第9話 清掃対象:ファインズ公爵邸
突如このファインズ公爵邸に響き渡った轟音――
私は<アサシン>と<メイド>のスキルを総動員し、お屋敷の状況を確認する。
「屋敷中のメイドや執事達が慌てふためいている……!? こ、これはまさか――」
スキルで探知できた情報から嫌な予感がした私は、すぐに旦那様の部屋を出て屋敷内の様子を確認する。
「な、なんだこの黒い影のようなものは―― グアァ!?」
「ク、クーリアさん! た、助け―― キャアァ!?」
――そこに広がっていたのは、メイドや執事達を襲う、おびただしい量の"汚れ"だった。
ココラルお嬢様や旦那様に染みついていたものとはレベルが違う。
その"汚れ"の強大さは、私のような
「クーリア!? これがクーリアの言っていた"汚れ"ですの!? お屋敷中が大変ですの!」
私の後ろから顔を出したココラルお嬢様も、怯えながらその光景を眺めている。
やはりお嬢様にも見えている。
これほどの"汚れ"、私に立ち向かえるだろうか――
「フ……フフフフ……!」
「ク、クーリア……? 急に笑い始めて、どうしたのですわ……?」
――だが気が付くと、私は笑っていた。
前世でもいまだかつて立ち向かったことのない、あまりにも強大すぎる"汚れ"――
それを目の前にして、私の<清掃用務員>としての本能が反応せずにはいられなかった。
――『お掃除したい』。
私の
「だ、大丈夫ですの……? と、とりあえず、早くお屋敷から逃げて――」
「その心配には及びませぬ、ココラルお嬢様。このお屋敷に広がる"汚れ"……。このクーリア・ジェニスターめが、お掃除してみせます。フフフフ……!」
「ひいぃ……!? ほ、本当に大丈夫ですの……!?」
ココラルお嬢様は私を心配してくださっているが、私は笑いを押さえずにはいられない。
戦士にとって『敵が強大であるほど燃える』ように、<清掃用務員>にとって『"汚れ"が強大であるほど燃える』のは仕方のないことだ。
それになにより、ココラルお嬢様は今もこうして"汚れ"に怯えている。
私を見るその表情は、今にも泣きだしそうだ。
このファインズ公爵邸に仕える従者として、この惨状を見過ごすことはできない。
「<
私はメイド服のロングスカートをたくし上げ、<
右手にモップを持って体に添え、バケツの中を<
さらに背中にハタキを装備し、雑巾もバケツにかける。
各種溶剤の入った霧吹きはエプロンの帯に突き刺し、いつでも使えるようにする。
――これで準備は整った。
「ココラルお嬢様。ここでしばらくお待ちください。このクーリア・ジェニスターめが、すぐにこの"汚れ"をお掃除いたします」
「クーリア……」
不安そうに涙目で私を見るお嬢様をなだめた後、私は早速
「……<
ダンッ!!
<
前世でもここまで素早く動けたことはない。
<アサシン>だった私の経験も、無駄ではなかったようだ。
「ハァアアアアア!!」
キュキュッ! パタパタ! フキフキ!
モップ、ハタキ、雑巾――
ハタキで高所の埃を落とす――
固く絞った雑巾で、家具や壁を磨きぬく――
モップで床を拭きぬく――
<清掃用務員>たるもの忘れてはいけない、『お掃除の基本』――『上から下へお掃除する』。
それを守り、私はまずお屋敷の廊下をお掃除する。
<
"汚れ"はかなりしつこく、簡単に落とすことはできなかったが、私は溶剤を巧みに切り替えながら対応する。
より洗浄力と消毒効果の高い、次亜塩素酸ナトリウム――
前世の私の命を奪ったものの一つだが、<清掃用務員>としてはとにかく頼れる洗剤だ。
<
使い方さえ間違えなければ、次亜塩素酸ナトリウムの"強アルカリ性"成分は実に有効だ。
私は次亜塩素酸ナトリウムをバケツの水に加え、モップへと染みこませる。
そうして"汚れ"を確実に落としていくが、流石に量が多い。
さらに"汚れ"はお屋敷の中から窓を出て、外にまで広がっている。
これはマズイ。外の清掃までとなると、中々手強い。
――だが、今の私には自身でも想像できない程の
「フフ……フフフフ……! これなら……これほどの
自らの
ズババババッ!!
キュキュキュッ!!
ゴシャシャシャッ!!
――そして、お屋敷の屋根や壁を走りながら、一心不乱にお掃除を始める。
<清掃用務員>たるもの忘れてはいけない、『お掃除の基本』――『外から内へお掃除する』。
本来ならばいきなり屋外からお掃除することはない。
ブロックごとに清掃領域を決めてお掃除するのがセオリーだが、今の私ならば問題ない。
それどころか今の私には、屋外での<
屋根だろうが壁だろうが関係なく、素早く鋭くモップを走らせる。
しつこい"汚れ"が見つかれば、今度は界面活性剤の出番だ。
汚れを浮き上がらせるのならば、やはり界面活性剤に限る。
――今の私に、落とせない"汚れ"など存在しない。
「外側のお掃除完了! これより、内側のお掃除に移行する!」
お屋敷の外のお掃除を終えた私は、ハイテンションに窓から再び屋内へ入る。
お屋敷の中のお掃除も外の時と同じように、その
まずはハタキでお屋敷の中の埃を、全て床に落とす。
雑巾で繊細な家具は、濃度を調整したエタノールをスプレーして磨き上げる。
今の私に清掃領域の広さなど関係ない。そんなものは存在しない。
私はお屋敷の全ての部屋と廊下を猛スピードで駆け回り、まずは細かい場所の"汚れ"を洗い出す。
「クーリアさん!? 何ですかその動きは!?」
「も、もしや……最近のココラルお嬢様のワガママから来るストレスで、とうとう頭がおかしく……!?」
お掃除の途中、お屋敷内のメイドや執事達が困惑した表情で私を見つめていた。
仕方のないことだ。
これほど強烈な"汚れ"を目の前にすれば、常人は誰だって怖気づいてしまうだろう。
――だが、私は違う。
私はこの屋敷の中で――いや、もしかしたらこの世界の中で、唯一の<清掃用務員>だ。
私には"汚れ"を落とす能力がある。お掃除する義務がある。
――今、このファインズ公爵邸を
「ハァ! ハァ! ……フフフ。ハハハハーッ!」
危機的状況であるはずなのに、私はこみ上げる笑いを押さえられなかった。
前世でもたどり着けなかった、<清掃用務員>としての更なる高み。
前世では決して出会うことのできなかった、頑固な"汚れ"。
記憶を取り戻した私にとって、それら全ての出来事が――
――嬉しくて、楽しかった。
「
私は不要になった道具を一度用務室に戻し、身軽になる。
残す"汚れ"はわずかだ。
後はモップで最後の仕上げに移る。
私は<
天井を走り、壁を走って、上から下へ――
お屋敷の構造を考え、外から内へ――
そうして私はお屋敷中をお掃除しながら、
「見えました……玄関口!」
『上から下へ』『外から内へ』に続く、もう一つの『お掃除の基本』――『奥から手前へお掃除する』。
最後はお屋敷の中に集まった"汚れ"を掃き出すように、私は出入り口である玄関へとモップを掛ける。
そしてついに――
――キュルリィィイインッ!!
――ファインズ公爵邸のお掃除を完遂した。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
流石に疲れた。
私はモップで体を支えながら、落ち着いて息を整える。
疲労はかなりたまったが、それでも私は心地よい。
腕で額の汗を拭いながら、私は振り返ってファインズ公爵邸を確認した。
そして私の目に映るのは、一切の"汚れ"がなくなった、綺麗なファインズ公爵邸。
ココラルお嬢様や旦那様を始めとする、お屋敷の皆を苦しめていた"汚れ"は、もうどこにもない。
――やはり、お掃除は気持ちがいい。
このお屋敷を見るために、私も頑張った甲斐があった。
まだまだ私には<清掃用務員>として、未熟な面も多々ある。
前世では"超一流"と呼ばれていたが、現世で得た新たな力はまだ制御しきれていない。
それは今後の課題としよう。
ただ、今はこの瞬間を喜びたい。
その思いと共に、私は内なる
「これにて……
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