CRoSs☤MiND ~ The fragment of ADAM Project truth ~ 第 四 部 UNIO編

DAN

第 一 章 神 色 自 若

第一話 九年の歳月の果てに、目覚めし龍

 第一話 九年の歳月の果てに、目覚めし龍

 幼少の頃より多才で、高校を卒業し、大学に入学する様な年齢までなると、その才能ぶりはその道に精通する玄人が疑心、嫉妬、嫌悪の念を持たないくらいに純真に評価するほどだった。

 周りの友人知人は言う、彼に出来ないことは無いと。

 神に近い男。

 世界を敵に回しても、平然と勝利してしまいそうな男だと。

 世界を彼の意のままに操れてしまうのではと他者に思わせてしまうほどの男と。

 ある意味、嫌悪されるか、畏怖すべき人物だが、人柄が良く、とても多才に見えない、朗らかな風貌が彼を孤独にさせなかった。

 要するに彼には多くの友と呼べる者達が居たと言うことだ。

 その付き合いも表面上だけでなく精神的にしっかりとつながった確固たるもの。

 だだ、欠点があるとしたら他者の視線がある時、表面に出す事はあまり無いが年が七つはなれた弟を溺愛していたと言うことだろうか。

 彼には二つ下の妹も居た。彼女も兄に負けないくらい弟の事を溺愛していたため、長女、長男は少しばかり仲が悪かった様でもある。

 その彼の名は藤原龍一。

 かなり昔から続く、名家に生まれし男子だった。

 中学から高校に掛けては楽器演奏の分野で奇才を放ち、特にパイプオルガンによる、龍一の演奏は魔王の誘惑と言われるほどの旋律をかもし出し、聞き手の心を必ず陶酔させた。

 音楽の世界で名声を得ていた藤宮夫妻から是非、自分の下でその才を伸ばさせて欲しいと請われる程。

 彼は暫くの間、夫妻の下でその芸を育ませて行く。

 その間、何回も公の場での演奏を律や詩音にお願いされたが、その殆どを龍一は次の様に答え断っていた。

『え?僕、ただ弾きたくて演奏しているだけ出し、遊びですからねぇ。真面目に取り組んでいる人達に申し訳ないじゃないですか・・・』

 そう答えつつも、数は少ないが彼は気まぐれな性格で稀に大きな発表会に出る事も有った。

 それから最終的に高校二年の最後、藤宮夫妻に何度も頭を下げられて、不承不承無理やり参加させられた国際演奏会で優秀な成績を収めつつ、

『もう飽きましたから、僕の演奏はこれが最後と言う事にします』と公言すると本当にそれ以降、楽器を触る事が無くなった。

 それから、求知心旺盛な彼は高校の半ば頃から、溺愛の弟を構いつつも父親である龍貴の研究の助手を務め、得意分野は科学技術系だったが、大学では法学と経済学の二つを専攻しつつ、卒業後、修士課程や、博士課程を進まなくして両手の指の数では納まらないほどの博士学位を修得していた。

 誰もが、大学卒業後、龍貴と一緒に何かの研究に励むと思いきや、かなり知名度の低いと言うよりも機密捜査機関らしき所へと勤め始めた。やはりそれも彼の類稀無い好奇心による物。

 その名はThe United Nation Investigation Organization、略してUNIO。国際調査機関。

 名目上は世界の軍事力均衡を図るため、突出した武器の製造や、それにつながる研究を抑止、または停止。

 武器の密売の摘発および、その組織の壊滅。

 その他、国際犯罪やテロ行為などの鎮圧を実行する国連の一組織である。だが、本当の目的は某三カ国の軍事拡散を恐れた各国がその抑止力のために構成させた機関だった。

 龍一はその組織に入ると瞬く間にその頭角を現し、たった二年で最年少第一級捜査官にまで上り詰めた。

 日本の警察の役職では警視長の階級と同等の権限を所持する。

 UNIOの階級制度は第三級捜査官補佐、第三級捜査官、第二級捜査官補佐、第二級捜査官、特殊第二級捜査官、第一級捜査官、特殊第一級捜査官、捜査次長、捜査長、捜査支部長、局長となる。

 支部長は日本を含む、韓国、インド、トルコ、エジプト、イタリア、フランス、スペイン、ドイツ、イギリス、メキシコ、ブラジルの世界十二強国にその役所を構えており、各国の外務省管轄の機密機関として、秘密裏に機能している。

 他にも多くの理由はあるが龍一がこの職業についたのは父親、龍貴の携わっていた研究企画が一時中断となったからだった。

 数年後1998年、米国で龍貴の研究Projectが再開されると、一時、捜査機関から離れ、父親の支援へと廻った。

 それから、三年後、才気あふれる好青年で、あらゆる事を未然に解決してしまうと言われた彼でも、防げなかった事件が起きてしまったのだ・・・、そして、彼は知らない。その事件が起こったその真実の意味を。


2001年3月20日、 火曜日

 突如、彼の父親が勤める研究所に襲来してきたPPM

(President Private Military=大統領私設軍)に応戦しつつも両親、龍貴と美鈴を喪ってしまった。

 彼はその研究所から大事な弟の藤原貴斗と、彼女である神宮寺麻里奈を国外に逃がすためにLAX(Los Angeles International Airport=ロサンジェルス国際空港)へと向かった。しかし、理由は鮮明で無いがPPMの追跡は執拗で大多数の人々が行き交う空港玄関だろうが、龍一達を仕留める為なら、迷わず拳銃を発砲していた。

 龍一は麻里奈との別れ際、大衆の前で熱烈な口付けを交わした後、駆けつけてきたUNIOの同僚と共にPPMへ反撃を開始した。ただ、一般が巻き込まれていると言うのに市州警やFBIが動く様子はどこにも無かった。

 銃撃の発砲音はロサンジェルス街の気候の乾いた遠くの空まで軽快に響き渡っていた。

 龍一は走りながら、銃把の底から空になった弾倉を抜き出し、仲間から投げ渡された新しいそれを飛来してくる方向を見ないでうまく掴み取ると直ぐに銃把の底に押し込め、遊底を一度引いてから、UNIOの構成員に発砲をし続けるPPMの兵士に狙いを定め、応戦をした。

「Ryu, down your body into the ground!!!(リュウ、伏せろっ!!)」

 龍一は同僚の早口の声に即座に反応し、身を地面に倒れこませつつ、弾丸が迫ってくる方向へ腕を向け、標的を狙う。

 彼の命中精度に声をかけた同僚が口笛を鳴らしながら、嬉しそうに驚いていた。

 PPMとの攻防は彼の弟や恋人が乗る旅客機が離陸する直前まで続いていた。そして、あっけない幕切れが訪れる瞬間でもあった。

 完全に弾薬の切れてしまった龍一は格闘術でPPMの応戦しつつも、身体的に限界が見えていた。

 相手の構える動きを見て、弾道の軌道を読みつつそれを躱す。

 そして、UNIOの捜査官達の誰もが次の瞬間を見て口にした。

「What’s? Ryu?…,….,…,Ryu?,…Ryu, are you kidding us? Are you joking? Don’t make me laugh! Ryuuuuuuuuuu(リュウ、嘘だろう、リュウ?笑えない冗談だぜっ!リュゥゥゥウウゥウウウウウウウ)」

 親友に近い同僚の一人がそう叫びながら、龍一の処へ駆け寄っていた。

 彼は避けたはずの弾丸の跳弾が首元に掠め、一瞬の隙が他のPPM兵から放たれた一筋の閃光の直撃を胸中へと受ける。

 彼が倒れると同時に噴出した鮮血がキャリフォルニアの強い陽射しで罅割れた道路へとゆっくりと広がって行った。

 ぜぇ~、ぜぇと弱々しい龍一の息は周囲の交通騒音に掻き消され、誰にも届かなかった。

 そして、その息さえも完全に無音となって逝く・・・。


2010年4月27日、 火曜日

 私は長い夢を見ていたような気がする。どのような夢か?

 うむ、再度それを語るのは、思い出すのは嫌であるし、億劫です。ですから、語りません。ただ、もし、それが現実として起こっていたことなら・・・、世界を滅亡させてしまいたい気分に成ってしまうかもしれません。

 我が愛しの弟の居ない世界など、その存在理由など許しはしませんから・・・。

 私は今どこに居るのかわかりませんが、Bedの上で寝ているようでした。

 目の覚める瞬間、私は夢の中の苦悶に眉間を寄せつつ、小さく、呻きながら視界を開けて居たようです。

 私の視線の先、天井に見える有り触れた白の空泡模様。

 意識が覚醒しつつある、鼻腔を刺激する薬品類の鋭い匂い。

 視線だけを動かし、私が居る周囲の状況を把握しようとすると、視線の先には白衣を着た女性が居た。

 ペンの裏を蟀谷辺りに当てながら、書面を眺めている。

 その彼女の出す雰囲気が女医だと思わせる。

 私が目を覚ました事に気がついたのでしょう。

 その彼女は私の方へ椅子を回転させ、向きやると目を細めていた。睨んでいる訳ではなさそうだ・・・。

 化粧の少な顔に、薄くRougeの塗られた唇。

 賢そうに見える細身の眼鏡の硝子向こう側に見える軽く釣りあがった目。その視線が、私を認識し、薄紅色の口唇が動き出した。

「やっとお目覚めかい、龍?随分と良く寝ていたものだな・・・。で、気分はどうなんだ?」

 その女医は何の淀みも無く私の愛称の一つを口にして問いかけてきた。

「寝起きに貴女の顔を拝むとは最悪です・・・」

「ちっ、よくいいやがる・・・。十二年ぶりの再会だと言うのに・・・」

 その女医は言いながら、私の頬を軽くつねっていた。・・・?

 十二年ぶり?私の幼馴染であり、医者を目指していた彼女と顔を合わせなくなったのは二十二歳以降の事です。

 今、私が二十五ですから、三年ぶりのはずですが・・・、何故、九年もの差が生じてしまうのでしょう・・・。

 ちなみに彼女の名前は鬼神光姫(おにかみ・みつき)。

 おにかみと言う姓は本当にあるのですよ、冗談でなしに。

 秋田県がその苗字の出本らしいし、本人もそこ出身です。

「ミツミツ、尋ねたい事があるのですけど、いいですか?処で現在を以ちまして、貴女は何歳になりました?」

「その名で呼ぶなっ、龍。しかも、女の年齢を聞くのはタブーと知っていて聞いているな?今、何時だとたずねるのが普通だろう?龍に隠すほどのモノではないが・・・」

「それは貴方の常識、私のそれでは無いですよ。私とミツミツの仲ではありませんか」

 私は彼女をからかうような表情でそのように返し、

「龍なんて、助からずにそのままあの世へ逝ってしまえば良かったのだ、まったく。それが世界のためでもある・・・、・・・、・・・。まあしょうがない、助かってしまったものは・・・、2010年4月27日の火曜日だ・・・。今ちょうど午前十一時をさしたな・・・」

 光姫は右腕の手のひら側に向けられている洒落た時計の文字盤を確認しながら、私にそう伝えてくれた。

「龍、驚かないんだな・・・」

 私は彼女のその言葉を聴きながら、冷静に今を判断しようとした。

「いくつか質問させてもらえないか?ミツミツ・・・、そっ、その様に睨んではいけませんよ、光姫。美人の素顔が台無しではありませんか」

「龍に褒められたって嬉しくもなんとも無い、で?何が聞きたいの?」

「ここはどこです?」

「病院」

「あのですねぇ・・・、正確に教えてください」

「それは教えられないな・・・、しかし、ここは日本じゃないことは確かだ」

「なら、私はどうして、生きているのです?ここを・・・、確か六発も打ち抜かれて、あの状況下では万に一つ助からなかったはずです」

「あの方・・・、詩帆さんの・・・、彼女の意志さ・・・。万に一つが無いなら、億に、兆に一つで助かったのだろう?なんせ、龍は悪運猛々しく高く、神に近い奴ってみんなが呼んでいた位だからさ・・・・・・、・・・、皆は龍を褒め称えている様だったが、私にとって龍は悪魔と同じだよ、まったく」

 彼女は言いながら私に背を向けて、そう様に言い切りました。

「光姫は本当に素直じゃないのですから・・・。はい、はいそのような目で見ない。私が悪かったですよ。で、その、光姫が言う彼女とは誰です?」

 確かに彼女は誰かの名前を告げたようですが、どうも今は聴覚だけが著しくなく、良く聞き取れませんでしたので再度、聞き返してみる事にしましょう。

 まあ、返ってくる答えは大方予想がついてしまいますが。

「それも教えられない」

 やれやれ、予想通りのお答え。私の期待を裏切ってくれない幼馴染です。まあ、いいでしょう。

 今は助かった事に感謝して、その事を深く追求する事は諦めましょう。

 もしも、私に関係することであれば、孰れその答えも分かるでしょうし・・・。

「それじゃ、最後に一つ。何故、九年もの間、私は眠っていたのでしょうか?」

「それこそ、私にはわからないよ・・・。私はあくまでも仕事の合間で、龍の経過観察をしてくれと頼まれただけだからな」

 幼馴染として付き合いが長かったからでしょうか・・・、彼女が私に隠し事をしているのが容易に理解出来てしまった。

 彼女は昔から、表情や態度が正直な方でしたし、私に嘘や隠し事はしなかったから、よほどの事であろうと勝手に解釈した私はそれ以上何も聞かない事にしたのです。

 それから彼女は私の意図を察したのでしょう最後に鼻で小さくため息を吐き、私の方へと向き直した。

「お願いしたい事があるのだが」

「却下・・・」

「まだ、内容を口にしていないのにその返答は余りにも酷いのでは~~~」

「それでも却下。龍が言いそうなことはわかるからな。どんなに否定したくとも、貴様と過ごした時間の長さと、幼馴染であると言う事実は変えられぬから・・・」

 光姫は眼鏡向こうの私に向けていました視線を別の所へと移し、少なからず照れて居るような表情で私にそう言ってくれますが、敢て、それを流す。

「麻里に連絡を取ってもらえないか?」と直球を投げてみます。

「何で、私が、あんな奴と会話をしなくちゃならない、絶対嫌だよ」

 露骨な態度で、拒否をする彼女ですが、私はそれを無視して、平然とした表情を見せる。

「そう言わないでくださいよ。麻里とは親友でしょう?」

「それは龍が勝手に思っているだけであろうがっ!」

「頼みますよ、みつみつぅ~~~。もし、あれから九年の歳月が経ってしまっているのなら、麻里の連絡先だって変ってしまっているかもしれませんし、ここがどこであるか私は知らないので彼女に説明も出来ません。彼女にとってすでに死んで居る事になっているかもしれない状況で私が伝えるよりも・・・」

 私と光姫が始めて出会ったのは小学校の一年生後半になった頃。しかも、日本ではありません。

 私と妹の翔子は貴斗が生まれるまで海外で生活していました。

 異国で巡り逢った光姫とは直ぐに離れる事になりましたが、私の帰国から遅れて一年。

 彼女もまた帰国し、偶然なのかそれとも意図されていた事なのか、私が通う小学校と同じ場所に転校して来たのです。しかも、今は私と恋仲である神宮寺麻里奈と共に。

 私より何年も前から友達だった光姫と麻里奈。

 本当に仲が宜しかったのですが、何時の頃からか、お互いがお互いを牽制しあっていると言うか、何と言いますか、事ある毎に度々、衝突するのですよ。

 そうかと言いまして、犬猿の中でもありませんし、二人で良く呑みに行く事もありますからね。まったく理解不能です。

 私が、あれこれ思っているうちに、光姫は嫌々した素振りで、受話器を握り締めるともしかして私の知らない新しくなった麻里の連絡先に掛け始めたようでした。

「麻里奈、私だ。久しぶりだな・・・、」

 光姫の掛けた電話に麻里が出たようで、それから去る事一時間・・・。

 会話は私の方まで届いて来なかったが嫌がっていた割には彼女の表情は楽しそうでした。

「すぐ、こっちに来るそうだ。直ぐとは言っても9時間近くはかかるだろうがな」

「そうですか・・・」

 楽しそうに話していた事に突っ込みを入れずそのように軽く受け流す。

「ふぅ、しかし、お腹がすきましたねぇ・・・。そうです光姫、十二時過ぎましたよ。お昼にしましょう。久しぶりに君の手作り料理を食べてみたいですね」

「龍っ、貴様。料理下手な事をしっている癖に私を馬鹿にして楽しむなっ!このミスターファイブスター。逆に龍が私の為に作りなさい。目覚めるまでずっと貴様を診てきたのだから、それくらいは当然であろう!!」

「ミスター・ファイブスターですか。その愛称を耳にするのは恥ずかしいですね・・・。って、私、目を覚ましたばかりでだるいのですし、面倒なので嫌です」

「なんて、身勝手な奴だっ!」

「この様な態度を見せるのはlovelyなミツミツの前だけですよ」

 私の言葉と同時に、それを耳にした光姫の鋭い鉄拳が眼前に迫っていたが、私はそれを笑いながら躱すのでした。

「ちっ、手間がかかる幼馴染だ、貴様と言う奴は。少し待っていろ。何か買ってくるから、其れまで大人しくして居ろよ」

 光姫は背を向け、白衣を捨てるように椅子の背に投げ飛ばすと衣文掛けに吊るされていた長紐のバッグを取り、足早に部屋から出て行った。

 私はそのような彼女の背中を眺めな、居なくなると現在を整理しようと双眼を瞼で覆い思考をめぐらし始めた。

 光姫、彼女は嘘をつける方ではありません。

 本当にあれから九年の歳月も経ってしまっていると思うと、俄かに信じがたいですが、受け容れるしかないのでしょう。

 現状から目を背けてしまうような精神的子供ではないつもりですから。

 私は六発もの弾丸が命中した心臓部と肺の部分に手を当てながら、瞼を下ろし、私の最後となったあの時の場面を思い返そうとしましたが・・・、詰まらないのでやめました。

 私は何かの意志によって、こうして生還したようですが父と母はあの状況下であっては無理でしょう。

 私は特に悲観的にも、哀愁も感じずに、私の中で両親は亡くなったのだと完結してしまう。しかし、さてさて、私の愛しの弟君の貴、貴斗は今どうして居るでしょう?

 日本に戻っていて詩織君と恋仲になっているのでしょうか?

 もっ、もっ、もしかして、既に甥か、姪かが生まれてしまっているのではと想像を膨らませてしまい、表情を極僅かな時間だけ緩めてしまって居る私です。

 それとも香澄君のほうですかね?

 二人ともとても可愛らしい女の子なのでどちらが貴斗のそれになっていたとしても満足だし・・・、ふふふっ、若しかすると貴、二人とも我が物にしてしまっているのでは、それはそれで面白いですが・・・。しかし、父、龍貴は貴斗と詩織君や香澄君がお付き合いする事を凄く嫌って居ました。

 貴斗をあの時、海外に連れて行ったのだってそうだし、今となっては故人になられてしまいましたし、実際に貴斗の心をRecoveryしてくださり、貴の笑顔を取り戻してくださった方なので悪くは言いたくありませんがゲオルグ氏の娘であるシフォニー君。

 彼女と結ばれてしまった時はこの世の終わりを感じてしまいましたよ。ですが、あれは明らかに父の策略。

 いくら周りから私が凄い男で何だって可能だと言われても、父には逆らえなかったのです・・・。

 私は藤原家の仕来りを軽んじて居ましたし、妹の翔子は詩織君、香澄君の両派だし、母の美鈴に至っては隼瀬家派でしたの香澄君を応援していました。ですから、父以外は皆、隼瀬家か、藤宮家のどちらかと結ばれることを望んでいた訳ですよ。

 はぁ、最愛の麻里にもそうですけど、早く貴に会いたい・・・。

 え?妹の方は、どうでもいいのですかと?そのような事、ありません。しかし、優先順位では麻里、貴、大学時代の親友、高校時代の親友、UNIOの同僚・・・、などなどで翔子は下から数えた方が早いでしょう。

 ええ、弁明に聴こえてしまうでしょうが、妹の事が嫌いと言う訳じゃありません。

 ですから、優先順位が下位である事が嫌いであると言うのと同等と思わないでください・・・。しかし、九年も経ってのこのこと出て行ったら貴、私の事を怒らないでしょうか?

 貴斗は私の事が好きなくせいに何故か良く反発しますので不安で一杯になってしまいそうです。

 立派に成長したでしょう彼女達にもお会いしたいし・・・、はあ、退屈。だが、まだ、私は知らない。

 現実がどれほど、私の思い描いている事と遠く離れた所に存在しているのか、

 九年間、三千二百八十五日、七万八千八百四十時間・・・、四百七十三万四百分・・・、計算するのが面倒ですここら辺にしておきましょう。

 私の存在を無視して進んでしまったこれほどの時間の流れの中で、大事なモノが喪われてしまっていたのかを、今、私は知らない・・・。

 私は弟や妹の様な存在の二人の事を考えながら、寝台の上で左右に何回も寝返りを打っていた。

 その動きをしながら、ふと、私は思いました。

 九年間も眠ったままのはずですのに、激しい運動は無理だろうし、日常生活に支障が無いか分かりませんが、結構痛みを感じますが感覚的に違和感無く、全身を動かせる事に驚いています。

 本来なら、と言いますか、私の保有する医学的知識ではまず今の状況はあり得ないでしょう・・・。

 どこかの大学の研究室を思わせる部屋の作り、ベッドは私が寝て居る診療用だと思わせるそれ一つだけ。

 周囲には医療機器と思われる物が多数。

 鍵の掛かった硝子窓の薬品棚。劇薬、毒薬類は中の見えない

『Handle with care!!(取扱注意)』と掛かれたLabelが貼り付けられた金属扉の中に仕舞われて居るようだ。

 幼馴染が出て行った扉は鈕を押して横に滑る様に開く半自動型。

 残念ながら、扉は透けて居ないので部屋の外へ続く道がどのようになっているのか窺い知る事は出来ない様です。

 私の見える範囲内では監視カメラのようなものは設置されて居ないので監視されている事は無いでしょう。

 そのような機械的な気配も感じませんし。私などを観察した所で面白い事など無いでしょうけど・・・。

 最後にカーテンの掛けられた窓枠。

 外界を遮蔽したモスグレー色のそれを眺めながら、光姫の帰りを待っていた。そして、ふと思いつく、そう言えば長い歳月も眠り続けていたと言うのにも拘らず、私の頭髪はあの頃と然して変りが無いようでした。

 彼女、光姫が切ってくれたのでしょうか・・・、surgical knifeとかで。

 心の中でつぶやきつつその様子を想像して見ました。

 不敵な笑みで、そのまま頭皮を切られて、脳とかを弄られそうな光景が見えてしまい一瞬青ざめる。

 まあ、脳外科らしい彼女ですが、実際そのような事はしないでしょうけど。

 特に意識はして居なかったのですがUNIOで培った感覚が扉向こうから此方へ進んでくる気配を捉えていた。

 距離が狭まるにつれて聞こえなかった足音も徐々に音の高さを上げて来ます。

 足音の特徴から光姫である事に間違いはありません。そして、静かに半自動扉が開く。

「ほら、かってきたぞ、我侭伯爵」

 彼女は感謝しろと言わんばかりの態度で言い、紙袋を両手で抱え、戻って呉れたようです。

「そんな愛称で呼ばれたためしは一度もありません」

「今呼んだ」

「そうですか・・・、別にミツミツの好きな様に呼んでくださってかまいませんけど」

 愛想と一緒に返すと、光姫は器用に袋を持ったまま、ミツミツと言う愛称で呼ばないで欲しいと彼女の肘で私の頭を軽く叩くような態度をとりました。

 それから、彼女は『まあいい』と言う風な感じに溜息を吐きますと、紙袋を私の膝の上に乗せ、中から食事を取り出してくれた。

「良い匂いですね」

「当たり前だ、自分で作れない分美味しい店を探す能力は身につけたつもりだからな」

 彼女が取り出してくれた物、それがどこの国の食べ物であるか私は知っていた。

 紙包鶏。今、私が居る国は初めて光姫に逢った場所と一緒なのかもしれません。

 彼女は袋から取り出して呉れただけでなく、油であがった包み紙を剥いてくれ、中の香ばしい鶏肉を見せると、私の口元へ、運んでくれていた。

「ほら、くえよ・・・」

「やさしいですね。光姫は・・・」

「ばっ、馬鹿いきなり何を言い出すんだ、龍・・・」

 とても三十路を越した女性とは思えないほどの初々しい、反応。

 彼女は頬を紅くすると、外方を向いてしまいました。ですが、彼女の手は私の口元の位置で固定されている。私はそれを齧り、味を確かめる・・・。とても懐かしい味がしました。

「どうだ、味の方は」

 光姫は顔を背けたまま、私に返答を求めていました。ですから、率直に答えました。

「美味しいですよ。それととても懐かしい味がします」

「そうか・・・、ほら、残りは自分の手にとって食べろ。私がしてやるのは一回までだ・・・」

「つれないですね・・・」

「ばっ、ばかいえ、こんな事を麻里奈に知られでもしたら、私は彼女に顔向け出来ないではないか・・・」

「どうしてですか・・・」

 光姫の言いの意味が理解できなく、聞き返すが、彼女は残りのチーパオカイを押し付けると、彼女もまた袋から、一つ取り出して、それを食べ始めたのでした。

「龍、何時か、これよりも美味しいチーパオカイを作って私に食べさせろ」

「はいはい、気が向いたら作って差し上げましょう。今日のお礼に・・・」

 光姫はチーパオカイを飲み込んだ後、嬉しそうな表情で返したくださいます。

「ああ、大いに期待しているからな・・・」と。

 約束はしましたから、調子が戻り、社会復帰したらその時にでも御礼をしましょう。

 紙包鶏以外は、肉骨茶と長粒種米をパスタのように茹でたご飯でした。紙包鶏以外も私の知っている料理。やはり、ここは私が七歳くらいまで住んで居た国なのでしょう・・・。しかし、何故。

 昼食をとり終えると、光姫は私に三錠の薬と水を出す。

「これを飲め。龍が起きたら、これを飲ませてくれと頼まれている。拒否は認められないからな、命令だ」

「その薬が、毒物であっても拒否は出来ないのですか」

「それはありえん、安心しろ。むしろ、お前を生かすための薬とでも言っておこう。まあ、知識が無駄に多い貴様に言うまでも無いが、薬と言うのは元々は毒と一緒だぞ」

「そうですけどね・・・、・・・、・・・、分かりました。光姫を信用していますから、これ以上は聞かないであげましょう」

「なんだ、まったくその横柄な態度は」

「偽りの無い私本人を見られるのですから、ありがたく思ってください」

「まったく、唯我独尊な奴目」

「誰が、自己中ですか。違いますよ、私中心ではなく貴斗を中心に、私が世界を回しているのです、フフ」

 私が弟の名を声に出すと、何故か、彼女は突然、背を向けて、窓際に向かってしまった。

「どうかしましたか?」

「いやな・・・、お前のブラコン馬鹿につける薬は無いと思ったまでだ・・・」

 光姫の喋り方に違和感を覚えつつも、

「ええ、事実ですから否定はしません」

「ああ、もう、お前のその馬鹿は分かったから、薬を飲んで呉れよ」

 私はその勧められた薬を舌に乗せると水で一気に胃の中へと流し込みました。

 それから、直ぐもしない内に、昼食を摂ったためでしょう眠気を催し、それに逆らわず、堕ちる事にします。

「ふぅ、眠ったか・・・、寝顔はこんなに純粋で可愛いのにな・・・」

 光姫は龍一を眺め、彼の頬に手を当て撫でる、優しい瞳で彼を眺めながら。

 その目が通常に戻ると、寝入ってしまっている彼へ、測定医療器具の電極などを取り付け、何かを調べ始めた。

 PA- PET(PortAble Positron Emission Tomography=簡易陽電子放出撮影方)による頭部から腹部までの断層映像確認、Ⅹ線による心肺部の確認、脳波計測器、心電図や血圧計から得られる情報を光姫は真剣な表情で読み取り、何度も確認し、整理し、それをPCで纏め上げて行く。

「覚醒まで九年の時間を要したが会話中の仕草や現在、確認出来る機器での後遺症も無く、アダムによる臓器提供移植の異変も確認できない。被験者No.0078、藤原龍一、以後は生活環境下での順応観察に移行する。やはり今回も、他の報告書にも掲載されていたことだが、ADAMの技術恩恵から様々な処置を受けた被験体は長期睡眠中に意識を夢と言う形態で共有する現象」

「それが彼にも該当しているようだ。例外は献体No.Zeroから角膜移植を受けた被験体No.0001のKHのみである。この様な現象が発現する理由はいまだ分からず、今後もその原因解析のための研究は必要かと思われる」

「理由としては集団社会を形成するには意識の共有も必要かと思われるがやはり、個々の意識を共有してしまうことは個人の存在否定につながるゆえ、ADAM技術が本格的に一般に流すことの出来る域まで達したとしても、その様な事情を受ける側が知れば流通に歯止めが掛かると考えるからである。最後に推測の域ではあるが長期睡眠時に置ける意識の共有、それはある種の精神感応、Telepathyの類と似たような物かもしれない事を追記して置く」

 彼女は纏め上げた事を言葉に出しながら、打ち込んだ報告書を、何処かへと転送させていた。

 光姫はそれが終わると、彼女の担当する何かの研究を神宮寺麻里奈の到着まで続けていた。

 光姫から頂いた薬を飲んでから、どのくらい寝ていたのでしょう。

 私の意識が再び覚醒を促す。

 ふぅ、やはり私はどのよう奇跡が起きたのか現座知る由もありませんが、私、藤原龍一が生きている事は確かなようです。

 私は双眸の上に左手を当て、小さく呻きながら、起き上がろうとしました。

 それと同時に私に突進してくる影あり。

 私は起きられず、また寝台の上に伏せてしまいました。

「りゅぅっ、龍、ほんとに、本当に生きていたのねっ!」

 聞き覚えのある、いいえ、忘れてはいけない彼女の声。

 最初は片目だけを薄っすらと開け、声の主を確かめてから、しっかりと両眼に降りていた瞼を上げていました。

 九年前と変らない年が過ぎた事を感じさせない彼女の顔。

 彼女の顔は涙で塗れていた。しかし、それでは悲しみではなく、嬉しさの方で、です。

「麻里、驚かないのですね。私が生きていたことに・・・」

「おどろいたわよ・・・、驚いたわよ、ミツキから連絡を受けたときは。でも・・・、でも、こうやって私の前に居る龍一の存在が嘘じゃないって理解出来たから、今は嬉しくてしょうがないもの、驚いてなんて居られないわ。それに・・・、ミツキが私に嘘つく事なんて無いもの」

 麻里奈が潤んだ目で私を見つめていました。彼女のその瞳はキスをして、私の存在を確かめたい、と言う意志を含んでいるようです。

 ですから、私はそれに答えるように、彼女の頬に手を沿え、徐々に彼女の唇へ、私のそれを近づけて行きました・・・、しかし、望んでいたはずの彼女の口唇は遠ざかって行くのです。

「バカジン、私が居る前で、そんな事を許すわけが無い」

 遠ざかった理由は光姫が麻里奈のEscargot-Chignon-Hairの団子の部分を鷲掴みにして、彼女、光姫の方へ引っ張ったからのようでした。

 ああ、それと、『バカジン=馬鹿神』とはお馬鹿な神宮寺の略でして、光姫が麻里奈に対して怒っている時に口にする言葉です。

 無論、麻里奈が喧嘩口調の時に光姫に言う罵りがありまして、『アホガミ=阿保神』です。

 私は起き上がり、腕を組むと、微笑んだ表情で二人の成り行きを観察し始めました。

「いやぁあん、もぉ、ミッキー、良いじゃない、キスぐらい。だって、龍々は私の彼氏なんだから、どこでキスしたって良いじゃないのっ@!」

「うるさい、バカ神。私が知らせて遣らなければ、一生会えなかったのだぞ。少しくらいは私の気持ちも考えてもらいたいものだな」

「うっ、痛い所を突くわね・・・、まあ、いいわ」

「あれ、もう終わりですか?あっさり引くとは麻里らしくありませんよ」

「龍、死に急ぎたいか」

「ご冗談を、何をそのような鋭い目で私を見るのです、光姫・・・。

さて、麻里奈もきて下さったことだし・・・」

 これ以上、ご婦人二人を刺激すると、後が怖いので話しを先に進める事にしましょう。

 ここへ彼女に来て頂いたのは会いたかったのも勿論ですが、妹の翔子と取り付いてもらいたかったからです。

 光姫に頼めなかった理由は、妹と彼女がひどく不仲だからです・・・、と言うのは冗談でして、麻里奈に連絡を入れて貰った序でに妹もお願いしたのですが、そちらの方は完全拒否されて取り付く島もありませんでした。

「連絡してあげても良いけど、来てくれないわよ、多分・・・」

「何故、です?」

「うぅ、それは・・・、えっと、日本とここの時差は一時間だけど・・・、向こうはもう夜中。連絡は明日にしましょ・・・。でもメールくらいは打って置くわね」

 麻里奈はその様に口に出すと、携帯電話を取り出してそれをはじめたのでした。

 彼女のその仕草をじっと黙って見ていたのですが、麻里奈の持っている携帯電話の形状を見て、技術の進歩の速さに内心驚いてしまいました。

「とりあえず、送っておいたわ。ふぅ、仕事が終わったタイミングで、ミッキーが電話くれたから、もうくたくたよ。時間も時間だし」

 その様に麻里奈は言いながら、私が居る寝台に腰を下ろして、足を乗せようとした瞬間、彼女の体が遠ざかる。

「あほがみぃっ!何するのよ、疲れているんだから寝させてくれたって良いじゃないっ!」

 今度は麻里奈が胸にぶら下げているCameoの紐を光姫が引っ張っていたのです。

「貴様の寝床はここじゃない」といい、引き摺る様に扉の方へと向かって行き部屋を出ようとしていた。

「りゅうっ!何かミッキーにいってよぉ」

「二人とも、お休みなさい」

「ああ、お休み、龍」

「なによそれぇ、うわぁあ~~~、龍の莫迦へたれぇー」

 いい大人の情け無い事を言う遠ざかる麻里奈へ、私はにこやかな笑みを向け、手を振っていた。

 長い会話をしたつもりはありませんが麻里奈の性格も相変わらず、変りませんでしたので安心しました。

 麻里奈にとって私が死んだ事になって、随分と経っているはずなのに、彼女は気持ちが私に向いていた事に感謝しつつも、後悔もしてしまいました。

 今はこうしてちゃんと生きていることが証明されてしまいましたから、若しもという仮定は意味を成さないのですが、私が実際に彼の世に渡っていて、麻里奈程の素晴らしい女性が生涯、私以外の男性に見向きもしないままに一生を迎えてしまったのなら、それ程残念なことはなですし、私が彼女の足枷になってしまった事を悔やんで、悔やんで死んでも死に切れず、地縛霊として甦ってしまいそうですよ、本当に。

 ですが、事実は小説より奇なりで、九年間の歳月を隔ててしまいましたが私はこの様にして、この世界に今も存在しているようです・・・、

 光姫の話しによると、私が何らかの手術を受ける前もしっかりと生体反応は有ったらしいです。

 さて、麻里奈は翔子にMailを入れてくれたようですが、果たして妹はここへ来てくださるのでしょうか・・・。

「ふわぁあああ~~~」

 私は起こしていた上半身の腕を上に上げ、屈伸しながら欠伸を掻き、そのまま寝台へと倒れこみ、目を瞼で覆い、世界から視界を切り離し、闇に落ちる事にしました。


2010年4月28日、 水曜日


 麻里奈、光姫と三人で朝食を摂りながら、私が不在だった間の世界情勢を麻里奈から聞き出していた。

 その話しが終わると、彼女に私の家族の事・・・、特に貴斗の事を訪ねたのです。

 私と弟が最後に居たLAXから後の話しを・・・。

 麻里奈は事象列に事細かく、語ってくれる。

 貴斗が、日本帰国後三年間記憶喪失だったこと。

 かなり前途多難でした様ですが詩織君と恋仲になっていてくれた事。

 同級生の交通事故を引き金に記憶喪失の為かもう一人の幼馴染でした香澄君と仲が悪くなってしまった事。親友に恵まれた事。

 親友の一人は柏木宏之君と言う方でした。

 その名に聞き覚えがあり、麻里奈に尋ねると案の定、母、美鈴の妹であり、私の叔母である美奈さんの息子、所謂、私の従弟です。

 もう一人は、麻里奈曰く、貴斗の心の友とも言うべき男の子だったとか・・・、名は八神慎治君と言いまして、聞き覚えのある名前なのですが・・・。

 記憶に相当自身がある私でしたが、いくら思い返しても、思い出せないので、麻里奈や、光姫に尋ねる。

「私は会話に出しているとおり、何度も会っているから知っているのは理解出来たのよね?でもね、私と龍が会う以前の事は知らないけど、以降、私と最後に分かれたLAXで別れるまでの間に彼の名前を聞いた事はない筈よ、私の記憶が正しければ」

「・・・、・・・、・・・、それは貴様の勘違い、既視感であろう?」

 ただ、光姫の方の答えが出るまで若干の間があったのはなぜでしょうか・・・。

 それからも麻里奈の貴斗談は続き、私の表情は終始にこやかなままでしたが、心境では一喜一憂しながら、聞いていました。

 ここから飛び出して、早く、成長した貴斗に会いたいと思わせるほど、彼女の語る内容は興味を持たずには居られない内容でした。

 私の夢は最後、最悪な形で結末を迎えてしまいましたが、私が見ていた夢と余りにも内容が近すぎましたせいもあります。

 夢の中で死んでいる私はどのような理由か知りませんけど、その夢の中の危篤状態の貴斗に逢っていたと言う不可思議な現象。

 その様な事よりも、私は麻里奈の会話で、記憶喪失中の貴斗が笑顔を見せるような事が稀になってしまったと言う事を耳にして、正直、驚きました、あくまでも内心で。表情には出しません。

 私に笑う事を教えてくれた貴斗がそれを忘れてしまうなどと、悲しすぎます。

 渡米後、一時期メンタルストレスで内向的になり失語症に陥ったときでも、無理してでも笑顔を作っていたという事実がありました。

 それなのに、記憶を喪う事は人格まで変えてしまうほどの辛い物なのかと考えてしまいます。しかし、それを乗り越えられない、弟ではないはず。

 何せ、あの幼馴染二人が居て・・・、そうでしたね、麻里奈の話しでは詩織君が支えとなっているのでした。なら、尚更、立ち直れないはず無い。

 ああ、早く、貴斗に会いたいと馳せる気持ちの私へ、麻里奈が、

「でも・・・、貴斗君はもう・・・、・・・、・・・、この世には居ないわ・・・。居ないの・・・。私達の年下の幼馴染たち、彼女等も同様にね・・・」

 私はその言葉に耳を疑いました。

 一瞬、砕けてしまうのではと言うほど力強く奥歯を噛み締めても居ました。しかし、私の表情は笑ったままです。

「どうして、そんな顔していられるの?可笑しいじゃないっ!私は今この事を龍に伝えるだけでも、どれだけ悲しくて、辛くて泣いちゃいそうなのに・・・、うぅぅう」

 麻里奈は本当に小さく嗚咽し始めた。

「泣いて、悲しんで、死んだものが、生き返るのなら、私もそうしましょう。しかし、その様な事はけして起きない世界です。ですから、私はただ、その事実を受け入れるだけですよ・・・」

 麻里奈に向かって、にこやかなまま、淀みなくそう言っているものの、私の心は・・・。

「お前の怒った顔や悲しむ顔など、今まで一度も見た事がないが、龍が今の話しを聞いて、その表情のままで居られるというのは私もどうかと思うぞ・・・。まあ、お前なら、死んでしまった、貴君を復活させるぐらいの力はあってもおかしくはないがね・・・」

 光姫の今の言葉に笑顔のまま、僅かな間ですが眼光だけは鋭く彼女を睨んでしまいました。

 光姫は私のその視線に気付き、顔を少しだけ逸らし、失言をしてしまったと、その様な表情を作るのです。

 その様な彼女の表情の変化を伺いながら、私は双眸の凄みを消し、無表情のまま言葉を続けます。

「人も含めたすべての生命は、儚くも有限であるから尊いのです。私は神々や彼の世などを信じる気には到底なれませんが、魂の存在と輪廻転生はそれなりに信じています。喪った人を生き返らせるなどと、それは安息の中で眠り逝く魂に対する冒涜です。ですから・・・、またいずれ、貴斗と巡り合える時を、その未来を望み待つだけです・・・・・・、・・・・・、それに私が悲しまなくても、私の分まで、麻里奈や光姫が、貴斗達に関係する方々がそうしてくれた事で十分です・・・」

 私が言葉をやめると、三十分くらい沈黙が続いた様にも思えましたが、実際は一分も過ぎて居ません。

 気不味い雰囲気が今居る空間を覆う。

 現時刻は10時48分・・・。

『・・・』ほぼ無音に近いこの部屋の半自動扉が開く。

 そこから現れた人物は、私に気が付くと、にこやかご対面とその様な風ではなく、私を睨んでいた。

 相当、憤慨しているような気魄が私の方まで伝わってくる。

 その人物は怒り吊り上った肩で私の方へ歩み寄ってくる。

「龍一おにいさまっ!」

 凄みの篭った言葉と一緒に渾身の平手打ちを私へと向けてくれたのでした。

 避けられなくはないのですが、甘んじてそれを頂きます。

 表情も痛がりもせず、へらへらとにこやかな表情のまま。

 私の変化のない顔付きに、ここへ訪れてくれた妹、翔子の目が更に強く憤りの色を見せて居ます。その表情もまた愛らしい・・・。

「お兄様っ!わたくしが此方へ参ります前に、麻里奈お姉さまからっ、いろいろとお聞きしていると思いになります。今も虎次郎叔父様も、美鳳叔母様も行方不明のまま。グループ内の各機関を支える役員不足でとても大変な時期でもありますのに・・・。ですのに・・・、そうですのに、どうしてその様な顔で居られるのですかっ!それに・・・、・・・、・・・、貴斗ちゃんが・・・、貴斗ちゃんが・・・、うぅうぅ、うくっ、」

 麻里奈同様、私の妹は嗚咽し始めてしまいましたが、私は翔子にこう答えました。

「先ほど、二人にも言いましたが、泣いて、喚いて、悲しんで、喪われたものが戻ってくれるなら、私もそうしましょう。ですが、現実はそうではありません。その様な故、泣いたりはしません、私は。寧ろ、笑顔で死者をお見送りする方が、逝く者達も、安心して逝けるのではと、思いますが・・・。藤原グループの指導者や人材不足なら、いくらでもグループで経営する各学校法人から優秀な者達を選抜して雇用すれば良いでしょうに」と。

 両手で泣き顔を覆い隠したまま、妹は私へ、

「聖稜学園や海星高校は我が企業の人材育成の為に設けた教育機関ではありません事、龍一お兄様も良くご存知でしょう?多くの子供達が平等に学び、個々の才を育ませ、より多くの未来への可能性を見つけて頂くために設立された場所ですっ!どれほど、今、グループ内の経営が厳しくとも、それを理由に、好条件でご勧誘したり、優秀な生徒を強制的に雇用したりなど、言語道断ですわ」

「その様な考えはとても甘いです。いいですか、翔子。上に立つものはその様な綺麗ごと等を言ってはおられぬのです。表も裏も、黒い考えも含めて、すべて包括しその責任を負い、立ち回れる用でなければ、人の上に立つ資格などありはしません。綺麗ごとのみでは世の中、廻りはしませんから・・・」

「その立場に立ってくださらない、お兄様が何をおっしゃるのですかっ!わたくしがどれほど今大変でありますのか知りもしませんでっ!・・・、・・・、・・・どうして、お兄様なのです・・・、どうして・・・。助かるなら龍一お兄様ではなく貴斗ちゃんの方がどれほど・・・」

 妹翔子は私にとても失礼な事を述べますが・・・、出来れば、私などが、助かるよりも、よほど、貴斗が存在してくれた方が喜ばしいことでしたか。

 ですが、現実は辛くも、厳しくも、残酷で私が生存し、弟が喪失した事実は変え様の無いものです。

 それをはっきりと妹へ認識させて上げましょう、今ここに生きている私の言葉で。

「翔子、この現実を受け入れなさい。私が無事で、貴斗が・・・。

どれほど願っても、望んでも、戻らないものは戻らない、変えられぬものは変えられないのですから」

 私のそれを耳にした、翔子は泣き顔のまま、へらへら顔のままの私をきつく睨み返し、

「お兄様は、そうやっていつも言うだけです。才能がありながら、本来お兄様がお熟しにならなければいけませんことから、逃げてばかり・・・。家督をお継ぎするつもりがありませんなら、今後、一切、洸大お爺様やわたくし、藤原家の者に用をお取次ぎする事を控えてくださいっ、いいえ、控えるのではなく、おやめしていただきますっ!」

 翔子は吐き捨てるように怒鳴り散らすと、来た時と同じように肩肘を張った状態で出て行ってしまった。

 翔子の言葉どおり、私には多くの才能があるかも知れません。しかし、人格に欠落を見せる私は人としては不完全。

 ですから、人々の上に立つような人物としては相応しくありません。どちらかと言いますと、私は裏で色々と企てる役割が相応し居でしょう。

 ですから、それよりも私と比べれば秘めた才能は遥かに上で、人を見る目のある貴斗、家督は弟に就かせたかった。

 それは父龍貴も、祖父の洸大も望んでいたことです。そして、私は弟の裏で支える事が私の将来の望みでした。しかし、それはもう見る事の出来ない夢。

 翔子の去って行った方角を見ながら、

「怒ることしか出来ないなら、別に来ていただかなくても良かったのですが・・・」

 妹の本心を読めなかった私はその様に言葉にしてしまう。

「翔子ちゃんを呼んでおいて、それは酷いんじゃないの、龍。終始、怒りっぱなしだったけど、心配して来てくれたのに、あんまりだわ、まったく」

「まったく、その様には見えませんでしたが」

 麻里奈は私の返答に困った表情を作り、光姫も似た様な表情を浮かべながら。

「空路片道八時間、それから車で一時間ちょっと掛かるのだぞ、この場所まで。心配でなくては、連絡後、すぐにこの様な遠地まで来る訳がなかろうに。今、翔子君は会長代理を務め、相当忙しいはず。まったく、お前も難儀な奴だ。龍、お前が危険なほどにブラコンなのは分かるが、翔子君のこともちったぁ、考えてやれよ」と私へ諭す言葉を投げたのでした。

 私は光姫の言葉に鼻で溜息を吐いてみせる。

 私の内面を他人に聞かせるのは本来、望みませんが、私がどうして、弟の貴斗に入れ込んでしまうのか語っておきましょう、翔子も私同様の傾向を見せるその事も含めて・・・。

 一般の赤子は生誕から、言葉をしゃべれる様になるまで、自身の意思表示の手段は泣く事しかありません。ですが、私は一声も泣き声をあげた事がないようでした。

 三歳以前の記憶などまったく思い出せませんので、確証のある事ではありませんが、生後、半年で言葉をしゃべり、一年未満で二足歩行したそうです。

 三歳くらいになると平気で箸を扱えるような程、手先が器用だったそうです。

 五歳くらいからは記憶がはっきりしていて一度、耳にした事のある音楽を間違わずに演奏できました。

 ただし、ギターやベースなどの弦楽器は扱えませんでしたが、それらで奏でられる音楽をヴァイオリンで代用し奏でた事もあります。

 七歳の頃、日本に帰国した後に我が家の向かいの先祖代々の縁ある藤宮家その主である律が私の才能に凄さを感じ、彼の元で音楽を学んで見ないでしょうかと誘われました。

 他に、興味のある事、格闘技や球技、機械類を分解してその機能を解析し元に戻す事等をやりつつも、彼の元で楽器を奏でる技術を磨き始めました。

 この様な話しだとただの自慢話に聞こえてしまうでしょう・・・。しかし、私には人としての心が欠落していました。

 喜怒哀楽そのどれもがなく、いつも無表情とでも言うのでしょうか、常に無愛想な顔。

 まるで、あらゆる物事を正確に繰り返しこなすだけの機械。

 私は自分の才能を鼻に掛けていたつもりはありません、感情が無いのですから、ただ、指示されたとおりに奏でるだけです。

 表に出す感情などありはしませんでしたが、心の中で私の才能に誰も付いてこられない、妬み疎んでいる。

 相手が表面上で私の友達を装ってくれていましても心の中では私の事は嫌いなのだ。

 その様に思ってしまっていたのです、まだ精神的に成長段階にある小学生の頃だというのに・・・。ですから、私は自分の才能を伸ばすことばかりだけに励み、回りの人々を蔑ろにしてしまっていました。そして、中学に上った頃に私は気が付いてしまったのです。

 孤独を、私と言う存在の寂しさを。

 親族以外、周囲の視線が私に向けられていないことを。

 妹だった翔子も、弟の貴斗の事も、目に入って居ませんでした。

 弟にあの言葉を聞かされるまでは・・・。

 翔子は努力家で才能も人並み以上にあり、気立ても良好でありましたが、周囲から人格的には欠落しているにしろ私と比較され、幼少から既にかなり心をすり減らされてしまっていたのです。

 私の心も、妹の心も救ってくれたのは最愛の弟、貴斗。しかし、そうなる前まで、私は貴斗に非情に惨い事をしてしまっていた。

 例を上げるならば、あれはまだ、弟が四足で歩いている頃でしたから、私は八歳、貴斗は一歳になった頃でしょう。

 貴斗は動くことが大好きで、広い家宅を縦横無尽に歩き回る事が日課の様な物でした。

 無邪気で活発な、弟。

 私以外の方々は貴斗の行動や仕草に魅了させられずには居られなかったその様な赤子でした。

 その頃は叔母も叔父も、そのご息女も、ご子息も、多くの家政婦たちも居たのですが、一家総出で姿をくらました弟を探すと言う事件が何回と起きました。

 それは母が自宅での練習のためにと買ってくれましたGrand-pianoで自創曲を弾いているときでした。

 その様に歩き回ることが大好きな貴斗がPianoの下に廻りこみ、Pedalを踏んで動かしている私の足を見て、頭を上下さしたり、動く私の足に触れたりして嬉しそうに独り騒いでいました。

 何度か弟が私の足に触れているうちに、私は誤ってPedalから踏み外した足で貴斗を蹴り飛ばしてしまったのです。

 私は謝罪の念も沸かず、蹴られて転がる弟をじっと見ていました。

 多分、普通の赤子なら、泣き喚くでしょうが・・・、流石私の弟、転がることが嬉しかった様で、再び体をばたつかせるように転が独りではしゃいで居ました。

 その様な弟の姿を見て私は立ち上がり、貴斗へSoccer Ballを扱う様に、転がして、遊び始めたのです。

 貴斗は泣くどころか余計に喜び、騒ぎ始めたのです。

 弟が寝屋から居なくなって家内の者達が探している事など知らない私。

 貴斗を探している中に妹翔子も居て、私が弟を足蹴にして遊んでいる所を、発見されてしまいました。

「おにいさまっ!いったい、貴斗ちゃんになにをなさっているのですかっ!酷い」

「みてわからないの?これ、よろこんでいるじゃん」と弟を物扱いにする私。

「最低ですっ、お兄様っ、ひとでなしっ!!」

 この時、初めて妹が私に平手を浴びせてくれた瞬間です。それから、妹は罵声を私に浴びせながら、貴斗を抱きかかえ、行ってしまう。

 他には、そうあれは私が十歳、貴斗が三歳の頃でしたか?家族と向かいの親類、藤宮家と隼瀬家でプールに出かけたときです。

 この頃から藤宮詩織君は水泳教室へ通い始めていたので、この様な遊び場に来ても、努力家の彼女は競泳用の場所で練習のために一人泳いでいました。

 まだ、泳ぐことの出来ない私の弟はそのプールの淵にしゃがみ込み、彼女の泳ぐ姿を物珍しそうな目で追いながら足を入れるのでなく、手を水の中に入れ、水をかき回して遊んでいました。

 私を含めない家族等は、二人が行方不明と勘違いし、場内を探し始めます。私は親達が貴斗や詩織君を捜していることなど知りませんで、独り施設内を転々と遊びながら移動していました。

 私がその状況の中、弟と彼女を最初に見つけてしまうのです。

 で、私がそこで何をしたかと言いますと、プールサイド水と戯れている弟の背中を押すように軽く蹴り飛ばし、水の中に放り込んでしまったのです。

 監視員も怠けているし、人気も少なかったので誰も私の行動に気付く方は居ません。

 両手両足をばたつかせ、浮き沈みを繰り返す、弟を観察し始める私。

 詩織君は泳ぎの練習をする事に一生懸命で貴斗が今どの様な目に遭っているのか気付いていないようでした。

 貴斗の顔が水面に出ている間隔より、沈んでいる時間の方が長くなり始めても、私は手を差し伸べる様な行動はしなかったのです。ただずっと観察しているだけでした。

 弟は体をばたつかせていたため、元の位置からだいぶ離れた処に流されて居ます。

 この様な場にまた、妹の翔子が現れ、貴斗の事が目に入ると、走り出し、私の脇から水の中へ飛び込もうとやってまいりました。

 私の足が、翔子の走る線上に軽く動く。

 足を引っ掛けて飛び込み失敗をさせると言う算段です。しかし、賢い妹はその罠に掛からず、器用に私の足を踏んづけますと、綺麗な飛び込み姿で、入水しました。

 両手の指折りで秒を数えるよりも早く、弟の所へ、辿り着く、妹。

 翔子は貴斗を抱えながら器用に、此方まで戻ってくると、先に弟を水に上げ、彼女も私を見据えながら、私の前に立つのでした。

 私は視線を貴斗の方へ向けると無邪気に体の水を振るい落としていました。

 まったく持って元気のようです。

「龍一お兄様、いったいどの様な理由で、貴斗ちゃんにこのような仕打ちをおしになったのっ!」

「お前、まだ、小学生だろう?なにおしゃま言葉遣いしてんだよ。みりゃ、分かるだろう、泳ぐ特訓だよ、特訓、水に慣れるための荒治療って奴。ほら、これみろよ、ぜんぜん、苦しがってないじゃん」

「その様な問題じゃありませんっ!本当に最低ですっ!お兄様は貴斗ちゃんを何だと思って居るのですかっ!!」

 妹はその言葉と一緒に私の背中へ渾身の平手打ちを浴びせ、私を水の中へと押し倒してくださいました。

 頭から水に潜ってしまい中から出て、翔子の方を向いたときには蔑みの視線を私に向け、弟を抱きかかえた妹の姿があったのです。

 翔子に水の中へ投げ飛ばされたことも、蔑みの目で見られましたことも特に気にせず、無表情のまま、妹を見返すと、膨れた顔を見せてから、私の場所から立ち去って行くのでした。

 それから、後の事で、私が貴斗を水に慣れさせた事が功を奏したのかは定かではありませんが、五歳くらいになると水泳教室に通わなくとも、そこの上級生並みに泳げる様になって居ましたし、何より体格が、とても五歳とは思えぬほど成長もしていました。

 私は気が付いていませんでしたが、どの様なときでも弟の視線は私に向いていました。

 仮令、妹の翔子と遊んでいるときも私が近くに居ると、弟はずっと私の行動を目で追っているようでした、どのような理由であったか、後に分かることですが。そして、私と貴斗、翔子の関係の転機が訪れました。

 私が十三歳、翔子が十一歳で、貴斗が六歳のときです。

 小学一年生なりたての頃、誰から見ても貴斗の出で立ちは上級生を思わせる様な姿でしたし、心の出来は兄弟の中で一番優れていたのかもしれません・・・。

 私は妹の心理状態など理解しようともして居ませんでしたのでどのような理由で習い事など同じ物を選んでいたのか知りませんが、あれは夏の演奏会の時でした。

 参加年齢は最年少が詩織君で、年長は音大の方で、卒業後は音楽の都Viennaへ留学しないかと学会の著名人に誘われているような女性の方でした。

 会場には私の両親や親戚筋、私の師の律と、翔子の師の詩音、更に隼瀬家の方々などがお見えになっていました。無論、弟の貴斗も観得て居ます。

 結果から述べてしまうとピアノ部門では音大の方を差し置きまして、私が最優秀で妹が優秀賞を頂いていました。

 詩織君はなんと、六歳にして、ヴァイオリン部門の優秀賞を頂いていました。

 私も彼女の才能に一目置いても居ましたし、そのまま続ければ高校にあがる頃には彼女の名が馳せるのではと思わせるほどにです。

 その演奏会の終わった後の事です。

 私は最優秀を頂いたのにも拘わらず、何の喜びも沸きあがる事はありませんでした。

 出来て当然、誰も褒めてくれない。

 あの私に向けられていた喝采の中どれだけの方々が本当に私の演奏に感銘を持ってくださったのか疑問に思う。

 拍手をしてくださる方々を視線で見回し、心の中で、重い溜息を付き、これだけ周りに人が居ると言うのに何故か孤独を感じていました。

 それからいつもの無愛想な顔でロビーの自動販売機で何を買うか選んでいたところ、会場へご視聴しに参られた方々が、口ぐちにする言葉。

「あの、藤原ご兄妹の演奏すごかったですねぇ。とても少年少女とは思えない才能ですよ。流石はあの藤宮夫妻が認めただけの事はある」

「兄の方、藤原龍一くんでしたか?演奏は誰が聞いても納得するものでしょう。しかし、妹の方はその兄と比較してしまうと霞んでしまいますよ。兄の方も演奏はすごいかもしれませんが・・・、あくまでもその弾く技術が高いだけで、音楽と言うものを理解しているとは到底思えませんが・・・、音楽は感性、ここ、魂で奏でるものだと私は思います」

 私の視線の対角線上の曲がり角に妹の姿が半分より少ないくらい見えていました。

 翔子はその会話を耳にしてしまったのだろう。

私には見えませんでしたが、妹は下唇を噛み締め、下衣装の襞の部分を掴みますと半泣き状態になっていたようです。

 そして、その場から駆け出すように居なくなってしまう。

 それから、二人の前に弟、貴斗が現れる。

「何の権利があって、あんたらは翔子お姉ちゃんや、龍兄ちゃんにそんな事をいえるんだっ!姉ちゃんがどれほど頑張って練習しているか知らないくせにっ!謝ったって許してやらないから、ここで僕が蹴り一発入れてやるよっ!うりゃぁっ!」

 弟は言い放ちますと本当にとても小学生成り立てとは思えないほどの一蹴が来賓へお見舞いされていたのです。

 それから、私が居る事に気が付いていた貴斗はこちらへ歩み寄る。

「龍兄ちゃん、どうして、何も言ってやらないんだよ。翔子お姉ちゃんないちゃったじゃないかっ!」

 弟はその言葉を言い終わると、私の腕を掴み、妹が移動した方向へと走り出した。

 そのまま弟に場を流され、私達は演奏会が行われていたときに使用していた控え室へ訪れていた。そこには今も、泣き続けている翔子が居ました。

「翔子お姉ちゃんも、龍兄ちゃんにも言っておきたい事があるんだ・・・。翔子お姉ちゃんがお兄ちゃんとおんなじ習い事をして、いつもみんなから比較されているのを僕は知っているよ。でもね、翔子お姉ちゃんは龍一おにいちゃんとは違うんだよ」

「翔子お姉ちゃんは、お姉ちゃん・・・。龍おにいちゃんじゃないんだから、すべてが同じに出来る訳ないじゃん・・・。お兄ちゃんと同じ事をするよりも、お兄ちゃんには出来ないことをしたほうがよっぽど良いじゃないかと僕は思う・・・。僕は龍お兄ちゃんには出来なくて、翔子お姉ちゃんにしか出来ないこと、一杯しっているし・・・、それをすればいいと思うよ。そっちの方が絶対に良いに決まっているんだ」

 それから、貴斗は私の方へ向き直り、

「龍おにいちゃん・・・、翔子お姉ちゃんだって本当は龍おにいちゃんに褒めて貰いたがっているのに、どうして何も言って上げないの?お兄ちゃん、お姉ちゃんの事嫌い?そんなことないよね・・・、そんなこと」

「わっ、私は龍一お兄様なんかに褒めて頂きたいなんて思っていませんっ。貴斗ちゃん口からでまかせは行けませんよっ」

 妹は急に泣き止み真っ赤な表情の妹はその様に弟へ言っていましたが、貴斗の言いは図星のようでした。

「でも・・・、貴斗ちゃん、ありがとう。本当に優しい子・・・」

 そう言って妹は長身の弟の背中から抱きつきそこへ顔を埋めていました。

 それを見て私が居る必要性がないと思い、その場を後にしようとしましたが、

「龍おにいちゃん、まって、お兄ちゃんにはまだ、言いたい事があるんだ・・・。お兄ちゃん孤独なんでしょう・・・。なにやっても上手に出来ちゃうから、龍おにいちゃんはどんどん先に行っちゃって周りが付いてこられなくて・・・、・・・、・・・。お兄ちゃんと同じ立場で一緒に出来る人が居なくて。それでも、お兄ちゃんは振り返らないで先に進んじゃうから回りを見たときには誰も居なかった・・・、それって寂しいよね」

「それにそんなの良くないよ。みんなと一緒にいる楽しさを学ばなきゃ・・・。損だよ・・・。だからね、何だって出来ちゃうんだから、普段はみんなに合わせればいいじゃん・・・。それに、それにそんな顔も良くない。お兄ちゃんは凄いんだから、笑っていればそれだけでも友達が一杯出来ちゃうよ。お兄ちゃんならそんなフインキ簡単に作れちゃうよ」

 私は弟が雰囲気をフインキと言った事に思わず笑ってしまいそうになるが、それを我慢して、言葉の続きを聞こうとしていました。

「それでもね・・・、友達が出来なくて・・・、どうしようもなくても・・・、龍お兄ちゃんは独りじゃないんだよ、孤独じゃないんだ。僕が居るもん。翔子お姉ちゃんだって居る。だから、寂しい事なんてない。僕がお兄ちゃんにして上げる事なんてないけど、僕はお兄ちゃんが好きだから、お兄ちゃんがどんなに寂しくても僕はお兄ちゃんのそばに居るから・・・。だから、そんな自分には何も無いなんて、何時も独りなんだって表情しないで笑おうよっ!ねっ」

「貴斗ちゃんたら、ほんとうにおませなこといいますの・・・」

 他人が聞いても弟の言葉に感銘を受けるような部分などどこにもありはしませんでした。しかし、その時が私は生まれて、声は出しませんでしたが最初で最後の涙を流すのでした。

 それから、私の心の隙間が埋まっていくことも感じました。

 弟だけが私の孤独の意味を理解してくれていたのだと。

 今まで、程の良い遊び道具、弟などと思っても見なかったのに、虐待に近いことも散々してしまったと言うのに、貴斗はずっと私の事を考えてくれていました。まだ、六歳だと言うのにです。

 私は弟が言葉にしたとおり、初めて二人の前で笑って見せます、ぎこちなく。

 弟は私の表情を見て、太陽の輝きのような笑みで返してくれました。あまりにも眩しいその笑顔。

「お兄ちゃん、その調子だよ。龍おにいちゃんなら大丈夫、絶対の絶対、友達出来るよ。なんたって、僕の自慢のお兄ちゃんだもん」

「貴斗ちゃん、お兄様だけその様に一杯お褒めしてずるいですわ」

「翔子お姉ちゃん、すねるなよぉ、お姉ちゃんだって僕の自慢のお姉ちゃんなんだから」

 それから、三人してクスくすと笑みをこぼしていました。笑いながら心の中の膿が流れ出して行くような気もしました。もう、私はその日から、貴斗を溺愛するようになりました。翔子と取り合いするくらいに。

 弟のお陰で、今まで一人も居なかった友達と呼べる存在も急に増えても行きました。

 貴斗が私に笑う事を教えてくれた。貴斗だけが私の孤独な心を埋める術を知っていたのです。

 我が愛しの弟のおかげで、私は私で居られたし、親友と呼べる存在も出来ました。

 そう、私の空だった心のグラスが徐々に、徐々に満たされていくその素晴らしさを知ったのです。ですから、私は常に貴斗の誇りであるように努力し、出来る事は何でも励みました。

 無論、それは妹の翔子も同様。

 更に貴斗に笑うことを教えて貰いましてから、私の幼馴染である麻里奈や、光姫との付き合いが上手く行き始めたのは・・・。

 後もう一つ重要なこと、それは翔子の為に貴斗は自分が馬鹿を演じる事にしたのを知らないでしょう。

 それにより、今まで私と比較されていた妹は、今度は弟と比較される様になり、褒められる事が多くなったからです。

 弟、貴斗はどんなに馬鹿にされても、笑って全てを受け流していました。

 弟は常に姉と兄を立てるように自分の身を振舞ってくれていたのです。

 いいえ、私たちだけでなく、貴斗はいつも、周りを立てるように振舞っているように思えました。

 慈愛とは似て非なる私事を二の次にしる他人優先的思考、特に幼馴染に対しては。

 その性格の所為で、何度、命の危機に瀕したことか、数知れません。とても危うい弟でも有ったのです。

 私は今もその事実を知らないのです。貴斗が己の命を、他の者に、親類に差し出した事を・・・。ざっと、これが私の貴斗を愛する理由の一端です。

 他にも沢山、伝えたい事があるのですが、貴斗が私の心を救ってくれたと言う真実が分かればそれで良いでしょう・・・。

 今この様に説明して、ふと私は気が付いてしまいました。

 貴斗が自分で無い他の誰かを優先させるような性格を生み出してしまった原因が誰であるかを・・・。

 もしもやifなどの仮定を論ずる事を好ましいとは思いませんが、その様な性格で無かったら今も貴斗はこの世界に存在していたのかもしれません・・・。

 この歳、三十と四を過ぎて、初めて本当の愚かさの意味を知り、悲しいと言う気持ちがどの様なものかを感じてしまいました。

 私の顔、その目下の重ねていた両手の上に一雫の輝きが零れ落ちていました。手の甲にじんわりと沁み広がるそれを見た麻里奈が言う。

「龍、あなたもしかして・・・」

 彼女が言葉に出そうとしていた事を光姫が頭を小さく振り麻里奈のそれを制し、

「龍が我々にこの様な顔を見せるのは初めてだろう。余程、心にきているようだな。ここは独りにしてあげよう、なあ、麻里奈・・・」

 麻里奈にだけ、聴こえる様に呟くと、私だけを置いてこの部屋から出て行ってしまいました。

 あの頃は私自身の心が欠落し、不完全な子供だったからどうしようもなかったのかもしれません。しかし、それは言い訳でしかなく、私の愚かさが許せなく、周囲から無類なき才能の持ち主と持て囃されたとも、貴斗のその性格を気が付けず、治してやる事さえ、守ってやる事さえ出来なかった私が悔しくて、悔しくて、己に対します憤りに声を上げませんでしたがしかし、ブランケットの裾を力強く握り締めるとボロボロと涙を流してしまっているのでした。

「結局、貴、私はお前に何も返すことが出来なかった・・・」と呟き・・・。

 龍一を部屋に残した光姫と麻里奈は廊下で言葉を交えていた。

「麻里奈、龍一はあの計画の第七十八番目の被験者だ。うまく存命は出来たものの、まだまだ不明な点が多い。今後の龍一の経過観察を頼んだぞ」

「まだ、あの計画が続いていたとはね。創設者はもう居ないのに・・・。でも、ミッキーがそこで働いているとは知らなかったわ。名医になるんだって張り切ってたはずなのに」

「いいじゃないか、こうして、私がここに居た事で、誰よりも早く、お前に龍一の復活を教える事が出来たのだから、感謝していただきたいものだな、なあぁ、マリー」

「うん、一杯感謝しているから、UNIOの立場で、ミッキーの手助けが出来るようなことがあれば、何だって言って頂戴」

「職権乱用だけは慎めよ」

 その言いの後に光姫は小さく笑い、ずれかけた眼鏡の位置を修正し、言葉を続けていた。会話の内容は今後どのようにすべきか。

 その話しは大よそ、一時間くらい続き、麻里奈が腕時計で時間を見て、そろそろ、龍一の所に戻っても良いだろうと判断し、光姫にそれを促す。光姫がそれに応じ、先に部屋に入り、麻里奈がその後に続く。

 龍一の表情はすでに平静に戻っていた。

「龍、ミッキーが目覚めたのならここに居るだけ邪魔だから、さっさと連れ帰れ、って言われちゃった。事後報告のために日本に私も戻らなくちゃならないから、一緒に戻りましょう・・・」

「ああ、そうしてもらえると助かります。しかし、着替えがありません・・・」

「心配するな、私が、お前の生還祝いに龍愛用のBrandの一張羅用意しておいたぞ」

「そうですか、断るのは折角用意してくださった光姫に申し訳が無いですから、遠慮なく頂きましょう。このご恩は次の君のBirthdayの時にでもかいしましょう・・・」

「ああ、すごく期待しているからな・・・」

 光姫は言いながら、ドイツ、ヒューゴ社の彼の好みの色の背広一式を差し出していた。

 龍一はゆっくりと立ち上がり、二人が居ても気にせずに着替えを開始しようとしていた。

 彼女たちも特に慌てる節は無かった。

 立った時に彼はまだ、平衡感覚を戻せて居なかったようで、蹌踉めくが、麻里奈がそれを支え、すぐに体勢を立て直していた。

 立って着替える事が今はつらいと実感した龍一は寝台に腰を下ろし、その姿勢で光姫から渡された礼服に丁寧に体を入れていた。

「光姫、世話になりましたね」

「お前が、私や麻里奈に手間をかけさせるのはいつもの事だろう?気にしてなどいない。服を着たなら、さっさと帰れ。仕事の邪魔だ・・・」

 光姫は笑い顔で嫌味をいい龍一と麻里奈をその場所から離れず見送るのだった。


~ シンガポール国際空港出立待合ロビー ~


 空港まで来るとようやく歩く事になれた龍一はゆっくりとした歩調ではるが麻里奈と並び、搭乗口待合所まで足を運んでいた。

 横並びの連結椅子に腰を下ろす龍一に手を貸す麻里奈、彼女も腰を掛けた。

「これから、龍はどうするの?」

「戸籍上、私は死亡になっているでしょうし、UNIOには九年間も職務放棄・・・、ですが出来ればUNIOに・・・」

 普段絶えず微笑を浮かべている龍一。

 今もその表情だが、何処か一点を見詰める瞳と、声は真剣だった。

「ぅぅ、問題ないんじゃないの?UNIOは慢性的な人材不足だし、大宮支部長も一発OK出してくれると思うけど」

「それはあり難い事ですね。帰って直ぐにとはいけませんが、仕事に支障が出ないくらいに体力と筋力が戻りましたらまた一緒に仕事をしましょう、麻里」

「うん」

 龍一の返答に本当に嬉しそうな表情で頷く、麻里奈だった。

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