おお、神がでたぞ、と羊飼い(モブ)は叫んだ。

 気がつけば、その人はそこにいました。


 わたしの背後を見やって、ぎょっと顔色を変えた令嬢たちにつられて振り向くと、背の高い金色のモップが立っているではないですか。


 ――いや。いくら魔法使いが少数とはいえ存在するこの世界であっても、いきなりモップが自立して声を発するなんて突飛すぎます。

 ええ、もちろん、人間です。ただ、モップ感が凄い……!


 雑務担当の校務員らしい作業着のような服の上には、もさあっとした金色の前髪が覆いかぶさっていて、かろうじて見て取れる丸い形の眼鏡がありました。

 そして顎のあたりには同色の髭がちらほらとまばらに生えていて。


 わたしは、不意に懐かしさにかられました。

 ――知ってる、この感じ。わたし、知ってます……!


 むかし、わたしがこしらえたうち領内の畑の案山子かかしに、そっくり。わあ、懐かしい……。


 思わず状況も忘れ現実逃避してほのぼのと望郷の念にひたったわたしの耳に、低い声が届きました。


 「……こんなところで、なにを騒いでる?面倒ごとなら、よそでやってくれ」

 

 それは外見の印象を裏切るような意外にいい声でした。


 が、取りつく島のない素っ気ない言い方に、普段そんな扱いを受けていないであろう令嬢たちは目に見えて怯んだようです。


 「な、なんでもありませんわ」

 「わたくしたち、たまたま通りがかっただけですもの」

 「さ、参りましょう、お二人とも」


 そそくさ、と足早にこの場から逃げ出しました。


 すぐに、わたしとかかし――いえいえ、どうやら救いの神だった人だけが取り残されました。


 「すみません」

 「――あんたが、謝るのか?気のせいかも知らんが、今のはあんたは悪くないんじゃないのか」


 あ。やっぱり事情はお察しでしたか。でも。


 「あ、いえ。今から、ご迷惑をおかけしそうなので、先にお詫びを」

 「あ?」


 「焼却炉の中、ちょっと失礼しようと思いまして」

 「まてまてまて」


 慌ててますね、変なことはしませんよ?

 

 「中に、私物が紛れているようなので、それを取り出したいんです」

 「中――?」


 訝し気に焼却炉の中を除いた相手の気配が一瞬で険しくなりました。

 ハンカチの束に気づいたようです。まあ、ゴミに混じって不自然に綺麗な状態ですものね。


 「――さっきの連中がやったのか」

 「証拠はないですので、なんとも――ただ、偶然というには無理がありますかね」


 ため息と共に答えます。


 「待ってろ、今とってやる」

 「あ、いえ、自分で――」

 「服がよごれるぞ」

 「あー、はい――すみません、お願いできますか……」


 指摘されて、図々しくもお言葉に甘えてしまいました。言い訳すると、この制服、とってもお高いんです(自腹じゃないですけども)。焼却炉のすすとかついたら落とすの大変そうだし。


 鉄ばさみを使ってハンカチの束が救出されました。手塩にかけた我が子(?)とようやくの対面です。ごめんね、気づくのが遅くなって。ママ、盗られたのもわからなかったの。


 「ありがとうございます。助かりました」

 

 お礼を言って、手元に戻ってきたハンカチの束を確かめます。


 火をつける勇気がなかったのか、単に面倒だったのか、むきだしのままでぽんと炉の中に放り込まれていただけで、無事といえば無事ではありますが――


 「――さすがに、もう売り物にはできませんね――」

 「売り物?」


 つい泣き言が口からぽろっとこぼれてしまったのは、それなりに一連の出来事がこたえていたせいでしょうか。


 その布の束はわたしの”淑女のたしなみ”と称する労働の成果でした。ありていにいえば、内職です。


 かつての領をあげての経済危機に、領主の娘といいながら役に立つすべもないわたしはせめてと母や侍女たちと刺繍やレースといった手芸の内職にせっせと励んでいたのです。

 

 寸暇を惜しんで勤しむ様子に、「そこまで根をつめなくても」と気遣う父に、わざと澄ました顔をして

 「あら、これはレイチェルに”淑女のたしなみ”を仕込んでいるのです。どこに出しても恥ずかしくない貴婦人とするためのもの。殿方の出る幕ではありませんわ」

と答えたのも苦労の絶えない父への母なりの労りだったのでしょう。


 それに同意乗っかったしたつもりで

 「『この腕ならば、その辺の職人にも引けはとりません。失礼ながら、貴族のご身分でいらっしゃるのが惜しいほど』と商人さんが申しておりました。ですから、わたくしお針の腕を磨いて立派に自活していきますわ――!」

というわたしの明後日な発言に、両親があたふたしたのもほほえましい家族の思い出ではありました。


 学園に来ても内職をやめるという選択は毛頭なく。「稼げるときに稼ぎまくる」をひそかなモットーとするわたしは合間合間を見つけてはハンカチなどの小物の刺繍の下請け仕事を懇意の商人から融通してもらっていたのですが。


 刺繍をしている令嬢を見て、優雅なことだと思っても、まさか咎める理由もなし――と油断していたのは事実です。まさか、嫌がらせの道具にされるとは。


 ――これ1枚の販売価格、いくらするかわかってる!?

 お貴族様はこれだから――!

 

 内心、歯ぎしりしていたところへまた、声がかかりました。


 「――あんた、それ売るために作ったのか?」

 「あ、ええと――ここだけの話にしていただけると、助かるのですが――」


 学園で働く人(推定)が、先生ならともかくその他の職種の人まではさすがに、全生徒のことまでは把握してないはず(それにわたしモブだし!)と期待して、おそるおそる申し出ると


 「それ、オレに売る気はないか?」

 

 予想もしていなかった提案をされて、思わず呆然としてしまいました。


 え、待って。本当に神様ですか……?

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