早い別れと、遅い始まり

明石 裕司

早い別れと、遅い始まり

『ごめんね。やっぱり、今日の話、なしにしてくれない?』

 慌てて開いたスマホには、たったそれだけのメッセージが表示されていた。

 それはまるで、彼、里崎真守さとざきまもるの初恋が終わりを告げたと示す、宣告書だった。



「24日、2人でどこか出かけない?」

 12月後半。終業式まであと数えるほどになった日のこと。

 いつものように教室で話していた真守は、できるだけ平然を装って、目の前にいる女の子、賀原志穂かはらしほに問いかける。

 案の定、志穂はその大きな目をぱちくりさせている。

「あ、いや、最近あんまり誰かと出かけてなかったし、日曜日暇だし、一緒に出掛けられたらな、って思って……」

 真守は言い訳のように言葉を並べる。さっきまでいろんな言葉を考えていたはずなのに、いざ口に出そうとすると、たどたどしくなってしまった。

 だが、12月の24日といえば、聖なる夜。家族と過ごすにしろ、友達と過ごすにしろ、きっともう予定が入っているだろう。

 断られることなど分かっていたのに、「もしかしたら」と、少しだけ期待を抱いてしまっている。

「うん、いいよ」

「やっぱり、ダメだよな……え、今なんて?」

「え、だから、いいよ。一緒に出かけようよ」

 今度は、真守が目をぱちくりさせる番だった。

「……いいのか?」

「う、うん、まあね……」

 志穂がニコッと笑う。

 まさか承諾してくれるなどと思っていなかったので、真守は心の中で、小さくガッツポーズをした。

 もちろん、顔には出していない、はずだ。

「じゃ、じゃあ、待ち合わせ場所とかは、また連絡するから」

「うん、分かった」

 真守は、机に置いていたバッグを肩にかける。

「それじゃ、また明日」

「じゃあね」

 志穂の言葉を聞いてから、真守は教室を小走りであとにした。

 廊下をしばらく歩き、周囲に誰もいないことを確認してから、今度は心の中ではなく、実際にガッツポーズをした。

「よっしゃぁ!」

 思わず小さく叫んでしまう。

 だがそれも仕方がない。好きな人をデートに誘えたら、誰でも喜ぶものだろう。もちろん、真守もその一人だ。

 上機嫌で廊下を歩いていると、ドンッと誰かと肩がぶつかった。

「あ……すいません」

 振り返って軽く謝罪の言葉をかける。すると相手はこちらを振り返った。ネクタイの色からして、3年生だろう。

 彼は謝罪の言葉を発する様子もなく、ただ真守を睨みつけるだけだ。

「ぼさっとしてんじゃねぇよ」

「……」

 一瞬言い返してやろうかとも思ったが、やめた。あのいきりたった背中に話しかけてもいい結果になるとは到底思えない。

 少し気分を悪くされたことにいら立ちもしたが、今はそれよりも楽しみなことができた。

「イヴ、どんな予定にしよっかなー!」

 どこに行くか、どんなことをするか、考えるだけでもわくわくするのだから。



 だが、日曜日当日。いきなりキャンセルされた。理由も何も言わず、ただ無理だということを伝えられただけ。

「なんでだよ……」

 待ち合わせの30分前から待っていた真守は、その場にしゃがみこむ。

 期待して、楽しみにしていた分、ショックは大きい。きっと彼女のせいではないが、裏切られたような虚しさがある。

「……帰るか」

 いつまでも落ち込んでいたって仕方ない。真守は立ち上がると、いつもより遅い足取りで、家へと歩き出した。


 1時間前、この場所を通ったときは、志穂と2人ででかけることにワクワクしていた。だが今、そのときどんな表情をしていたかは、もう思い出せない。

「はぁ……やっぱ、もともと断るつもりだったんだろうな」

 志穂は優しいから、真守が誘ったときに、断れなかった。だから、当日ドタキャンするしかなかった。

 一度その可能性を考えてしまうと、もうそうとしか思えなくなる。

 冷たい風が服の中に入り込んできて、思わず体を震わせる。

 今日はもうすぐ、雪が降るのかもしれない。そうなれば、ホワイトクリスマスだ。

 約束がなくなった状態では、嬉しくもなんともないが。

 今は正直家に帰りたくない。どこで時間をつぶすか、歩きながらぼーっと考える。

 その辺のファミレスにでも行こうかと、駅の方に引き返そうとしたときだった。

「あれ、真守君じゃん!」

 後ろから、やや明るめのトーンで、声を掛けられる。

 振り返るとそこには、ベージュのダッフルコートに身を包んだ少女が立っていた。

「……柚葉か?」

「そうだよ! なんで迷ったの? ひどくない?」

 彼女は小倉柚葉おぐらゆずは。真守と家が近く、小さいころから交流のあった、1つ年下の女の子だ。幼馴染、という関係になるのだろう。

「ああ、ごめん」

 自分でも何に謝ったか分からない、中身のない謝罪になってしまう。

「いやいや、別にそんな気にしてないよ」

「そっか。それじゃあな」

 声をかけてきてくれたが、今は別に柚葉と話す気分でもない。そのまま、柚葉の横を通り過ぎる。

 だが「ちょっと!」と言って肩をつかまれ、前に進めなくなる。仕方なく振り返ると、柚葉はどこか不満そうな目で真守を見ていた。

「なんで、そんなに素っ気ないの?」

「気のせいだと思うけど」

 無意識のうちに、真守は視線を下に向けた。

 それでも柚葉は言葉を止めない。

「じゃあ、何かあったの? ずっとそんな顔しないでよ」

 ストレートすぎる質問に、思わず顔をそらしてしまう。

「……なんでもない」

 喉から出た声が予想以上に小さく、自分でも少し驚いてしまう。

「……やっぱり何かあったんでしょ。大丈夫なの?」

 柚葉が、真守の顔を覗き込んでくる。

 その目には、先ほどと違い、心配の色が浮かんでいた。

「別に大したことじゃないから、大丈夫。今日は家で休みたい気分なんだ」

 真守は柚葉の手を振り払うと、足早にその場を去ろうとした。

 だが結局、柚葉に引っ張られ、また止められる。しかし、今度は先ほどより握る力も弱く、振り払えそうだ。

「ちょっと、ほんとに帰りたいんだ……」

 無理に振り払うのも良くないと思い、もう一度柚葉の顔を見ようと振り返る。だがそこで、真守の動きは止まった。

「私じゃ、ダメなの……?」

 少しだけ短いボブの黒髪が、冷えた風に揺れる。

 その声に、真守は困惑してしまう。

「……は?」

「私、真守君がそんな顔してるのに、ほっとけないよ……」

 下を向いた柚葉の、袖を持つ手に力が入る。

 なぜ彼女は真守を引き止めるのか。なぜこんな表情をしているのか。

 先ほど肩をつかんできた力よりも弱いはずなのに、なぜか真守はその手を振り払えなかった。

 真守はしばらく考えたが、やがて、フッと微笑んだ。

「ごめん、柚葉には話すよ。……恥ずかしいけど」

 すると、柚葉が、ゆっくりと顔をあげて、やがて目が合った。

「いいの……?」

「ああ。だけど、笑うなよ?」

「え、笑うところあるの?」

「まあ、聞いてたら分かるよ」

 真守は、自分の袖をつかんでいた柚葉の手をそっとほどく。そして、その手を自分の手で包んだまま、歩き出した。

「え、ちょっと、真守くん……?」

 横から柚葉の変な声が聞こえた。

 柚葉が小学校に入りたてのころ、帰り道が不安だと言う彼女の手を、真守が握って歩いたことが何度もあった。

「ここで立ち話もなんだし、公園まで行かないか?」

 その時のように、真守は柚葉の手を引いて歩き出す。

「そ、そうだね……」

 柚葉も返事をしてくれたので、歩くペースを少し速める。

 この辺りは街灯もあまりなく、今日はあいにくの曇りなので、表情はうかがえない。

 公園に着くまでの数分間、なぜか柚葉の声は、少し小さかった。


 二人が来た公園は、二人の家から歩いてすぐのところにある、小さな公園だ。あるのはベンチと砂場、そして小さな敷地だけ。

 真守は握っていた手を離す。

「あ……」

 柚葉が何か言った気がして振り返る。だが目が合った瞬間、柚葉は小さく笑った。

「ほ、ほら、座ろうよ」

 柚葉は小走りでベンチまで向かうと、端に座り、空いている隣を、手でとんとんする。「ここに来て」と伝えたいのは、誰でもわかるだろう。

 真守はゆっくり歩いてベンチへ向かう。そのまま、柚葉の隣に腰を下ろした。

「こうして二人きりで話すの、いつぶりだっけ?」

 ふと、柚葉がそんなことを聞いてくる。

「いつだったかな……。中学なってから、一緒に登校してないしな」

 思い返してみるが、中学校に入ってから、ほとんど話していない気がする。今日柚葉を見たとき、一瞬だれか分からなかったほどなのだから。

「真守君が中学卒業した後くらいからだよ。ほんとに話さなくなったの」

 柚葉が雲のかかった空を見上げて、呟く。

「結構長かったんだな」

「そう。そこから私は受験で忙しかったし、今は学校違うから、話す機会もないし……」

 笑ながら言っているのに、声色からはそんな雰囲気が感じられない。

「だから!」

 と思った途端、急に声が大きくなる。

「数年ぶりに会ったのに、あんな反応されて、ショックだったんだからね!」

「ご、ごめん……」

 全面的に真守が悪い。確かに、柚葉をあしらったとき、寂しそうな目をしていた気がする。

「いいよ、もう。今こうして話してくれてるんだし」

 そう言いながらも、ほんの少し頬を膨らませている。

 だが、今は、こんな話をするために、ここに来たわけではない。

「それで」

 柚葉が、真守に向き直る。

 先ほどまでの雰囲気が消え、真剣な表情になっている。

「何かあったの?」

 ついに、聞かれてしまった。

 ここではぐらかして行ってしまおうかとも考えたが、話すまで返してくれそうにない。やはり、話さなければいけないのだろう。

 真守は深くため息をつく。そして、下を向いたまま、話し始めた。

「正直に言うぞ。………フラれたんだよ」

 そこから真守は、今日あったことをざっと説明した。好きな人とクリスマスの予定を取り付けたこと。プランをちゃんと考えていたこと。そして、ドタキャンされたこと。

 話しながら、少しだけ鼻の奥が痛んだのは秘密だ。

「たったこれだけの話だ。引っ張ったのに、つまんなかったかもしれないな……」

「……」

 妙に照れくさくて、話していたときは顔を見られなかったが、一通り話し終えた今なら問題ない。

 隣に座る柚葉の顔を窺おうと横を見た。すると、柚葉と目が合う。しかも、頑なに視線を逸らそうとせず、こちらを見つめている。

「おーい、どうしたんだ?」

「………いたんだ」

「柚葉、聞こえてるか、柚葉?」

「ふぇ!」

 何回目かの声で、柚葉の肩が跳ねた。

「あ、ごめん、ちょっとぼーっとしてた」

 そう言いながら、えへへ、と恥ずかしそうに力なく笑う。どうやら、目は合っていなかったらしい。

 真守はそんな様子に軽く首をかしげたが、すぐに「それで」と話を戻す。

「まあ、だからあんまり人に会いたくなかったんだよ」

「そうだったんだ……。ごめんね、聞かれたくないこと聞いちゃって」

 柚葉が申し訳なさそうにうつむく。

「いや、聞いてもらったおかげで少し楽になったよ」

 その言葉を聞いてか、柚葉の顔が持ち上がる。

「ほんと?」

「ああ、ありがとな」

 真守が笑いかけると、柚葉の顔に、光が戻った。

「うん、どういたしまして」

 柚葉も、同じような笑いを浮かべた。


「お、もうこんな時間か」

 スマホの時計を見ると、5時半を少し過ぎたあたりだった。この時期だと、5時を過ぎればもう暗くなる。

 真守は、ベンチから立ち上がる。そこでふと、唐突な疑問が芽生えた。

「そういえば、柚葉はなんで外出てたんだ?」

 柚葉は荷物もほとんど持たず、まるでどこかに遊びに行くような装いだ。

「……ちょっと友達とカラオケ行ってて」

「そっか」

 柚葉は、クリスマスイヴを友達と過ごしたらしい。きっとこの後は、家族でご飯を食べるのだろう。

「それじゃあ、一緒に帰るか?」

 振り向いてそう問いかける。

 だが、柚葉から帰ってきた答えは予想と違うものだった。

「まだ、帰りたくない」

 柚葉は、ベンチから頑なに動こうとしない。

「そうは言ってもな……」

 真守は頭をかく。

 もう辺りは暗く、気温も下がってきている。こんなところにしばらくいたら、風邪をひいてしまうかもしれない。そうでなくても、これ以上遅くなったら、親も心配するだろう。

「ねえ、真守君」

 突然、柚葉が真守の名を呼ぶ。

「ん? なんだ?」

「……もうちょっと、話さない?」

 真守の心配を知ってから知らずか、そんなことを言ってくる。こちらをまっすぐ見つめる目からは、何か強い意志を感じる、気がした。

 その提案に戸惑いながらも、真守は柚葉の目を見返す。

「ど、どうしたんだ、急に?」

 つい、そんなことを聞き返してしまう。

「いや、えっと、なんとなく……かな?」

 柚葉は、曖昧な笑みを浮かべる。

「ダメ、かな……?」

 真守の目を見る柚葉の目は、心なしか潤んでいるように見える。

 柚葉は妹みたいに思ってきたから、こんな頼み方をされると、少し弱い。

「……はぁ」

 真守は一つため息をつくと、ポケットからスマホを取り出す。

 そして、少しの間操作して、またポケットにしまった。

「ちょっと帰り遅くなることは伝えたから。柚葉も、おばさんに連絡しときな」

「え?」

 柚葉の目が一瞬、点になる。だが数秒して、その意味を理解したらしい。

「あ、ありがとう!」

 そして、嬉しそうな、弾けるような笑顔になった。

 今までと変わらないはずのその笑顔に、かすかな違和感を覚える。

 そして、遅れて理解した。

 彼女が以前よりずっと、大人びていることに。

 もうよく遊んだ小学校の頃とは違う。彼女も立派な女子高生だ。

「どうしたの、真守君?」

 下から柚葉がのぞき込んでくる。

「あ、ちょっと考え事してただけだよ」

「ふーん」

 お願いを聞いてもらえたからなのか、柚葉はご機嫌なようだ。

「それでさ、ずっと公園にいるのもなんだし、ちょっと出かけてみないか?」

 真守は、そんな提案を柚葉にしてみる。

「え、いいけど、どこ行く?」

「あんまりいいところ思いつかなくてな……」

 自分で提案したんだけど、と苦笑いを浮かべる。

「じゃあ、私、1つ行きたいところあるんだけど」

「お、どこ?」

 もともと、柚葉にどこへ行くか聞く予定だったので、ちょうどいい。

「真守君、今日どこへ行く予定だったの?」

「え、今日って……ああ、デートで、ってこと?」

「そうそう」

 柚葉はあっけらかんとしながら、容赦なく真守の傷を抉ってきた。

「あそこの、ショッピングモールだよ」

 胸が痛むことを隠しながら、できるだけ自然に答える。

 真守が考えていた場所は、服、食べ物、雑貨、なんでも売っている、二駅先のショッピングモールだ。今は期間限定でモール全体がクリスマス仕様になっており、真ん中には大きなツリーも置かれている。

「じゃあさ、私、そこ行きたい」

「え……」

「あ、ダメならいいんだけどね。この辺ぶらぶらするとかでも……」

 真守の反応を見て自信がなくなったのか、どんどん声が縮んでいってしまう。

「いや、いいよ。俺も行きたかったし」

 本当は、あまり気が進まない。もともと志穂と行くつもりだった場所なのだから、もし行けば、考えたくないことまで考えてしまう。

「ほんと? やったー!」

 だが、柚葉がこんな風に笑ってくれるのなら、それでいいと思えた。

「じゃあ、早速、駅まで行くか」

「うん!」

 真守の後を、柚葉がスキップしそうな勢いでついてくる。きっと、真守のことを気遣って、あえて明るくしてくれているのだろう。そんな、都合のいい想像をしてしまう。

「なんだか、デートみたいだね」

 柚葉が、おかしそうに笑う。

「いや、別にデートじゃないだろ」

「えー」

 口ではそう言いながらも、柚葉は笑顔だ。

 つられて、真守も笑顔になる。

「それで、最初は何する予定なの?」

 柚葉が、真守の顔を覗き込んでくる。真守は後ろを振り返り、にやりと笑った。

「行ってからのお楽しみだ」

 きっと、志穂とのデートとは、全く違ったものになる。だからこそ、先ほどのことは一旦忘れられる。

「それとさ」

「ん、何だ?」

 真守の声に、柚葉が小さく首をかしげる。

「よく考えたら、柚葉と二人で出かけるとか、初めてだな」

 思い出してみても、ほかの友達が一緒だったり、親がいたりしたから、二人だけ、というのは、今までなかったように思う。

 だが、これからの時間は、柚葉との時間だ。今からは、彼女と二人で過ごす時間を、楽しもうと思った。

「じゃあ、これは私と真守君の初デートだね!」

「だからデートじゃねえよ。それに、初って言うけど、2回目とかないから」

 このとき、真守は考えもしなかった。これが、二人の、いや、三人の関係性を大きく変えることになるなどとは。

「……あってほしいな」

「何か言ったか?」

「ううん、なんでもない。ほら、行こうよ!」

「ああ、そうだな」

 柚葉は、真守を追い越すと、振り返って真守に笑いかける。

 それを追いかけるようにして、真守も歩くペースを上げる。

 こうして、文字通り、柚葉と真守の、最初の・・・デートが始まった。

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早い別れと、遅い始まり 明石 裕司 @Lamp_piedra

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