第8話 清掃対象:アトカル・ファインズ
「クーリアァア! ワシの自慢の髭を侮辱したこと、後悔しながら死なせてやるぞぉお!!」
旦那様――アトカル・ファインズ公爵は、鬼の形相で剣を握りながら、私に襲い掛かって来た。
旦那様はココラルお嬢様と違い、あのへんてこりんなカイゼル髭に"汚れ"が集中している。
"汚れ"が体の一部となってしまっているため、精神汚染も強烈なのだろう。
早急に
「くっ!? それにしても、流石は旦那様。なんと苛烈な攻撃でしょうか……!?」
ただ、問題なのは旦那様の戦闘力だ。
旦那様は若い頃に王国防衛騎士団に入っており、その実力は折り紙付きだ。
<魔法戦士>のスキルも有しており、特に炎を纏った<魔法剣>の一撃は、逆にこちらが焼却処分されかねない。
私は<アサシン>スキルで身体能力を強化し、とにかく攻撃から逃げ回るばかりだ。
「クーリア! 早く応戦するですの! 先程わたくしにしたように、モップで戦うですの!」
部屋の隅で物陰に隠れながら戦いを見ていたココラルお嬢様から、私に助言が入ってくる。
だが、私はその助言を聞き入れるわけにはいかない。
今回の清掃対象は、旦那様のカイゼル髭だ――
「申し訳ございません、ココラルお嬢様。先程も申しました通り、モップは"人を殴るもの"ではありません。モップを人に向けるなど、<清掃用務員>として言語道断です」
「……はいぃ?」
――そう。今回モップは使えない。
"汚れ"の元凶が旦那様のへんてこりんなカイゼル髭にある以上、モップで汚れを取り除こうとすると、旦那様にモップを押し付けることになってしまう。
モップは武器だが、凶器ではない。<清掃用務員>として、人々の生活を守るための清掃道具だ。
「モップを旦那様に向けることはしません。それは<清掃用務員>として、超えてはならない一線です」
「な、なんて誇り高い精神ですの……! これが<清掃用務員>なのですね……!」
私の言葉に最初は素っ頓狂な返事をするココラルお嬢様だったが、すぐに私の気持ちを理解してくれた。
これも私がしっかりお嬢様に、<清掃用務員>について説明したおかげだろう。
私の
「さっきからココラルと何を訳の分からないことを話しておるのだ!? クーリアァア!! ワシの自慢の髭を侮辱したばかりか、まともに戦おうともしないなど、愚弄にも程があるぞぉお!!」
――いけない。お嬢様のお心に感慨していて、旦那様のお掃除を忘れるところでした。
<清掃用務員>に求められるのは、様々な状況への対応と優劣順位の判断。
お掃除とコミュニケーションを両立できないなど、いくら超一流の<清掃用務員>と呼ばれた私であっても、まだまだ鍛錬が足りない。
――そう。『建物のお掃除』と『<清掃用務員>の志』は同じ。
日々磨かなければ、朽ち果てるのみだ。
しかし、今は旦那様のお掃除を優先しよう。
旦那様は今も尚、炎を纏わせた<魔法剣>で私に襲い掛かってくる。
このままでは埒が明かない。今必要なのは"対策"だ。
――考えろ、クーリア・ジェニスター。
モップを始めとするハタキや雑巾といった
先程もココラルお嬢様を
――応用するんだ、クーリア・ジェニスター。
この世界には前世とは違う常識がある。
どんな環境であっても、どんなに道具が揃っていなくても、工夫次第でお掃除はできる。
視点を切り替え、応用力を働かせる――
これもまた、<清掃用務員>として必要な志だ。
「……見えました。旦那様のへんてこカイゼル髭をお掃除する方法を……!」
「だから! ワシの髭を! 『へんてこ』とか言うなぁあ!!」
旦那様は今も激しく激昂している。
"汚れ"がひどく心を蝕んでいる。これ以上は旦那様のお身体にもよくない。
ここは私が思いついた方法で、早々に
――シュンッ!!
「な!? は、速い!?」
私は剣を振るう旦那様の背後へと、一瞬で回り込む。
<アサシン>の身体能力強化を使えば、これぐらいは造作もないことだ。
そして背後に回り込んだ後は――
――ガクンッ
「うおぉ!? ひ、膝が崩れる!?」
――膝カックンだ。
これで旦那様の態勢は崩れた。後は私の
「<
崩れ落ちた旦那様の頭を膝で支えながら、私は右手に<
「ク……クーリア……!? ワ、ワシに何をするつもりだ……!?」
「怯えないでください、旦那様。すぐに
私の膝の上で、旦那様が青ざめた顔をして覗き込んでくる。
見ただけでも、"汚れ"による精神の汚染は深刻だと分かる。
これ以上、旦那様が苦しむ姿は見たくない。
私は
シュシュシュッ! シュシュシュッ!
ゴシゴシ! ワシャワシャ!
「うおおおお!? ワ、ワシの髭に何をするだー!? 奇妙なスプレーをかけるな! 石鹸水でゴシゴシするなぁああ!?」
驚く旦那様を尻目に、私は
旦那様のへんてこカイゼル髭に重曹スプレーを吹きかけ、<
旦那様に染みついた"汚れ"は、ココラルお嬢様に染みついていたものと同じだ。
ならば重曹と石鹸水のコンビネーションで、
石鹸水はもちろんお風呂にだって使うので、人体にも問題はない。
重曹も『重曹シャンプー』を愛用していた前世の私だから分かる。髭にだって効果は発揮できる。
私は旦那様のへんてこカイゼル髭を入念に、丹念に、しかして丁寧に
「や、やめろ~~~! な、なんだ……体から何かが抜け落ちて……!?」
へんてこカイゼル髭の汚れがどんどん落ちていく。
それに伴って、旦那様もココラルお嬢様と同じように、体から力が抜けている。
あと少しだ。
あと少しで、旦那様を苦しめるこの"汚れ"から解放できる――
「ハァアア!!」
シュシュシュー!
「ぬわーーーーっ!?」
――最後にクエン酸スプレーをカイゼル髭にリンスして仕上げ。
重曹と石鹸水で洗っただけでは、髭のキューティクルが開きっぱなしで、毛の健康が良くない。
やはりクエン酸も用意して正解だった。
クエン酸の"弱酸性"成分なら、"弱アルカリ性"で開いたキューティクルも閉じてくれる。
"汚れ"を落とすだけでなく、仕上げまで妥協しない。
<清掃用務員>として、当然の行いだ。
「わ、わしの心が……綺麗になっていく……」
先程まで私には黒く見えていたへんてこカイゼル髭も、今ではクリーンな頭髪と同じ、白髪交じりの立派なカイゼル髭だ。
私に髭をお掃除された旦那様は、ソファーへと倒れ込んで眠りについた。
だが、その表情は実に穏やかだ。
寝顔を見るだけでも分かる。
旦那様もまた、"汚れ"から救われたのだ。
「ク、クーリア……? 終わったのですの? お父様は大丈夫ですの……?」
物陰から一部始終を見ていたココラルお嬢様が、恐る恐る私に尋ねてきた。
大丈夫。全て上手くいった。
その報告を主にするのもまた、<清掃用務員>としての務め。
私はココラルお嬢様の方を向き、しっかりと報告した――
「ご安心ください。これにて、
――グオォオオ!!
「――ッ!? こ、これは!?」
「ク、クーリア!? 一体何が起こっているのですわ!?」
私が
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