行き遭う

「昔さあ、ここ喫茶店あったんだって。地域限定だけどそこそこな支店展開のやつ」

「空き地だけど」

「うん。社長だか会長だかがさ、賭け麻雀ハマって悪い連中に借金のカタに取り上げられておしまい。パフェの美味い喫茶店が市内から消えたよって伯父さんが言ってた」

「……何でそんな話した」

「ん。要するにさ、昔っからすることねえんだよこの辺。僻地。文明果つる秘境」


 金持ってたってその様だもんなと言って、安原はぼんやりと笑う。明らかな与太にどう反応を返すべきか迷って、俺は喉から曖昧な相槌のような音を鳴らす。安原は俺の反応に少しだけ不満げな顔をしてから、まただらだらと歩を進める。

 学校主導の芸術鑑賞会。その会場たる文化会館からの帰り道。周囲には同じ制服を着た同校の連中が一群となって歩道を占拠しながらだらだらと歩いている。秋の日射しは未だに夏の面影を残して強く照るくせに、肝心の火力はすっかり衰えているせいで、いまいちどう対応すべきか分からない。夏の頃は存在を忘れていたのに、朝方は冷え込むせいですっかり着慣れた制服の上着も午後になるとすっかりお荷物で、羽織る気にも畳む気にもならずに雑に丸めたまま抱えている。


「根本的にさあ、頭が悪いと思うんだよ」

「誰への悪口だよ数学十八点」

「止めてくれる俺への悪口。俺が言ってんのは地元。今日だってさ、こうやって芸術鑑賞で審美眼とか感性とか教養とかそういうことを言う割にさ、じゃあその感性が反応すべき刺激とか娯楽ってものがねえじゃんここ。全国ツアーいつだって対象外だし」

「会場が無いんだろ」

「会場も客もいないんだろうな……芸術とか学術とか学ぶのがどうこうとか能書きだらだら言うくせにさ、ロクな文化が無いもの。チェーン店が十時で閉まるし。そもそも駅ビル八時で閉まるし」


 安原の愚痴に夜の十時も過ぎれば真っ暗になる駅前の光景を思い出しながら、俺はこいつと二人でいつのまにか行列の最後尾になってしまったことに気付く。教員連中は先頭の方でやはり俺たちと同じくらいにやる気も何もない様子で歩いているのが予想できて、校外学習というより施設のお散歩のようだと思った。


「しょうがねえだろ田舎だもん。つまんねえ代わりに安全なんだろ」

「安全でもねえじゃん。熊出るし。鹿出るし。うちの学校曰く付きだし、心霊スポットあるし」

「ああ午後のニュースでやってたな……定食屋だろ? 元は旅館だってわざわざ特集組んでたじゃん」


 まことしやかに最恐心霊スポットだの惨殺現場だのと頭の悪い噂に悪趣味な尾ひれが付きまくった結果、夜間に不良や馬鹿が集まって暴れるようになった挙句にボヤ騒ぎまで起きたことに我慢の限界に達した施設の元所有者と周辺住民がわざわざ地元のローカルニュースで話の成立ちから建物の素性まで詳しく説明していたのを覚えている。それから地元の不良連中間での扱いは『ただの雰囲気満点の廃墟』に格下げになったが、ローカルニュースの放送範囲外から来るような馬鹿どもには相変わらず人気なようで、ネットで検索をかけるとそこそこの量の体験記が出てくる。この状況が続くのならば、業を煮やした地元住民に取り壊される日もそう遠くはないだろう。

 だが安原は俺の言葉に企むように笑って、


「そっちじゃない方。幽霊屋敷の方だよ」


 そんなことを言って、何故か得意げな表情を見せる。俺は小学校からの付き合いとはいえどうしてこいつの馬鹿の程度の底知れなさを見せつけられないといけないのだろうかと暗澹とした気分になった。


「噂だろ。しかもだいぶ馬鹿な種類の噂」

「だって俺吉澤から聞いたもん。あいつ高校が武蔵池だよ、俺らより偏差上だよ」

「偏差値で人間を判断したらいけないって習わなかったか」

「俺をテストの点数で馬鹿扱いしたのにそういうこと言う? 少なくとも勉強は俺らよりできるじゃんあいつ。文章題で数字三つ以上出てきてもちゃんと解けるし」


 そいつらが言うんなら何かしらはありそうじゃんと頭痛がしそうなほどに頭の悪いことをほざきながら、安原は言葉を続ける。


「あいつの学校の同級生さ、この間行方不明になったんだって。で、まあ家出とか事件事故とか色々あるけど幽霊屋敷に行ったんじゃないかっていう話がひそひそとさ、雰囲気」

「家出でいいだろそんなもん」

「家出だったら目撃証言ありそうじゃん。電車使わないとどこにも行けないし。学生の交通手段ってバスか電車しかないじゃんここ」

「じゃああれだ、山に逃げたんだよ。山狩りでもしとけ」

「今の時期山ったら自殺じゃねえかな気温的にさ……朝なら町でも一桁だし。山なんか氷点下いくんじゃないの?」

「家出よか自殺の方が楽ってか」


 我ながらどうしようもないことを口に出した途端、自分の現状を今更に突きつけられたような気がして俺は苦笑する。逃げる術も忘れる手段も何もない、どうしようもない環境で、粛々と学生としての日々を送る。偏差値やお脳の出来に関わらず、それがどうしようもなく苦痛な種類の人間はいるのは分かっている。苦痛ならば逃れるように努力すべきなのだろうが、そこで問題になるのが年齢と立場だ。ただそれに対抗する手段がどうしようもなく制限されるのが学生という身分であり、つまりは現状の俺やこの馬鹿安原にその行方不明の学生は──自覚の差こそあれ──同じ穴のムジナなのだろうと思った。

 安原は唐突に笑い出した俺に怪訝そうな顔をしたが、いつものことだと納得したのだろう。そのまま馴れ馴れしく肩に手を置いて、


「でさ、俺は提案するわけよ。あやかって幽霊屋敷に行きませんかって」

「何にあやかるんだ」

「噂の学生」

「行方不明になりたいのかお前」

「噂だろ。なるわけないじゃん現代社会で」


 そもそも俺幽霊とか信じてないしと、ばしばしと俺の肩を叩きながら安原が笑う。いい加減鬱陶しくなって振り払えば、何が楽しいのか微かな笑い声を含んだ返答があった。


「幽霊かどうかは知らないけどさ、行ってみたいじゃん有名スポット。ちょうどこっから近いしさ」

「このあと自習で感想文提出だぞ。サボる気か」

「出沢ちゃんだろ? どうせ出席取らねえじゃん……終業際にささっと入ってぱぱっと書いちゃえばバレねえよ。どうせ大したこと書かねえしさ」


 ちょっとした暇潰しだよと笑う安原の言葉がひどく魅力的に思えたのはやはり俺も馬鹿だからだろうかと自問したが、答えは出そうになかった。


※   ※   ※


 表玄関のドアノブにはぐるぐると鎖が巻かれ、つけられた南京錠は秋の日射しに鈍く金色に光る。勿論非力な男子高生である俺と安原が映画の無法者のようにくすんだ玄関ドアを蹴り破るといった力任せな方法を実行できるわけもなく、あっと言う間にこれ以上の進展が望めない状況に陥って、馬鹿二人俺と安原は顔を見合わせる。


「どうすんの。開かねえじゃん」

「普通に考えて当たり前だろ。住人がいないってだけなら、ドア開けっぱなしにしとくわけがねえだろ」

「じゃあ行方不明の奴はどうやって入ったんだよ」

「だから噂なんだろ。鍵持ってたらいけるかもしれねえけど、んな訳ねえしさ」

「でも悪い連中は──裏庭!」

「うるせえ」


 素晴らしいことを思いついたとでも言いたげに駆けだしていく安原の後を、俺は仕方なしにだらだらと追う。境界のように植えられたまま伸び放題のイチイの茂みの隙間を抜けて、ひと気のない裏庭に続く通路へと入り込む。

 幽霊屋敷の外壁は少々砂土に汚れたくらいで、庭もさほど荒れてはおらず、噂と玄関のあからさまな施錠がなければ至って普通の家屋に見える。誰かが住んでいてもおかしくはないなと一瞬考えてから、すぐに玄関のありさまを思い出す。よしんば誰かが住んでいたとしても、あれほど外から厳重に戒められては玄関から出ることは不可能だ。大窓や何やがあれば別だが、日常的に玄関を使用せずに窓やその他から出入りしているような人間はまともではあるまい。人間がまともだったとしても、そうせざるを得ない理由が発生している時点で尋常ではないだろう。


 そんなことをだらだらと考えているうちに見慣れた背中に追いついて、俺はそのあからさまに落胆した様子に気づく。横に立てば目の前に裏口の跡と思しき枠の残骸があったが、当然のようにベニヤ板が乱雑に打ち付けられ、隙間には立ち入り禁止の文言が書かれた安っぽい黄色のテープがべたべたと貼られていた。


「無理じゃん」

「ベニヤだから頑張ればできなくはない、よな」

「頑張るの? 夜中ならともかくお天道さま出てる時分に蹴破んの?」

「指導どころか通報されて補導食らうやつじゃん……やらない……」


 当然のように裏庭も駄目だった。玄関の様相から考えれば、この物件に管理者がいるのは明白だ。玄関をあれだけ威圧感たっぷりとした状態にしているのだから、他の侵入経路に手を打っていないはずがない。未練がましくこつこつと板を蹴りつける安原に呆れながら、俺はスマホを見る。示された時刻にそろそろ帰らなければ自習に紛れ込むことができなくなるのに気付いて、馬鹿を回収すべく声を上げようとした。


 がちゃりと錠の回る音と、扉が開く音がした。


 俺と安原は咄嗟に顔を見合わせる。ついさっき見たばかりの光景を互いに無言のまま思い出す。ぐるぐると幾重にも巻きつけられた鎖と錠。あの扉を内側から開けられるはずがない。そんなことはいくら俺たちが馬鹿でも分かる。


「ぐ、」


 こちらを向いて声を上げそうになった安原を軽く蹴って黙らせ、俺は強張った指でスマホに文字を入力する。


『様子見る 静かに 傍まで行く』


 画面を突き付けるようにしてやれば、避難訓練のように口を抑えて安原が数度頷いた。

 足音を立てないよう、ふわふわと力が抜けそうになる脚を慎重に動かしながら、俺と安原は玄関の方へと向かう。現場に突然に躍り出るような無謀な真似はしたくない。

 ひょっとしたら、俺たちが裏庭をうろついていたときにあの鎖と錠を外した人がいるというだけのことかもしれない。それが一番常識的なオチだろう。最悪敷地内に入り込んだ馬鹿なガキとして手酷く叱られる程度の結末なら、諸々が面倒だけども安全だ。それならば常識的に対応すれば、できの悪い怪談話のように行方不明になることも、趣味の悪い猟奇譚のように無残に悲惨な目にも遭わずに済むはずだ。


 だが、俺と安原はここが有名な幽霊屋敷だということを知っている。真偽不明の噂話と、怪しい由縁と因縁に塗れた場所。そんなところで何が起こるかなど、精々十七年しか生きていない子供に予想ができるわけがない──だからこそ、ひどく恐ろしいものを想像してしまうのだ。


 壁ががくりと折れ曲がり、俺たちは前庭との仕切りのように植えられたまま生い茂った植え込みに注意深く身を隠しながら、僅かな隙間から玄関を見た。

 玄関のドアは仏壇のように開け放たれて、こちらに向いたドアノブはちらちらと午後の日射しに光るばかりで、あれほど存在感を見せていた鎖と南京錠はどこにも見当たらない。


「──!」


 すぐ傍で安原が悲鳴を飲み込んで、そのまま片手を縋らせるように伸ばしたが捕まるところが無かったらしく、俺の背に爪を立てる。不意討ちのような痛みに殴りつけてやろうかと一瞬思ったが、目前の光景にそれどころではないと愕然とする。


 折り目正しい黒スーツ。学帽まで揃った学生服。薄い藤色の小洒落たレディーススーツ。ぎらぎらとした妙に光沢のある白いスーツ。紋の内側が真っ黒に塗り潰された和装。

 開け放たられた扉からぞろぞろと吐き出された人々が行進している。


 スマホを握り締めたまま、俺も安原に倣って片手で口を抑える。相変わらず背中に食い込む爪は痛いが、おかげでこれが幻覚でも夢でもなく痛覚が存在する現実だということを実感する。


 行進する人々には共通点のようなものはなく、年齢も性別もまちまちの、雑多な群れのように見える。暗い色合いが続いたかと思えば浮かれた歓楽街が似合いそうな鮮烈な色合いのシャツや、ひらひらと秋風に揺れる華やかな水色の浴衣の袖が紛れている。その上よく見れば腕の数や足の数──それどころか形状もまちまちだということに気付きそうになって、俺はどうにかして気を逸らす。


 途切れることなく行列は続き、人々は様々な様相で、午後の日射しの中を静かに歩いている。


 これだけの人数が家に押し込められていたのか。どうして外から鍵を掛けていたのか。この人たちは何の集団なのか。どうして足音がしないのか。

 明らかにおかしいことが起きている。こんな事態に遭遇することも、ましてやどう反応すべきかも俺は知らない。そんなものを習ったこともないし、知ろうと思ったこともなかった。普通に生きていればこんなものには遭遇しないで済むのだから、退屈でも平凡でも何もなくとも、こんなものを見ることになるなんて思いもしなかった。


「藤野、ふじの」


 押し殺した声が俺の名を呼んで、俺はぎくりとして振り返る。


「安原、声」

「いかがでしたか」


 ご期待に応えられましたでしょうかという聞き覚えの無い声が、被さるように聞こえた。振り向いた先にはかっと目を瞠ったままぶるぶると震えている安原と、その隣に立つスーツの足が見える。

 ゆっくりと視線を移せば、安原の怯え切った顔の真横に並ぶようにして、真っ白な顔がこちらを見ている。年齢も性別も何一つとして分からないその顔は、俺の目を真直ぐに見たまま、もう一度繰り返す。


「いかがでしたか。退屈しのぎに、いかがでしたか」


 ひやりとした声と共にぎゅうと孤を描いて細められた目の奥は、ただ影が凝ったように黒々としているばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る