言い放つ
今月の期間限定は赤々としたイチゴにチョコレートソース、そしてお決まりの小山のようなホイップクリーム。見た目や色合いは多少違うが、これだけ生クリームが乗っていれば多少のことは誤差にしかならない。いつもと少しだけ違う、宣伝だけは派手な流行りものを行事のように注文して啜り込む。大量のクリームととりあえず苦いコーヒーが混ざり込んで、私の舌ではレギュラーの甘ったるい飲料との違いがよく分からない。それでも『期間限定』という文字ととりあえずの話題のために毎月同じことをしているのだから、そこそこの愚行だろうなと思う。
「この時期にフラッペっていうのがもうどうかと思うけどな、私」
そろそろ雪だって降るのに氷を齧る意味が分かんないと、正面で成宮が口を尖らせる。手にしているのは恐らくいつもと同じチャイラテだろう。ふわりと時折シナモンの香りがこちらにも流れてくる。
「期間限定フラペチーノだもの。店が出してるってことは勝算があるんだよ多分」
「美紗そういう限定とか流行とか好きだよね。チョロくない?」
私の名前をいつものように小馬鹿にしたような口調で呼んで、成宮は自分のカップに口をつける。立ち上る湯気に少しだけ涙目になりながら、
「寒いときに冷たいもの食べるのってシンプルに馬鹿じゃん。軽めの自傷じゃないそれ」
「そりゃお外でこれ飲めって言われたら悪意を感じるよ。けど室内あったかいじゃん。暖房がんがんに入ってるし」
「そうまでして冷たいもの食べたいかっていうのがちょっと分かんないやつなんだよね。時期のもの食べればいいじゃん。肉まんとかさ、こういうとこならキッシュとかあるじゃんあの油そこそこすごいやつ」
「でも冬アイスおいしいよ。風呂上がりに暖房入れてスーパーカップ」
「わざわざ内臓から湯冷めする意味が分かんない……」
ちびちびとカップに口を付けながら、成宮がちらりと私の背後を見る。わざとらしく片眉だけを跳ね上げる、不自然で非対称な表情を作って、また澄ました顔でチャイを啜る。
私はわざとそれには触れずに、生クリームをスプーンで口に運びながら思ったよりはっきりとしたベリーソースの酸味に顔を顰めた。
「けどさ、今日どしたの。珍しいじゃん成宮が人を待たせるの。二十分も」
放課後にスタバに行こうと誘ってきたのは成宮で、約束の時間もぶっちぎったのも成宮だった。この晴れてこそすれ気温の少しも上がらない晩秋の午後に擦れ違ったらいけないと外のベンチで待ち続けていた私は相当えらいかお人好しかのどちらかだと思う。
成宮はきまり悪そうに制服の襟を弄りながら掬い上げるように私を見て、
「ごめんって端数出したじゃん……当番が急に入ってさ、頑張って切り上げてきたんだよ日誌も書いたしさ」
「委員会なんだっけ」
「校風。週番でさあ、教室とか学校の見回りすんの。担当場所分けてやるんだけどさ、後輩の子の番だったのに急遽私が代打で呼び出し」
参るよね本当と無闇に抑揚のついた口調で言って、成宮は大袈裟にため息をつく。
「そりゃ災難だ……サボりとかそういうやつ?」
「いや風邪だか何だかで学校自体お休みって顧問が言ってた。サボるような子じゃないしね。時期的にインフルとかじゃない? あれ長期で休めるじゃん学校」
それにあの子、と精一杯声音に暗さを纏わせて意味ありげに言葉を区切る。二度目も見逃したら拗ねるだろうなと今までの経験からの警告を渋々受け入れて、私はもう一口だけ珈琲に溶けかけたクリームを口に運んでから求められているであろう問いを投げる。
「……『それに』って? 何か訳ありなの、その子」
「んー、訳ありっていうか……『訳』を作っちゃったかなーって。この間の当番のときにさ、止めたんだけど」
伏せた目元に隠し切れない陶酔を滲ませて、成宮はチャイのカップに唇を押し当てたままたっぷりと間を取る。私はぐずぐずになったクリームをぐるぐるとストローで溶かし込みながら、頃合いを見計らって怖々と聞こえるであろう声で続きを促す。
「何を止めたの?」
「ちょっとね、
視えるだけじゃどうしようもないのにねと落ち込むような物言いに少しだけ誇らしげな気配を滲ませて、成宮が肩を落としてみせる。私はカップの底に溜まったソースを掻き回しながら、気づかれない程度に適当な相槌を打った。
成宮がいつからこんな風な物言いを──いわゆる『霊感少女』じみた真似を始めたのかはよく覚えていない。それこそ家は近所で生まれた病院も保育園も
私と成宮は合格した高校は別々だった。だが田舎特有の悲しさで、私たちが住んでいる場所から高校のある市街に出るには電車を使う以外に手段はない。その上電車も地元の人間しか乗らない私鉄路線が一本通っているだけであるため、大体の連中が同じ時間の電車に乗って登校することになる。三月の卒業式で今生の別れのように泣き喚こうが友情を誓おうが、県外の高校を選びでもしない限りは大体四月の初日にさして変わらない面を突き合わせてまたしても三年を過ごすことになるのだ。ましてや今は学校外で繋がる方法などいくらでもある。結果成宮と私の付き合いはだらだらと続き、こうして学生の習性のように放課後に流行りものの期間限定品を肴に雑談をするくらいの関係は維持され続けている。
どうして高校生にもなって霊感があるなんてことを言い始めたのかは知らない。彼女と同じ高校に行った知人から五月を過ぎたあたりにうっすらそんなことを聞いてはいたが、別に私が悩む義理も口を出す理由もないのは明らかだったので気にも留めなかった。たまにこうして私の前でそういう振る舞いを始めるのには最初の方こそ戸惑ったが、すぐに慣れてしまった。そういう設定のごっこ遊びだと理解しておけばいいだけのことだ。道端で突然に具合の悪くなったようなことを始めたときはさすがに困ってそのまま置いて帰ったが、それで懲りたのか『悪気に当てられた』ときも足元だけはきびきびと動いてくれるようになったので、妥協点としてはちょうどいいところだろうと納得している。
嘘つきではあるのだろう。幼稚だというのもその通りだ。けれども成宮自身がそうしたいと思ってやっていることに求められもしない批評をつけるのも行儀が悪い。特別な自分になりたい、自分というものを定義したがるということ自体は授業で習った記憶がある。程度を踏み外さなければ、そういった欲望を持つのは人間としては普通なのだろうとも私は思う。
何者かになりたいというだけで迷走するのも事故るのも恥を掻くのも──その自覚があるかどうかは知らないが──本人が選択すべきものであって、たまたま傍にいた時間が長いだけの友人のようなものでしかない私が口出しすべきではないだろう。それくらいのことは分かっている。
店内の洒落ているけど耳にも印象にも残らないBGMを聞きながら、私は少しだけ黙り込む。早速不安そうにこちらを伺う成宮の様子をしばらく眺めてから、もう少しからかってみようかと意地の悪いことを考える。
「ね、そういうのもう少しないの」
「え?」
「怖い話。七不思議とかさ、そういうやつ」
「ええ……? 知ってるけどさ、何でそんな話聞きたがるの?」
夏でもないのに怖い話することってあるのと恐ろしいくらいに凡庸な疑問が返ってきて、やはり中身は変わってないのだなと笑い出しそうになるのをこらえる。そもそも今時霊感少女で異端を気取ろうというあたりが最高に平凡だということを考えれば分かっていたことではあるけども、こうも綺麗にボロを自分から出してくれると可愛らしくすらある。
そんな内心を気取られないように半分ほどに減ったカップを口元に当てながら、じっと成宮を正面から見る。
「成宮なら本物の話を知ってそうだからさ……ほら、見分けられるんでしょう、本当のところ」
我ながら見え透いた世辞だ。だが一瞬だけこの上なく嬉しそうな顔を見せてから、成宮は芝居がかった調子で首を傾げてみせた。
「ん……七不思議はね、あったけどさうちの学校。古いから怪談はたくさんあるけど、大体嘘だったし」
「嘘じゃないのもあったの?」
「七不思議だとそうだね、弱っているのが二つ。元気なのが一つってくらいだったかな」
「弱るんだ怪談」
たまらず笑い交じりに呟けば、存外に真面目な顔をして成宮が頷いた。
「やっぱりね、怖いものって見られたり語られたりしないと……何だろ、ボケちゃうんだよね。薄まっちゃうっていうかさ、ブレちゃうみたいなとこがあるから」
「芸風変わっちゃうの?」
「変わんないとウケなくなるってのも大きいかもね。今時血まみれの女生徒が放課後になると校舎内を徘徊している、ってのをさ、怖がれる美紗」
「実際に遭ったら午前中でも怖いけどね。怪談としてはまあ微妙だよね。血まみれってのがさ、もはや」
実際に血まみれの人間に遭遇したら、そこが学校だろうが街中だろうが腰が抜ける程驚くか見なかったふりをして一目散に逃げ出すとは思う。ただ娯楽として摂取する怪談でその程度のものはもはやありふれている。成宮が言いたいのはそういうことだろう。
こういうのもあるよ、と前置きをしてから心持ち声を潜めて、成宮が続ける。
「放課後ね、校風の見回りで下校時刻後の教室を回るんだよ。残ってる生徒を追い出さないといけないからさ……んで、割り当ての学年の教室を順々に回っていくんだけど、チェックして教室から出て戸を閉めた途端にごん、ごんって音が聞こえるの。あれ誰もいなかったよねって閉めたばっかりの戸を開けたら、黒板の前に生徒が立ってる。なんでって見てると、ぐわんって頭が後ろに反って勢いよく前に倒れてごんって鈍い音がして、ああさっきの音これかあって納得したらもう一度跳ね返った頭が反ったままぴたっと止まって、」
そこまで語って成宮はじっと私の顔を見る。一向に話し出されない続きに焦れて、私は声を上げる。
「止まって? そこから先は?」
「知らない。文学部の子が部誌に書いてたやつだから」
「オチないじゃん」
「同じこと言われてた。ない方が怖いって言ってたよ」
ないものが怖いわけないじゃんねと屈託なく笑って成宮はカップを呷る。何となくそれに明確な相槌を打つのが躊躇われて、私もまた冷えたフラペチーノの残骸を啜る。
「他にもね、ひとりで歩いてると後ろから足音がしてああ誰か来たなって廊下の端に寄ると足首だけべたべたって歩いていくとか。生物の授業中によそ見してたら窓の外をロッカーが降っていったとかそういうやつかなあ。足首のやつはちょっとタチが悪くてさ、私もて」
「ロッカー?」
「……うん、ロッカー。でも何もないんだって地面には。音もするのに」
変な話だよねという成宮の言葉に深々と頷いて、そういえば彼女の高校は歴史だけなら県内でもそこそこの長さがあるのだということを思い出す。どういう歴史があればロッカーが降ってくるような因縁が生まれるのだろうとも思うが、長い歴史があればそういうのが発生するようなこともあるのだろう。
「古いとやっぱり変なものもあるのかな。こうほら、努力の甲斐あって、みたいな」
「付喪神みたいなやつなんじゃない? ■■城もさ、首吊り松あるじゃん年季の入ったやつ。昔父さんの同僚が見つけて『I found KUBI-SHITAI』って文章よこして父さんずっと笑ってた」
「クビシタイ」
「あそこの城もちょいちょい首括り出るしね。松ばっかり話題になるけど、公衆トイレも何人か首吊ってるはずだし」
心霊スポット多いんだよねこの辺と眉を顰めて、成宮はどういうわけかため息をついた。
「駅前すぐ真っ暗になるようなド田舎なのにさ、心霊スポットばっかりぽこぽこ話題になってさ……しかもほとんどインチキじゃん。本当そういうの嫌」
「確かに多いけども」
そこに関しては成宮の主張は正しい。何もない地方都市なのに、どういうわけか心霊スポット──いわくつきの土地建物には恵まれている。七不思議どころか神隠しまで噂される、地元で随一の進学校。手つかずのまま放置されている空き地には不定期に大きな穴が開いているのを目撃する人が絶えないと評判だ。胡散臭い看板の残骸ばかりが残る廃墟のようなビルの真っ暗な窓には時折人影や巨大な目が覗くという噂だ。年に一回は首吊りが見つかる唯一の観光資源として現存する城。事業に失敗した旅館の廃墟は心霊スポットとして有名になり過ぎて、不審な人間──馬鹿な若者や趣味の悪い大人だ──がたむろするようになったので、地元のテレビ番組で廃墟の来歴の特集を放送するという珍しい事態にまでなった。
ファミレスも未だ場所によっては少ないような土地なのに、心霊スポットには事欠かないというのもおかしな話だ。
「インチキなの?」
「そりゃ本物もあるけどさ……大体はインチキだよ。薄暗くて不気味だからって見間違うんだよ色んなものをさ。だって私には何にも視えなかったもの」
不満げに、しかし優越感を──自分は本物を見抜ける目を持っているのだという奢りを隠し切れない口調で成宮は言い放つ。
「見えなかったんだ、成宮にも」
「ちょこちょこ変なものがいるなあってところはあったけど、大体肩透かしっていうか……噂ばっかり大きくなって、実際視てみると大したことないんだよね。みんな話を面白くしてるばっかりで──あ、空き地はガチかも。あそこ私も行ったんだけど、ちょっとヤ」
「幽霊屋敷は?」
「幽霊屋敷? あー、住宅地のとこのやつ?」
「有名でしょう。最近でもさ、行方不明になった人とかいるって聞いたよ」
表立って語られることのないくせに地元の名物のようになっている心霊スポットの名前を出す。関わったら祟られる、入ったら生きて帰れない、帰ってきた人間も正気を失くしていたなんていう古典的な噂がまとわりつく、由緒正しくどこにだしても恥ずかしくない正統派の心霊スポットだろう。
真偽は私もよく知らない。そんなことはどうでもいいのだ。だとしてもここまで種々の噂を信仰のように纏ったものに対して『霊感少女』はどういう立場を取るのかというのが気になった。
成宮はまたしても自分の体験を遮られたことにあからさまに不機嫌になりながら、少し間を置いてから口を開いた。
「言っちゃ悪いけど……もう何もいないと思うな、あそこ」
「あんなに有名なのに?」
「有名なだけっていうかさあ、いやちゃんと行ったことあるわけじゃないから、視てないから分かんないけど、たまに行事の帰りとかで近くを通っても何にも感じないしさ」
もう抜け殻なんじゃないかな、あそこ──と唇を尖らせながら成宮が言い切る。
「是非一度お友達とお越しください」
よく通る呼び込みのように愛想とまみれた大音声が響いた。
あまりに場違いな内容と声量に、私と成宮は目を丸くして声の方を振り返る。
トレイの積まれた返却台の前、見慣れた緑色のエプロンを着た店員がこちらを真直ぐに見て、にこにことした笑顔を浮かべていた。
あっけに取られてしばらく眺めていると、店員はこちらから目を逸らすことなく一礼して、両手を下げたままそのまま何事もなかったように歩き去る。周囲の客も特に何かざわついたりうろたえたりといった反応をすることもなく、いつもと同じように洒落たBGMとざわめきの中で私と成宮は顔を見合わせた。
「今の、今のってさ」
「店員さんだよね緑色のさ、エプロン」
「でも分かんなくない? というか何してたのあの人、何であんなこと言ったの」
「分かんないよ……わかんないけどさ、けど心当たりはあるじゃん、今」
怯えた目がこちらを見る。私は口に出してはいけないと半ば確信して、黙って頷いてみせる。
思い過ごしだと、気にし過ぎだと言われればその通りだろう。ただ無闇に声が大きくて間の悪いだけの店員だったのかもしれない。あの言葉にも意味なんてものはなくて、ただ下手な販売促進のための声掛けだったのかもしれない。周囲の客が無反応なのも、変わらずに鳴り続けるBGMも、何一ついつもと変わらない。何一つとして異常は見当たらないはずなのに、ちりちりとくすぶるような不快感が胸を焼くのだ。
成宮はカップを両手で抱えたまま、真正面から私の目を見た。
「……お越しくださいっていうのがさ、すごくさ、分かるじゃん意図としては」
行ったことないってのが駄目だったのかなあと呟いて、成宮は顔をくしゃりと歪めた。
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