第396話 哲人は入浴中に真理を悟る at 1995/12/23

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて、お先にお風呂に入るよ。……ホントに二番目でいいの?」


「い――いいの、いいの! 女の子のお風呂は長いんだもん。お待たせしちゃうから。ね?」


「ふーん……じゃあ、遠慮なく」



 自分の家なのに遠慮なくも何もあったもんじゃないけれど、少々お湯加減が熱すぎたこともあったのでちょうどよかったのかもしれない。バスタオルに着替えのスウェットと下着を抱えて浴室兼洗面所兼トイレのドアを閉める。他の家ではどうしているのかしらないが、この半畳もないわずかなスペースが、我が家の脱衣所となっていた。


 薄い開き戸にはうろこ状にデザインされたすりガラスがはまっているのだけれど、キッチン側から見たら、丸見えとまではいかないが大体何をしているのかわかる程度には透けていた。キッチンには誰もいないようで――当たり前か――ちょっぴりほっとする僕。純美子がウチにいて、二人きりだ、というだけで、ふだんの行動がこんなに様変わりするとは思わなかった。



「よいしょ――っと」



 ハダカになって、ふだんは壁側に立てかけてあるヒノキ製のスノコを洗い場に平らに置き、その上に乗って浴槽をおおっている蓋を四枚のうち三枚外して残りの一枚の上に積み上げた。とたんに、もうもうとした湯気が冷えた浴場内に立ち昇る。



「少しだけ、水を足してうめるか……かき混ぜてもまだちょっと熱いし」



 ホースの蛇口をひねって冷たい水を注ぎこむ。長年酷使されてくたびれてきたバランスの悪いスノコが、僕が動くたび、かこん、かこん、と小さく音を立てる。



『お湯加減はどうですかー? ケンタくーん?』


「ちょっと熱そうだからー、今水足してるところだよー」



 割とこの会話、外に丸聴こえなんだよなぁ。


 とにかく子どもの頃の僕は、プライバシーとは無縁の生活をしていたように思う。恵比寿に越してひとり暮らしをはじめてからやっと、自分の抱えていたそれがストレスだったのだと気づかされたものだ。むしろ最初の頃は、あまりに静かすぎてなかなか寝つけなかったほどだ。



 ――だばー。



「ふぅ……もう大丈夫だな。あまり冷ましちゃうとスミちゃんが入る時にぬるすぎちゃうから」



 手桶で二、三回かけ湯をしてから、浴槽に浸かるとそこそこいいカンジのお湯があふれ出た。実家のお風呂で唯一好きな点と聞かれたら、迷わずこれだとこたえるだろう。爽快感がある。



『お湯加減はどうですかー? ケンタくーん?』


「あー。うんー。今、ちょうどよくなったから、浸かってるところだよー」






 ……なんで二回聞いた?

 進捗どうですか? ってことなのかな?






 特に純美子からの返事もなく、なにやらごそごそと音が聴こえてはくるものの、次に入る準備だろうと特に気にすることもなく、僕は満足げな溜息を漏らしつつ、さっきのことを考える。




 ロコと純美子は、一体何を話していたのだろう、ということ。




 ロコは僕にしたように、今夜の『二人きりで過ごす夜』のことで純美子を冷やかしたはずだ。


 しかし、純美子が返したセリフを耳にして、とたんにロコの表情がさっと変わった。どんなセリフだったのかは僕には聞き取れなかったけれど、ロコのおちゃらけモードが一瞬で解除されたくらいだ。ロコにとってはかなりインパクトを持ったセリフだったのだろう。


 そういえば――。


 どうしてロコは、室生からのクリスマスデートの誘いを断ったんだろう。月曜日、学校で二人の会話を偶然聞いてしまった。『どうしても外せない』『家の用事』と言っていたけれど、僕らから誘ったクリスマスパーティーには参加しているじゃないか。なら、どうして――?


 と、その時だった。






 ――こん、こん。






『ケ――ケンタ、君……あたしも……一緒にお風呂………………入ってもいいかな……?』



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