洗い流して残るもの

 品物と代金の受け渡しは後日、と約束してその日は解散となりました。

 せめて自分の手でできるだけ綺麗な状態にしてから渡したいと訴えると、なんだか苦笑いされたような気配でしたが。職人プロの意地というかですね、はい。お金いただく誠意といいますか。


 夜、寮の自室でハンカチを洗いました。洗濯水と一緒に昼間の嫌な気持ちもせっせと流してしまいましょう。

 

 いびりの名目なんてどう言いつくろったって、ただのいいがかりです。それはわたしもあちらも同じこと。何を言われても、気にしないのが一番です。

 

 こうしてみると、反撃できるアレクサ嬢の強さがうらやましい。あのくらいじゃないと、婚約者持ちの殿下になんてべったりできません――というのは嫌味ですね。よくない、よくない。


 作戦しごとはともかく、せめて心の中だけではアレクサ嬢に辛く当たらないようにしたい――なんてあべこべの話ですけど、相手を悪者にして自分を正当化したくはないのです。


 誰にも言えないそんな気持ちを今日知り合ったばかりの人を思い浮かべて語りかけていたことに、ふと気づいてとまどいます。


 なんでも聞いてくれるような気がして、なんて、あんなぶっきらぼうな態度にどうしてそう思うのか――あれなら、まだかかしの方が愛想がいいんじゃない?とかかしの恰好でいやいやながらわたしにムリヤリ愚痴を聞かされているところをついつい想像して、ぷっと吹きだしてしまったら


 涙が、ぽろんと水の上にこぼれてしまいました。


 そして気づいてしまいました。

 自分がずいぶんと長いこと心から笑っていなかったということに。


 グロリア様と一緒の時に嬉しくても楽しくても、いつも心のどこかがズキズキして、痛くて仕方がなくて。


 アレクサ嬢にやりこめられるたび、いつも逆にほっとして――わたしの言葉にどうか傷つかないで、と勝手に願って。


 ぽろぽろとしずくが水面に落ちて小さな波をたてていきます。とめどなく、いくつもいくつも。  

 止めようとしても止まらない涙に、一つため息をついてあきらめました。


 今だけ、泣こう。

 今だけは、たまった涙を洗い流してしまおう。

 

 明日になったら、またいつものわたしになるために。


 ◇◇◇◇◇


 次の日からのわたしは、いつも通りに戻れていたと思います。


 数日ほど、アレクサ嬢の姿を見つけられず、またグロリア様ともお会いする機会のない日が続きました。上級生のみなさんはお忙しい時期なのでしょうか。

 (ついでに、あの三人組にも行きあいませんでしたが。)


 時間があいたのを幸いに、というのも変ですが、先日の約束通り、無事にハンカチを渡すことができました。


 待ち合わせにあの焼却炉の前というのもなんですので、用務棟の裏庭を教えてもらいました。そこに放課後少し経ったくらいの時間には大抵いるはずだから――ということでした。


 最初に行った日に、すぐに会うことができて滞りなく品物と代金の交換もすんだのですが、生徒がほとんど来ない、しかも校務員の方々も放課後には滅多に来ないというその穴場的な場所が気に入ってしまったわたしは、気がつけば、息抜きに使わせてもらえないか、と願い出ていました。


「はしっこにいさせてもらえれば充分です。お仕事のお邪魔はしません。なんだったら、お手伝いします。これでもお掃除や庭仕事は実家で少しは経験があります。すくなくともその辺のご令嬢たちには引けを取りませんよ?」


 やや前のめりな勢いで売り込むと、少しのけぞるようにして

 

 「いや、どうでもいいんだが――貴族のご令嬢として競う分野をまちがえてないか?」


指摘されツッコまれたので、ふいっと目をそらしてしまいました。


 「――どこでもやっていける、という主張をしたかっただけです」


 「まあ、別に手伝えとはいわないがな。邪魔しなきゃ、好きにしたらいい」


 苦笑でしょうか、すこしだけあがった口角にほっとします。


 「……ありがとうございます」


 こうして、わたしは悪役いびりでない自分のひそかな居場所を手に入れたのでした。


 「ところで、この辺で名前を教えてもらっても」

 

 「匿名希望。いい加減なヤツがいるって上司うえにチクられたくないからな」


 「ええー。それ、今更な気が……」


 「うるさい」

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