第二話 還るべき日常へ

 麻里奈と私は、ANAの最終便二十三時二十五分頃発で日本へと向かいました。

 航空機が離陸すると彼女は私に言う。

「私が眠っている間、いなくなっちゃたりしないわよね?」

 彼女は不安を顔色に見せながら、私へと尋ねて下さいました。ですから、私は彼女が安心出来るような笑顔を向けました。

「大丈夫です。この現実が偽りで無ければ、私は麻里の傍を離れるつもりはありません。ですから、いまはお眠りして、仕事の疲れを癒してください」

 私はその様に言葉にしてから、彼女の唇に軽く、私のそれを重ね直ぐに離す。

 彼女は薄っすらと頬を赤らめ、恥ずかしそうな表情を作るや否や、微笑む。

「ありがとう、龍。好きよ。それじゃ、しばらく休ませて貰うわ」

 麻里奈は返答を終えると、愛用キャラクター物のEye maskを着けて睡眠へと身を委ねました。

 彼女の寝顔に微笑み、窓際に座る私は、旅客機の下に見える闇色の中に映し出される深い青色をした層雲を眺め始めました。

 面白みも、味気も無い虚空にも思えてしまう外の光景。

 それを見続けて居ますと度々、私のにこやかな表情が崩れ始めてしまって居ました。

 そうなる前に顔前に左手を当て顔の作りを強制的に微笑みに戻していました。

 貴斗や、愛しき年下の幼馴染達、香澄君や詩織君の死。

 悲しみ等、私には無縁な感情だと、その様に思っていたはずでした。

 何しろ目の前で両親が撃ち殺されても悲しみも、怒りも湧き起こりませんでしたから。しかし、今は違います。気を緩めてしまいますと、悲しみと共に私の両目じりから、心の膿が流れ出してしまいそうになります。ですが、その様な状況にならないように心を強く持ち、弟のあの言葉、『龍兄さんはもう独りじゃない。だから、どんなに不利な状況でも負けないで。そして、思い出してよ、兄さんを必要としてくれるみんなの事を・・・』

 それを思い出し、再び、麻里奈の寝顔を除いてから、客室乗務員から頂いた各国の新聞を読み始めました。

 紙面の内容を読むと、私が永い眠りに付いていた間、世界も、日本の情勢もめまぐるしく変っているようでした。

 その一つに私が所属していた組織UNIOが懸念し、その様な方向に流れないように注意を払っていたUSAのIRQに対する戦争介入。

 それが事実となってしまっていたことに正直、憤りを感じてしまいます。

 なにより、そのせいでIRQの国政が今も直混乱し続け、反政府主義活動、所謂テロリズムが横行し、それが止められず世界に拡大し、日本も被害を受けてしまっていると言うことです。

 我が国、日本はあの反政府主義活動、オウム事件から何も得て居なかったのでしょうか?どれだけの市民の命が奪われれば、気が済むのでしょうか?

 無能な政府。

 憤りを感じつつも、見て見ぬ振りばかりし、声を上げない自国民・・・。

 私の愛しき者達が去ってしまいましたこの世界。

 生きていて・・・、目覚めてから気の滅入る事ばかりが、連続して私に齎されています。

 この様な世界の為に私が生き残り、どのような理由があるのでしょうか。

 私は、またちらりと、麻里奈の顔を窺い、鼻で小さく溜息を吐いてしまいました。

 顔を紙面に戻し、心の中で呟くのです、

『個々、個人の存在には善と悪、聖と邪総てを含めて理由が必ずある。なら、長い年月が掛かってしまいましたが、あの状況から生き残り、このように目覚めたのなら、必ずその理由がこの先、進む道に示させるのでしょう・・・、多分』

 新聞を読むのを再開しようとした所に、丁度、女性の乗務員が通りかかりましたので、苦めの珈琲を頂く事にしました。

 シンガポールから出発した全日空旅客機は翌日の午前七時ごろに成田空港へ到着し、朝食を機内で済ませていた私達はUNIOの日本支部が置かれている外務省国際機関人事局、東京都千代田区霞ヶ関へと向かいました。

 交通手段は麻里奈の運転するBMWのMINI 3RG(Third Generation)。

 自分の彼女を褒めるのも何かと思いますが、麻里奈の運転技術はとても高く、Car Racerとして人生を歩んでいても先ず間違い無く優勝候補の選手として活躍出来たであろう程の腕です。

 更にそれは自動車だけでなく自動二輪も、UNIOでたまにしか扱わない回転翼航空機(Chopper)や小型船舶まで、大抵の乗り物は簡単な訓練だけで乗りこなしてしまいます。

 私も操縦系は下手ではありませんが、大方、麻里奈とお仕事を組むときは彼女に頼りっきりでして・・・。

「うん、どうかしたの、龍?」

 麻里奈の顔を少し、見ながらその様に思っていましたら彼女はそんな風に言葉を出してきました。ですから、私は正直に言葉にさせていただきます。

「ええ、麻里の事を心の中で褒めていたのですよ」と微笑みとご一緒に。

「もぉ、どんな風に私の事を褒めてくれていたのか知りませんけどぉ~、そう言う事は口に出して言ってもらえた方が嬉しいんですけどねぇ、わたしはぁ」

 私は、麻里奈の軽く不貞腐れながら、返すその言葉にまた微笑んで返すだけでした。

 東関東自動車道、首都高湾岸線を伝い午前九時半ごろに目的地へと到着する私達でした。

 麻里奈は職員用の駐車場へMINIを止め、Engineを切ると、外へ出る事を促しました。

 広がる青空と澄み切った空を眺める様に私は車外へ身体を移動させました。それから、空の方へ向けていました顔を下ろし、周囲を確認します。

 私が知っていた頃より、何も代わり映えのしない風景に安堵感を感じてしまいました。

 私は、それを表情に出したつもりはありませんでしたが、麻里奈は気が付いたようです

「ふふぅ、龍。何にも変ってないのがそんなに嬉しいの?」

「そっ、その様な事は消してありませんよ」

「龍は嘘がへたねぇ。何年一緒に居ると思ってるの?貴方が、無感情の頃よりずっと見てきたんだから、分かっちゃうのよ、龍のそう言うところ・・・。さあ、行きましょう」

 私に悪戯な微笑を向けながら、手を差し出す彼女でした。

 職場で手を繋いだり、腕を組んだりなど不謹慎極まりありませんので、彼女のその手を叩き、UNIO日本支部へと歩き始めました。そして、麻里奈は膨れながら声を上げた。

「いまはそっちじゃないわ、龍の馬鹿っ!」

 怒った声でその様にいい剥れた表情の彼女は私が向かおうとした場所とは違う方向へ移動し始めました。それから、十五分くらいで事務所が移動したUNIO日本支部へと到着しました。

 中には居ると重厚な机、高級椅子に座り、朝刊を大きく広げ、それに目を向けている五十歳くらいの口髭の似合う紳士が居ました。

 その男性は私達の気配に気が付き、ゆっくりとその新聞を二つに折ると、此方へと顔を向け言葉をくださる。

「むぅ、ふふっ、本当に顕在だったようだね、藤原龍一君」

 その様に口を開く彼の名は大宮忠孝、麻里奈や、私がUNIOに配属された頃に支部長へ昇格した私達の直属の上司です。

 とても温厚で、儀に厚く、寛大な心を持つ方です。

「あれ、なになに、もしかして、私の事、ほめちゃってくれちゃっています、龍一君?でもさぁ、褒めてくれるのは良いけどさぁ、口に出してもらえると嬉しいですかねぇ、おじさんはぁ」とその様に麻里奈に似て、お茶目なところがあり、嫌いな上司ではありません。

「大宮局長、報告前に御願いしたい事があるだけどいいかな?」

「みなまでいわなくても、おじさんはわかっているよ、麻里奈君。

いやねぇ、龍一君も知ってのとおり、ここは万年人材不足でねぇ、

君のような有能な部下を簡単に切り捨てて、さようなら、ってことありえませんよ。寧ろ、死ぬまでここで働いてもらいたいと、僕はおもっちゃっています」

「それにこの機関の人事は支部長の役職の者が志願者、その能力に見合えば勝手に決めちゃっていいモノですので・・・。龍一君の体調の事もあるでしょうし、今日からすぐに復帰とは行かないでしょうけど、これからもまた宜しく頼みましたよ。世界の秩序の為にばんばん、はたらいてください」

「ありがとうございます。麻里も・・・」

「いえいえ・・・。ああ、ですがね、九年間も無断欠勤したのですから、役職は下げちゃ居ますよ。二級捜査官からはじめてください・・・。まあ、龍一君でしたら、あれよ、あれよと、言う前に、僕のこの地位まで上り詰めてしまうでしょうね」

「いえいえ、私は現場で働きたいので、大宮支部長はそのままで結構です。上に行かれても、次の上司の性格が私たちに合わないと色々と動きづらいですから」

「もぉ、龍一くんったら、もう少し僕に楽させてよぉ、管理職って、ほんとぉ~~~に辛いんだよぉ」

「ええ、それを知っていますから、嫌なのです。家督を継がないのもそれが理由の一つですし・・・」

 私と支部長は終始笑みで言葉を交わしていましたが、そこで麻里奈が割り込みまして、

「大宮部長も、ストッピ、ストッピ。これじゃ何時まで立っても私の報告が出来ないじゃない」

「ああ、すまん、すまん、麻里奈君。そうそう、麻里奈君、今一級捜査官ですから、龍一君は君の部下となるんですよ。いいように扱って下さい、フフフ」

 私の上司は最後に含み笑いを私たちへ向けますと、真剣な顔付きになり、麻里奈の報告を口頭で聞き始めました。

 彼女の報告内容は2003年以降、徐々に拡大している反政府運動。

 その煽りを受けて再び、紛争が始まってしまった東欧地区の沈静活動。

 主に、武器流通の遮断を目的とした物のようでした。そして、その流通している組織を無事に締め上げ、任務完了となったとの事です。

「報告は以上です、大宮支部長」

「うむ、上出来、上出来です。これでしばらく、大きな活動が起こる事は無いでしょう・・・、まあ、大きな仕事をやり終えたばかりですが、すぐに次の事に移ってもらいましょう。ああ、大丈夫ですよ、海外出張では無くて、ここ都内の事ですから、詳細は明日の朝、麻里奈君、君宛に郵送して置くので確認してください。龍一君はまだ思うように動けないでしょうが、できれば彼女のサポートよろしくお願いします」

 私は支部長のそれに軽く頭を下げ返答すると、麻里奈と共にこの場所から出る事にしました。

「龍」と私を呼ぶ、麻里奈の表情は厳しくなっており、私はにこやかな表情のままで、

「はい、なんでしょう?」

「期間は一月、その間に以前と同じように体の自由が効くようにみっちりと訓練するわよっ!いい、絶対に拒否はだめ。手加減なんかして上げませんから、そこんところ、よろしくっ!!」

「わかっておりますよ、麻里。それではお手柔らかにお願いします」

「だ・か・らっ、手加減しないって言ったでしょぉ?」

 左の握った拳を腰に当て、右手人差し指を私に突き付けた姿で、豪語する彼女に私は苦笑いを返すのでした。


2010年4月30日、 金曜日

 早朝、五時十五分。

 その時間に設定されていた目覚まし時計の音が鳴り始めた。

 私は頭の上に掛け布団で覆い、手を時計の方へ伸ばし、その音を止ませましたが、

「龍、ネチャダメヨッ、起きなさいっ!」

「まりなぁ~、もう、もう、あと三時間・・・、寝させてください。くぅ~ZzZzzz」

「三時間ですって?馬鹿言ってないで、ほらっ」

「うぅ、まりー、私が、低血圧で、朝弱いのを知っていて・・・、酷い」

 麻里奈は私の不満をよそに、掛けていた布団を奪われてしまい、まだ寝惚けています顔の頬に両手を伸ばすと、手加減なしで引っ張られてしまいました。

 意識が半ばの状態でTrainerに着替え、麻里奈も同様にそれに着替えていました。

 くすんだ白地に藍色の三本線が脇に走っている、私お気に入りの製造業社、Adidas製です。

 麻里奈の方はワインレッドの上下に薄桃色の襟と袖。

 彼女はそこの製品の運動用品しか買わないと決めているルコック社のJerseyを着こなし、私に背中を向けているところでした。

 肘位まで伸びている髪を下ろした彼女の後姿は大学生に見えなくもありません。

 贔屓目でありますが、彼女の顔や容姿はFashion modelとしても通用するのではと思えてしまう程で、少々釣り目の相貌は智的さを、形をしっかりと整えている眉毛ときりっとした鼻筋は品の良さを、顔の大きさの割にやや小さめな彼女の唇はとても愛らしいです・・・。となど説明した所で、他の方々には関係ない事ですが・・・。

 麻里奈は私の方へ振り返り、私の意識が未だに覚醒していないのですが準備が整った事を知りますと、手を掴み、寝室から十五畳程ある居間へと連れられてしまいました。

 彼女はあまり物を持たないほうで・・・、長期家を空けてしまう職業柄しょうがないのですが・・・。

 そのキッチン兼用リヴィングルームに置かれている物と言えば二、三人程しか囲めません、Interior様に販売されて居ますTireの上に置かれた小さなLow tableと南向きの窓に置かれた52inch型のSED・TVと様々なVideo gameの本体、BoseのSpeaker systemだけでした。

 ええとそれとHS Discと掛かれて居ます、多分映像再生機だと思われるその器械。

 設置されているものがそれだけなので、彼女の趣味が何であるのか、皆様も分かるでしょう。

 部屋の隅に寄せなければなりませんものは無く、麻里奈は柔軟体操を始めましょうと私へ言って来ました。

 私は眠気顔のままで頷き、彼女の動きに合わせて、体の筋を伸ばし始めました。

 柔軟体操を行っている間でも、私は朧気に彼女に追従しているだけでした。しかし、三十分を過ぎた頃、

「いたたたたったたぁああ、まっ、まり・・・、お手柔らかにお願いいたします」

「えぇ、なぁにぃ~~~、きこえないわ」

「ほんとうにいたいんですってぇっ!男性は女性と違いまして、筋肉の柔軟性や、骨格の組み合わせの余裕がないのですよっ、きゅっ、きゅうに・・・、これは酷です」

「へぇ、そうなんだぁ、でも、私には関係ないわ。これは龍のための訓練ですもの」

 私が逃れられない様な姿勢で私の背中を押す麻里奈、そして、悲鳴を押される度に上げる私。

 足を真っ直ぐに揃えて、足全体の筋を柔らかくする型の方はまだ、痛みが少なかったのですが、扇の様に開く方、可能な限り広げなさいと麻里奈に強請られ、それに従い頑張って開いて見たのですが100度近くまでしか開けず、背中を押された時には一瞬、意識を喪いかけてしまう始末です。

 以前は180度と、そこまでは開けませんが、それでも陸上選手並みの柔軟さがありました。しかしです、長い歳月が私の体を相当硬くしてしまったようです。

 お酢を飲めば体が柔らかくなると言うのは真っ赤な嘘ですので、頑張って訓練して伸ばすしか無いでしょう。

「ほらっ、龍。伸ばしているときは息をはいてっ!」

「やっていますよ」

「もっ、答えないで頷くだけで良いから、息をはけぇ!!」

 厳しいお言葉を頂き、彼女の秒読みが終わるまで息を吐き続けながらぐっと我慢しました。それから大よそ、一分。やっとその痛みから解放されたのでした。

 大よそ30分くらいの準備運動でしたが、胸元がそれなりに汗ばんでしまいました。

 大半は筋を伸ばす時に感じた痛みによる冷や汗でしょう。

「さて、走りにでましょう、龍」

 麻里奈はいい、Pack式の飲料を私に投げてくださいました。

 私がそれを掴むのを確認しますと、封を切ってそれを飲み始め、玄関へと歩み始めました。

 喉を潤すように私もそれを飲み始め、玄関にあります、屑箱へ入れて、ランニングシューズを履き、靴紐をしっかりと締めますと、表に出ました。

 外は既に日が昇っており、それなりに世界は明るみを帯びていました。

 エレベーターで地上へ降りました、私たち二人はまだ、人や街の通りの少ない街を走り始めました。

 麻里奈と共に街中を走り、回りの風景を確かめていました。

 代わり映えしない風景。

 百年や二百年も後に私が目覚めた訳ではありませんから、見た目の生活環境の変化が少ないのは当然の事でしょう。しかれども、世界の医療や産業などに関する科学技術はまた更に向上しているようでした。

 その技術の中で危惧するべき点はこの国、日本が開発した新しい動力送電機構。まだしっかりとした内容を把握していませんが、私の父が進めていた次世代動力変換機構と同様、使用に関してしっかりとした規則を取り決めなければ世界全体に災いを振りまいてしまうでしょう。

 父、龍貴の技術は父が無くなる事によって継続不可能になっているようですので、心配は要りませんがね。と、色々と考えて、体の疲れを忘れようなどとしていましたが、矢張り無理でしたので、

「まりっ、少し休ませてくださいっ!」

「だめよっ、へこたれないでぇ~、走りなさいっ、龍!」

 私の裏を自転車で優雅に、且つ私を追い立てるように漕ぎながら、麻里奈は楽しそうな声でその様に返してくださいました。

「ああ、なんと酷い事を・・。私の麻里奈が、悪魔になってしまいました」

「なにをいっているの、これは愛情よ、あいぃじょぉ~。早く、むかしと同じようになって貰うために、私の軋む心にも耐えてやっている事なのに、酷いわ」

「絶対嘘です。その証拠に、楽しそうじゃないですか、表情や言動が・・・」

「そんな事、無いわよぉ~。はいっ、無駄話を私にするくらいなら走る事に専念っ!」

 私は時間など気にしている余裕などありませんでしたが、徐々に街を行き交う人々や車も増え、私達と同じように朝のjoggingをしている方々にすれ違っていました。

 どの程度の距離を走ったのでしょうか、城北中央公園を一周した所で麻里奈がやっと休憩をくださって、そこでまた喉の渇きを彼女から渡されたSports drinkで潤しました。

 数分の休憩の後、大よそ十分くらいで今私が一緒させていただいている、麻里奈の住まう分譲高層住宅へと戻ってまいりました。

 時間は七時三十分。大よそ、80分近く走らされたわけですね・・・。

 土砂降りの雨に打たれて濡れた様な、汗の染み込みました下着と運動着。

 それを洗濯機に脱ぎ捨てますと、すぐに浴室へと飛び込み、温度を上げないでそのままシャワーを浴びました。

 準備運動の時に薄っすらとしか汗を掻かなかった麻里奈はJersey姿のまま台所へ消え、朝食の準備に入っていました。

 私が体を洗い終え、着替えも済んだ頃には小さなLow tableの上に二人分の朝食が並んでいました。

 彼女はあまり料理の得意な女性ではありませんが、基本がしっかりと出来て居ますので不味い物を作る事は無いと思いますよ・・・、多分、今もです。

 美味しそうな色に焼きあがった食パン。

 麻里奈は昔から、それにメープルシロップを掛けるのが好きらしく、それが既に掛けられていました。

 私はバター派ですが、これは、これで美味しいので問題はありません。

 一つの器に二人分の乗ったSalad。手で千切ったチシャに細くは無いキャベツの千切りと一つを八等分にした蕃茄、マッシュされたジャガイモと燻製卵がそれには乗って居ます。

 ハムエッグも、皿一つに二人分。

 黄身の上には白い膜が綺麗に張っており、中の半熟具合がとても楽しみです。

 最後に、牛乳と、麻里奈お手製の果物ジュース。色からすると、ピンクグレープフルーツでしょうか?

「さあ、頂きましょう。たいした物じゃないけどね」

「いえいえ、作って頂けるだけでありがたい事ですよ」

 麻里奈、見た目は礼儀作法とかを無視するような方に見られがちですが、実はその逆でとてもその様な事を大事にしています。

 彼女の家柄もその要因の一つであることに違いないのでしょうが・・・。

 麻里奈は手を合わせ、お箸を合わせた親指の間に挟めると、お辞儀をして、『頂きます』と声に出しました。無論、私も同様にそれに倣います。


「明日からは私が作りましょうか?」

「今は良いわ、体の調子戻すことだけに専念して」

「分かりました、では本調子になりましたら、交代制にしましょう」

 私の返答に微笑みながら返す、麻里奈。

 食事中は朝の報道を流しながら、麻里奈の話したい会話の内容に相槌を打っていました。

 それから、それが朝食を摂り終え、8時45分、麻里奈の今日の仕事の為に現場へと向かうのです、私も同行で。

 午前九時三十分、私達が向かった場所は、東京国際空港の入出管理局です。

 今日はそこで、監視および警備に付くことが主な任務だそうです。

 荒事が起きない限りは今の私にも問題ないでしょう。

 これでしたら、麻里奈と一緒に普通にお仕事が出来ると言うものです。

 麻里奈と管理局本職の方々と巡回路を決め、見回りが始まりました。

 巡回は二人一組が基本で、私は麻里奈と一緒に廻る事になりました。

 仕事が始まりますと麻里奈の表情は普段同様の穏やかな表情でしたが、彼女から発する気の様な感じは真剣になり、周囲で何か起これば直ぐに行動可能できるそんな風な様子です。

 私はと言いますといつもの表情どおり、小さな笑みを表情に出しながら、彼女の隣を歩ませてもらっている状態です。

 顔の向きは進行方向。ですが、視線は歩む先全体を捉えますように他の方々に気付かれぬ様に動かして居ます。

 私が前方と左視野を、麻里奈が前方と右視野を担当しています。

 報道規制のため、空港内の事件は本当に大事で無い限り、取り上げられる事はありませんが、一般市民が思って居るよりも小さな事件が多く起きて居ます。

 迷子、盗難、暴動、乱闘、紛失物、違法物品の取引、不正入出国、言語の聞き違いによる手違いなど様々に。

 その様な理由で皆様が思って居ますよりも、空港の監視警備と言うものはとても大変なのです。

 敷地面積辺りの人材が不足しているので、私達のような警察庁管轄外の処にも要請が掛かる訳でして。

 本義としては、大きな犯罪が発生した場合に公安本職が到着するまで同等の立場で指揮する事。

 そこまでするような犯罪は滅多に起こるものではありませんがね。しかしながら、私たち外務省管轄のUNIOがここへ、配属されると言う事は、なんらかの明確な国際間情報が有っての事でしょう。

 午後七時半、私は麻里奈の良く通うGymに連行され、彼女に厳しい筋力Trainingを強いられていました。

 今日一日だけで、勘弁願いたいほどに、麻里奈の指示は辛く、幾度も意識を喪いそうになりました・・・・・。

 ああ、そうです、今日、矢張り、空港内で故意的な事故が起きようとしましたが、麻里奈が独りで片付けてしまい私の出る幕はありませんでした。

 無力なほどに私は何も出来ず、彼女の支援さえ儘なら無かったのです。

 唯々、彼女の機敏な対応と行動を見守る事しか出来ませんでした。

 自分の不甲斐なさが許せないと感じた事を今思い出すと、途切れ掛けた意識が戻り、麻里奈の声に従う様に加圧方式の訓練を続けたのでした。

 大よそ、二時間の運動。それが終わると、汗まみれの私に大きなTowelとIsotonic waterのPocari sweat 500mlを麻里奈は渡してくれました。

「ありがとう麻里」

「お疲れ、龍」

 汗を拭いながら、彼女の蓋を開けてくれた飲料を体の中に流して行きます。

 飲んでいる最中の私に声を掛けてくださいます彼女。

「この時間から、夕食を作るのも面倒だから、外食にしましょう」

 Towelを頭の上にかぶせた姿で彼女のそれに同意の頷きを返しまして、

「では、私は汗を流してきますので、先に表で待って居てください」

「あんまし、待たせられちゃうと、すねちゃうからね」

 笑った表情で麻里奈は返してくださいますと、女子更衣室の方へと向かわれました。

 それから、十分後、外で待ち合わせをしていた私達は彼女の住まいの近隣の小料理屋で一時間弱過ごしますと、帰宅していました。

 麻里奈の家に到着した私は上がらせてもらいますと、疲れの為、広い居間のせいもあって大きくても小さく見えてしまうsofaに横になると、瞼がゆっくりゆっくりと下りてきたのでした。

 本当に本日のTrainingは厳しかったです。

 一日目から想像以上の過酷さ。ですが、これくらいの厳しさがありませんととうてい一ヶ月では以前の身体能力には戻らないでしょう。

 ですから、明日からも脱落せずに麻里奈の指示に従い頑張るとしましょうか・・・。

「りゅぅ~~~、りゅぅりゅぅ~~~。もぉ、龍ってばこんなところで寝ちゃって。ふふ、なんだろう、こんな無防備な龍々の寝顔なんてはじめて見たかも・・・、かわいい」

 寝てしまった私にその様な事を口に出していた麻里奈は一度寝室へ移動しますとblanketを手に戻りまして、私の隣に腰掛けますと私たち二人にそれを広げ、夜更かし大好きな彼女も早めの就寝に入ったのでした。

 それから、翌日も、そのまた翌日も麻里奈と共に仕事を遂行しながら朝晩の体調復帰の鍛錬を行い、第三週目からはSATや陸海自と合同で実践訓練も追加されたのです。

 訓練の内容はといいますと実際に起こりうる事件を想定して部隊を組んだ任務遂行、容疑者との格闘戦、後方支援等。

 何れも、空砲や塗料弾を使用せずに実弾を用いていました。

 使用拳銃は次期候補とされているミネベアモータ社の東条M120。

 従来の回転式弾倉のニュー南部M60から交換式弾倉の自動小銃です。

 命中精度は素人が扱っても九割以上の確率で狙いを定めた場所に当たるらしいですね。

 理由は射撃した後の銃身のぶれ、Blow Backを最小限に抑える新技術を組み込んだとの事です。

 装弾総数は十八発、三十八口径から二十六口径に縮小された弾丸は特殊な加工がされており、殺傷能力が無く、標的を行動不能にするだけらしいです。本採用となった場合の話しですが。

 いったいどの様な弾丸を開発したのか興味深いことですが、今の訓練中に弾倉に装填されて居ます物は従来の完全被甲弾でした。

 確かに、とても扱いやすい拳銃でした。しかし、私はそれを使用しながら訓練に参加している時に思った事がありまして、使用技術の向上無くして扱えてしまう武器。

 その様な存在に酷く不安を覚えてしまうのです。武器だけではなく、あらゆる道具が今後、使い勝手が今以上となり、使用者が何の練習もしないで扱うことが出来てしまった場合、人は器用さといいます技能を捨ててしまうこと・・・、になるのでしょうか・・・。

 まあ、道具を扱う技能云々など小難しい話しがしたかった訳ではありません。

 麻里奈と二週間の鍛錬後に始まった合同訓練。

 彼女に無理を強いられながら続けていましたTrainingのお陰で、真剣に望んでいる皆様には悪いのですが、いつもの表情、軽く笑ったままの顔で、平然と訓練をし続けられるくらいに体調は戻っていたのです。

 彼女の宣告通り、二週間後を向かえれば、年齢はもう三十半ばを迎えてしまいましたけど本当に九年前と同じ体力と技能を取り戻せるかもしれません。


2010年5月31日、月曜日

「龍、もう起きなさいっ、何時まで寝ているつもりなの?」

「まりぃ、もう少し寝かせてください。今日からは・・・、もう訓練しなくて良いのでしょう・・・、くぅ~Zzz」

「ああ、もぉ、そうだけど。後一時間後には出勤の時間なのだから起きなさいって」

 麻里奈は優しい声で言ってくださいますが、彼女の態度はその正反対でして、結構手荒な方法で寝台から叩きだされてしまいました。

「ほら、龍、向こうに行きましょう。朝食の準備は出来ているんですから」

「あっ、すまないですね。本調子に戻りましたら、交代で作りましょうと約束したはずなのに」

「いいの、いいの、直ぐにやってもらおうだなんて、私はおもっていないんだから」

 麻里奈はご機嫌な表情でその様に答えながら、寝癖の付いた私の頭を軽く叩いてくださったのです。で、私は半分くらいしか意識の目覚めて居ない状態で彼女のその表情ににっこりと返してから、一緒にLivingへと向かったのです。

 食べ初めの頃はまだ、眠さが残っていたのですが、物を噛み脳に刺激が伝わる事でいつの間にか目もすっかりと覚めていました。

「龍、ちゃんと私の話しを聞いてくれていたの?」

「え、どの様なことでしょうか?」

「もぉ、龍のばかっ、もういいわ・・・」

「そうですか」

「あぁ、もうそうやってすぐにスルーさせちゃうんだから。意地悪」

 何が良くなかったのでしょか、麻里奈は突然、不機嫌な顔になり、小さく口を尖らせてしまいましたが、私は気にせず、彼女の作ってくださった朝食を美味しそうに食べていたのです。

 私の表情を不機嫌な顔で窺っている麻里奈は何かを諦めたかのように、小さく溜息を吐いて下さいますと、また会話を再開させてくださったのです。

 他愛も無い話しを続け、食事が終わった頃に彼女は、

「でも、正直、私も驚いちゃった」

「どの様な事をでしょうか?」

「うん?それは龍々が本当に一ヶ月間で万全に戻ったからよ。私も貴方の才能や身体能力の凄さは知っているけど、健康に関してみんなと一緒で驚異的な回復力がある訳でもないし特殊な力が働いている訳でもないから、これから一ヶ月も二ヶ月先もかかるのかなって思っていたわ。でも、実際の貴方は本当にこの期間でそうなっちゃうんだもん、驚かない方がおかしいでしょう?」

 麻里奈の私に言ってくださいましたそのお言葉に、微笑で応えるのです。

「ええ、それは麻里奈のお陰ですよ。私が貴女に対する愛故にでしょうか、フフ・・・」

「なっ、なにを突然そんな事を言うのよ・・・、ずっ、ずるいんだから龍は」

 私は嘘を返したつもりは無かったのですが、麻里奈は顔を真っ赤にすると、重ねていた食器を持って台所へと行ってしまいました。

「何か、私は変な事を口に出してしまったのでしょうかね・・・」

 その様に呟きますと、残りの食器を持ち、彼女の後を追いました。

 本日から、本格的にUNIOの仕事に復帰する事になりますが、今の調子ならどの様な任務でも熟せて仕舞えそうな程、身体から湧き出す力を感じていました。

 本当に麻里奈には感謝しています。

 彼女の存在無くして、今の私は無いのでしょうけど・・・、彼女が私にとってとても愛すべき方なのですが、どうしてでしょう?私の心は満たされずに小さな隙間が埋められないままに居ました。その理由は分かっている事なのですが・・・、人である私にはもうどう仕様も出来ないことなのです。

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