踏み散らす

 懸命に掃き集めた落ち葉の群れが風に吹き崩されて、ざらざらと音を立てながら散らばっていく。その上に風で吹き落ちた葉がまた加わって、擦れた葉同士が立てる音が密かに地を覆う。それなりの労力を注ぎ込んだ成果があっけなく踏み躙られていくのは何かのバチのようだなと俺は益体のないことを考えた。


「賽の河原みたいだな、こういう無為なことしてるとさ」


 脳内を覗かれたような言葉に振り返る。

 大樹の幹は静かな灰色。盛大に伸びた枝葉が午後の日射しを遮って落とす影の下、作業服に竹箒を抱えるように持ちながら坂城先輩がこちらを見ていた。

 驚いたせいで少しだけ早くなった鼓動を誤魔化すように、俺はどうでもいい雑談をぶつける。


「落ち葉掃きって大体こうなりません? 小学校の頃もこんなんでしたよ」

「外掃除とか真面目にやってるやついなかったろその頃は。葉っぱ集めようとするだけマシまである」

「あー、鬼ごっこしててチクられるんすよね女子とかに。目立つのは拾うからいいだろって言い返すと泣くし」

「泣いたもん勝ちだからな子供は。声が大きいともっと強い……」

「子供もですけど大人も大概そんなんじゃないすか。声おっきいと無理通りますよ」

「違えねえや」


 どの道ろくなもんじゃねえよなとの言葉に俺は箒を掴んだまま頷く。坂城先輩はほんの少しだけ口の端を持ち上げてから、秋の日射しに眩しそうに目を細めた。


 小遣い稼ぎに庭掃除とかやる気はないかというお誘いが兄貴から来たときにはうちの狭い庭のどこに掃除するほどのものがあるんだと思ったが、言い分をよくよく聞くとそういうことではなかった。兄貴が映画でも見に行こうと声を掛けた相手が予定があるという、話ついでに予定の内容を聞いて、それなら人手がいるだろうと兄貴がお節介を焼いたのだ。身内を使って他人に良い格好をしてみせるのは兄貴のよくない癖だけども、小遣いが出るのならいつもの見栄と年上面による無償奉仕よりかは断然の好条件だ。俺はといえばその日は何の予定もない休日だったので、頭使わない内容ならやるよと答えたのだ。しばらくして兄貴経由で届いたメッセージには集合日時と場所が素っ気なく書かれていて、その文面は呆れるくらいにきっちりとしたものだったのが意外だった。最後の方に添えられていた『汚れてもいい格好で』という一文を学校のプリント以外で見たのは初めてで、妙におかしくて長々と笑っていたら兄貴に怪訝そうな目を向けられた。


 集合場所の幽霊屋敷前に横付けになったバンの陰。門柱に寄り掛かるようにして煙草の煙をゆるゆると吐いていた坂城先輩は自転車を押して近づく俺に気づいてから、作業服姿でぎこちない笑みを浮かべて手を振ってくれた。


 バンの荷台に積まれていた箒を渡され、ちりとりを提げた先輩の後をついて幽霊屋敷の敷地に足を踏み入れたときこそ少しばかり緊張した。

 秋の真昼間らしく透き通った日差しに照らされた裏庭は明るく広々として地面を覆う落葉が時折かさこそと囁くような音を立てるばかりの至って平穏な風景があるばかりだった。


「悪いな正芳まさよし君、幽霊屋敷こんなところに付き合わせて」

「また……気にしてないって言ってるじゃないですか。嫌だったらそもそも断りますって俺」


 何度目かの謝罪を聞きながら、俺も同じように適当な答えを返す。相当に負い目を感じているのかどうかは知らないけども、俺としては手伝った分の駄賃を誤魔化しさえしなければどうだっていいので、坂城先輩の過剰な詫び言葉には少々うんざりもしていた。

 現場が幽霊屋敷だというのは最初に兄貴から聞いていたし、何ならメッセージで何度か念押しもされた。だからこそ手伝うやつもあまりいないだろうなという納得がいったし、兄貴が俺を差し出そうとしたのもよく分かった。入ったことは一度もなかったがこれだけ大きい屋敷なら、裏庭も結構な広さだろうとの予測は見事に的中していた。ここの清掃なら手数が欲しいのも無理はないだろうし、何かにつけて人より優位に立ちたがる兄貴がこれだけの恩を売る機会を見逃すはずはないだろうなと納得がいった。

 俺としては別に猛獣が放し飼いになっているとか何かのゲームのように入り込んだ途端にハチの巣にされるようなことがないのならば、そこが幽霊屋敷だろうが事故現場だろうが全く問題がない。幽霊や化け物の実在するかどうかなんて難しいことは俺には知る由もないし興味もないのだ。

 確かにこの幽霊屋敷については様々な噂がある。けれどもそれがなんだというのだ。陰惨な殺人事件の現場だろうが凄惨な因縁があろうが、どれもこれも過去のことだ。今もってなお屋敷の中を刃物を持った凶人が徘徊しているとか、やくざ者が獲物を探して潜んでいるとかそういう現在進行形で危険が発生しているなら恐ろしい話だろう。だが現状この屋敷にびっしりと纏いついている得体のしれない過去にまつわる悍ましいものたちは、どれほど種類と変化に富んでいようが結局は噂でしかない──どれもこれも与太や風説の域を出ないのならば、実際に何を恐れる必要があるのかが俺には不思議に思える。そんなことを言い出したら大抵の場所では誰かしら何かしらは死んだり汚れたり嫌なことがあったりしたのだろうし、そもそも一滴の血も涙も染みたことのない土地などはどこにも存在しないだろう。そう考えれば世界は隈なく事故現場とケガレに忌み地でいわくつきだらけではないのかと、俺はそんなことを考えた。


「先輩がそんなに謝るこっちゃないですよ、兄貴がいいかっこしたかっただけですし」


 俺の言葉に坂城先輩は少しだけ眉根を寄せた。


「ん、いい人だよ久原先輩。俺みてえなのをちょいちょい気にかけてくれるしさ」

「そういうのを言ってやってください。兄貴そういうの言われたくて仕方ない人なんで」


 坂城先輩のことを先輩と呼んではいるが、実際には俺にとってこの人は年上でこそあるが先輩でも何でもない。

 そもそもは兄貴の高校時代の部活での後輩だったはずだ。俺は出来が悪かったので兄貴とは違う高校へ行ったのだから、本当ならばこの人自体を先輩と呼ぶ義理は何もない。けれども兄貴が坂城先輩をごくたまに家に呼んでいたり外で数少ない学生の溜まり場兼遊び場である駅前で駄弁っているところに鉢合ったりという巻き添えやおまけのようなうっすらとした交流があった。その淡い交流をちまちまだらだらと積み重ねた結果、直接に同行するようなことはなくとも兄越しについでのように付き合いがある、という何とも説明のしづらい関係が成立してしまったのだ。

 俺は馬鹿なので兄貴や坂城先輩の会話には趣味もやり口も合わずについていけないこともあったけれども、それでも頭のいい連中の会話はぼんやりと聞いているだけでも楽しかった。たまに何かの巡り合わせで兄貴抜きでそこそこ長い会話をする機会があり、そういう時には坂城先輩はぼそぼそとした口調で本や俺でも知っている音楽の話をしてくれた。いつか教えてもらった短くて妙な話がたくさん入っている本は、お気に入りとして俺の漫画がシリーズすら揃わずに詰め込まれている本棚の端に並んでいる。


 坂城先輩は箒でがりがりと地面を掃いているのか削っているのか分からないような音を立てながら、


「卒業したってのに、相変わらず先輩みたいなことばっかりしてくれるからさ……申し訳ない話だよな、本当に。どうしようもない」


 先輩らしいなとぽつりと呟かれた言葉をどう判断すべきかを一瞬悩んでから、とりあえず当たり障りのない方で受け取ろうと考えて俺はがさりと足元の落ち葉を一掃きした。


「兄貴はそういう先輩扱いとかで大喜びしますんで……それに俺も坂城さんには返す分がありますから。だからいいんすよ遠慮なくこき使ってくれて、駄賃もらえるなら尚更ですし」

「……何だっけ。俺正芳君に何かしたっけか?」


 いやに不安そうな顔でこちらを見る坂城先輩に俺は慌てて首を振ってみせる。


「本教えてくれたじゃないすか。ショートカット? みたいなやつ」

「ああショート・ショート──そうか、読んだん?」

「サキって人のが面白かったです。容赦なくて」

「意外なとこ選んだな……」

「名前短くて恰好よかったんですよね」


 また何かおすすめあったら教えてくださいと義理交じりに言えば、目をぎゅうと細めて眩しそうな顔をしてから坂城先輩はくるりと背を向けてがさがさと地べたを削り始めた。

 しばらく二人で黙って地面を掃き回る。積めども崩れる落葉の山も執拗に掻いて寄せれば微かな風程度には吹き散らされないくらいにはなり、露わになった地面は意外なほどに乾いて白い色をしていた。


「落ち葉まとめたんならあの……ちりとりが樹の傍にあっから、あれで葉っぱの山まとめて袋に詰めてくれ」

「袋どこですか」

「ちりとりの下に敷いてある、飛んでくと困るだろ」


 先輩の言葉に俺は樹木の方へと視線を向ける。成程言われた通りに年季の入ったスチール製のちりとりが樹の根元に立てかけるようにして置かれている。持ち上げようと歩み寄った途端、爪先が何かを蹴った。

 根元に吸い寄せられるように転がったのはどうやら彫刻刀のようだった。

 中学校の授業で買わされるようなちゃちな代物、それが一本きりで剥き出しのまま箱もなく落ちている。平刃の切先が錆びたように汚れていた。小学校の清掃のことを思い出して、刃物目立つゴミを見つけて知らないふりもないだろうと、俺は坂城先輩に見せようとしゃがみ込んで柄の部分を掴んだ。


 両腕が抑え込んだ胴体がうねるように暴れようとするのを片膝で横腹を蹴り込みながら地べたに縫い付ける。下ろした膝に食いこむ砂利の痛みは静かな高揚に溶け、のろのろとした拒絶にもがく手先が鎖骨を掠る。ひっきりなしに葉が砕ける音がしゃりしゃりと鳴るのにこいつは悲鳴すら上げない。型通りのやる気のない抵抗に腹立たしいような気になって、心臓が暴れ出すと同時に耳元で轟々と耳鳴りがし始める。


 筋の浮いたくびに手をかけてじりじりと圧せばばたつく足先が一瞬だけ激しさを増した。


 締め上げる手は確かに自分の手だ。手元で嫌な柔らかさと灼けるような体温に汗の滲む肌の感触が纏いついて馴染んでいく。喘鳴ひとつ漏らさないままの喉は幾度か痙攣し、おざなりの抵抗じみて肩に掛けられた掌は、服のほつれに辛うじてその爪を引っ掛かけているような有様だ。


 頸から顔へと視線を這わせる。

 断末魔というには穏やかで、その癖堪えきれない痛みを懸命に誤魔化すように微かに歪んだ坂城先輩の顔があった。


 何かを言いかけるように半開きになった口元が幾度か震えてから、


「正芳君」


 名前を呼ばれたと同時に荒れた掌に肩口を掴まれて俺は息を呑んだ。


「おい大丈夫かよ。すげえ顔してるけど、なあ」


 しっかりしろと数度肩を揺さぶられて、俺はようやく掌の持ち主の顔を正面から見る覚悟を決める。

 伏せていた視線を恐る恐る上げれば、ひどく心配そうな表情でこちらを覗き込む坂城先輩がこちらを見下ろしていた。


「いつまで経ってもちりとり持ってこねえから……見たら樹のそば座り込んで動かねえから、日射病かなんか発作かなって声かけたんだけど」


 顔真っ白だぞと言われて触れた自分の頬は氷のように冷え切っていた。

 ふらつきながら立ち上がれば、強張った手が握り締めていたものに今更気づいて、俺はからからになった喉を無理矢理動かす。


「──あの、坂城先輩」

「何だよ。具合悪いなら休めよ、怒んねえから」

「いや違くて……刃物落ちてたんすけど、拾って」


 差し出す手先の彫刻刀はどういうわけか刃先がぬらりと濡れていて黒い雫が先端に球を作ってからぼたりと落ちた。

 先輩は俺の目をじっと覗き込むように見てから俺の手から黙って彫刻刀を毟り取って、そのまま樹のそばにべろりと広がったゴミ袋に放り込む。その上に積み上がった落葉の山から素手で葉を次々に掴み入れ、小さな刃物はすっかりゴミの底に埋もれて見えなくなった。


 向けられた作業服の背中に俺は恐る恐る声を掛ける。


「……あの、坂城先輩、俺」

「悪かったな、正芳君。今日はもう終わり」


 あとは俺やるから帰れよと無理矢理に明るい声音の端々が不自然に震えているのが俺でも分かった。


「俺なんかやらかしたんすか、先輩、あの」

「いや、何でもない。ただもうこれで帰れってだけで──大丈夫だ。ありがとな」


 これバイト代なと坂城先輩が財布を取り出して、そのまま乱暴に札を数枚押し付けられる。明らかに過分な金額に首を振れば、いいから早く帰れよと苛立ちが混じった言葉と共に無理矢理に上着のポケットに押し込まれた。


「久原先輩によろしく言っといてくれよ、おかげで──おかげで助かったからさ、もう大丈夫だから、気ぃ使わないでくださいって」

「先輩、」

「映画もいつか予定合ったら、そうだなこっちから連絡するからさ、頼むから、」


 これ以上関わらないでくれないかと絞り出すように発された声は枯葉の擦れる音に掻き消されてしまいそうにか細かった。


 拒絶の色が濃く滲む悲鳴のようなその一声だけで、俺はこれ以上坂城先輩に踏み込むことはできないのだと──この人はと直感する。そのまま気圧されるように俺があとずされば、坂城先輩は作業服から覗く生白い喉元を掌で覆いながら、


「悪い夢だからよ。誰にも言うなよ、


 そう言って懸命に笑おうとする顔に葉影がまばらに落ちて奇妙に歪む。俺はその表情にふと見覚えがあるように思えて、よせばいいのに目を凝らす。


 先程の白昼夢で見たものとそっくり同じなのだと気づいた途端、俺は弾かれたように走り出した。

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