではないか。わたしも割と大きい声で歌っていたから気づかなかった。話し掛けられ、驚いたわたしは、目前に迫っていた電柱に激突し、さらにハンドルを右に切ったせいで、僅かに蓋が開いた側溝に前輪を引っ掛け、わたしは勢い空中に投げ出された。

 後ろでんぐり返りの途中みたいな格好で静止したせいで、わたしはスカートが裏返ってパンツ丸出しになり、自転車は側溝に前輪を引っ掛けた際にフレームが曲がって、まともに走れない状態。

「怪我はないけど……」

 制服が砂っぽい。

 生涯で一番恥ずかしい格好をした。

 そんな惨めなわたしを覗き込む制服姿の藤堂不妃。可憐だ。相対的に自分が嫌になる。藤堂と小牧。なんかもう名字の時点で敗北している。全国の小牧さんごめんなさい。

 この子距離感近いな。今朝もそうだったけど。

 十センチ先に不妃さんの顔がある。恥ずかしくなって目を逸らす。が、視線を逸らしたわたしを先回りするように不妃さんがまた覗き込んでくる。

 うー……。

「さっき歌ってた曲、ストーンズだよね?」

「そうだけど」

 表情は真剣そのもの。

 なんだろう。ストーンズフリークだろうか。だったらやだな。わたし、にわかだし。アルバムとか全部聴いてるわけでもないんだよね……あ。こういうところがわたしのいけない所なのかな。同士が居たら喜ばなきゃいけないのかな……よし。

「ストーンズ、好きなの?」

 少しわくわくしながら訊いてみる。でもまあ、さっきからわたしはストーンズよりも他に訊きたいことがあるんだけど。

 チラチラ目に入っている背中のそれ。

「ううん。ビートルズの方が好き」

「そうそう、わたしも特にビートルズはファーストが好きで……って、なんでやねん!」

「ノリツッコミありがと。いいよ、別に。無理に関西っぽいノリにしなくて。なってないし」

「好きだって言って意気投合する場面かと思ってたのに」

「ふふ。嘘々。かなり好き。ビートルズもストーンズも両方好き」

「ねえ、訊いていい? 背中のそれ……」

「よくぞ訊いてくれました!」

 不妃さんは顔を離し、己の背負ってる物を見せびらかすように、その場でくるりと一回転した。わあ、絵になるなあ、この子。本当、ずっと思ってたけど、花形って感じ。近寄りがたい。

 今はこんなに近くにいるけれど。

「実はこつこつお小遣い溜めてついに買っちゃったのです! じゃじゃーん!」

 不妃さんは背負っていた黒くて大きいバッグを降ろして、ジッパーを開けていく。そして、中から現れたのは――木漏れ日に反射されて輝くエレキギターだった。

 弧を描く白と薄い青のボディに薄茶色のネック、銀に輝くペグに弦。

「わ! ストラトキャスター……だっけ?」

 エレキギターの代表的な存在。明るく繊細な音が特徴で、その汎用製の高さから多くのミュージシャンに愛されているという。

「フェンダー・ストラトキャスター。六二年のヴィンテージ。ストーンズ知ってるくらいだからフェンダーも知ってるよね?」

 わたしは頷いた。フェンダーは知ってる。有名なギターのメーカーだ。ヴィンテージ……それで使い込まれてるっぽいのかな? 剥げや傷もある。それにしたって格好いい。幾らくらいするんだろう? あはは……わたしには買えないや。

 不妃さんは不敵に笑ってギターを胸の前で抱え直した。

「どうよ」

「かっこいい!」

 凄い。

 凄い!

 思わずにやけてしまう。

 自分がこういう物に格好良さを見出すことを知られるのが、何となく恥ずかしい。わたしはそう思って、おいそれと例え幼馴染のよっちゃんにも自分の趣味をひけらかすような事を今までしてこなかったけれど、そんな想いが吹っ飛んじゃうくらいに、自分の中の何かが刺激されているのを感じる。かっこいい。かっこいい。

 何かが開けていく。

 うずうずと。両手を握ったり閉じたり。膝を擦ったり。

 そんなわたしの様子を、不妃さんは満足そうに、面白そうにうんうんと頷いて、向かうところ敵無しみたいな顔で告げた。


「ね! 円さんさ! わたしと一緒にバンド組まない?」

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