名前を呼ばないお約束?

 「……あの、すみません。ごらんの通りの状態で、とても他人ひと様には」


 ハッとしてあわてて、首を横に振りました。

 

 きっと同情なのだとわかっていても、そう言ってくれる気持ちだけでも嬉しいのが正直な気持ちです。

 悪意をぶつけられた後だけに、ことさら人間ひとの情けが身に沁みて。


 と同時に、自分を省みて、チクチクと胸が痛むのです。

 ――わたしに、こんなに親切にされる資格があるはずがない。


 この人は、きっと知らないのでしょう。わたしがなにをしているか。

 彼女たちに、あんな仕打ちをされても仕方ない人間なのだということを。


 そう。

 いびられる覚悟のある者だけが、いびることができるのだと――わたしは自分で自分に言い聞かせていたはず。


 学園に来る前に、どんな結果になったとしてもけっして後悔はしないから、と反対する両親を説き伏せたのです。

 侯爵閣下にどんな思惑があったとしても、わたしはこの機会を逃すわけにはいかないのだから――と。


 ――目の前でどんどん弱っていく子どものために、なにもできなかった口惜しさに比べれば、どれほどのことがあるでしょう――

 

 唇をかみしめながら、胸元にそっと押し当てたハンカチの束の前に、ふいに大きな手のひらがぬっと差し出されました。


 「え――」


 見上げると、無愛想なへの字口の男性が催促するように、片手を突き出していました。

 

 「ごちゃごちゃ言ってないで、見せてみろ。――洗えばどうにかなるだろうよ。それでも傷物になったって言うんなら、値切ってやるから心配するな」

 

 「でも、ハンカチなんて、そんなにあっても」

 

 「は、ハンカチってのは紳士オトコがここぞって時に淑女おねーちゃんに差し出して使い捨てしてなんぼだろ。何枚あっても邪魔には――なんだ、妙な顔をして」

  

 「……いえ。予想外に、こう、軟派なセリフを耳にしたというか――いい話のハズでは、と」

 「いい話だろ。アンタにもこっちにも損がない」

 

 なんでしょう。ずけずけした物言いに、拍子抜けといいますか――いっそ肩から力が抜けるといいますか……


 「あの……こう言ってはなんですけど」

 「ん?なんだ」

 

 「もともとの商品もの品質できは目利きの商人さんが保証ずみでして

 ……そこだけは、そこだけはあえて主張させていただきたく――!」


 「……しっかりしてんな、アンタ」


 「あー、ええと、申し遅れましたが」

 

 「……いや、お互い名前を知らないほうが都合がいいな。アンタ、いろいろ噂になりたくない感じだろ?

 オレの方も生徒相手に売り買いこんな事してるってのは、あんまり聞こえがよくないんでな」


 それもそうですねと納得して、呼びかけができないのも不便かと「校務員のおじさま」と呼んだら露骨に嫌な顔をされました。

 ――え?そんな年齢としじゃない?それは失礼。ちなみに実年齢は……なんて尋ねませんけどね。


 とりあえず「おにいさん」と「お嬢ちゃん」で協定が結ばれました。パチパチパチ。


 ハンカチですか?材料費ほぼそのままで交渉成立。いいんです、丸損しないですんで大感謝です。


 「にしても、アンタ、ご令嬢がそんな口調しゃべりで大丈夫なのか――?」


 む。それは言わないお約束!

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