第 二 章 不自然な死の連鎖

第四話 龍が如く 閃き

 Syriaから帰国したのは日本時間の十二月二十日、月曜日でそのままUNIOの事務所へと足を運びまして、その日、大宮支部長から報告書を上げる様にと仰せつかりましたので、麻里奈と一緒に終日、それを書き上げますことに専念し、PCの前に座り、Keyboardを叩いている時間がほとんどでした。

 陽が沈みまして、室外の照明が映えるようになった頃も報告書は纏まらず、日付が後数分で替ってしまいそうな頃に終了したのです。

 妻帯者であります大宮支部長は一旦、帰宅してからまた再び、事務所に戻ってくださいまして、私達二人が報告書を書き終えますまでずっと一緒に居てくれたのです。

「ご苦労様です、龍一君、麻里奈君」

「この様な時間まで付き合わせてしまい、申し訳ございませんでしたが、ありがとうございます」

「私達のボスなのだもの、このくらい当然よね」

 大宮支部長は麻里奈のその言葉に嫌悪の顔も見せず、嬉しそうに口髭を撫でていました。

「しかし、良くやってくださいましたね、今回の任務。他の支部長サン方、二人の評価に絶賛でして、私の鼻も高くなると言うものです。本当にご苦労様」

 私は支部長のお言葉を頂き、小さくはにかみまして、麻里奈は誇らしげに拳にしました両手を脇にあて、胸を高くするような姿勢になっていました。

 八の字にしました腕の肘を机の上に、左右の手の指を交差させまして、その上に顎を乗せまして、上目遣いで私達を眺める支部長。

「しばらくは大きな仕事が入ってくる事は無いでしょう。で、一週間くらい休暇を出しますので、龍一君、その間、麻里奈君を色々と労って上げてください」

「お休みを頂けるのですか?フフ、なら私の可能な限り、麻里に優しくしましょう」

 見ている相手には何を思って居るのか分からない表情、嫋やかな笑みを崩さずにその様に答え、更に彼は言葉を続けました。

「麻里奈君、休暇中、龍一君に一杯甘えて、次の仕事までにしっかりと英気を養ってください」

「もぉ、支部ちょうったら、なにいってるのよぉ」

 照れるような仕草で机に立てて居ます腕を軽く叩いていました。

「まぁ~りなくぅ~~~ん、いたいじゃないかぁ。照れたくなる気持ちも分からないでは無いですがねぇ、クククククッ・・・って、はい、はい、もうこんな時間ですから、二人とも引き揚げてください」

 言いながら支部長は立ち上がり、私達を追い返しますように背中を押してくださいまして、廊下側の扉へと促したのでした。それから私は麻里奈と共に彼女の自宅件私の住まいにもなりつつありますそちらへと向かったのでした。

 彼女の家に到着しますと、地上階に並んで居ます彼女の部屋番の郵便受けの鍵を外し、それを覗き込んでいました。

「えっと、これは龍々あて・・・」

 視線はまだ確認中の郵便物、彼女は小さな声で言葉に出しましたそれは腕を伸ばし私の方へと向けていました。

 私はそれを受け取りまして、差出人を眺め、『藤宮律』と書かれて居ますことに正直驚きです。

 何せ、知人のほとんどの方々は私がすでに他界していると認識しているはずでしたから・・・。

 部屋に上がりまして、その封筒の中身を確認させていただきますと、

「これは・・・、麻里。明後日、二十四日はデート、ご一緒にしていただけませんか」

「わぁあぁ~~~いっ、りゅうりゅうからデート誘われちゃったぁ。

で、どこにでかけるの?」と無邪気に嬉しがります、彼女へ、

「稀代の作曲家であり、演奏家でありますRayforest Philburgの演奏会ですよ。麻里奈、この方を大変ご贔屓にして居たでしょう?」

「うん、すごぉ~~~く、だい好きっ!!でも、よく、レイフォレストのそれ手に入ったじゃない。しかも、Eveのeventでしょう?毎年、転々と各地で開いているのも知っていて、今年はこの国に来日するのも知っていたわ。でも、ティケット入手はすごく困難だし、仕事があるだろうから、諦めていたんだけど・・・、龍、ありがとう」

 本当に嬉しそうな彼女はその感情を表情に乗せ、私に抱き付きまして、私の胸で猫のように頬刷りをするのでした。その様な愛らしい仕草をしてくださる彼女の頭を撫でる。


「でも、良くそれ手に入ったじゃない。入場券の販売は今年の一月にあったのよ。その頃ってまだ・・・、龍、眠っていたじゃない」

「これは私の知人で、レイフォレストと深い付き合いがあります方から気を利かせてくださいまして送ってくださったものです。先ほどの封筒、私の名前だけで、差出人を見ませんでしたね?麻里も知っている方ですよ」

 私は麻里奈から身を離し、先程の封筒を彼女へと示しまして、彼女の反応を窺ったのでした。

「あらら、詩織ちゃんのお父様、律サンじゃない。もしかして、会場はRFC?」

「ええ、その様ですね」

 二十四日の朝六時半、前日、寝屋のお相手を麻里奈にして上げなかったために不貞腐れてしまいました彼女は随分と遅くまでVideo Gameをしていたようで、今はまだ寝ています。

 私はVerandaに出、黎明間近の空を眺めまして、寒空に漂います、澄んで居ません都会の空気を大きく吸い込んだのでした。

 急に冷え切りました私の体内、鋭い痛みが脳に奔りまして、私の眠気を覚まさせてくれました。

「さて、朝食の準備をいたしましょう」と呟きながら、台所へと足を運びます。

 昨日、下拵えをしましたじゃがいものpureeを冷蔵庫の中から取り出しまして、一緒に出した濃い目の牛乳と一緒に小さな鍋に適量に混ぜまして、弱火に掛けます。

 やはり、これも昨日、練りまして一日寝かせましたCroissantの生地を取り出し、Sandwichに出来る大きさに切り分け、伸ばしましたそれを三日月形になりますように丸めてゆきます。

 綺麗に表面が焼きあがりますように薄く、Olive oil塗りまして、それをOvenへと並べ、温度を195℃、時間を十二分二十三秒に設定し、後は焼きあがるのを待つだけです。

 Croissantを焼いております間、挟む具材を切り始め、その間に入れます、薄焼き卵を作るために二つほど、卵を割りまして、滑らかさを与えるために大匙一杯分のFresh creamと一摘みの塩と胡椒を混ぜまして適度に熱が通りましたPanの上に流し込み、半熟になりかけた処で火を止め、放って置く事にします。後は余熱で焼きあがりますからね。

 大きな皿に二人分の野菜を盛り合わせ、食卓を布巾で綺麗にしますと、準備できた物から二人が取りやすい位置へ並べて行きます。

 それから、麻里奈の知人から送られて来ました珈琲の豆をMilで丁寧に引きまして、それをDripperへ仕掛けまして、彼女が起きましてから、淹れられるように準備をします。

 おっと、そろそろCroissantが焼きあがった頃ですね。

 私は焼きあがりましたそれを取り出して、Bread用の包丁で二枚に下ろしますと、切り口の面に麻里奈が作りましたMayonnaiseを塗り、千切りLettuce、薄切りTomato、Cheese、薄焼きの卵、Ham、最後にまたLettuceを重ねその上にCroissantの頭を被せまして、クレラップで強く包みますと中の具材の幅を狭めたのでした。

 包装を剥がし、真ん中から切りましてお皿の上に載せ、食卓へと運びます。

 食卓の上に並んだ物を確認し、準備が滞り無く終わった事を認識しますと、麻里奈がまだ寝て居ます寝室へと足を運びました。

 本当は早朝に弱い私と違いまして、彼女は起こして上げますとすぐに目覚めてくださる方でした。

「麻里、朝食の準備が出来ました。一緒に頂きましょう」

 その様に言葉を彼女に向けながら、私に背を向けて居ます彼女の肩を軽く叩いたのです。

「目覚めのキスをしてくれなくちゃ、起きて上げない」

 麻里奈は昨日の不機嫌が直ってないらしく、拗ねた声で私へその様に伝えてくださるのです。しかし、私は彼女のそれが演出である事を知っていました。

 何故かと?ええ、麻里奈の性格はとてもさっぱりしていまして、大抵、大よその事は直に水に流してくださいますから。

 それでも、今日は特別な日ですから、彼女の細やかなその様な我儘を受け入れ、髪が掛かって居ます彼女のお凸のそれを上げまして、優しくその場所へ私の唇を触れさせました。

「むぅ~、子供じゃないんだから、口付けにして欲しかったなぁ。ふぅ、まあ良いわ」

 彼女の口調は不満を漏らして居ますが、表情は嬉しそうでした。

 朝食を用意しましたLaw Low Tableを眺めました麻里奈は嬉しそうに顔を綻ばせ、床に腰を据え、続くように私も腰を下ろしました。

 彼女は手を合わせ『頂きます』と両目を瞑り、軽く頭を下げた状態でその様に告げますと早速、私が作った物を食べ始めてくださいました。

 美味しそうに食べてくださいます彼女の表情。

 それを眺めて居ますと嬉しく思えて仕舞うこの気持ち。

 この様な感情を持てるようになりましたのは弟、貴斗のお陰ばかりでなく、何時も弟と共に道を歩んできた二人の可憐な幼馴染、私の人としての心が欠けていました頃より、兄と慕ってくれました年下の幼馴染の香澄君や、詩織君達の存在があってこそ、でした。

 ああ、無論、麻里奈や光姫のお陰でもあった事を言葉にするまでも無いのですが・・・。しかし、その様な彼女達も弟同様にもうこの現世から遠く離れた場所へと身を置いて仕舞っているのです。

 そのお二方が今も生きていたのでしたら、どれほど素晴らしい女性に成長していたでしょうか。

 どのような理由で彼女等がほぼ同じ頃にその生涯を閉じなければならなかったのでしょう。

 果たしてそれは人の手の容喙する事の無い避ける事の出来ません運命だったと片付けて良いのでしょうか。

 麻里奈との食事中だといいますのに余計な事を考えて、彼女を心配させたくありませんでした。

 故に今は余計な事を考えず、私達は今日の日程をどの様に過ごすのか話し合いながら楽しく朝食を摂るよう心掛けたのです。

 都内の店々が開く頃に私達は家を出て雑踏の中へと溶け込みました。

 隣で私の腕に麻里奈、彼女の腕を絡めまして共に歩く麻里奈は上機嫌な顔を浮かべて居るようでした。

 その様な表情を見せてくださいます彼女を愛らしく思いつつも、気が付かない振りをして、先を行く人々、通り過ぎる人々、街の景観に目を向けています、私。

 行く先々の店は麻里奈に委ねまして、私は彼女のそれに合わせ行動をするのでした。

 小物、雑貨、休暇の時に着る服や、仕事に使うsuitなどの衣類や下着店で私だけに見せてくださいます彼女一人のFashion show。

 私の様子を窺いながら似合うか、どうかを聞いてきます彼女へ、適当な返事をせずにちゃんと私の意見を述べていました。

 私の意見に不満な顔をしたり、嬉しそうにしたり、悩んだりと色々な表情を見せてくださいます麻里奈を私はにこやかな表情で眺めているのでした・・・、と他の人が私の事を見ましたら私の顔色等、変わっているとは思わないでしょうけど。

 本・雑誌、家電店では主にVideo game関連、靴等々、場所によっては男性である私が踏み入るのは躊躇って仕舞うような処でも表情を崩さずに彼女に従って同じ時間を過ごしして行く。

 昼食を途中に挟みましてから、何件目かの装飾品店で手にとって物欲しそうに眺めます麻里奈へ、

「似合って居ますよ。欲しいのですか?」

「えっ・・・、いいの?」

 彼女、麻里奈は自分で欲しいと思った物は自分で買って仕舞うためにその答えは嬉しいものでした。ですから、直ぐに店員へ、会計を頼み包装などの手間などを取らせませんで、彼女の首に今購入した物を掛けて上げ、一言彼女へ、

「歯の浮いて仕舞うような、褒め言葉ですけど、麻里奈が身に着ける為に作られたように思えるほど、似合って居ます、本当に・・・」

「ありがとう、リュウリュウ」

 周りの目を気にしないで彼女は私へ抱き付き、嬉しさをその行動で体現してくださいました。

 私も人目など気にもしませんで、彼女のそれを快く受け入れていました。

 その後は暫く都内の公園を散歩し、レイフォルレストの演奏会の始まる午後五時の一時間前に早めの夕食を会場であるRFCの近くで摂り始めたのでした。

 会場へ至る道を私より、数歩先に進みます麻里奈の背中を眺めながら、今日、彼女が私に見せてくださいました様々な表情を思い返して居ました。

 作り笑顔でほとんど表情を変える事が出来ません私と違いまして、表現豊かな麻里奈。

 愛する彼女の顔色は日常での私の心の疲れを癒し、潤いを注いでくれるのです。

 それであらゆる事が満たされていたはずですが・・・、・・・・、しかし、・・・、しかし、何故に今は注がれても、注がれても満たされないのでしょう?

 答えは簡単なことです。現在と、過去との違い。今は無く、昔は有ったもの。

 私の性格は非情に前向きだったはずですが、非情と言う言葉の当て方が違うかもしれません、ですが、私の性格に付加する形容動詞としては非常よりも、寧ろ非情の方が妥当なので敢えて、その様に自己を表現しているだけですので、誤字ではありません・・・。

 仮令、肉親でありましても、親友で有りましても、愛すべき方であっても、死が訪れ、私の前から去ったとしましても、心は揺るぎませんと、思っていました。ですが、現実の私はどうなのでしょうか・・・。

 麻里奈の今日の行動をずっと見ていまして、心が癒され、満たされていましたのに、突然、それは乾き罅割れ、私はその苦痛に顔を歪めてしまい左手で胸元の服を掴み立ち止まって仕舞うのでした。

 それとほぼ同じ頃に麻里奈が私の方へ、振り返っても仕舞ったのです。

 瞬時に今の表情を隠すように右手で顔を覆い隠し、指の合間から見えます彼女の表情を窺ってしまうのです。

「りゅう、どうかしたの?無理させちゃった?」

 心配げな表情を向け私へ寄ってきます彼女へ、

「いえいえ、なんでもありませんよ。つい考え事をして仕舞いまして、そのときの癖で顔を覆って仕舞うのは貴女も知って居るでしょう?」

 事実と嘘を混ぜて、麻里奈へ答えをお返ししながら、表情を戻しました私の顔から右手をのけまして、彼女へ向けていました。

「何を考えていたのかはこの際聞かないわ。でも、無理しないでね、龍一」

「無理ですか?昔から、無理はしないのをしっているでしょう?麻里」

「昔のリュウリュウだったらそうかもしれないけど・・・、今は事情が違うもの。リュウリュウがそんな風に感じて居ないだけって事もある。だから、心に留めて置きなさい」

「そうですね・・・、有難う」

 私の返答に微笑む彼女。そのままの表情で私の手を取ってくださいまして、歩みを止めていました足を再び動かし始め前に続く道を進み始めました。

 RFCへ、演奏会の三十分前に入館しまして、指定の席に私達は座りました。

 司会が壇上に昇るまでの間、私は軽く組んだ両手を膝の上に乗せまして、双眼の上に瞼を下ろし、公演の始まる前の周囲の小さな喧騒を拝聴していました。

 私がその様にしている間、麻里奈は私のその行動を邪魔せずに、静かに今日のレイフォルレストが演奏する事になっている曲目を入館した時に頂きました予定目録を見ながら確認しています。

 2010年12月24日、金曜日、午後五時四十五分のXmas・EVEの夜。

 司会の話し、舞台からその方が降りました後、既に壇上に設置されて居ますPiano前の椅子に腰を掛けましたレイフォルレスト・フィルバーグの指先の動作が、それから奏でられようとします旋律が、それから広がります演奏が会場の静寂を徐々に消し始めました。

 ClassicのPianoを主体としました曲目、Domenico Scarlattiから始まり、Muzio Clementi、Wolfgang Amadeus Mozartのトルコ行進曲に移りますと舞台の両端からレイフォルレストが弾くPiano以外の楽器の奏者が舞台上に用意されていました席に主役の演奏を邪魔しませんように腰を下ろしまして、レイフォルレストの調べに合わせますように楽器を操っていました。

 それからまた、舞台上に他の奏者を残したままにしましてFrederic Chopinの夜想曲第二十番、レイフォルレストの独奏に移って行く。

 レイフォルレストが奏でます調べには、レイフォルレストの他者を暖かく包みます優しさが、他者を大切に思います慈愛が、楽器をただの道具として扱わない真心が満ちていました。

 照明の光をその身に浴びますレイフォルレスト。

 その中で一点際立ちますレイフォルレストの長い頭髪が綺麗に輝いていました。

 その幻想的な姿とレイフォルレストが送る音律が会場客の全てを惹き付け、魅了していました。

 聞く方々、全ての心を優しく包むレイフォルレストのMelodyに陶酔されない方々はこの会場に居ないでしょう。

 ありきたりな言葉では褒められません、その様な演奏を私達に聞かせて下さっています。

 Ludwig van BeethovenのBagatelle分類されます、Teliseに贈る(Eliseの為に)、Seryey Vasilievich RachmaninovのPiano協奏曲第二番ハ短調作品十八、第二楽章に至りますと再び、他の奏者がレイフォルレストの音を崩しませんように調和と保ちまして楽器を奏で始め、ピュートル・チャイコフスキーのピアノ協奏曲・第一番・変ロ短調作品二十三の第三楽章で古典楽曲が締め括られました。

 間、十五分の彼の休憩に続きましてPianoを扱うJazzに移行しますと舞台にはClassicの楽器奏者とは別の方々が演出を交えながら登場してまいります。

 演奏されますJazzの曲目はErroll Garner(エロール・ガーナー)のMisty、Oscar PetersonのTonightとDays Of Wine And Roses、小曽根真のWe’re All Aloneの曲が最後になりますと、二回目の彼の小休止。

 三幕目は現代曲で久石譲のMerry-go-round of Symphonic variation、加古隆の黄昏のワルツとパリは燃えているか。England民謡のGreensleeves。そして、休憩を入れず、終局に向かう締めにレイフォルレスト、作曲のorchestraの為の譜面であります『我が親しき友へ捧ぐ』の最後の鍵が弾かれ、その音が会場内へ響き渡りまして、やんわりと静寂へと吸い込まれていくのでした。

 完全に場内に静寂が訪れます。暫くの間、誰一人、拍手をレイフォルレストに向ける方は居ませんでした。しかし、それは彼の演奏に不満があった訳ではなく、誰もがまだ、耳の中に、脳裏に響く、彼の奏でました旋律の余韻に浸っていたいからです。

 その余韻の残響から目覚めた方達から次第に手を叩き始め、それが徐々に他のお客にも広がり盛大な喝采がレイフォルレスト・フィルバーグへと届けられたのです。

 レイフォルレストは椅子から立ち上がり、私達、客席の方へ顔を向けますと、礼節正しくお辞儀を数回した後に、体を起こし、手を柔らに振るのでした。

 それと同時に壇上の幕がゆるりと降りて、彼の演奏会の終わりを告げる。

 幕の裾が床へと降りた頃に、場内の来訪者がゆっくりと静かに外へと歩み始めていました。

 それに麻里奈と私も続き、廊下へと出ますと、RFCの支配人であり、本日、ここへお招き下さいました方々が居るでありましょう場所へと向かったのです。

「律さん、詩音さん、お久しぶりです。本当に暫くの間ご無沙汰しており、何のご連絡も出来ず大変申し訳なく思って居ます。それと本日はお招き感謝いたします」

「藤宮の小父様、小母様。レイフォルレストの今回の特別な演奏会に招待して下さってありがとうございます」

「その様な堅苦しい挨拶は抜きです。龍一君、本当に元気になったようですね・・・。麻里奈ちゃんも」

「二人とも、満足していただけました、フフフ」

 律さんは、私の顔を見て懐かしみますような表情をお作りし、詩音さんは麻里奈と私がちゃんとここへ来た事が嬉しかったらしく、優しく柔らかい笑みを浮かべていました。

「積もる話しもありますが、龍一君、今回の席に招待した変わりとして一つ、私の願いをきいて貰いたいのだが」

「どの様なことでしょう?私に出来ることであるのなら。レイフォルレストの熱烈な信者である麻里奈も誘って下さったことだし、可能な事は出来るだけ答えようと思います」

「久しぶりに、君の演奏を聞かせて欲しい」

 律さんが私へと向けました言葉に、麻里奈が驚いた表情を作りまして、彼と私の顔を交互に眺めるような動作をしています。

 私は右手で顔を隠し考えました。しかし、口で可能な限り答えましょうと言ってしまった手前、退く事を卑しく思う私は、

「ええ、錆び付いた私のこの指先でどの様な音色を奏でることが出来るのか分かりませんが・・・、今日くらいは」

「それでは、先ほどのレイちゃんが使用しておりました会場のピアノで」

 詩音さんに促されましたのでそちらへと再び足を運ぼうとします、私へ麻里奈が、

「ちょちょちょぉおおお、ちょっと、まってよ、リュウっ~。私、一度もリュウがピアノを弾けるなんて聞いた事が無いわよっ!」

 慌てる様な声で私へその様な言葉を向けます彼女に、

「ええ、そうですね。いままで、麻里の前では弾いた事ありませんから」

 彼女の方へ振り返らずに歩んだままで飄々と答えを返しました。

 実は私が学生の頃、鍵盤楽器系を演奏していましたのは詩織君が貴斗と仲良くする事に少しばかり嫉妬していたからだと言うのは誰にも言えない秘密です。

 彼女より、うまく演奏する事で、貴斗の気を引いて優位に立てると思ったからでした。

 ですがしかし、子供の頃の弟は、楽曲には興味ない事を、音楽の楽曲、歌曲に音楽の世界に無頓着である事を知ってしまいましたので、それを切掛けにしまして私は綺麗さっぱりと辞めたのが誰も知らない真相と言うものでして・・・。

 しかし、今、律さんと詩音さんに請われ、今一度だけ、引いてもいいかなと思いまして・・・、その理由は明確なものです。

 律さんの事を個人的に私は嫌いではありません。

 無論、彼もまた、私の音楽の才能以外を含めて下さいました私に好意を持って下さっています。ですが、律さんは、私の愛する弟の事が物凄く嫌いでした。

 明解な理由がありまして、それは詩織君をViolinistとして世に羽ばたこうとします道から遠ざけたからでした。

 もうそれは、弟を殺してしまいかねないほど律さんは貴斗の事を嫌っていましたが、それでも彼は貴斗を殺すような真似だけは避けていました。

 律さんは娘の気持ちが誰に向いていますか知っていたでしょうし、娘が悲しむような事を望む方ではありませんから。

 早くにもう一人のご息女を亡くされた律さんにとって詩織君は詩音さんと同じくらい大切に思っていました。

 娘の幸せを願っていましたから、詩織君の好きな事を自由にやらせていたようです。ですが、今、その詩織君ですら傍にいません。

 ちゃんと分かって差し上げる事は出来ませんがご夫妻の心の傷は相当なものでしょう。

 もし、今の状況でご子息が事故や事件に巻き込まれてしまいまして、命を落としてしまうような事があれば、藤宮ご夫妻はどうなって仕舞うのでしょうね。

 私はその様な事を考えながら廊下を歩きまして、まだ、大勢の観客が退席していません会場に戻りますと、幕が降りて居ます壇上へ端の方から中に入ります。

 麻里奈も私へ続こうとするのですが、それをさせませんで、独りになる事を彼女へと願いました。

 渋々と承諾する彼女の表情に頭を下げた後、Pianoの方へと向かいまして自身でPianoの調律を始めました。

 音叉、調律鎚等を使いまして丁寧に私の耳に馴染みます、音に合わせます事、大よそ、三十分。

 道具を片付けまして、軽く簡単な曲を一節だけ弾いて見ました。

 それで、鍵盤の調子が私好みに合わせる事が出来ますと、椅子にしっかりと座りまして、姿勢をただし、瞳を閉じて、深く大きく呼吸をした後に十本の指先へ意識を通わせる為に心を静かにさせました。

 今から私が場を律しようとします韻、それは弟と彼女達へ捧げる物。

 私の左手、中指が最初の一鍵を柔らかく押して行くのです。

 それと同時に壇上の幕が上がり始めていました。ですが、私はそれに気付く事が出来ませんで、鍵を叩く事のみに集中していたのです。


 幕が昇り切った頃には、まだ会場内に残っていました方々がその動きを止めまして、騒がしさを消し去りまして、私の方を注目し、私の演奏に耳を傾けて下さっていたのでした。

 頭の中から自然に紡がれる旋律に追従するように私の指先は彼等、彼女等へ送る即興作曲の葬送曲を奏でていました。

 私の魂をこめて・・・。

 昔の私には出来ませんでしたレイフォルレスト・フィルブルグのように自身の心、気持ちを乗せて演奏しますこと。

 今は私を置いて先に旅立ってしまいました弟達へ、私の思い、心情を乗せまして、必死に鍵盤へ指の加重を与えていました。

 大きく振り上げられます私の腕、曲に合わせます様に激しく揺れ動きます上半身。

 この様に指先以外の体の一部を動かした演奏も今回が初めてでした。

 指先一本、一本がまるで個々の意識をお持ちしたかのように鍵を絶妙に押し、そこから発せられる一音、一音が重なります和音は音響の届く場、全体を神秘的な雰囲気に変えて行くようでした。

 私はPianoのKeyを弾きながら心の中で、

『届け、私のこの思い、愛しき、親しき我が弟へ、彼女達の元へ』

『この曲を聞いて下さる方々へ。追悼の悲しみの涙を彼、彼女等へ、その様に出来ません私の代わりに・・・』と言葉にしていました。

 私のこの曲を一音も見逃さないような姿勢で聞いて下さっています、律さんが遠くで言葉を紡いでいました。

「詩音、これが龍一君のもつ本当の、本物の才能だ。今は亡き私達の娘と今の彼、そしてレイフィーのアンサンブルが実現したのであれば・・・、現代音楽の世界は大きく変容していただろう・・・、・・・」と遠くの世界を見るような視線でその様に言葉にし、

「あなた、今、その様な事をお口にするものではありませんわ・・・」と二人はその様に囁き合いながらも頬の涙を伝わせて下さっていたのです。

 一番近い席で視聴して下さります麻里奈は、沈黙を守りまして、ただ、ただ、涙をして下さるのでした。

 必死に、全身全霊を鍵盤に叩くことのみ傾けまして、一心不乱に引き続けますこと二十七分。

 額から、涙の変わりに汗を流します私は最後の二鍵を右手の人差し指、薬指で叩きますと残りの指を静かに鍵盤の上に乗せ、顔を天井に向けましてから、ゆっくりと視線を指先へと戻して行く。

 音が響いていました空間から次第に虚空へと収束して行く旋律。

 それが消え去りましても、暫くの間、会場は静寂を保っていました。

 誰もが、私の演奏に、私の代わりに悲しんで呉れまして、私の大切だった者達へ、涙を流して下さっているのです。

 私はその様にして下さる会場の方々に感謝しつつ、鍵盤に蓋を下ろしますと、静かに会場の裏へと歩みだしました。

 私が壇上から消え去った頃に会場内から拍手の波が広がり、それから発せられます破裂音が空間を満たして下さいました。

 壇上の裏に出ました私は、見知った顔に出くわしてしまう。

「いままで、私が聞いた事のある君の演奏の中で最高のものでしたよ・・・、ご無沙汰でしたね、長い間まったく連絡が取れないほどに、リュウ君」

 流暢な日本語で話し掛けるレイフォルレスト・フィルブルグ。

「レイ・・・、君も泣いてくれたのですね・・・」

 私は目の前の人物の表情を窺いましてその様に言葉にしていました。

 涙が伝って居たでしょう頬に乗ります化粧が僅かに滲んでおりましたから、その様に思いまして、口にして仕舞っていたのでした。


 Rayforest Philburg、身長百七十九センチ、私よりも若干背がすらりと細く高く、腰元まで伸びた長く決めの細かい手入れの行き届いている天然の銀色をしました毛髪。

 性格は音楽の天才でありきたりな神経質で、性格が鋭く人付き合いが悪いという事はありません。鼻持ちでも、驕りが高いわけでもありません。とても優しく、暖かく、どちらかと言いますと人懐っこい方です。

 怜悧な顔付き綺麗に整った相貌の中に優しさを包括します美男子の彼・・・、と口に出してしまいますとても失礼な事で、本当は彼女と表現を改めなくてはならないのです。

 本名はRayfiena Philburg三十五歳、女性です。

 一般の女性と比べますとやや胸元が寂しいのですが・・・、彼女は気にしていないようで、男がその事で口に出したりしましても怒ったりはしません。しかし、同性からそれを言われるとかなり落ち込むようでした。

 私が会話を続けようと口を動かそうとしますと、背後から足音が聞こえてきました。

「私、聞いて無いわよ。リュウがあんなに凄く感動的にピアノが弾けるなんてっ!!!」

 それは少しばかり怒気を孕んでいました麻里奈の声でした。

 その様に言いながらこちらへ近づきます彼女へ、ゆっくりとそちらに向きまわる。

「ええ、麻里に言った事は一度もありませんので」

 その様に返しますと麻里奈は上目遣いで私を睨んで下さいました。ですが彼女のその表情も、彼女の視界内にレイフィーナが居る事を知りますと、とっさに顔を和らげまして、

「もっ、もしかして、リュウ。レイフォルレストと知り合いなの?若し、そうなら、サインもらってほしいっ!」

「レイ、彼女に後で一筆してもらえないでしょうか」

「ええ、君の頼みなら聞きましょう」

「ああ、ちなみに麻里、公式profileでは男性と明記されて居ますがレイは女性ですよ」

「しっているわよっ、そのくらいっ!」

 麻里奈はその様に答えを返して下さりながら、何を怒っているのか理解に苦しみますが私の腰の辺りに肘鉄を打ちつけて下さいました。

「時にリュウ君、タカ君やシオリ君は見えていないのですか」

 何も知らないレイフィーナのその言葉に、麻里奈が申し訳なさそうな表情を作り、私はいつもと変わらない表情のまま応えてしまう。

「詩織君ならまだしも、音楽に興味がありませんタカがレイの演奏会などに来るなどと思っているのですか?」

「歳を重ねれば、個人の趣向、嗜みは替るのでなくて?リュウ君にその嗜みがあるのでしたら、ぇえぇと今年で二十九歳。そのくらいの歳になればきっとタカ君だって」

 すぐにでも貴斗に会いたい様な表情を口にする彼女へ、私はいつもの表情を保ったまま、はっきりと言葉にする。

「タカも、詩織君も、もう現世には住んで居ません」

 私の言葉を耳にしました彼女は嘘を私が述べたのではと疑う眼差しを、私へ向け、麻里奈にも一瞬向けますと、直ぐに悲壮感を漂わせる表情へと塗り替えていたのです。

 彼女は何かを納得したかのように下唇を噛み締めていました。

 彼女が私や麻里奈に見せます今の表情、悲しみの深さは相当なものである事を肌で感じて居ます。

 何せ、レイフィーナにとって、詩織君と私の弟は大切なものでしたからね。

 まあ、特に弟の方には別の思いを持っていたようですからレイフィーナが強い悲しみの感情にとらわれますことを理解出来ないわけでは有りませんでした。

 少しばかり、血の滲んでおります彼女の唇が開きまして、

「納得しました・・・。リュウ君が先ほどの様な葬送曲風の調べを弾いていた事を」

「ええ、君の思いつきましたとおりです」

 レイフィーナへ答えを返しつつ、唇の血を拭っていただきたくて薬用tissueを彼女へ差し出していました。

 それから、暫く話し込みまして、大晦日まで続きます、彼女の演奏会が終わりましたら、一緒に食事などをしましょうとレイフィーナの方からお誘いを頂きました。

 その話しを持ち掛けられました時に、麻里奈が断ったら承知しません、の様な目で私を見ていました。

 その様な態度を示すと言う事はレイフィーナと一緒に居ますことで麻里奈が喜んで下さいますのなら、断る理由はどこにもありませんでした。

 レイフィーナとお別れした後、藤宮夫妻の処に戻りまして、また暫く、会話を交えまして、私が音楽の世界に戻って来るよう強かに乞われましたが活路を見出せない世界に進む気はまったくありませんときっぱりと答えまして、その話しを終わらせていました。

 それからは麻里奈と一緒に立ち入り禁止となって居ますRFCの屋上へ出て、その高さから見えます下界を、役に立ちそうにありません、手摺を握り締め、少しばかり雲が掛かって居ます冷めた月光を浴びながら眺めていました。

 時折吹き込みます冷風が外気に晒したままの私や麻里奈の手や顔を傷つけ逃げて行く。

 私は手摺を握りまして、貴斗と詩織君が吸い込まれるように堕ちたと麻里奈に聞かされましたその地面をじっと眺めていました。そして、考えたのです。

 貴斗ほどの体躯で相当力強い弟がこの場所から落ちそうになります自身よりも、華奢で軽い詩織君を引き揚げられないはずが無いと、感じました。

 そこに私が知らなかった麻里奈よりもたらされました情報、弟は小学生の頃、心臓移植手術を受けたという事実とその手術は完璧で生涯、何一つ支障なく生活できると保障されました事。

 ですから、もし、麻里奈が教えて下さいました弟の移植手術が完全なものであるなら、堕ちそうになります詩織君を支えている最中に貴斗が突然、心臓の痛みに苦しめ始め、二人して地表へと引き摺られて仕舞ったとは到底、信じられません。

 私は手摺の前に今以上に体を押し出し、建物の下、地面の方へと寄せました。

 両腕を軸にしまして重心をゆっくりと足元から頭の方へと移動させて行きます。

 それから、手摺を掴んでいました指先の力を徐々に抜いて行くのです。

「ちょちょぉおよちょお~っ、なっ、なにやってるのよりゅういちっ!」

 私の行動に驚きました麻里奈は大声を上げまして、少しばかり私と間を置いていました彼女は此方へ、猪の如く駆け寄り、彼女の腕が、手が伸び、私の腕を捕らえます。

 若し彼女の判断が遅ければ、助からないくらい離れた場所まで落下していました。

 麻里奈は片手で私の手首を掴みますと彼女自身も一緒に堕ちませんように、体の重心を維持しまして、もう片方の手で手摺をしっかりと握り締めていました。

 彼女は必死に私が落ちませんように引き揚げようとしています。

 ですが私はといいますと腕を握って下さる麻里奈の手を握り返さず、何かを推理しますようにただ、じっとしているだけでした。

「龍一、なにやってるの死ぬ気?死ぬ気が無いなら、ちゃんと私に捕まってっ!昇る努力してよっ!」

 彼女が私へ罵声を浴びせて下さっている間、暫く時が流れるのを私は待っていました。

 私が身を投げ出しまして、麻里奈が私の腕を捕まえ、落ちないようにしている時間がもう十五分も過ぎました、もっとかもしれませんが。

 私と彼女にも結構体格の差は有ります体重だって彼女の四、五割近く重いでしょう。ですが、どうです?彼女は無理をして居るでしょうけども、必死に耐えるだけでなく、少しずつ、僅かながら徐々に私を引き揚げているのですよ。

 なら、屈強であります貴斗が詩織君一人、持ち上げますことなど造作も無い事です。

 詩織君でしたって、私の知る限りで彼女の身体能力は並みの競技者では敵わない位に高く、UNIOの様な特殊機関で訓練を重ねれば、麻里奈と同等、もしかしますと、その上を超えて仕舞うかもしれません程の女の子でした。

 その様な彼女が、貴斗の助けを借りていたのです、こちら側へ戻れないはずがありません。

「もぉ、いい加減にしてよぉぃ、りゅういちぃ。お願いだから、馬鹿な事はよしてよぉ」

 切羽詰りました表情、麻里奈の必死な声に、その様な緊迫した状態であります彼女を他所に自身の考えが纏まりました私は地上へとだらけさせて居ましたもう片方の腕の手で柵の間の柱を掴みまして、彼女へ登る意思表示を見せました。

 麻里奈に引き揚げられますように柵を越えました私は倒れこむ勢いのまま床に彼女を押し付けていました。

 私が助かった事で緊張していました麻里奈の顔が緩み始め、彼女の頬や唇が痙攣し始めますと、顔をお歪めしながら、大声で嗚咽を始めて仕舞ったのです。

 泣きながら私へ罵声を浴びせて下さいます麻里奈へ、彼女の唇へ、私のそれを押し当て、鳴き声を黙らせました。

 彼女の両頬を私の両手で覆いまして、親指で頬に伝わって居ます涙を拭って差し上げました。

 息が続くまで彼女と口を重ねまして、麻里奈が嗚咽をやめました頃にゆっくりと絡めていました舌と舌、押し当てていました、私の唇を彼女からゆっくりと遠ざけて行きます。

 冬空の白く澄んだ月明かりが離れ行く私と、彼女の唇から伸びます糸の架け橋を冷たく照らす。

 麻里奈より先に立ち上がりまして、服に付いて仕舞った汚れをざっと払ってから彼女へ手を伸ばし、それを掴んで下さった彼女を引き揚げ、抱きしめる様に立たせていました。

「りゅぅ・・・、りゅう?キスの続き・・・」

 麻里奈は恍惚な瞳で、恥らいますような、甘えるような声で懇願する彼女へ、

「ここではだめですよ、麻里。私にとって神聖なこの場所では・・・」

 私はその様に答えまして、彼女の肩を抱き寄せたまま、歩き始めたのです。

 寒さが厳しくなりました屋上を後にしたのでした。

 地上階に降ります階段を下りながら、私の脳内で様々な情報を整理し、雷に打たれましたような閃きが私の脳裏に過ぎるのです。

 貴斗と詩織君の死はただの事故ではありませんこと。

 二人を追う様に入水したとされて居ます香澄君の死も・・・、誰かの画策により、仕組まれました他殺、殺人事件だと。

 実は父や母の死もそれに類推するのではと・・・。

 今も何処かでせせら笑っているかも知れませんその相手にふつふつと私の怒りがわき立って行くのでした。

 親愛なる弟と、その幼馴染達、香澄君、詩織君の未来を閉ざしてくださいました相手へ、私が思い描いていました将来の三人の世界を砕いて下さった方、私の胸中の怒りは龍の逆鱗に触れた如く立ち昇っていました、表情はいつもと変わりませんが・・・。

 コートの中に忍ばせています、握りました私の拳が少しばかり汗ばんで行くのを感じまして、これが本当に事故でなくて、故意によるものでしたらと思った瞬間、胸中で『私の大事な方々を葬ってくれた方へ・・・。神々の審判がくだらないといいますなら、法の捌きが届かないといいますなら、私自ら、私の手で裁いて上げましょう・・・』

とその様に心の中で強く思いまして、建物の外に出ました頃に夜空を見上げていました。

「りゅう、何を考えてるの?」

「え?泣かせて仕舞った麻里にこれからどの様に謝罪すべきかをです」

「もぉ、嘘ばっかり」

 見透かすような目で私を見まして、その様に告げる麻里奈は、言って絡めていました私の腕を更に強く抱きしめ、私の方へ身を寄せるのでした。

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